東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2015.02.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「信仰による歩み」          2015年2月24日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年11月14日放映「 主のことばを聞く
150224感覚と知覚1.jpg

「信仰による歩み」
          甲斐慎一郎
          コリント人への手紙、第二、5章7節

一、見るところによって歩む
  人には、感覚すなわち五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)と
体性感覚(表面感覚と深部感覚)と内臓感覚(臓器感覚と内臓痛)
があります。五感は、からだの外の光・音・温度・圧力・重力・化
学物質をとらえ、また体性感覚や内臓感覚は、からだの中の物理的
・化学的刺激をとらえて、 両者とも信号化し、それを脳に送り、脳
は送られてきた感覚についてよく考え、解釈し、判断して、感覚の
意識経験が何であるかを認識しますが、それが知覚です。この時、
一つの知覚だけでなく、すべての知覚(認識)を収集して一つのも
のに組み立てて理解したことが知識です。

 人が自分を取り囲む外側の世界であれ、からだの中の世界であれ、
それを知るためには、まず感覚でとらえ、次にそれを脳で知覚に変
換し、最後に脳がそれを理解することが必要であり、この理解した
ことが知識です。

 聖書は、「見るところによってではなく」と教えていますが(7
節)、この見るところというのは視覚ですが、視覚は、すべての感
覚の代表であり、人は、感覚だけでは何もわかりません。いやわか
らないどころか、胃の中に食べ物がはいらなければ、餓死してしま
うように、脳の食べ物は知識ですから、脳は、知識を得ることがで
きなければ、精神異常をきたし、遂には死んでしまいます。 「五感
で感じるままの物質世界は実在しない」 からです(猪木正文著『物
理学的人生論』33頁)。

  エバは善悪の知識の木を見た時、「食べるのに良く、目に慕わし
く……いかにも好ましかった」ので(創世記3章6節)、取って食
べました。彼女は、感情で判断して、罪を犯しました。人は、感情
ではなく、「取って食べてはならない」(同2章17節)という神の
ことばに基づいた知性によって判断し、生きなければならないので
す(マタイ4章4節)。

二、この世の知識によって歩む
 人がこの世において生きていくために必要なものは何でしょうか。
人は、生まれるとすぐ両親から色々なことを学び、そして学校でさ
らに広く、深く学びます。色々と学んで、多くの知識を得るなら、
技術を習得することができます。人は、この知識と技術によって社
会において働いて収入を得て、生きていくことができますが、感覚
(感情)だけでは、決して生きていくことはできないのです。

三、神を知る知識によって歩む
 世の中は、心の中に知識を得ることによって生きていけますが、
信仰の世界は、心ではなく、心の奥にある霊の中に知識を得なけれ
ば、生きていくことはできません。霊の中にはいる知識は、この世
の知識ではなく、「神のみこころに関する真の知識」または「神を
知る知識」です(コロサイ1章9、10節)。

 主は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ
一つのことばによ(って生きる)」と仰せられました(マタイ4章
4節)。人は、神のことばがなければ、言い換えれば、神のことば
が人の霊の中にはいらなければ、生きていくことはできません。

 それでは、神のことばを霊の中に入れるためには、どうすればよ
いのでしょうか。
 「神を知る知識」は、「神のみこころに関する真の知識」であり
(コロサイ1章9、10節)、永遠の世界を知り、神から永遠のいの
ちが与えられて生きることを知っている知識です。

 「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての
みことばによるのです」(ローマ10章17節)。まず「神のことば
を聞き」(聴覚)、次に「よく考え」て(思考)(第一コリント1
5章2節)、それが「真理であることを知り」(知覚)、最後にそ
の知った真理を「信仰によって、結びつけ」る(ヘブル4章2節)、
すなわち「信じる」なら、「神を知る知識」(知識)になります
(コロサイ1章9節)。 このように神を求めて信じることは、頭脳
と同じように「聴覚」を「思考」と「知覚」と「知識」に変換する
働きをするのです。

 「信仰によって歩」む(7節)とは「神を知る知識」によって歩
むということです。

今回の「信仰によって歩む」は、理科系の文ですが、次回は、同
じことを文科系の文で記します。

次は2015年3月2日「信仰と理性」です。
甲斐慎一郎の著書 説教集
150222礼拝チラシブログ用.jpg










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Last updated  2017.03.19 18:20:48
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