【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

2006/11/15
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今回も2000年実施の北朝鮮旅行のレポートを続けますが、本編に入る前に、報告関係です。先ず、 常連さんのmaman.m

もう一つは、萩原遼さんを「現役の日本共産党員らしい」と書いてしまっていましたが、これは誤りでした。日本共産党中央委員会の規律委員会は2005年6月17日に萩原遼さんを除籍していました。結構彼の本は好きなので、何となくググってましたら、 「しんぶん赤旗」の「萩原遼氏を除籍」 という記事を見つけてしまいました。昔の共産党とは随分違う文体ですので、宜しければご覧下さい。

さて、フラフラと本題に入ってまいります。前回は開城周辺のレポートの最終回でした。板門店という南北分断の歴史を象徴する場所だった訳ですが、今回は再び平壌へ向います。

日記

開城(ケソン)と平壌(ピョンヤン)を結ぶ高速道路の終点付近です。2000年時点では料金所もなく、検問も受けませんでした。今はどうなんでしょうね。

日記

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平壌市内の大同江を渡る橋の上からの撮影です。左側に、手摺越えで極めて分かりにくいのですが船が見えると思います。この船こそ、かの有名なプエブロ号です。

1968年に米海軍所属の情報収集船の プエブロ号 が領海侵犯を行ったと称し、北朝鮮が銃撃の上拿捕した事件です。北朝鮮のコマンド部隊による青瓦台襲撃未遂事件の直後に起きた事件で世界の耳目を集めました。ちなみにこの船はNSAの電波情報収集船でした。それまで全然知られていなかったNSAの名前が世間に出た最初の事件だったようです。はい。

日記



ちなみに、この時代の共産主義者の用語法では、共産化することを「解放する」と読んでいました。共産主義の軍隊が軍事的に占領すつことも「解放」でした。まあ、現代の我々の目から見れば、共産主義者が占領すると言うことは、地主・企業主・インテリの追放と、NKVD仕込みの秘密警察の進駐を意味しますので、まあろくなものじゃないことを知っていますけど…。

日記

博物館の入口に掲げられていた絵画です。戦争博物館らしい構図です。金日成が軍服を着用し、朝鮮人民軍将兵と共に進むという絵柄ですね。これは嘘っぱちに近いのです。朝鮮戦争は最初の数ヶ月は朝鮮人民軍の戦争ですが、僅か数ヶ月で人民軍は崩壊し、以降は中華人民解放軍の戦争になるのです。中国共産党の軍隊です。朝鮮戦争のちょっと前までは八路軍と名乗っていた軍隊です。「三大規律八項注意」でも有名ですね。

日記

館内は非常に暗く、2000年に購入した初期のデジカメの手におえる環境ではありませんでした。はー。暗くて輪郭すらはっきり分からないと思いますが、ソビエト連邦が誇るT34/85戦車です。第二次世界大戦後期のソビエト労農赤軍の主力戦車(恐らく世界最初の主力戦車でしょう、もはや中戦車というイメージではありません)でした。85ミリ砲を積んだタイプです(初期のT34は72ミリ砲を搭載)。装甲・機動力・砲力のバランスが取れた良質の戦車で、国連軍の主力のM4E8(イージーエイト)では対抗するのがやっとだったことでしょう。赤軍ドクトリンの縦深突破戦術にマッチした機材です。こいつで朝鮮人民軍は韓国陸軍を蹂躙し釜山に迫った訳です。

日記

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これも渋い展示物です。米陸軍のディーン少将の使った車輌と、将官車を示す、☆のプレートです。☆で准将、☆☆で少将、☆☆☆で中将と言う訳です。ディーン少将は米軍の将官で初めて(だと思います)共産主義者の捕虜になった人物です。 少将が共産軍に囚われた経緯を朝鮮日報が紹介している ので気が向いたら読んでみてください。

