ラッコの映画生活

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2008.06.29
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カテゴリ: 日本映画
人のセックスを笑うな

Nami Iguchi
137min
(桜坂劇場 ホールAにて [3周年記念 1コイン・フィルムリレー 2日目 ] )

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実にもったいない映画。同じ原作(山口ナオコーラ、未読)で、同じ役者を使って、まともな監督が作れば、100倍、1,000倍面白い映画になった可能性もあるのではないだろうか。黒沢清の 『ドッペルゲンガー』 で存在を思い出した永作博美が出ているので、またボクの周囲の男性に大ファンが多いけれど、ボクはほとんど魅力を感じない蒼井優を観察してみようと、このやや過激な題名の映画を見にいった。この言葉、昔からセックスアピールというような熟語では普通に使われていたけれど、男女の行為を示す語としては30年前でもまだ一種の はばかり があったのではないだろうか。それが現在ではかなり平気で使えるようになったわけだが、結果としては欧米や(そして各種アジア諸国)よりも、いちばん臆面がなくなった感じだ。これをどう解釈するべきか。このタイトルは映画である以前に山口の小説のものなのだが、読んでないのでその含みはわからない。ただ映画の公式英語タイトルは romance となっていて、love affair でも sex life でもない。そして「人の」の部分は my となっているから、「私のことをとやかく言うな」という意味であることがわかる。

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同じ美大に通っていて、いつもつるんでいる みるめ君 19才(松山ケンイチ)と 堂本君(忍成修吾)と えっちゃん(蒼井優)。こういう男男女の3人仲間って良くありますね。えっちゃんはみるめ君が気になっていて、たぶん好きなんですね。みるめ君はそのことにたぶん薄々気付いていて、それは不快ではないし嬉しくもあるのだけれど、でも好きっていうのとも違うというか、今のその状態でいることに満足しているというか、甘えている。でもえっちゃんはもっと自分をアピールするとか、迫るとか、そういうことはない。待っているだけとでも言うか。西洋的恋愛感性から見ればまどろっこしい感じ。 『パラノイド パーク』

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そんなバランス関係の3人に降って湧いたのが39才のアーティスト・美大臨時講師のユリ(永作博美)。ボヘミアンっていうと日本語ではちょっと違和感もあるけれど、リベルタンとでも言うか、好きに自分の人生送っている女性。だから39才と言ってまだまだ若いし、発想は幼いところもあって、それでいて適度にエロさも発散している。でもいわゆる意味での「大人の女」とか「塾女」ってのとは違う。39才という大人の身体や性を持っていながら、少女的でもある。そしてえっちゃんと比べるとわかるけれど、自分の生き方に対する無用の遠慮のようなものはない。そんなユリがまだウブな、きっと女性経験もないみるめ君に迫ったわけだから、みるめ君はもう骨抜きですね。えっちゃんはもちろん嬉しくはないけれど、何をするでもない。待っている。実はユリには夫がいることを知って、うろたえ、関係を絶とうとして悩むみるめ君を世話しちゃうようなえっちゃんなんですね。この辺の雰囲気は良くわかりますね。

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この映画は過激な題名にもかかわらず、裸身がからみ合ったり、あえぎ声をあげたりはありません。抱き合う、キスする、どまりです。もちろんそういうことはみるめ君とユリの間に行われてはいるのですが描かない。ところで仮にボクがこの映画の演出をするなら、そして同じようにからみのシーンは描かないとして、それでもボクはからみのシーンは演じさせて、撮影もすると思います。でも編集でカットして使わなければ良い。何を言いたいかと言うと、この映画のえっちゃんの愛っていうのは、ほのかではあるけれど、プラトニックというのとも違う。体の愛に対する潜在的期待や欲求はある。けれども性愛(セックス)は不在、あるいは「未在」なんですね。男女の愛にセックスが不可欠で、気持ちと体の関係が統合されていなければならないとは言うつもりはないけれど、ここではそのアンバランスを感じます。そして映画そのものにボクは嘘を感じる。ユリとみるめ君のからみを描かないというのには、監督自身もえっちゃんと同じで、みるめ君とユリの肉体関係を見よう、受け入れようとしていない。それは不在。なのに物語としては、見えないところでユリとみるめ君は裸で抱き合っている、ことになっている。こういうアンバランスな心理は特に日本人にはあるから、それを描きたいのなら、それはそれで良いが、映画自体はそういう視点からは作られてはいない。

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嘘と書いたけれど、同じようなことは映像でも感じられる。固定カメラの長回し(場合によっては遠景のまま)を多様していて、そのために137分という長大な作品になっている。でも監督が好きらしいこうした映像は、思いつきないし借り物で、自分の本当の表現となっていない。映画というのは、役者は普通の人が内奥に隠しているような自分をも曝け出すことを要求されるし、監督もそのために自分を役者やスタッフや、結果として観客に曝け出す。この映画の監督に感じるのはそれがないことだ。自分の内奥を隠したまま、借り物の技法で作られた137分は長過ぎた。その137分の中で永作の出演時間はそれほど多いわけではないが、その人間(女?)は魅力的で、そのことがきっとある程度この映画をもたせている。蒼井はアンバランスたるえっちゃんを好演していたけれど、彼女の持つその雰囲気自体が、日本人の嘘的アンバランス欲求に合致していて(そう思い入れしやすく)、そのための彼女の人気なのかな?、と感じた。

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Last updated  2008.07.13 02:59:01
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