暖冬傾向で、ゴルフ場の予約が多い!
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
247634
HOME
|
DIARY
|
PROFILE
【フォローする】
【ログイン】
屋敷しもべ妖精の下僕
入学前のドビーと家族
【ドビー誕生】
ペン次が生まれたのは菜種梅雨~梅雨~秋の長雨まで、梅雨入り宣言も梅雨明け宣言もなかった、米凶作の年。輸入されたタイ米が巷では不評だったが、私はなんだか懐かしかった…。この冷夏のせいで、ペン次が汗をかかない体質になっていたとは想像もしなかったころ。
翌年ドビーが生まれた。福岡大渇水で日中ずっと断水、という熱い暑い年。上の二人を面倒見てもらう人がいなくて、夫の実家を頼り、6月の終わりに新幹線で移動。9月末までの3ヶ月を過ごした。
出産前夜、飯塚の花火大会で打ち上げ花火の大音響にさらされたせいか、予定日より3日早く、陣痛がおこって入院。微弱陣痛で半日以上唸る。陣痛促進剤を点滴されて、それから産むまでも長かったように覚えている。3人目でこんなに難産はないだろう、と助産婦さんに言われたっけ。
お産が長かったせいか、生まれたときの彼女はチアノーゼ状態。義母は今でもあのときの医者のことを、帝王切開していたら、ドビーが普通の子だったかも、と恨み節をいう。心臓に穴があいていて(心房中隔欠損症)、両手の中指はがっちり固まって伸びないばね指だった。即NICUに入院。
何より驚いたのは、女の子だったってこと。しっかり男の子と思い込んで、「彼」の名前は考えてあったけど…。私の入院生活は母乳をしぼることとドビーの名前を考えることだけに費やされた。7月生まれだから、海にちなんだ名前をいくつも考えたのに、画数が苗字と相性悪い。手持ちの姓名判断の本によると、亡くなっていた私の両親は、どちらも画数が最悪だった。早死にだけはイヤ、と本の判断にはゼッタイ従うことにして、3人みな(その本によると)苗字と相性のいい名前をつけた。
ドビーは約2週間の入院の後、退院。私は5日で先に退院して、毎日母乳を搾って届ける日々だった。退院してから、見れば見るほど不細工になっていくような…。上の二人は天使のように可愛かったのに、この鼻の穴の大きさはどうしてだろう、とか。なんのことはない、自分の家の系統の顔じゃなかった。父親である夫にそっくりだったのだ(笑)そのときは、高い鼻になるなんて全然思えなかった。
とはいえ、子豚のような鼻のドビーは、不細工ながらもとてもいとおしかった…♪お乳を吸う力はびっくりするほど弱くて、お乳が切れた上の二人とは段違い。これは性差なのかとも考えた。
夫の実家にいた3ヶ月間、井戸が枯れないようにと、風呂は最低限、産湯や食器の洗い水でも石鹸の類は使用禁止、すべて畑に撒くためにたらいなどに溜め、バケツを持って畑まで何往復もしたことは、苦しい思い出。そして9月中旬に姫のお宮参りをしてから皆で帰宅。末妹には寂しい思いをさせてしまったのに、彼女を思いやる余裕は全然なかった。
【ばね指(両手中指の屈指症)】
このまま指が伸びなかったら、2歳くらいで手術が必要、といわれた。今は小さすぎるから神経を傷つけてしまう恐れがあるので様子見だ、と。両手の中指の第3関節。手のひら側の皮膚がほとんど形成されていなくて、
右手90度、左手70度曲がったままだった。毎日マッサージ10分ほどでいいから、といわれたが、授乳のたびにずっと指をさすり、お風呂のあとは念入りに。今思えばドビーはマッサージが痛かっただろうな…。ごめんよ~
1歳半を過ぎる頃までは熱心にマッサージしていたが、それからあとは、いつまでも歩けないことから、足や背中の方に意識が集中してしまい、両指のマッサージおろそかになってしまった。今は、右手中指が角度が大きかった分、15度くらい曲がったままだ。あのとき、ずっと続けていたらと悔やまれる。それでも、日常生活にほとんど影響がないので、手術しなくていいでしょう、と言われたときはホッとした。
