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豚児は、未だ幼かった頃、数々の霊的な体験( 亡妻が詳細に記録していましたが、残念乍らそのメモは目下行方不明です )を頂き、そのことから自然に祈るようになりました。その頃は、親の方が吃驚するくらい長い時間、祈りを続けていました。然し、成長とともにこうした霊体験は遠ざかり、何時しか祈ることもなくなっていったようです。
それがこの二、三年、精神的に余りにも辛いことが続き、体調の悪さもあって、また神様に祈るようになりました。然し乍ら、祈っても祈っても事態は少しも改善されず、体調も却って悪くなって参ります。
・4月 4日の「不思議な話( その15 )( 神様のお叱り? )」
・4月22日の「不思議な話( その16 )(『バカモノッ!』) 」
・5月 4日の「不思議な話( その17 )( また現われました )」
のように変な霊が現われて邪魔をし、事態は改善するどころか、益々悪くなるという結果になります。
こうしたことから、豚児は段々と自分のための祈りに自信を失い、他の方々や蓮根教会のことを主として祈り( 教会では、こうした祈りを「執り成しの祈り」と呼んでいます )、そのことによって安らぎを頂くようになった模様です。
先日も痛みが出て、体調が悪い最中( さなか )に、他の方たちのことを祈っていると、何故かすうっとその痛みがひいていったと申します。
これが本日ご紹介する不思議な話の主題ですが、考えてみれば、これは不思議でも何でもない極く当たり前のことです。人類の罪の贖いのために十字架につかれたイエス様が、他人( ひと )のために真剣に祈るその祈りを嘉( よみ )されない筈がありません。そのことを知らせるべく、イエス様は、豚児の痛みを和らげて下さったのだと思います。
この体験があってから、豚児は、他の方のための祈りに益々傾いているようです。そこで、愚生は、「自分のために祈り、神様に助けを縋( すが )り求めても、それは決して悪いことではないと思う、少しは自分のことも祈ってみたら」といつものように逆方向からのブレーキをかけています。然し、本当のところは豚児をもっと見習うべきなのでしょう。反省しています。
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休載のお知らせ 2024.01.02