ラッコの映画生活

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2008.09.29
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カテゴリ: 日本映画
愛の渇き

and aka THE THIRST FOR LOVE
Kurahara Koreyoshi
白黒&パートカラー99min(1 : 2.35、日本語)
(桜坂劇場 ホールCにて)

kawaki0.jpg

前回の 1969年、浦山桐郎の『私が棄てた女』 ともう1本、桜坂劇場9月の「浅丘ルリ子特集」で見た作品。こちらは1966年だから3年ほど前のルリ子さんということになるが、役として、演技としての彼女は、『私が棄てた女』の方が良かった。それでもこの映画は、相当昔にテレビで見て、かなりの衝撃を受けて印象に残っている作品だった。なにせそれは中学生か高校生の頃だから、再び見たいと思い、そのうちDVDなどで見ようと考えていたので、まさかの劇場で見られたは嬉しかった。今回実際に見たら、テレビでは見られなかったシーンがいくつもあった。99分の作品だけれど、たぶんCMの多い深夜枠の放送で見たので、カットが激しかったのだろう。今回大人になって、そして良くも悪くもかなり映画ずれした目でみたら不満がないでもなかったけれど、それでもかなり堪能した。良く出来た映画だ。DVDが新潮文庫連動DVDとして出ているのは大歓迎だ。原作は三島由紀夫。前作の遠藤周作といい、どちらも原作がしっかりしているのが良いのだろう。ちなみに音楽はどちらも黛敏郎で、昨今の桑田佳祐など軽薄で安っぽいものでないのがいい。邦画ばかりの傾向ではないが、せっかく良かった映画のエンディングに内容に不似合いな二流曲を流すのは止めて欲しい。

三島由紀夫の作品の主要なテーマに、禁忌と情熱というのがある。ロミオとジュリエットは、キャピュレット家とモンタギュー家という対立する一族の2人で、許されない恋だからこそ愛の情熱が燃えあがった。もっと古くはトリスタンとイズーの物語がある。トリスタンにとってイズーは自分の仕える主君マルケ王の妃だ。三島の『春の雪』の清顕は、聡子の天皇家との縁談が決まり、天皇の勅許も下って手の届かないものになったとき、情熱に火がついた。『憂國』の武山中尉と麗子は夫婦だが、二・二六事件の青年将校たちの決起から外されたために、忠ならんとすれば友を殺し、友を助けんとすれば逆臣となるという状況で、切腹するしかないという状況の下での二人を描く。三島は 自ら主演・監督して映画化したが

kawaki1.jpg

夫・良輔が病死した後も、悦子(浅丘ルリ子)は夫の父の家に暮らしていた。義父・弥吉(中村伸郎)は引退した実業家の富豪で、今は大阪近郊に広大な農地を持ち、広い屋敷には、大学教授の長男・謙輔夫妻も暮らしていた。いつの頃からか悦子は義父・弥吉に身を任せるようになっていたが、それは弥吉にとっても悦子にとっても淀んだ活気ののない死んだような日々の倦怠のなせる技だったのだろう。愛などというものからではなかった。悦子は生前の夫の浮気に苦しめられたのだが、それも彼女が夫を愛していたからではない。名家の嫁で、才色兼備、非のうちどころのないような悦子の姿は、彼女の着た鎧であり、彼女のナルシシズムの産物だ。ナルシストは自分を愛するのであって他者を愛しはしない。出来ない。「愛の渇き」というタイトルは、愛されることに渇いているという以前の、愛することの出来ない渇きではないだろうか。夫の浮気も、表面上は貞淑であっても決して妻が自分を愛していなかったからこそなのだろう。

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そんな生の活気を欠き、情熱を欠いた日々の倦怠の中で、ある日悦子はまだ二十歳前の若い下働きの園丁・三郎(石立鉄男)に目をつける。ここで悦子を動かすのは、三郎に愛されたいという、ナルシシズムから出発した思いだ。しかしやがて彼女は三郎が女中の美代と関係があることに気付き、嫉妬という情熱に発展する。 (以下ややネタバレ含む) 。そんな彼女の頑な行動力は凄まじい。美代が三郎の子を妊娠していることがわかると、家長で独裁者たる弥吉は、責任を取って結婚するなら許すという。三郎が郷里の親元に相談に帰省して不在の3日間に、悦子は美代に子供を下ろさせようとするが、美代は抵抗しなかった。そして暇を出された美代は郷里に帰ってしまう。表面は従順に従う美代だけれど、そんな仕打ちをする悦子を恨んだ。悦子にそうさせているのが嫉妬からであって、三郎への純粋な愛からではないことに美代は気付いていたのだろう。

(以下ネタバレ)
やがて戻ってきた三郎は「まだ若すぎるし、結婚なんてとんでもない」と親に叱られたと言ったが、本当に親元に行ったのかどうかは怪しい。三郎にとって、ただそこにいたから関係を持ち、妊娠をさせてしまっただけで、美代を愛しているわけではなかったのだ。愛するとか愛されるという面倒な感情を三郎は持たなかった。行き当たりばったりに生きるだけの三郎だった。自分のここでの生活がそれで約束されるなら、弥吉に従って美代と結婚したかも知れないが、もとから結婚したいわけではない。だから美代が中絶をして国元に帰ってしまったのは、好都合であったかも知れない。実業活動に復帰すべく、弥吉は悦子を連れて東京に出ることにした。そんな最後の晩、悦子は皆の寝静まった深夜に三郎を庭に呼び出した。悦子の妖艶な女の魅力に惹かれてもいた彼だったが、自分が悦子に求められていることをはっきりと知って、三郎は悦子を貪り襲った。しかし悦子は叫び声をあげる。それを聞き付けて弥吉は鍬を手に駆け付けた。何もしない弥吉から鍬を奪いとると、悦子はそれを三郎に振り下ろした。吹き出す白黒画像の黒い血。正当防衛を主張すれば良いと言う弥吉だったが、温室の地面に穴を掘って死体を埋め、彼女は自らの始末は自らでつけた。嫉妬の情念でここまできた悦子だったが、三郎が結局彼女を愛しは、愛し続けはしないことに彼女は気付いていた。だから三郎が彼女の方を向いたときに、彼を抹殺するしかない。それがナルシストたる悦子の自己愛保存の末路なのだ。

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Last updated  2008.10.05 14:05:48
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