【病院通い~○○学園入園まで】
心臓の方は穴の大きさもそんなに大きくなかったので、経過をみるために毎月、のちに2ヶ月おきに、病院に通うことになった。子ども3人の年が近かったため、病院通いはいつもこぶ3つ。循環器外科と小児科~大病院の3時間待ち3分診療。ドビーのときだけではなく、兄たちの通う近所の小児科や耳鼻科もこぶ3つ。あのころを思い出すと目眩がする。
でも、ドビーが半年を過ぎるまでは何もわからずそれなりに幸せだった。たしか9ヶ月児検診?で、かかりつけの小児科の○林先生から爆弾を叩きつけられる。
「この子チアノーゼあったでしょう。言いにくいけど、チアノーゼって、そのときはわからなくても、あとから障害が出る可能性が高いよ」
今思えば、死にたい、とそのとき初めて思った。家に帰って泣いて泣いて。なんてひどいことをいう先生なんだろうと医者を恨んだ。だけど、ペン次とドビーが年子だったせいもあり、すぐに一年前との違いが顕著にわかるようになる。個人差もあるだろうから、と見ないフリをしていた、、、、
歩かない。お返事ハイ・バンザイ・バイバイができない。初めのうちは前者の歩く気配がない方が気になった。歩けるように体操で筋肉をつけさせたり、あれこれと治療法を探した。しかし、だんだん精神面の発達の遅れを感じるようになる。
これか…これがあのとき先生がいった、後から出てくる障害、か。
不思議と泣かなかった。あのときのおかげで夫や義父母たちより先に、受け容れることが出来た。夫の”はとこ”にあたる保健士さんの勧めに従って、児童相談所に連絡。するとベテランの保健士さんを派遣するので、面談してくれという。実際きてくれたのは、悪い方ではなかったが、まだおかしいと決め付ける段階じゃない、1歳半の時点でもまだ歩けなかった姫を前にして、もう少し様子をみましょう、と言う。
その言葉に、あれ?希望を持ってもいいの?と少し明るい気持ちになった。だけど、それから半年、毎月同じことを言って去っていく。我慢できずに心臓で通っている病院の先生に相談して、発達専門の子ども病院に通い始めた。これがまた遠いのなんのって。今でこそ同じ市内だけど、昔は隣の市で、一番南から隣の市の一番北まで。検査に次ぐ検査。もう精神的に参りかけていた。
このころの私の状態が、今思うと最低だったかもしれない。ペン太は幼稚園に入ったものの、かわいそうに彼の幼稚園生活を楽しいものにしてやれる余裕は全然なかった。妹の通院に付き合わされ、幼稚園を休むことも珍しくなかった。
ついに、子ども病院ではっきりと精神遅滞、と告げられる。児相に電話しても、保健士さんが忙しくてくるのは一ヶ月先と言われ、ついに児童相談所を信じられなくなった。我慢できずに直接療育施設である母子通園施設に飛び込む。園長先生に泣きながら、この子がおかしい、どうにかして助けてほしいと訴えた。
それから入園に至るまでの手続きのため、やむなく不信感いっぱいの児童相談所に行ったり、ペン次を連れて行ってはいけないというので、彼の預け先の確保するため、あちこちの保育園を探したり…バタバタ生活の始まりだった。 いざ入園。ドビーが2歳3ヶ月。ペン次は3歳5ヶ月の秋だった。
【そのころの家族】
ペン太は喘息の兆候が出ていたが、私自身、母譲りのバリバリ医者嫌い。薬も信用できなくて、医者にいって診たててもらうものの、薬を使うのは極力避けていた。というのも、夫の実家の近くにあった、障害者の授産施設。そこに入所している人たちの半数近くが医療関係者の子どもとのこと、親が飲んでいた薬の影響らしい、、、と。単なる噂だったかもしれないが、私には十分おそろしかった。とにかくペン太が元気な体になるように、とスイミングスクールに通い始める。
