この監督さんの作品は見たことがありませんでした(たぶん)。大好きなマリオン・コティヤールが約半世紀ぶりに、フランス女優として2人目のアカデミー主演女優賞を獲得した『エディット・ピアフ 愛の賛歌』の監督さんですが、まだ見てません。見たいのはやまやまなんですが、歴史物・原作物など、イメージを既に持っている人物を描いた作品はあまり見ない自分です。主演がイザベル・ユペールというのもあってそれなりに期待もありましたが、見終わってビックリ。実に良い作品でした。今「見終わって」とわざわざ書いたのは、最初は一種の胡散臭さを感じていたのが、段々にそれがなくなっていったからです。似ているとか、真似だとか、リメイクだとか、そういう意味ではまったくありませんが、この映画はジャン=リュック・ゴダールのVivre sa vieの2002年オリヴィエ・ダアン版だと思います。ゴダールの映画、邦題は「女と男のいる舗道」ですが、原題は「自分の人生を生きる」と普通訳され、その通りですが、やや意訳させてもらうと「与えられた生を生きる」ぐらいの感じです。ゴダールの映画の主人公ナナ(アンナ・カリーナ)が娼婦であったように、ここでもユペール演じるシルヴィアは娼婦です。
ジョシュアは犯罪と脱走の過去を持ち、シルヴィアは夫や息子を捨て、今もロランスの母親でいられないでいる。そのロランスも冒頭で殺人を犯している。過去というのはもう変えられない。それでもそれぞれの人は生きていくしかない。この3人に限らず、それがvivre sa vie与えられた生を生きるということだ。二人が川辺でダンスをするシーンがあった。彼女がジョシュアをダンスに誘うが、ジョシュアは踊れないと答える。そんなジョシュアにシルヴィアも「私も踊れない」と言う。でも二人は踊る。踊れないというのは「生き方がわからない」という意味であり、それでも踊るというのは「生き方がわからなくても生きなければならない」ということだ。
いつもながら日本語字幕の誤訳を指摘したい。なぜならその誤訳が内容理解に大きく関わるからだ。シルヴィアはジョシュアに「子供はいるの?」と尋ねる。もちろんここでは単なる好奇心ではない。シルヴィアにとっては子供がいること、つまりは親であること、それは重大な関心事なのだから。この「Vous avez des enfants?子供はいるの?」という質問にジョシュアは「J' en ai une.娘が1人いる」と答える。これは初級フランス語会話にもたぶん出てくる代名詞 en の使い方だ。なぜそれを文字通りに訳してくれないのか。字幕はなんと「1人いた」となっていた。字数だって「娘が1人」とすれば同じ4字だ。この「娘が1人」というのは、もちろんロランスのことを言っているとも取れるのでである。