4兄弟日記

4兄弟日記

二度の流産



まだ妊娠8週にもならない頃の早い頃の流産だけど、
精神的にも肉体的にも、すごく辛かったです。

二度目の流産の時は、私はもう子供は産めないのかな?と思った。
(まさか4人の子持ちになるとは夢にも^_^;)

もう、こんな思いはしたくない。

でもやっぱりもう一人子供が欲しい。
もう一度だけチャレンジしてみようか。

「もし今度、三度目の流産したらもう子供は作らないから。
 子供は一人だけでいい。」


そう主人に言ったら


「勝手に決めないでくれ。」


・・・と言われた。



勝手に決めないでって何!?

心と体、傷つけて苦しむのは私だよ!



「俺だって辛い。」


辛いって言うのは勝手だけど
でも辛いって言ったって、そっちはどこも傷つかないじゃん。


こんなやり取りがあって
しばらくの間、主人に対して何となく不信感?みたいなのがあり
夫婦の関係もギクシャクしてました。

私も当時は、とても主人の気持ちを考える余裕なんて無かった。
自分ひとりが辛いって思ってた・・・。



<2度の流産>

自然分娩できなかったものの無事、第1子を出産でき、
その後、二度の流産を経験しましたが
約2年半後、第2子となる長女を出産しました。

長男は市立総合病院での出産でしたが
長女は個人病院でした。

と言うのも・・・


長女を産んだ個人病院は、独身の時生理不順で少し通った事があり、
先生はとても気さくな方でした。

もともと長男も、そこの個人病院で産みたかったのですが
長男を妊娠した時、主人に相談したら反対されたのです。

何故かと言うと、やはり何か問題があった場合・・・
個人の所だと、そこで出産時に何かあったら
そこから大病院に搬送されたりして
処置が間に合わなくなったりする場合があるから。

う~ん・・・まあそうだけど(ーー;)
主人がその方が安心だって言うならそうしましょ~
と、総合病院に決めてしまいました。

近くの総合病院の産婦人科はいつもすごく混んでいて
2時間待ち当たり前~って感じだったけど
他に特に気になる事もなく、入院時も看護婦さん達が
みんな楽しい人ばかりで、帝王切開の手術をしてくれた先生も
時々、雑誌に出てるちょっと有名な先生で・・・
と、けっこう満足してました。



でも・・・

長男出産後に初めて妊娠して、すぐ出血した時、

「よくある事だよ~安静にした方がいいかって?
 安静にしたって育つ子は育つし駄目な子は駄目なんだよ~」

と笑って言われた事。


結局流産してしまい、その後また妊娠できたけどまた出血。

「出血してても育ってれば大丈夫だから。
 一週間後に来て。」と言われて。

でもその一週間が長くて、蛇の生殺しだあ~と悶えてたら
主人が「ちょっと早いけど行ってみたら?」と言ってくれ
予約日より2日くらい早く病院に行きました。
そうしたら先生に
「また来たの?来たばっかじゃないの?」と言われた事。

そりゃ言われた日より早く行ってしまって悪かったけど
もっと言い方があるんじゃ・・・(泣)

その子も結局流産・・・。

私の体のどこかが悪くて子供が育たないんでは?と不安になって
二度目の流産の一ヵ月後、経過を見るための診察に行った時に


「(不育症の)検査をしてもらいたい。」と先生に言いました。


先生は

「二度続けての流産はよくある事ですよ。珍しくないです。
 三度続けば検査する場合もありますけどね。
 次、妊娠してまた流産って事になったら検査すればいいと思います。
 それでも検査したいという事でしたらしてもいいですけど
 今、年末で忙しいので年明けにしてね。」

ええ~。
三度目の流産は避けたいから検査したいのに。
何それ・・・。

結局、もう総合病院の産婦人科に行く気がなくなり
検査を受けるつもりだったのも諦めてしまいました。

その後、再び妊娠。
妊娠検査薬で陽性が出た日の前後から出血。

主人に
「総合病院はもう嫌だ!
 あそこの先生にはめちゃくちゃ不信感を持ってる。
 何と言われても個人病院にする!」と宣言。

主人は渋々ながら了解してくれました。

個人病院の先生は
まだ時期が早くてエコーでも何も見えない状態だったけど
今までの経過を話したら、親身になって話を聞いてくれました。


何でこんなに態度が違うんだ~(ToT)

そして漢方薬を出され、自宅安静を言い渡されました。
結局一ヶ月かかりましたが無事、出血は治まりました。



<稽留流産・・・その後の処置>



結局、2人とも心拍すら確認できない程の
早い週数での稽留流産でした。

最初の流産の時は、お腹の赤ちゃんが
亡くなってしまったという実感もないまま
何が何だかわからないまま子宮内を綺麗にする
処置を受けました。

静脈麻酔で眠っている間の処置でした。

2人目ができたという実感も
その子が亡くなってしまったという実感もないまま。

ただ手術後、とてつもなく
虚しいような悲しいような、何なのか
自分が分からなくなってしまった気持ちでした。

家に戻って、全てが終わったと思った途端
涙が出てきました。



それから三ヶ月程経って、再び妊娠しました。

妊娠が分かってまもなく、また出血が・・・。


“お願い、お腹の中から出て行かないで”
“生きて!!”

願いも空しく、日増しに出血量は増えるばかりでした。



結局この子もお腹の中で亡くなってしまいました。

前回の事もあり、諦めがつかず
子宮内容除去の処置の日を指定されたのだけど
行きたくなかった。

処置の当日、病院に行ったけど
子供を出したくない!と
心は拒否していました。

点滴の針から、静脈麻酔が入っても眠りたくなかった。

寝るもんか!!と思ってました。

結局、眠らされてしまったものの
ずっと悪夢みたいなものを見ていました。

目が覚めるときも、自分がうなっているのが分かり
私の顔は、涙でぐしゃぐしゃでした。

その為か、前回の処置の時は
処置後、分娩台で休んでいる間
誰も様子を見に来なかったのに

その時は、先生と看護婦さんが
度々様子を見に来ました。

自殺でもするんじゃないかと心配したんでしょうか(ーー;)


そして前回にも増して、身も心も
空虚な思いで家に帰りました。


そして、この一週間後、
子宮がちゃんと綺麗になっているかの確認の為、受診。
その時、超音波で診てもらったところ、
まだ取り残しがある疑いがあります、
と超音波写真を見せられました。

そしてそのままその場(外来の内診台)で
麻酔無しでの子宮内掻爬をする事になりました。

この時の痛みは・・・(泣)

先生が処置している真っ最中に
看護婦さんが内診台のカーテンをくぐって
「落ち着く注射をしますね~。」

終わったらもうグッタリでした・・・
あまり痛さに吐き気がして、何とか会計を済ませたものの
待合のソファーに座り込んだまま動けませんでした。



悲しい上に、痛いやら情けないやらで
涙がこみ上げてきて、堪えるのが大変でした。
すごく辛かった・・・です。





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