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【会津のとある村の墓地にある不思議な石像】
これは会津のとある村の墓地にある石像です。一見、宝珠を持った地蔵菩薩像に見えるのですが、小生の手元にある、とある本に写真が載っていて、その写真では、宝珠を持った両手の下に十字をアレンジした紋様が黒く描かれています。そして、出版されている会津の類族帳からすると、明らかに転び切支丹類族がいたと考えられますが、この村を最初に訪ねた時には既に、十字をアレンジしたと考えられる紋様は切削されていました。
この村を最初に訪ねたのは1998年でした。それ以降、何回かこの村を訪ねていたのですが、もう一度確認したくて、2010年にまた出掛けました。この写真はその時に撮った写真です。そしてその頃に、この村ご出身の方のサイトに出会い、会津にある、とある姓は転んだ切支丹を意味していると書かれているのを読むことが出来ました。
会津ではこうしたことはほとんど目にしたり、耳にすることはありませんが、その姓の意味を知って驚きました。皆さんの中にも、ネット上で検索して、そのサイトをお読みになった方がいらっしゃるかもしれません。また、この村では、鯉幟を揚げることはないとも記されていました。おそらく、転んでからであろうと思われますが、会津の鯉幟の意味も見えてきましたし、有名な会津の「南蛮凧」もやはりキリシタンと関係があるのだろうと思います。
そして、この墓地にも気になる墓石がいくつも残っていましたが、この村にはキリシタン大名の一族が帰農しているかもしれません。その姓が彫られている合葬墓に彫られた姓は間違いなく、とある戦国大名家の姓で、その子孫が会津のとある村に残っていると言われていると、『新編会津風土記』に記されています。おそらく、蒲生氏郷が会津に移封された時に京都周辺から会津に入ってきたのであろうと思われます。