( 承前 )
雨晴海岸にやって来たのも久しぶり。自転車のタイヤに不安はあるが、何とか高岡駅前まで持ってくれれば、と走り始める。
先ずは義経岩に立ち寄る。義経にまつわる伝説は下の説明板をご参照下さい。偐家持としては、大伴家持が愛したこの海岸の眺めを堪能すれば、それでよしつねなのであります。
馬
並
めて いざ打ち行かな
渋谿
の 清き
磯廻
に 寄する波見に
(大伴家持 万葉集巻17-3954)
義経岩の前にはホタルブクロの白い花が咲いていました。蛍が雨宿りするという花が義経らの雨宿りの岩の前に咲いているのも、何やら駄洒落っぽい。
雨隠 り 蛍もすなる 花なれば 添ひて咲くらし 義経岩に (偐家持)
義経岩の傍らには小さな祠がり、義経社とあった。
この後、伏木方面など万葉歌碑を廻る予定であったが、越中国分駅への国道415号線の坂を登っている最中にまたしても後輪の空気がプシュプシュと抜けてしまい、走行不能に。
この先は
後
にせよとか 雨晴
タイヤの割れて 徒歩歩
なりけり
(徒歩麻呂)
不安的中。自転車を押しながらの徒歩。まさにトホホのお手上げであります。越中国分駅までともかくも歩いて行く。
事前の調査では越中国分駅の近くの高みに万葉歌碑があるとのことであったので、それだけは見て行くこととする。
国分駅前の道路を渡り、ゆるやかに右に上って行く坂道を行く。道端で草刈りをして居られたご婦人に歌碑の在り処を尋ねると「山道ですよ」と言いつつ教えて下さった。教えていただかねば見落としてしまう山道への入口である。「家持山石雲寺・・」と刻された石碑のある処から細い坂道を草掻き分けながら上って行くと、ありました。
・・海行かば
水漬
く
屍
山行かば 草
生
す屍 大君の
辺
にこそ死な
め 顧みは せじと
言立
て・・ (大伴家持 万葉集巻18-4094)
この歌は、大仏造営のために大量の金を必要とする中で陸奥国にて金が発見され、それを喜んだ聖武天皇が「出金詔書」を発するのであるが、それを受けて大伴家持が作ったものである。金の産出を祝うと共に、天皇が詔書に於いて「大伴氏は古来よく忠誠を尽くしてくれた」として、大伴氏の言立てにも言及したことに感激して作った歌である。その長歌の一部が軍歌となってしまって、多くの人が記憶してくれたのは良いが・・と家持殿も複雑な心境でしょうな。まあ、GHQも大伴家持までは戦犯とは致しかねたようですが。
家持歌碑への往復でひと汗かいて、越中国分駅まで戻って来た。「大君の辺にこそ死なめ」ではないが、「この駅の辺にこそ 終
こんな無人駅でのお別れとなりましたが、どちら様もお気をつけてお帰り下さいませ。最後まで高岡銀輪散歩にお付き合い賜り有難うございました。次はタイヤ交換をして、かかる頓挫のなきよう相努めまする。<完>
<参考> 銀輪万葉・北陸篇
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