藍夢わ~るど ~育児・ハンドメイド~

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ラジコンカー


当時は、ラジコンカーはとても高かったけど、
車好きの父親と一緒に、野原でラジコンを走らせていたの覚えているよ。
あの時は、たまたま、一緒についていった藍夢だったけど、
父親も、ともくんも、藍夢には操作させてくれなくて、悔しかったことがあったんだよね…。
そして、家に帰って、お母さんに一緒に遊ばせてもらえなかったことを話したのは、
まだ、あたしが保育園の頃だったと思う。

そういえば、ともくんは、1万円はするかと思うラジコンを買ってもらってた。
半分は父親が遊ぶ為だったのだと思うけれど、とても羨ましかった。
あたしは、父親と触れ合う事がとても苦手だったし、近づきにくい存在だったから…。
なかなか歩けなかったあたしにとって、お母さんといる時間が長かったからかもしれないけれど
今でも父親と遊んだ記憶って、ほとんどない。
覚えているのは、喧嘩していたことや何かおねだりをする私の姿だけだ。

ともくんのラジコンカーで印象的なものがある。
それは、小学校の高学年の頃に買ってもらっていたラジコンカー。
四輪駆動の赤いラジコンカー。当時、とてもとても大きかったそのラジコンカーは
近所の友達はもっていない程大きいもので、
近所の友達は、ラジコンカーで遊びたくてよく遊びにやってきていたのを覚えている。
あたしは、とても、自慢そうに、笑いながら走らせていたのを傍でみていた。
あれは、父親と母親が離婚後に買ってもらっていたものだったね。

そう…、母と離婚後の父親は、1ヶ月に1度くらい会うたびに、何か買ってくれた。
というか、あたしもともくんも、父親におねだりする事しか、甘えるすべを知らなかったから、
会いたい時には電話して、何か買ってもらっていたね。
そう、行き先はいつも、ポレエルだった…。*ポレエルとは、熊本に昔あった大きいおもちゃ屋さん。
父親に嘆かれることもあったけど、
私もともくんも、出来るだけ高いものを買ってもらうことでしか
父親の優しさや愛を感じることが出来なかったし、甘える事が出来ずにいた。
本当は、こんなことって、心が通わない寂しい親子関係なんだけど・・・、
私もともくんも、離れている父親には、買ってもらうことを口実にしなきゃ、
会う事も出来なかった。
本当に、本当に、おかしな話だけど、
お金や物でしかつながりを持てない親子なんだよね。
本当は、一緒に遊んだり、いっぱい話しをしたりすれば良かったのかもしれないけど、
裕福な生活と引き換えに、幼少時代を心を豊かにすることなく、過ごしてしまったんだね…。

けどさ、ともくん、もう少し生きていられたら良かったよ。
夢にみた大きな車を買ってもらえたのに…。
あたしばっかり、買ってもらってちょっとだけ、ゴメンね…。
けど、あのラジコンカーは、本当、かっこよかったって思う。
あれは、ともくんにとって最高なおもちゃだったね。



執筆日:02/02/21


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