仕事でもなんでも、
人への任せ方には個性が出る。
僕はわがままなほうだから、
現役時代は任せてくれないタイプの上司にはテコヅッた。
当然、管理職になってからは、
任せるタイプになった。
もちろん、
任せるけれど責任はとるタイプだった。
ということは、
部下の不始末でお詫びに行く羽目にもよくなった。
任せても、
任せたリスクを管理できるようなチェックポイントは仕掛けていたが、
それがなかなか困難なような業務もあった。
企画開発畑が多かった僕は、
自分で切り拓いたことを部下や関係者に実行してもらうという展開が
多かったのだけど、
それは自分が実施場面までの想定が出来ているし、
未来完了系イメージを伴っている。
ところが、
既存の業務の実施部隊を管理するような役目になったときは、
お詫びシーンを覚悟しなくてはならなくなる。
典型的なのが、
ソフトウエア開発部隊が管轄下に入った頃だ。
システムの不具合が起きた時、
トラブルシューティングには
僕は意外と勘が働くタイプではあったのだけど、
プログラムのコーディングまで管理することはできないのだ。
品質管理の限界があるから、
ある日とんでもないトラブルが起きることがある。
そういう場合に、
ソフト専門職たちははあまり痛切な責任を感じない傾向がある。
そういう人たちなのだ。
銀行や交通機関で大トラブルが起きると、
社会的に損害が起きるからニュースになるが、
システムの不具合が生じて、
などと機械が故障したみたいな言い方になる。
実際には人災で、
管理の問題なのだ。
人への任せ方の問題の集合体なのだ。
結局、
日本人の運命だけでなく、
人類の運命も、
核兵器や原子力発電所の
人への任せ方の集積の品質に
委ねられている。
この人物は、
大丈夫か。
大丈夫そうではないと思う。