平日は毎日あちこち通うところばかりで、ほとんど家事放棄。家はぐちゃぐちゃだった。妹ともよく喧嘩した。彼女にしてみれば、甥姪の面倒をみることも多い。もっと感謝してよ~という思いがあったことだろう。
ペン次もつらい思いをした。結局預けた民間保育園には最後まで慣れなかった。迎えに行くと毎回、ずっと借りてきた猫のようです、という報告。彼を預けていくときに泣かれ、迎えにいくと泣かれ、本当にこちらまで泣けて仕方なかった。
夫は事実を受け容れるのに精一杯。今も同じだけどとにかく仕事は休めない。土日にいるだけの人だった。
【初めての事故】
その母子通園の療育施設に車で通う。そこまで40分近くかかった。(のちには慣れて30分に)家の前の道は給食センターの車がしょっちゅう猛スピードで行き来して、たしか入園して2回目のとき、その給食センター車に前と後ろを挟まれた。両側通行できる道だが、片側はずらっと駐車中の車が並んでいて、その中には給食センターの車もたくさんあって、事実上一車線になっているところが現場だった。
施設に行くのに遅刻する~と慌てていたためだと思う。私の後ろのセンター車がス~~とバックしていくので、私も続いたはずが、その憎き駐車中の車に思い切りバックで突っ込む。向こうに人が乗っていなくてよかった。
ウチの車は何にも…バンパーのキズさえわからないほどだったが、ぶつけられた車は綺麗なうすむらさきの軽自動車、前のバンパーがグシャッっとつぶれてしまった。このとき、ドビーも車に乗っていたので、とまっている車相手で助かった。
幸いなことに、ぶつけた相手は板金やさん(の車)。警察呼ばずに即示談。同じ町内のよしみだから、と修理代も格安にしてくれた。だけど、何もかも初めてのこと。ショックはあまりに大きくて、菓子折り持っていくときに号泣して、思い切り同情してもらったっけ…。あ~~思い出したくないことまで思い出しちゃったよ。泣けてくる。
ちなみに二度目の事故はこちらに越してきてから。やはりバックしてるとき、スーパー銭湯の看板にぶつけた。今度はあちらはとても太い鉄骨作りでびくともせず。ウチの車、今も後ろのハッチがへこんだまま走っている。
【○○学園 黄色いお花組】
最初にはいったのは、月曜日と木曜日の、まだ歩けない子、身体的にも障害が重度で激しい運動のできない子どもたちのクラスだった。それこそ私の悩みなんて、なんてちっぽけなものか、と叩きのめされた。摂食障害、嚥下するのが難しくて、固形のご飯が食べられなかったり、体を座位に固定する椅子も、子ども一人一人に合わせて手作りだった。そのクラスの中では、心臓に穴があいているなんてちっぽけなこと。あとは健康そのものじゃない、とお母さん仲間に羨ましがられた。座れてハイハイができる。それだけで、もう素晴らしいことなんだ、と思い知らされる。
そこへ通ううちに伝え歩きが出来るようになってきた。それまでつかまり立ちしていても、移動となるとシュタッと四つんばいになってハイハイだった。クラスで一番歳が小さいのに一番元気、とお墨付きをいただく。2歳8ヶ月でついに壁から手が離れる!!クラスの皆が拍手して祝ってくれた。まだ足元はおぼつかないが、歩ける子どものクラスに移るように言われる。
【○○学園 青いお花組~◇◇学園準備クラスへ】
ちょうど4月から、クラスを移る。曜日も変わり、火・金になった。お弁当をもって、保育時間も長い。同時にペン次が幼稚園に入園したが、このとき、ちょうど上の妹が市内、それもすぐ近所に越してきた。ペン次と同い年のいとこも同じ幼稚園に入園。ドビーの療育のとき、妹がペン次のお迎えを引き受けてくれ、本当に助かった。それがなければ、ドビーはほとんど早退しないといけなかった。歩けるようになったばかりで、よちよちとよくみんなについていったけど、あの頃は、お散歩大嫌いで、靴を履くとわかると泣いていた。
