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【会津の「己巳供養塔」碑】
前述した薬師堂の脇に建てられていた、「己巳供養塔」と彫られた石碑です。巳待というのは己巳の日に行われる弁才天のマツリです。しかし、この墓地があるところに建てられていたお寺は、弁才天のマツリを行うとは思えない宗旨のお寺です。
「堂造立は宝永5年4月(1708)
その時、本尊薬師如来を勧請。
安永2年(1773)堂内にお神明様を祀る。お神明様はオシガラミ信仰の西南限として珍しい」
と書かれた説明板が横に建てられていました。
元禄十三年(1700)になって、明確な檀家制度が確立されたと言われています。それから8年後に、この薬師堂が建てられたことになりますが、檀家制度が確立されても、本来あるはずもないお堂が建てられたということになってしまいます。「同じ仏教だから」ということが言えないことは、ここで何回もご説明してきました。
実はここにあったお寺も、その宗旨に転宗するまでは「太子守宗」のお寺でした。これも当該市町村が発行した調査報告書に載っています。そして、この薬師堂の薬師如来像の左右に、日光菩薩と月光菩薩がありますが、手にしている蓮の茎の先端には、蓮の華ではない変わったものが彫られています。