本日は大学法学部同窓会の幹事会の忘年会があった。来年3月一杯で小生の会長任期が満了するので、本日の幹事会にて、新会長に弁護士のM氏を推薦、了承された。これで、小生も来年4月でお役ご免となり、やれやれである。あと少し任期を残しているが、小生の如き者が曲りなりにも、会長の任を務め得たのは、副会長の皆さん、事務局長のA氏、幹事諸兄など、周囲の方々のお陰であります。茲に心からの謝意を表します。
さて、先日、信州上田市のビターcさんが「真田丸は何処にあったのですか?」と小生のブログに書きこんでおられたことを思い出し、上記の忘年会で梅田に出るついでに、少し早めに家を出て、その場所を探索することとしました。
大阪環状線の玉造駅と鶴橋駅との中間に「真田山公園」というのがあることを知っていましたので、多分其処だろうといのが、小生の推測でした。しかし、真田山公園を隈なく歩けど、それらしきものが見つかりません。諦めかけていたところ、少し北側に「宰相山公園」というのがあることを、道の辺の街区案内板に見つけ、立ち寄ってみると、そこにありました。
その小さな公園の一角が三光神社になっていて、そこの境内に、何と真田幸村公の銅像(いや、石像かな)がありました。そして、その傍らには大阪城から出城たる真田丸への地下の抜け穴跡という史跡まであったのです。
ビターcさんからの宿題をやっと果たせた気がして、嬉しい気分でした。
(真田幸村公像)
徳川軍を迎え討とうとしている姿であるか、東方向を睨んでいるのも面白い。
三光神社の境内の石碑には「・・此地はもと大阪城の出城の在りし処にして慶長・元和の大坂合戦の頃、真田幸村茲に陣し本城より此処に
至るまで地下に暗道を設け、今尚其のこん跡を本殿階下に止むるより世俗に真田山の三光と称するに至れり・・」とあります。

(史蹟 真田の抜け穴跡)


(三光神社)
(宰相山公園)
(真田山公園)


(もみぢ葉も落葉も美しい真田山公園)
宰相山公園の裏手には旧真田山陸軍墓地があった。
整然と並んでいる兵士たちの夥しい墓石。これらの墓たちは、僕らに何を語りかけているのだろうか。



(旧真田山陸軍墓地
)
旧真田山陸軍墓地は、明治4年(1871)に当時の兵部省が設置し、昭和20年(1945)の終戦まで陸軍の管理下にあった。陸軍墓地は全国各地に80以上もあるらしいが、この真田山墓地は最古の歴史を持つ墓地である。将校、下士官、兵卒、軍役夫など5299基以上の墓石があるほか、4万3千余といわれる遺骨を納めた納骨堂(昭和18年<1943>建立)がある。敵として戦い、捕虜となってこの地で亡くなった中国人やドイツ人の墓碑も少数ながらあるとか。その意味では「英霊」を祀る靖国神社とは性格を異にするものと言えるだろう。
このように戦前の姿をよく残している旧陸軍墓地は今は殆
どないらしく、現存する旧陸軍墓地としては、この真田山墓地は最大の規模を有しているそうである。軍国日本の歴史的証拠として、宗教色や「英霊」なんぞというイデオロギー的なものが一切付着しない、ニュートラルな、ひとつの歴史的遺跡・遺物として、やはりこれは将来へと遺されなくてはならないものと思う。整然と並んだ、もの言わぬ累々たる墓碑たちが「語りかけて来る」言葉にならない「悲しみ」というものに、耳を傾け、聞き取り、感じ取り、それを受け止めるためにも。
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