ここのクラスで一年半。そのまま卒園まで、と思っていたのに、ちょうど制度が変わる時期。親が市の幼児療育施設◇◇学園へ入園させる意思がある子は、秋から準備クラスに変わるようにとのこと。○○学園と同じ敷地の、隣の福祉センターに置かれた。
上級生たちのように、みんなでそろって感動的な卒業式を迎えられる、と思っていた親には晴天の霹靂。紆余曲折を経て、涙涙のお別れ会。先生方がおっしゃる「ここは通過型施設だから」という言葉、今なら状況がのみこめるが、あの時は上から切り捨てられた気持ちだった。でも準備クラスは週3回、少しずつやり方に慣れていった。
この青いお花クラスに入ったときは、ペン次が幼稚園入園、ペン太は小学校入学の年。ソレを機に子供会役員を
押し付けられ
引き受けることになり、(結局2年続けたが)あれこれ考える時間も余裕もない日々だった。ただただ 動くだけ。でも、それまで全然いなかった、いわゆる「母友」が出来た画期的な時期。子ども会関係、幼稚園関係、○○学園関係、と、すべて子どもつながり。それまでは子どもとだけ向き合っていた私、世界が一気に広がった。
【転勤・転居・転校】
いつまでもここに居られると思うなんて、ワガママだった。夫の会社はとても転勤が多い。同期で転勤していないのは夫だけだった。私の末妹の法的後見人だったから、会社も動かさないでくれていたのだ。彼女が20歳になった、その次の春。転勤の辞令が3月の中旬におりた。
◇◇学園に入園することが決まっていた。転勤先の役所に問い合わせてみると、やはりその手の療育施設はどこも順番待ちで、春からはとても入れない、といわれた。せっかくここまでいい感じで生活につなげてきたのに、今、断ち切られるのはツライ。子どもたちも戸惑っていた。一学期だけ別居して、ドビーと◇◇に通いたい、と夫にワガママを言った。
ドビーにとっては、とてもとても幸せで、楽しい一学期だった。先生方に可愛がってもらい、いろいろとできることが増えていった。だけど、あとから考えたら、ペン太、ペン次は学年の途中でうごくより、泣きながらでも先に引っ越した方が幸せだったかもしれない。なにもかも、今となっては結果論。「たら・れば」の世界だが。
2学期から、新しい学校、幼稚園に通い始めた上二人。なじめずにいじめられたりして、登校拒否・登園拒否となった。とくに、初対面の人と物怖じせず仲良くなるタイプだったペン太が、学校に行けなくなったときのショックは大きかった。
そして、ドビーも同じく環境が変わったせいだろう、あのとき、彼女の中の自閉症のスイッチが入ったのかもしれない。それまで、一度もしたことのなかった自傷行為、頭突きが始まった。しかもどんどんエスカレートしてするようになり、私もドビーの障害を認知される前のどん底状態に…いや、あれ以上だったかもしれない。
ペン太は今までの彼とはわからないほど急激に太った。ショックだった。私は転勤辞令がおりてから、両まぶたに湿疹が出来て、それがどんどん酷くなっていった。お岩さんのようにただれて、ジクジク・カサカサを繰り返し、面積は広がるばかり。人前に顔をさらすのが辛かった。それまでは出来ても手の指の間、ひじの内側、もものつけ根、お腹など、見えないところばかりだったのに。相変わらずの薬不信だったので、オリーブ油をぬるだけだった。
ドビーは引っ越してからとりあえず、週1回の準備クラスに通い始めた。でも他の子どもたちはみんな学年が2つか3つ下の子どもたち。今まで住んでいたところとシステムも違うし、戸惑いばかりの日々。教頭先生のすすめで、親子でカウンセリングを受けることになり、3ヶ月間、不登校の子どものための施設へ通った。結局ペン太はひと月休んだものの、そのあと学校に通い始め、ペン次は幼稚園へ行きたくない~といいながらも、休んだのは1週間、あとはずっと通ってくれた。
