【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

2007/03/06
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テーマ: 鉄道雑談(1611)



つまり第2旅程以降の「冬の青春18きっぷ」の特徴は、無計画です。事前に貴重な列車の指定券を押さえられていないのでした。唯一の例外は第2旅程の「定期ながら」なんですが…。

ぼちぼち始めましょう。



第2旅程は、定期の「快速ムーンライトながら」の指定券を確保できたので、東京からのスタートです。やることも無かったので、やや早めに東京駅に到着しました。そこで見つけたのがこの列車、「急行銀河」です。





分かりますか?、非常口があります。鉄道車両の非常口は急速に減少しました。昔は片側にしか出入口が無い車輌がたくさんあったのですが、現在は両側に出入り口がある車輌が多く、非常口が不要になって来ているのです。この非常口も半ば溶接されている感じでした。使えないかも知れません。





急行銀河が大阪に向って出発した後も時間が余っておりました。仕方がないので、丸の内の夜景を撮影しました。





建設中の新丸ビルでございますねえ。もう直ぐ完成するはずです。



東京駅の丸の内本屋です。この駅舎のアーキテクトは辰野金吾です。東京帝国大学の建築学科の最初の卒業生の一人であり、明治期の日本の代表的な建築家です。日本銀行本店旧館なんかも彼の設計です。



この建物の竣工は1914年でした。施工は大林組でございます。大林組は東京進出のために大ダンピングで施工を請け負ったと伝えられています。







当然再建するのですが、何分戦後のことでございました。物資不足の極致であった訳で、応急処置として、民家のようなスレートぶきの屋根にされてしまったのでした。正面から見る限り、まあまあの美しさなのですが、上から見下ろすと実に酷いものです。あれから60年、東京駅を戦前の、建築家の意図の姿に戻す計画が進行中です。こんな姿の東京駅も数年で見ることが出来なくなる(見なくて済む)のです。

ちなみに、東京駅の駅舎としての設計の評価は必ずしも高くはありません。左と右を各々入口と出口とし、真中を皇室専用の出入り口としたのです。現在の空港ターミナル建築では、アライバルとディパーチャーを分離するのは常識になっていますが、大正時代の鉄道には早過ぎました。10年を経ずして、丸の内南口も北口も、出札口と改札口を備えるように改装されました。



丸の内北口のドームを内部から見上げたものです。そろそろ、入線時刻です。



定期列車の方の「ムーンライトながら」は10番線に入ります。



まだ「ムーンライトながら」は入線していません。見上げると、新幹線が見えます。



山形新幹線「つばさ」用の400系新幹線ですね。走行性能では、秋田新幹線「こまち」用のE3には遠く及びませんが、アコモや外観は400系の方が私の好みです。

今回はここまでにします。続きは次回に!。



朝食(SUICA) 4マイル(JL)
ポプラ(EDY) 2×2=4マイル(NH)
Ampm(EDY) 2×2=4マイル(NH)


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Last updated  2007/03/06 12:14:09 AM
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