朝鮮日報の記事によると、ディーン少将は徒歩で味方前線を目指し彷徨している最中に共産主義者のスパイの密告で捉えられたそうです。とすると、ジープに乗っている時に捕らえられた訳ではなさそうです。そうすると…。この展示はなんなんでしょう…。オイ。

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よくわかんない機材です。多分共産側です。でかいエンジンカウルで古臭いです。

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多分ヤコブレフYak9型戦闘機です。朝鮮戦争の初期に共産軍はレシプロ戦闘機を制空戦闘に投入しました。北朝鮮ではこの機材で何十機もの国連軍機を撃墜したと言ってましたが、嘘っぽいです。日本海軍のノリではないかしら(日本海軍航空部隊も戦果の過大報告で悪名高いのでした)。

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朝鮮戦争の航空戦の花形であったミコヤン・グレビッチ設計局Mig15です。この機材と国連軍のF86との戦いが朝鮮半島上空での航空戦の主なところであったと言われてます。

余談ですが、都市伝説臭いのですが、Mig15とF86はフォルムが良く似ています。第三帝国が図面を引きながらも実戦配備に至らなかったTa-183フッケバインに似ているという指摘もあります。事実なのでしょうか。赤軍が第三帝国の真似をするのはありそうですが、天下のアメリカ航空機メーカーが盗作をするかなあ。ちなみにMig15もF86も事実上最初の後退翼を背負った戦闘機でした。F86の前の米軍のジェット戦闘機のF80は後退翼ではなかったのです。

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陸上兵器が並んでいましたが、暗いし、説明も無いし、よく分かりません。

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もう一機ありました、残骸が。

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米軍の回転翼機もありました。朝鮮戦争では初めて回転翼機が投入されました。陸戦に非常に使いやすい輸送手段であり、現在では陸上戦闘にヘリは欠かせない存在ですが、これも朝鮮戦争からでした。

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プエブロ号の模型と乗員の衣服です。こんなものも展示していました。衣服くらい返却してあげればよいのに…。

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最後の画像は朝鮮戦争初期の大田攻略戦の様子を描いた実物大のジオラマです。朝鮮戦争開戦後1~2ヶ月の朝鮮人民軍が絶好調であった時期の戦いです。ここを過ぎると朝鮮人民軍は余り出てこなくなってしまうので、この時期しか描けなかったのでしょう。

以上で、「祖国解放戦争勝利記念館」のご紹介は終りです。面白かったのは、朝鮮戦争の推移に関する説明で、1951年の夏の洛東江渡河作戦の説明の後は、いきなり1951年の冬の共産軍の反攻作戦に飛ぶのです。51年秋の国連軍の大反攻や平壌陥落などについては一切触れていないのがお洒落でした。遊就館もああでしたので、余り人のことはいえませんけどね。



また、共産軍のMig15戦闘機をご紹介しましたが、この戦闘機の運用は難しく、当時の朝鮮人民軍に飛ばせと言っても難しく、ロシア人や中国人パイロットが参加していたと言われていますが、当然この博物館では全く触れていませんでした。恐くて質問もしませんでしたけど。ミグ15を前にして「これを飛ばしていたのはロシアの同志ですか」と聞いたらなんと答えたでしょうね…。

この博物館を見終わっても夕食までに時間があったので、何故か射撃を行うことにしました。

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人民軍の訓練場でAK47突撃銃を乱射させてくれるのかなと思って楽しみにしていたのですが、連れて行かれたのは国営スポーツ公園でした。

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スポーツライフルの射撃になってしまいました。22口径ですので反動も小さくて面白くありませんでした。その上、疲れていたせいか、全然点数も伸びないし…。私、実弾射撃には結構自信があったのですが、全然でした。

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国家観光委員会のガイドが撮影した、実弾射撃中の私です。フォームがだめだめですね。やっぱダメですわ。

大体こんな感じで北朝鮮国内での日程を終えました。このシリーズも後一回でお終いにします。次回の最終回は、国際列車での平壌→北京の移動をレポートします。

過去の旅行先の一覧はこちらに!





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Last updated  2006/11/15 12:36:23 AM
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