【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

2006/11/08
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本題に入る前に北朝鮮への渡航手続きに関して若干説明させていただきましょう。当時も今も北朝鮮に旅行するためには北朝鮮の国家観光委員会の代理業務を行っている旅行代理店に、渡航の一ヶ月前までに申込みを行うことが必要です。北朝鮮のビザ取得に一ヶ月かかるからです。渡航には条件があってマスコミ関係者はだめと言われました。ブログ作者もダメなんですかね。国内の北朝鮮マニアは在日の方が経営する代理店に申込むケースが多かったようです。パッカー系の方は中国で申込むケースもあるようです。

日記

最初の画像は凱旋門です。パリの凱旋門にそっくりであまり評判は良くないのです。誰の凱旋を記念するものか?、もちろん金日成です。北朝鮮の公式な歴史では(公式ということは必ずしも真実ではありません、以下このシリーズ共通の注釈)、金日成は少年時代に生家のある平壌を離れ、満州国内で抗日パルチザン活動を展開し、1945年に平壌に凱旋したことになっています。ガイドが高さは20何メートルでこれは金日成のパルチザン活動の年数を示すものだとか、石は40000何個か使っていて、これはパルチザン活動の日数を示すものだとか何とか言ってましたが忘れました。今行ったら得意のボイスレコーダーでばっちり録音してるでしょうけど。

この凱旋門は空港から市内に進む途上にあるようで、定食コースに組入れられているようでした。

日記

この建物は北朝鮮の地下鉄の駅です。地下鉄構内は後の回でご紹介します。とにかく深い深い地下鉄でした。一応エスカレーターが付いているのですが、これが非常に速かったという印象が残っています。北朝鮮にハイパーインフレが発生する前でしたので運賃は非常に安く、1人民ウォンでした。

次に連れて行かれたのが、人民軍の烈士広場と言う感じの場所でした。北朝鮮お得意のモニュメントなんですけど…。

日記

こんな感じのだだっ広いコンクリート広場にモニュメントが並んでいました。

日記

韓国の戦争記念館にあった戦士像に似てます。こういうところの作風はスターリン時代のソビエトの影響を強く感じます。ヒーロー不在で無名の戦士がたくさーん出てくる戦争映画のノリに近いものを感じました。

日記

広場の入口です。背景のビルディングと見事に調和しています。恐らく偶然ではなく計算の上で建築したものだと思います。よくも悪しくもこの街は計算されつくしたデザインが随所に見られます。無秩序な開発の対極でデザインされ尽くした都市なのです。劇場国家と言われる所以はここにあります。アドルフヒトラーが夢見た帝国首都のゲルマニアもこんな感じになる筈だったのでしょうか?。第三帝国ではシュペーアの名前は非常に有名ですが、北朝鮮では都市設計者の名前は明らかにされていません。大した力量を感じるのですが。

日記



日記

翌朝のホテルの窓から撮影したものです。トロリーバスがガンガン走っていました。ピョンヤン市内では市外電車も自動車も殆ど目にしませんでした。市民の足はトロリーバスのようです。

日記

もう一枚です。柳京ホテルの姿が無気味に浮かんでおりました。

この日は平壌市の市内観光に出かけます。北朝鮮マニアには余りにも有名なスポットの金日成生家から観光が始まります。続きは次回にさせて頂きます。

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Last updated  2006/11/09 12:01:46 AM
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