【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

2006/09/02
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今日はスペイン最終日なのです。今日の最初の目的地はエスコリアル市にしました。この街の見所は一つだけです。サン・ロレンソ修道院です。この修道院は当時の国王フェリペ2世の命令で建設されたものでした。

建築様式的にはエレーラ様式と言う区分に当たるそうで、中期ルネッサンスのイタリアでポピュラーな様式だそうです。私にとっては「エレーラ様式」自体が初耳で、余りイメージ出来ないのですが、窓に特徴があるそうです。簡単な私の印象は「装飾が少ないシンプルな建物だ」というものですね。

この修道院は国王が作っただけあって世俗臭・政治臭がバッチリありまして、国王フェリペ2世のベッドとかオフィスなどがありました。

修道院の半分は墓所でした。ハプスブルグ朝歴代国王や王妃の遺骸が安置されていました。こういうものまで公開してしまう精神〈根性?〉が凄いです。色々な墓や棺がありましたが、一番面白かったのがウェディングケーキ型のお墓でした〈幼児用の集合墓〉。画像を載せておきます。

何となく、沖縄那覇の玉殿〈こう書いて「たまうどん」と発音します。琉球王朝の墓所です。〉を思い出しました。

次に訪問した場所はロス・カイドスでした。スペイン内戦のフランコ将軍側の犠牲者を奉る聖地です。フランコ総統のお墓もここにありました。

フランコ総統率いるファランヘ党の聖地建築でした。完成は1949年だそうです。人里離れた山中に巨大な十字架を立て、その地下に横穴を掘ってバシリカとなし、トンネル入口前を巨大な広場にして、儀式空間を確保していました。ばかでかい空間でした。

スペイン内戦は、人民戦線内閣とフランコ派の死闘でした。人民戦線側には義勇軍が多数参加しましたが、主力はソビエト労農赤軍でした。フランコ派にはヒトラー政権下のドイツが支援を行いました。有名なコンドル軍団が戦闘に参加しました。後のルフトヴァッフェの直協スキルはこのスペインで培われたのでした。



このバシリカ等のデザインは何となく1930年代のドイツのデザインに似ていました。影響を受けているのでしょうね。

ロス・カイドスからマドリードに帰って来てもまだまだ時間が余りました。そこでスペイン国鉄〈RENFE〉が誇る高速鉄道AVEに味見乗車して来ました。この鉄道の運賃は中々のものでして、今回は短い区間でプロモーション運賃が出ている、マドリッド=トレドの単純往復に致しました。運賃は税込みキャンペーン価格で13ユーロでした。

乗った区間が短いので、AVEにしては短い4両編成の列車に乗せられました。三等〈ツーリスト〉×3両と二等〈クラブ〉×1両で、カフェテリア付きと言うものでした。食堂車はありませんでした。

乗り心地は可も不可もありません。我々日本人は山陽新幹線や東北新幹線で300キロ運転には違和感はありませんしねえ。500系新幹線車輌よりは揺れは少ないような気がしましたけど。走行性能的にはTGVとニアリーイコールらしいです。

むしろ感銘を受けたのは、車輌よりトレド駅舎の渋さでした。イスラム風の仕上げで実に素晴らしい作品でした。画像を確定レポートでご紹介するのが楽しみです。

こんな感じで、スペインでの全日程を終えてマドリード・バラハス空港に来ています。

BAでマドリードからロンドン〈但し、ガトウイック〉までの移動なのですが、この区間はFクラスがないのでCクラスです。Cではありますが、ラウンジを使う権利があります。BAはマドリッドに自前のラウンジを持っていないので、IBのラウンジに回されました。これが良いのです。食い物はカナッペばかりですけど美味しいし、インターネットは使えるし、煙草も吸えます。ヒースローのBAラウンジもそうでしたが、ホームグラウンドのラウンジには力を入れるものですね。但し、SQの本国ラッフルズラウンジ〈スタアララウンジとは別〉には遠く及びませんけど。

とにかくトラブルが全然なくここまで来ています。気持ち悪い位順調です。前回の南米では帰路に入国拒否を喰いましたが…。

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Last updated  2006/09/03 06:24:21 PM
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