太平洋戦争での勝敗が見えてきた頃。
土井は自分が手掛けてきた三式戦 飛燕の評判がすこぶる悪いことに心を痛めていた。
始動性が悪い、いざという時使えないなど飛行士や整備士からの批判は直接言われなくても伝わってきた。
同盟を結んでいるナチスドイツ軍のメッサーシュミットを参考に川崎重工で開発したのだがその完成度の低いのには理由があった。
自動車を何十年も前から作り続けているドイツとその経験が浅い日本では水冷エンジンの構造の細部の部分まではまねができないのだ。
メルセデスなどは何十年も前から水冷エンジンを作り続け不具合の原因を改良し続けているのでほぼ完ぺきなものが出来ている。
ドイツから設計図を持ち込み見様見真似で作った日本初の戦闘機の水冷エンジンとは埋めることが出来ない大きな溝があった。
かくして頭のない飛燕が飛行場に並びエンジンの不具合を調整中の機体ばかりが飛行場の隅に並べられていた。
土井はその解決策が頭の中には浮かんではいた、飛燕の水冷エンジンを空冷にしたらどうか?
そんな突拍子もない秘策があった。
しかし、お堅い上層部にこんな案を提案しても受け入れてもらえないのは分かっていた。
一度決めてやってきたことを否定されることを何よりも嫌がる人たちである。
しかし、物資のない日本陸軍にとって使えない戦闘機は資源の無駄であり開発者としては居ても立っても居られないほど悔しかった。
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