残るはドビー…しかし、なかなかこれが手ごわい。週1じゃ物足りないので、ドビーよりずっと小さい子供が母子で通う施設に登録したが、もともと大人用の施設の間借り。さらにその子たちからみたら、ドビーはガリバーのように大きく、怪我をさせそうで怖いので、すぐに足が遠のいてしまった。入園待ちで、半年以上家でぼ~っと過ごしていた間に今まで出来ていたことを家ではやらない!という態度になってくる。(2005.07.27)
【今でも許さない】
ペン次が転入したのは家から一番近い幼稚園だった。歩いて5分。走れば…信号がすんなり通れば2分。歩いて通うところがあるだけでありがたい、と思っていたが、ここを選んでしまったことは 『完全に間違いだった!』と 今でも声を大にしていいたい。
いわゆるお勉強をたくさんやらせる幼稚園だ。ハンカチまで指定のものがあって、系列の園が他に3つある。健康診断を指定の個人病院で受けたり。今思えば、その体質を感じた時点でどうして断らなかったか。
転入当初こそ、あれこれあったものの、担任の先生はいい人だった。その彼女がとても言いにくそうに放った言葉。今でも忘れない。それは卒園式当日。ワンピを着たドビーと礼服の私を教室の出口で制止。
「申し訳ないのですが、ビデオ撮影をしていますので。お嬢さんとホールの中に入らないでいただきたいのです。」
「でも、一人一人に卒園証書を渡すところ、見たいのですけど。」
「すみません、中に入っていただくわけにはいきません。ここの教室でお待ちください。」
「きょうだいはみんな入れないんですか?」
「そういうことではないのですけど、ビデオに大きな声が入ると…もう、式が始まりますので参ります。」
悔しかった。信頼していた先生だから、余計にもう顔もみたくないほど憎んだ。今思い出して書いていても涙があふれる。誰もいない教室で、ドビーを抱きながら泣いた。証書をもって教室にもどってきたペン次も半泣きの顔をしていた。最後に教室をでるとき、言わずにいられなかった。
「どうして今日おっしゃったのですか。下の学年のクラスの先生がみているから、その間におかあさんだけ入りください、じゃなかったんですか。うちの子が卒園したんです!百歩譲ったとして、妹さんを預けてきてください、と先におっしゃってたならわかります。」
・・・・・・
何もできない状態のドビーを知っていて、お兄ちゃんがいるから大丈夫、おかあさん、ウチの幼稚園でドビーちゃん待ってるからね、と声をかけてくださった前の幼稚園の事務長先生(園長先生の奥様)。
結局、まだ歩きだしたばかりのドビーではご迷惑をかけることと思い、もっと療育を受けたいから、と辞退した。かわりに幼稚園を探している、同じ学園にいたお友達をお願いします、と頼んだのだった。
今までどんなに温かい幼稚園で過ごしてきたことか。ペン次はここでどんなにつらかったことか。6年近くたった今でも、あの幼稚園に行くのはイヤだった、という。ゴメンねペン次。本当にゴメンね。 (2005.07.28)
(思い出しながら書き足します)
NEXT
HOME
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
子供服セール情報と戦利品・福袋情報…
3~5店舗目 クーポンで帝人の防ダニ…
(2025-11-22 12:39:13)
子育て奮闘記f(^_^;)
朝牛大好きな息子
(2025-11-23 10:00:05)
子連れのお出かけ
谷津干潟 ぶらっと観察会 空飛ぶ宝…
(2025-11-07 07:53:33)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Mobilize
your Site
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: