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個人メモ ルーブル美術館 NHK BSよりモナリザ (私自身は遠望しただけ)我々とは何か?7月革命 民衆を導く自由の女神 ドラクロア三色旗を掲げる目が見は自由の象徴民衆を鼓舞する力強い女神これ以上冒涜されたくない民衆の娘だフランス市民が求め続けた自由王政と革命が繰り返された19世紀のフランス7月革命 25年後 今度は皇帝が権力を ナポレオン3世ミロのビーナスギリシャからパリへ 17世紀民衆は芸術に生きる力を求めた 永遠なる祈りサモトラのニケ勝利の女神モトラ島で発掘された戦いの勝利を祈った(翼をください)1889 パリ万博エッフェル塔 産業革命が支えた人気画家フェルメール描かれた女性の日常人々は 心の安らぎを求めて 過去の芸術に目を向け始めたピエタ キリストの亡骸を抱えて嘆くマリア多くの人々の心を揺さぶったこれほどのかなしみがあろうか?と(キリスト教信仰心の無い日本人ではどうか?)民族の美とは何か?絵画の革命を告げる一枚の絵ジェリコ作 メデュース号の筏130人死亡真実こそ美であるという考え方楽園の中の美 アングル風呂の中のハーレムの中の女達を描いた 戦争の時代20世紀の初頭 第一次世界大戦では フランスは勝利するが140万人の戦死者を出したジョルジュ・ヤクールカードをする男たち(カードはポーカーの前身)美しい女性 アングル
2023.09.01
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世界的にも有名な葛飾北斎の「冨嶽三十六景」全図紹介。脳卒中を乗り越え、70 歳を過ぎての偉業に圧倒される!
2023.07.29
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小説家が明らかに──レオナルド・ダ・ヴィンチは「アジアから誘拐された奴隷」の子供だった3/25(土) 9:00配信Elisabetta Povoledoクーリエ・ジャポンイタリアの歴史学者が発表した、新作小説の内容が世界に衝撃を与えている。レオナルド・ダ・ヴィンチの母「カテリーナ」の出自について、衝撃的な仮説が提示されたのだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの母親はいったい誰なのか? この謎は何世紀にもわたって研究者たちを魅了し、振り回してきた。ほんのひと握りの事実は知られている。彼女の名はカテリーナで、1451年のあるときに公証人のセル・ピエロ・ダ・ヴィンチと関係を持ち、翌1452年4月15日に男児の婚外子を生んだ。そして、その男児に「レオナルド」という洗礼名が与えられた。レオナルドの生誕を記録した銘板が、フィレンツェから約50キロ離れたヴィンチ村に建つサンタ・クローチェ教会内にある。レオナルドの洗礼式はここでおこなわれた可能性が高い。研究者らは長年、レオナルドの母は「ヴィンチ村の小作農」「身分の低い生まれの十代の少女」「ユダヤ系か中国にルーツを持つ女性」ではないかと推測してきたが、この度、アカデミックな論争をさらに加熱させそうな最新の仮説が現れた。それは2023年3月14日、フィレンツェで開かれた新作歴史小説の発売日前イベントで、同書の著者で歴史学者のカルロ・ヴェッチェが明らかにしたものだ。彼によれば、レオナルドの母は中央アジアのコーカサス(カフカス)地方の山岳地帯から誘拐され、奴隷にされた少女だという。彼の小説『カテリーナの微笑』(未邦訳)は、フィレンツェ国立文書館で新たに発見された、レオナルドの父セル・ピエロ直筆の文書を学術的な根拠として書かれた。ナポリ東洋大学教授のヴェッチェはこの小説を、史実と虚構が入り混じった激動の物語として描く。読者はカテリーナと共にアゾフ海、コンスタンティノープル(現イスタンブール)、ヴェネツィアを経由してフィレンツェへと転じて、ヴィンチ村へたどりつく。そして小説は、カテリーナがミラノで死去する場面で終わる。彼女はそこで、当地の宮廷に仕えていたレオナルドと再会している。レオナルド研究家で、フィレンツェにあるガリレオ博物館の前館長パオロ・ガルッツィはこう話す。「私はこの小説を『ドキュメント・フィクション』と定義したい。こんな形容矛盾を持ち出すのは、従来なら別ジャンルに属する手法が結びつけられて書かれているからです。この小説の登場人物には生まれと育ち、顔立ちや性格といった、学術論文には見られない要素が与えられていますが、根拠ある研究に基づいています」そして、「論争を引き起こすのが仮説の運命」としながらも、ヴェッチェが集めた史料には充分な説得力があるとも付け加える。ヴェッチェが発見した文書は、レオナルドの誕生から約半年後の1452年秋に書かれたものだ。それは、カテリーナという名のチェルケス人の奴隷の女性が、所有者から解放されたことを記録した証書だ。ヴェッチェは、同文書に出てくるカテリーナがレオナルドの母親を指しているとする根拠について、カテリーナの歴代の所有者を示す史料と、直筆の文章から彼女に対する親愛の情が読みとれることから、すべてがレオナルドの父に行きつくと語る。結局、レオナルドの父セル・ピエロはフィレンツェの若い女性と結婚し、レオナルド誕生の翌年に、カテリーナをヴィンチ村郊外に住む農夫兼窯焼き職人と結婚させた。カテリーナはその後、その職人とのあいだに4人の娘と一人の息子をもうけた。こうしたレオナルドの出自は、彼自身、そして世界にとってむしろ幸いだったといえるかもしれない。作家のウォルター・アイザックソンは、2017年に出版したレオナルドの評伝の第1章をこう書き出している。「レオナルド・ダ・ヴィンチが非嫡出子として生まれたのは、幸運としか言いようがない。さもなければ少なくとも5代前までの一族の嫡男がすべてそうであったように、公証人になることが期待されていたはずだ」ヴェッチェは、文学的アプローチをとったのは自分の発見を広く知ってもらうためだというが、その一方で本件に関する学術論文の執筆も進めている。同時に、カテリーナの物語に現代の多くの難民の苦しみを見て、心を突き動かされたとも語る。「彼女の物語は、論文ではない違った方法で伝えるべきだと強く感じたのです」 ―――― 私の感想 ――――感想と言うほどのものでは無いがダ・ヴィンチの母親がコーカサス地方の出身つまり、今で言えばジョージア、アゼルバイジャン、アルメニアこの三ヶ国当たりの出身と言うことになるかこれは私の単なる想像だがモナリザは、この母親をイメージした肖像画ではないだろうか?どこか、オリエンタルな雰囲気がある容貌に見える「謎の微笑」と言う見方も、オリエンタル的な雰囲気が西欧の人間には、そう感じさせるのではないだろうか?このモナリザの絵を、ダ・ヴィンチは、死ぬまで手放さずに手元に置いていたというその逸話を思い出すにつけ、母親説が脳裏に浮かぶ
2023.03.25
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【美術史まとめ⑮・象徴主義の画家】魔性の女&サロメ大流行の時代背景と画家が絵に「象徴」させたものとは!モロー・ルドン・クノップフ【山田五郎 公認 切り抜き 美術解説 美術 山田五郎さんって恐ろしいほどの美術に関しての博識この人と語りあかしたら面白いだろうな~もうひとり、松岡正剛さん私はモローが好き高校生の時に大原美術館所蔵のモローの絵を雑誌から切り抜いて持っていたほどパリに行ったときにモロー美術館に行くのだった 残念私がモローの絵にひかれる潜在意識古典的な絵柄の中の端正なファムファタール像なのかもしれない私はファムファタールに惹かれる心理があるただし本物の悪女では無く、優しい悪女と言うご都合主義(笑)そんな都合の良いファムファタールはいないかもしれない(笑)SMにはちょっと興味を感じるけれど鞭で打たれるなどの本物の痛いSMはいやだ(笑)という程度だから本物のSM愛好家に葉、叱られてしまいそうであるそれにしても数年前のルーブル美術館のツアーは楽しかったツアーの間、ガイドの先生を独り占めして質問責めにしてしまた私は母の美術好きのDNAがあるらしい
2023.03.20
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【ヒエロニムス・ボス】奇妙すぎる絵「快楽の園」には何が描かれている?【オランダの水木しげる】山田五郎
2022.02.03
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【ルーベンス】「三美神」の女神がムッチリ太っている理由とは?【ポチャ】【山田五郎 オトナの教養講座】
2021.12.17
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「アールヌーボー」と「アールデコ」の違いって何?私の長年の疑問に答えてくれる記事を見つけたそうしてこの記事を読んで私が「より」好きなのはアール・ヌーヴォーであることが分かったそうして、確かにNYの grand central station のまわりはアール・デコであると思ったよくわかる「アールヌーボー」と「アールデコ」の違いって何?新居購入の過程で楽しいことのひとつは「家具選び」ですよね!そんなインテリアのデザインとして、「アールヌーボー」と「アールデコ」をご存知でしょうか?名前が似てるため混同しやすいですが、今回はその違いについて解説していきます。アールヌーボーの建築、画家、ランプ、家具、ガラス、食器などや、アールデコの歴史、ドレス、インテリアをご紹介いたします。 目次 [hide]1 「アールヌーボー」と「アールデコ」はどう違うの?2 アールヌーボーとは?3 アールデコとは?4 まとめ「アールヌーボー」と「アールデコ」はどう違うの?19世紀末ごろから1940年ごろまでに流行した芸術様式である、アールデコとアールヌーボーですが、具体的にはどのような点が異なるのでhそうか?アールヌーボーデザイン:曲線的モチーフ:花や植物などの有機物イメージ:エレガントで装飾的流行時期:19世紀末から20世紀初め中心地:ヨーロッパ(ベルギーのブリュッセル、フランスのパリ)アールデコデザイン:直線的モチーフ:幾何学模様イメージ:機能的で合理的。装飾性は低い。流行時期:1910~1940年頃中心地:ヨーロッパやアメリカのニューヨーク>>忙しい人の救世主!便利すぎる無印良品のネットストアで見てみるアールヌーボーとは?アールヌーボーとは、ヨーロッパを中心に広まったイギリス発祥の新芸術運動です。Art (芸術)+Nouveau(新しい)で、「新しい芸術」という意味を持ちます。アールヌーボーの歴史的背景19世紀初頭の産業革命により、安価で粗悪な大量生産品が出回ったため、その反動により芸術性や独自性が高いモノを人々は求めるようになりました。そこ結果、芸術品や実用品に従来の様式にとらわれない装飾性をほどこしたり、鉄やガラスなど当時の新素材を利用して「新しい芸術」を生み出そうとしたアールヌーボーが誕生しました。アールヌーボーは、建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐分野にわたります。アールヌーボーの建築現オルタ美術館はベルギーの建築家、ヴィクトール・オルタの自宅として使われていました。世界遺産にも登録されています。世界初のアールヌーボー建築、ベルギー、ブリュッセルのタッセル邸階段。ヴィクトール・オルタ建築です。こちらも世界遺産に登録されています。パリのカステル・ベランジェ。タッセル邸にインスピレーションを受けて作られたアパート。パリ初のアールヌーボー建築です。スペイン、バルセロナのサグラダファミリア。広義でアールヌーボー様式に属しています。アールヌーボーの画家と模様アルフォンス・ミュシャのリトグラフ『ジスモンダ』。当時フランスで活躍していた女優サラ・ベルナールをモデルとして制作された、舞台公演用の公告ポスター。チェコのプラハで、ミュシャ美術館を訪問したミュシャはフランス語発音でクリムトの『接吻』。クリムトはアールヌーボーの流れを受け、オーストリアでウィーン分離派を立ち上げます。我が家、と言ってもマンションだが(笑)我が家(笑)には、クリムトの絵がいっぱい壁にアールヌーボー期の工芸エミール・ガレの花瓶。フランスのディジョン美術館所蔵。日本の影響を多分に受けています。徳島旅行の際に、鳴門のエミール・ガレ美術館を訪問ルネ・ラリックの最高傑作「トンボの精」。サラ・ベルナールが着用していたブローチです。ルネ・ラリックはアールデコ期にも活躍。アールヌーボーのガラスランプ1889年と1890年のパリ万博でグランプリを受賞した経歴を持つエミール・ガレが製作した、数々の斬新なランプは、アールヌーボー芸術の代表とも言えます。植物や昆虫、キノコのような自然をベースとして作られた彼の作品には、彼自身の「自然の中にこそ、美は存在する」という美意識が映し出されています。ランプに限らず、この当時のガラス作品は曲線がとても美しい点が印象的です。アールヌーボーの家具歴史的背景の部分で述べた通り、アールヌーボーのデザインは機械から一歩距離を置いた、職人技が光るものでした。特にアールヌーボーが影響を受けていたのは、重厚で華麗なゴシックスタイル、曲線が多く優雅なロココスタイル、エレガントなバロックスタイルです。これらが混ざりアールヌーボーのインテリアが生まれました。アールヌーボーの食器当時の食器もアールヌーボーの影響を受け、アシンメトリーで曲線的なものが多いです。また、デザインの中に若い女性が描かれているのも特徴的です。アールヌーボーと日本当時の芸術家たちは、日本の浮世絵から大きな影響を受け、それを彼らの作品に反映させていたと言われています。さらに、当時アールヌーボーに触発され、橋本五葉や藤島武二ら日本の芸術家たちも創作活動をおこなっていました。アールヌーボーの人気ホテルちなみに韓国の南ソウルに位置する江南には、アールヌーボーのデザインが基調とされた「アールヌーボーシティー 江南」というホテルがあります。興味がある方は泊まってみてはいかがでしょうか? アールデコとは?装飾性が高いゆえ大量生産に向かないアールヌーボーは、第一世界大戦の勃発とともに衰退します。アールヌーボーに代わり、広まったのがアールデコArt (芸術)+Déco(装飾)。アールデコは、第一世界大戦と第二次世界大戦の間に流行したので「大戦間様式」。または、世界へ広まるきっかけとなった1925年のパリ万博(現代産業装飾芸術国際博覧会)から「1925年様式」とも呼ばれています。アールデコという名称は、パリ万博「L’Exposition international des arts decoratifset industrielsmodernes」の略から来ています。直線的で合理的なデザイン、原色の対比などがを徴とします。アールデコの時代は、大衆が大量生産の商品を求め始めた時代。芸術やデザインは一部の特権階級のものから、大衆のものへと移行していきます。戦前の価値感は大きく変化し、機能的でシンプルなデザインが求められた時代です。パリ発のアールデコは、アメリカで花開きます。第一次世界大戦の戦勝国アメリカは、芸術・文化の面でも世界の中心に。そんな、狂騒の時代とも呼ばれたアールデコも、1929年の大恐慌のころから衰退し始め、第二次世界大戦の勃発により終了します。アールデコ期の建築アールデコ期の代表的な建築は、ニューヨーク・マンハッタンの建築群です。アールデコ期にはマンハッタンで高層建築ラッシュが起こりました。ニューヨークのクライスラービル。建築当時は世界一の高さに。エンパイア・ステート・ビルディング。映画「キング・コング」でキング・コングがよじのぼったビルとしておなじみ。クライスラービルから「世界一の高さのビル」の称号を奪うべく建築されました。クライスラービルとエンパイア・ステート・ビルディングで、アールデコ期の建築はピークを迎えます。エンパイア・ステート・ビルディングラッキー・ストライクのパッケージデザインをしたのはレイモンド・ローウィ。インダストリアルデザインの草分け的存在です。パリ出身のレイモンド・ローウィはアメリカで活動。ペンシルバニア鉄道電気機関車の工業デザインも手掛けています。日本のたばこ「ピース」米国車の「スチュードベーカー」でデザインもアールデコのドレスアールデコのデザインが施されたドレスの特徴は3点あります。ウエストを絞らない筒型腰の位置はやや低め丈は膝丈それまでは長く、ウエストが絞られたふくよかな女性がローモデルとされてきましたが、この頃からすらっとした女性が好まれるようになりました。アールデコの家具、インテリア東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)の本館1階。中央に見えるのは、フランスのアンリ・ラパンのデザインによる『香水塔』です。アールデコと日本アールヌーボーやアールデコに影響を与えたとされるジャポニズム。日本の影響を受けて繁栄したアールデコが、逆に日本にも影響を与えることに。明治村に移築された旧帝国ホテルの中央玄関。フランク・ロイド・ライト設計。高い技術を必要とし、費用もかさむアールヌーボー建築と違い、日本ではアールデコ様式の建築物がいくつか作られています旧帝国ホテル建物が明治村に移される前旧帝国ホテルは、よく訪問したアステカの医師建築をイメージさせるものだったまとめシンプルでモダンなIKEAや無印とは、また違う趣のアールヌーボーやアールデコ。背景をふまえてから家具探しをするのもまた楽しいですよ!
2021.06.01
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西洋美術史ー古代から現代までー[点と点を線で結ぶ]15分間https://www.youtube.com/watch?v=ct1iA1Ao2HU
2021.05.29
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【パリ観光】【YouTube】【パリ14区、国際大学都市:ル・コルビュジエ建築と藤田嗣治の知られざる傑作】建築散歩 !パリ在住フランス政府公認ガイド中村じゅんじと歩くパリ散歩https://www.youtube.com/watch?v=NCU2Gcw5o1o【パリ5区、エピファニーと左岸の教会巡り】裏道散歩 !パリ在住フランス政府公認ガイド中村じゅんじと歩くパリ散歩https://www.youtube.com/watch?v=-Z4hBTvstB4【パリ6区、歴史と芸術の交差する町「サンジェルマンデプレ」】裏道散歩 !パリ在住フランス政府公認ガイド中村じゅんじと歩くパリ散歩https://www.youtube.com/watch?v=k6f8xezkWo0
2021.02.06
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【美術】ロンドン・ナショナル・ギャラリー展:オンライン・ガイドツアーhttps://www.youtube.com/watch?v=acstCVifNXY&t=486s
2021.02.02
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【YouTube】ルーブル美術館【パリ1区、世界最大の美術館「ルーブル美術館」】散歩 !パリ在住フランス政府公認ガイド中村じゅんじと歩くパリ散歩https://www.youtube.com/watch?v=9x3nJarG028ーーーーフランス旅行 パリ 「美の殿堂 ルーブル美術館」 Musée du Louvrehttps://www.youtube.com/watch?v=uNEEl6zfXNUーーーー数年前に欧州数ヶ国の旅行をしたその国の住民に感銘したのは英国・ロンドンだったが反対に、住民たちに極めて悪印象を持ったのはパリただ、観光地としての魅力があったのはやはりダントツでパリだったその観光地の中でも、その時は、はじめてルーブルを訪問昔はパリには何度も滞在したのだがその時は戒律の厳しいアラブからビザを取りに出てきた事情もありもっぱら、形而下的な訪問地ばかりであったそんなわけで、ルーブルは初体験絵画が大好きな私は、専門のガイドに質問をし、会話をし続け大いにルーブルを満喫したそのルーブルを紹介する【YouTube】2本
2021.01.16
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○ マリア・カラス「ザ・プロファイラー マリア・カラス」を見た意外だったのは、カラスが米国生まれだったこと私が最初に好きになったプリマドンナアメリータ・ガリ・クルチもイタリア系ながら米国人である○ 国立国際美術館でクリムト展を見たウィーン モダンの方は素晴らしかったがクリムトの絵はたいしたものは来ていなかったこの絵画展、本当は「ウィーン モダン展」なのだが来館している人々がみな「クリムト クリムト」と言っていた私もクリムトが好きで金色の額ぶりに入れた(金色ではあるが純金製では無い)(笑)クリムトの絵画を三点飾っているただし、私は彼の装飾的な美を評価しているものの精神性までは理解していない○ ゴッホ展東京では今ゴッホ展らしい私が好きな画家は、ゴッホアンリ・ルソー母の影響でルノアールそれからギュスターブ・モローも好きである3年前にパリに一週間も滞在したのにギュスターブ・モロー美術館のことをすっかり忘却していて訪問しなかったのは一生の不覚ピガールに近いところだったし(コレコレ)ゴッホの絵の中で一番好きなのは「夜のカフェテラス」けだるい南仏の夜オレンジ色に輝くカフェテラスに座っていたらいつの間にか私の永遠の恋人がバレリーナのようにしなやかな歩き方で現れたりしてつまり、この「夜のカフェテラス」は私にとって、美人画なのである(強引か?)○ 鳴門の大塚国際美術館この美術館のことは、このブログの初期に記事にしている世界の名画1000点を陶製の実物大のレプリカにしたと言うとんでもない美術館であるここへ行っておけば何もルーブルやオルセーに出かける必要も無い(オイオイ)半分本気であるその大塚国際美術館をクリスマス前に訪問する予定楽しみである「夜のカフェテラス」はあるだろうか?あの絵に見入っていたらいつの間にか私はあの画の中に入り込んでしまって街路に張り出たカフェテラスで緑色のアブサンをすすっていていつのまにか私の永遠の恋人が静かにそばに寄り添っていて彼女はリンゴを漬け込んだカルヴァドス・・・どうもこの頃、認知が進んでいて(涙)
2019.12.13
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日曜美術館沈黙の風景 ~松本竣介 ひとりぼっちの闘い~を見たこんなに素晴らしい画家を、私はまだ知らなかったのだしかも、文章の素晴らしさも日曜美術館沈黙の風景 ~松本竣介 ひとりぼっちの闘い~https://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2012/0805/index.html松本竣介ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/松本竣介
2018.11.18
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昨日の新日曜美術館は、蕪村だった私も、蕪村は、大好きだがこの日のゲスト3人もその表情からもいかにも蕪村が好きで好きでたまらないと言う風情で番組は、これ以上楽しい番組も珍しいと言う雰囲気だった
2015.07.20
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2015/07/15 記事#2新日曜美術館(朝)を見るあらためて、ターナーのすごさに感嘆する司会の井浦新、相変わらず、いいな~謙虚で過度に(笑)真摯なオタクぶりに、共感歴代の「芸術がわかったふり」女性司会者とは全く違う最悪だった司会者は、姜尚中あの人選はおかしかったしかも、二年間も司会番組では指摘がなかったが私の個人的な感想ではターナーの絵の湿潤・水蒸気はイングランドの風土ならではのものだと思う
2015.07.15
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日曜美術館の録画をみていた司会の井浦新さんモデル・クリエーター・映画俳優・写真家非常に柔らかい優しい感じの男性で芸術的な感性がありそうだ今までの司会者達よりずっといい過去の出演者NHKアナウンサー森田美由紀(2011年度 - 2012年度)中條誠子(2009年度 - 2010年度)黒沢保裕(2007年度 - 2008年度)野村正育(2006年度)山根基世(2003年度 - 2005年度)石澤典夫(1997年度 - 2002年度)桜井洋子(1995年度 - 1996年度)斎藤季夫(1990年度 - 1994年度)加賀美幸子(1988年度 - 1989年度)国井雅比古(1984年度 - 1987年度)和田篤(1982年度 - 1983年度)西橋正泰(1980年度 - 1981年度)河路勝(1976年度 - 1979年度)キャスター千住明(2011年度 - 2012年度)姜尚中(2009年度 - 2010年度)檀ふみ(2006年度 - 2008年度)はな(2002年度 - 2005年度)中村幸代(2001年度)織作峰子(2000年度)緒川たまき(1999年度)森口瑤子(1998年度)西村由紀江(1997年度)大岡玲(1995年度 - 1996年度)真野響子(1993年度 - 1994年度)俵万智(1990年度 - 1992年度)横山正美(1987年度)浜美枝(1984年度 - 1986年度)堀尾真紀子(1982年度 - 1983年度)藤堂かほる(1980年度 - 1981年度)太田治子(1976年度 - 1979年度)※1998年度から2001年度までは毎年のようにキャスターが変わっていた----姜尚中(2009年度 - 2010年度)例によって、いろいろ屁理屈をこねていた(笑)織作峰子(2000年度)女流写真家元ミス日本(笑)この頃は、私は海外だったので、見ていない真野響子(1993年度 - 1994年度)20年前なら、肥ってもいなかっただろうしキレイだっただろうやはり、私は、海外浜美枝(1984年度 - 1986年度)この頃は、よく見ていた----今週は、美術家・大竹伸郎氏宇和島に移住して制作中旧造船所跡を使用していたが私が米国でアントレプレナー時代(笑)を思いだした100年ぐらいの古さの大きな製鉄所を買い取り10数棟の工場群を改造して倉庫業をやったのだが夜間、全棟の三回りをしたのだが全部、歩いて廻ると一時間ぐらいかかるほど広かった製品の搬出用に鉄道の引き込み線とプラットフォームがありディーゼル機関車まであった(笑)一番大きな棟は、高さ50メートル以上?天井走行クレーンが付いていた手元のスィッチボタンを押すと簡単に動いて面白かった操業をやめた製鉄所の工場の内部はがらんとしていて大竹氏の使用している造船所の廃墟と同じ雰囲気ただし場所が東海岸で冬は零下蒸気機関車の様な大きなボイラーを炊き続けて全棟に蒸気を送らないと配管類が凍結で破裂する危険性が有ってそれが大変だった今から思えば面白い設備がいっぱいあった工員達の浴場やシャワー室事務室いろんな機械設備業務用の計量器昔風呂屋にあった体重計を巨大にしたようなものやはり製品搬出に使用した工場裏の河の桟橋その河では、近所のブラウン大学のボート部の連中が練習をしていた作業員達の中のポルトガル人連中の英語はわかりやすかったが地場の解体業者達の英語は、問題だった彼等特有のジャーゴンをよく使うので英語としては聴き取れるのだが日常生活の会話は問題無いのだが仕事場の段取りなどの話になるとその表現が何を意味しているのかは、わからないことが多かった英国で工場見学をしたときの経験でもそうだったが工場の下級労働者達の英語を通訳するのは、至難の業というより、わからない(笑)と言うのも彼等の英語は・ 労働者階級の英語で・ 技術的な専門用語で・ 土地の訛りがあり米国でも、東海岸は、大西洋を隔てて英国の対岸でもあり比較的、英国英語に近い----もう、明日は、大晦日か今年は、後半になって急に時間の流れが速くなった気がしたその季節に応じた気候では、無かったせいもあるかも知れないそれに、今年の冬は、
2014.12.30
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バレーは嫌いになったから(笑)別の話題を私の本来の読者各位には、長い間不愉快な思いをさせて申し訳無いといっても、ROMさんばかりなのだが(笑)----ルーブルか?大英博物館か?もし、訪問する機会があれば、あなたはどちらを選ぶか? ―――― ◇ ――――私は、大英博物館は訪れたことがあるロゼッタストーンなどを見た記憶がある(それだけかい?)(笑)しかし、ロンドン駐在経験まであるのに、それ以外の文化施設は、あまり訪問していない例外として、ヨークにある交通博物館を見学したことかな?そこでは、蒸気機関車として世界最速記録(時速203km)を樹立した憧れのマラード号!を見る事が出来たルーブルは?パリは、合計するとかなりの日数、滞在したのに、文化的な事は何ひとつ、していないあっちの方面ばかりである(笑)いや、二泊三日の「ロワール河流域古城の旅」というバスツアーに参加したことぐらいだこのツアーでは、あのモンサン・ミシェルも訪問できたので満足度が高かったが----美術に関しての番組は多いNHKの日曜美術館は毎週だが、BSでも、ことある毎に美術の番組が放送される名画の撮影には資金と技術が必要だろうが、番組としては、美術の専門家に協力してもラ得れて、ほぼルーティーンであり、番組としては比較的簡単なのではないだろうか?それに、名画の解説も、まあ、ほぼ、定番化しているそれに比較して、博物館ものは、解説がすべてである美術番組が名画を見せれば、それでほぼ、視聴者の満足を勝ち得るのとは違う博物館の展示物は美術館の展示物とダブることは多少あるが、素人がちょっと見ただけで、その価値を読み取ることは難しい一見すると単純な稚拙な工芸品に見えるものでも、専門家の解説を聞いてみると、歴史的に、大いに価値のある貴重なものであるこの辺が難しいところである昔、ロンドンにいた頃、一般人が持ち込んだ骨董品を専門家が鑑定する番組があったそれが日本がパクって(笑)島田紳助が視界をしていた「鑑定団」とか言う番組なっていた私の嫌いな島田紳助はご存じの通り、出なくなったがこれも、プロの鑑定士の説明が見ものであるみすぼらしい出店物に、思わぬ高値がついたりするのが見もの出るしかし、私は、あれも、やらせ番組だと思っている出展物のジャンルに依って、専門家があらかじめ用意されているつまり、あきらかに、展示物をあらかじめ、そのジャンルの専門の鑑定家が鑑定してから、番組を作っているのである本当に、出演している鑑定家が、AD HOCで、その場でいきなり鑑定して、自信満々に発表しているわけがないわれわれの人生経験は限られているいくら骨董の鑑定家でも、森羅万象、古今東西、古代のものから現代のものまで、知り尽くしているはずがない古代オリエントのものから、古代ギリシャのものまで卑弥呼の時代から徳川時代の家宝までいち個人が、鑑定の機会を持っているはずがない例えばロシアのロマノフ王朝の、ハプスブルグ家の無数の財宝など、貧乏な(失礼)鑑定人が見る機会を得るわけもない歴史上、確認されていなかったお宝を見抜く眼力があるはずがないそんな人物がいたら奇跡である----例によって、ちょっと話がそれたが要するに、私は、もう、見慣れたルノアールやゴッホの名画より、博物学の分野の方が、よほど面白いではないか?といいたいのであるさらに、考古学までいれると、さらに面白い人類学や、日本人はどこから来たのか?とか、DNAで割り出す日本人の先祖は?とかアイヌ民族と琉球民族は、やはり縄文人なのか?とか縄文人と言っても、何波にもわたって日本列島に渡来したらしいし民族的にも単一ではなく、いろいろだったり(笑)台湾あたりの原住民が海に漕ぎ出て、ポリネシア人になり、最終的にはハワイやモアイの・・・島まで至ったとかアイヌ人のDNAとインカの民族の一部のDNAがほぼそっくりだとか(つまり、アイヌ人と近隣の民族がペルーあたりまでグレイト・ジャーニーしていたらしいとかその他にも、いろいろありすぎて・・・ ―――― ◇ ――――要するに、美術によほど関心があるのなら別だが(結構好きなのだが)、美術館より博物館がよほど面白いということまあ、私個人の話だが国立民俗学博物館にでも行ってみようか?いや、ちがった!国立「民族学」博物館だった梅棹先生が館長だったすごい博物館だと言っても、まだ行ったことが無いのだが(笑)やっぱり「民族学」の方が「民俗学」より面白い民俗学の方は日本初の学問だし柳田国男先生の
2012.05.04
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Tak-shonai さんが、オルセー美術展の話題を語っていたので,コメントを入れた以下は私とtak-shonai さんのやりとりです【alex99】私は、このなかでは幻想的なアンリ・ルソーが、わくわくするほど好きですねあの熱帯樹林が好きで、むかしは自分のマンションの中を,ちょっと、ちょっとだけですが(笑)、あんな風にしていました虎やライオンや蛇やジプシーはいませんでしたが(笑)他の画家からは,想像力をかきたてられませんあと、ゴッホの夜景を描いた絵には,よく言われる情熱よりも、むしろ夜の静けさの中の哀しみのようなものを感じます写実派では,アメリカのアンドリュー・ワイエスヘルガのヌードはあまり見ていませんが(笑)【tak-shonai さん】>あの熱帯樹林が好きで、むかしは自分のマンションの中を,ちょっと、ちょっとだけですが(笑)、あんな風にしていましたそれはまた、エキサイティングなマンションですね。帰るのが楽しみになりそうです。>あと、ゴッホの夜景を描いた絵には,よく言われる情熱よりも、むしろ夜の静けさの中の哀しみのようなものを感じます「星降る夜」ですか。あれは、今回初めて実物をみて、「情熱」というのがわかりました。あれは実物と印刷の落差、ありすぎです。>写実派では,アメリカのアンドリュー・ワイエスワイエスは私も惹かれます。大学時代にどこだか忘れましたが、企画展をみて、そのときに買った分厚い画集があります。【alex99】>「星降る夜」ですか。>あれは、今回初めて実物をみて、「情熱」というのがわかりました。>あれは実物と印刷の落差、ありすぎです。そうですか?実物は情熱的なんですか?夜景は,このほかにも「夜のカフェテラス」とか題名は忘れましたが,杉の樹とかがありますが、印刷紙か見ていませんもので,情熱はくみとれません【tak-shonai さん】「星降る夜」は、全面を覆うブルーの光沢がすごいんですよ。なんというか、キラキラ感があふれ出してますね。印刷ではそこまではわかりませんでした。「夜のカフェテラス」も、もしかしたら、そんな感じなのかもしれません。本物を見てないんでわかりませんが。やっぱり、本物をみるって大切だと思いました。しみじみと。【alex99】とても参考になることを教えていただきましたやはり絵画というものは,本当は,本物を見ないといけませんねありがとうございましたしかし、・・・と言うことなら、美術展には,みんな、行かなければならないじゃないですか(笑)そう言えば、私が感激したのは、ボッティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」の本物を見た時でした予想しなかったほど、非常に大きな絵なのです特別室の壁面いっぱいの大きさでそれにその時、テンペラを洗って,「春」で地面に描かれてあった様々な草花・植物が鮮やかに現れて,話題になった時でしたボッティチェリも好きです
2010.06.17
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■ 好きな画家○ ボッティチェリ○ ユトリロ○ 佐伯祐三○ ゴッホ○ アンリ・ルソー○ アンドリュー・ワイエス それに画家ではないが○ エミール・ガレこの中で、その作品を欲しい、手元に置きたい、いくらでも欲しい(欲張り) (笑) とまで思うのが、ガレの作品
2009.04.25
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世界的なバレエ団、アメリカン・バレエ・シアター・ABT(AMERICAN BALLET THEATRE)が来日公演する。3年前、NYにいた時、ABTのプリンシパル(最高位のダンサー)の一人、ジュリー・ケントが出演する日、観に行った。ABTは、野球で言えばヤンキースや巨人のようなバレエ団で、世界中の大物を取り込んでゴージャスな舞台を演出する。この時も、世界的なプリンシパルがそろい踏み。本物のジュリー・ケントが舞台に出て来た時は、感激。長い手足で他のダンサーとはちょっとちがう、優雅な印象を与える。紅白歌合戦で言えば「トリ」で出てきて、プリンシパルの中でも格上のあつかい。女性ダンサーとしては一番拍手が多かった。男性は、ウラジーミル・マラーホフが一番人気。観終わった後、翌日は、あるミュージカルを観る予定で、すでに切符も買ってあったのだが、翌日のABTの切符を買ってしまった。おかげで、翌日の公演前に、ミュージカルの劇場前で、あまったミュージカルの切符を売ろうと立ってみたが(こういう事情の人は私と同じく劇場前で売ろうとして立っています)不発。ジュリー・ケントを二日連続、観れることとなった。ただ、彼女、ちょっとやせすぎてギスギスの印象あり。今度の来日時では、もう少しふっくらした彼女を見たい。(と言っても、このところ忙しくて、観に行けるかどうか、わからないのですが) 〓 〓 〓 〓 〓 〓ABTのプリンシパル紹介欄から。■ ジュリー・ケント Julie Kent ABTのプリンシパル。アメリカのメリーランドでバレエをはじめる。ABTの研修生時代にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞し、86年に入団。90年にソリスト、93年にプリンシパルに昇進した。可憐でクールな魅力をもつ、ABT生え抜きのバレリーナ。87年の『ダンサー』、2000年の『センターステージ』など映画にも出演。プリンシパル兼バレエマスターのヴィクター・バービーと結婚している。 〓 〓 〓 〓 〓 〓私は数年前、NHK BSでABTバレエ「海賊」の放映を観て、ジュリー・ケントの踊りの優美さと可憐な容姿に一目ぼれした、ミーハーなバレエ・ファンである。その当時の若い、素顔の彼女、可憐さに加え、いかにもアメリカのお嬢さんらしい明るさがあった。その番組では、公演前に、格段サーが自分の役柄を説明するテレビ用のインタビューがあるのだが、「私は世界一の美女よ!!。でも・・・、それは私が言ってることじゃないの。この作品の作者が設定した役柄の事よ!」そういう風にいたずらっぽく語ると、もう我慢が出来無くって、箸がころげてもおかしい・・・って風情で自分で笑い転げながら画面の外に隠れました。そんな彼女が、もう十年以上経ったかな?すっかり気品あるれるABTの女王になっていた。 〓 〓 〓 〓 〓 〓バレリーナと言えば、伝説の人に会ったことがある。昔のことだが、ロンドン・ヒースロー空港で搭乗前、免税ゾーンの本屋で本を選んでいた。ふっと気がつくと、隣につややかな黒テンのコートに同じく黒テンの帽子の貴婦人が隣に。やはり本棚の本に視線を走らせている。あまりに高貴な雰囲気に、無礼だったが、横顔を拝見した。なんとデイム(女性の爵位)・マーゴ・フォウンテイン!バレリーナ特有の引き詰めの髪。私がビックリしたのを察したデイム、ちょっと微笑んでくれた。「あら!貴方、私をご存じなのね」・・・って感じ。私は固まりながらも本を探す振りを続けたが。しばらくして彼女、歩き去った。バレリーナ特有のまるで体重を感じさせないような足取りで。バレエ史上に輝く絶世の美女と袖ふれあえて幸運でした。私にとって、ジェニファー・ロペスなんてメじゃないぞ。それに彼女、ロイヤル・バレーでデボラ・カーの同僚だった。 〓 〓 〓 〓 〓 〓その後、マーゴ・フォウンテインとヌレイエフの「ロミオとジュリエット」のDVDを買いました。ジュリー・ケントのビデオやDVDも、「海賊」を含めて、数本買いました。NHK BSでテレビ録画したバレエ番組もたくさんある。「白鳥の湖」や「クルミ割り人形」は各バレエ団のものが、数本ずつ。観直してみよう。
2005.07.11
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私のネット友達であり、画家・歌人である通称「流れ星」さん、本名星川孝さんが絵画の作品の二人展を開かれます。お近くの方がいらっしゃったらぜひ見に行ってあげて下さい。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ [告知]「大和諷詠~花と女神の十二章~」by稲星浪漫工房(星川孝&稲井直美)場所: 愛媛県松山市/いよてつ高島屋7階/ふれあいギャラリー日時: 12月8日(水)~13日(月)/午前10時~午後6時入場: 無料/開催期間中は無休(専用駐車場も完備)僭越ながら、伊予の国の松山で、二人展を開催します。皆さまのご来場を、心よりお待ちしております☆二人展に興味のある方は、下記のページをご覧くださいませ。http://user.shikoku.ne.jp/retoro/index2-collabo-yamato ★ ★ ★ ★ ★ ★星川さんの絵は私の一番好きな絵です。ノスタルジック美術館は、星川さんの作品が見れる素敵なサイトです。星川さんのサイトの本館、レトロポリタン博物館は、昔懐かしいレトロ感覚一杯のサイト。同じく流星機関は、星川さんの短歌を収納した特殊機関?
2004.11.28
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昨夜、『新日曜美術館』を観た。残念ながら、途中からだったのだけれど。テーマは『ギュスターヴ・モロー』『ウィキペディア』というネット百科事典によると。 ----------------ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826年4月6日 - 1898年4月18日)は19世紀に活動した、フランスの象徴主義の画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた画家であった。彼の作品は19世紀末のいわゆる「世紀末」の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。1826年、パリに生まれた。1846年、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学。かたわら、ロマン派の画家テオドール・シャセリオに指導を受けていた。ロマン派の旗手ウジェーヌ・ドラクロワのアトリエにも出入りし、影響を受けている。1864年、サロン(官展)に出品した『オイディプスとスフィンクス』は、スフィンクスを若い女の姿で描き、伝統的な物語を「男」と「女」の葛藤として描き出した作品で、当時の保守的なサロンでは物議をかもした。その後、モローは次第にサロンから遠ざかり、パリのラ・ロシュフーコー街の屋敷に閉じこもって黙々と制作を続けた。彼が1852年から終生過ごしたこの館は、遺言により「ギュスターヴ・モロー美術館」として公開されている。1892年、モローはエコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となった。モローの指導方針は、弟子たちの才能を自由に伸ばすことであった。エコール・デ・ボザールのモローの元からはマティスとルオーという2人の巨匠が生まれている。 ----------------私の好きな画家はいろいろだが、その中でもモローは私のもっとも好きな画家の一人。高校時代に、大原美術館の『雅歌』という作品を観てから素晴らしい画家だと思っていた。しかし、この番組で彼の作品をほぼ全部観て、衝撃を受けた。装飾の多い、象徴主義の画風だと決めつけていたが、その絵の意味する深い世界を初めて感じて、私にとっては最高の画家ではないか?と思うようになった。私の夢としては、彼の作品が溢れている『ギュスターヴ・モロー美術館』で数日暮らしたい。モローは同性愛者では無いかと疑われていたが,実はこの後に美術館になった自宅で最愛の女性と密かに暮らしていたという。
2004.09.06
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お盆だから、今日も復刻日記です。絵画が好きな方も多いでしょうから、この日記が役に立つこともあるかも知れません。とてもお得な美術館の情報です。 ~~~~~~~~~【♪絵画鑑賞の楽しみ♪ 大塚国際美術館 絵画鑑賞の楽しみ】美術が好きな方も多いと思うのですが、以前から気にかかっていた美術館のHPを見つけました。大塚国際美術館です。http://www.o-museum.or.jp/f02.html この美術館には世界の名画中の名画がほとんどまとめて、なんと1000点余り、展示されています。え~~???そんなはずは無いだろう!と思われるのももっとも。実はこの名画はコピーというかレプリカというか?陶板に描かれ焼き込まれたたものなのです。大塚国際美術館のHPの案内を(失礼して)下記にコピペさせていただきます。 ―――― ◇ ――――「大塚国際美術館」は、大塚製薬グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」です。館内には、6名の選定委員によって厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに再現しています。それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。 また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免れないものですが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化 財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。門外不出の「ゲルニカ」をはじめ戦争で分散していたエル・グレコの大祭壇衝立の復元など画期的な試みもなされ、1,074点の検品のために、ピカソの子息やミロの孫達および各国の美術館館長、館員の方々が来日されたおりには美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。 このように『大塚国際美術館』は、技術はもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。 ―――― ◇ ――――素晴らしいですよね。私はフィレンツェのウフィツィ美術館でボッティチェリの名画「春」と「ヴィーナスの誕生」を見ることができました。私は絵画が好きなくせにいざ名画の現物を見ても感激したためしが無く、同じウフィツィの中にあったレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロの作品を見ても「ケロリ!」だったのですが、この2作品には本当に心から感動しました。私がウフィツィを訪問したときはちょうど「春」の表面を洗った後とのことで、それまで見えなかった「春」にボッティチェリが注意深く描き込んだ数多くの草花がきれいに浮き出していました。ボッティチェリは草花に非常にくわしい知識を持っていて、ここに書き込まれた草花は、その「花言葉」「来歴」などの深い意味がこもっているのだそうです。さらに、洗われた画面も一段と鮮やかになっていて、さらにはこのウフィツィの売り物ということからでしょうか?それともこのフィレンツェで生まれて育った地元っ子、ボッティチェリの作品だと言うことで特別扱いだったのか?そのときは「春」と「ヴィーナスの誕生」には特別の個室が与えられていてバックライトも当てられていて、それにこの2作品はちょっとした部屋の壁ぐらいもある大きな作品なのです。ちょっと文章もよれよれになってしまっていますが、とにかくその美しさに、ぼ~~っとしてしまいましたし、特に「春」ではその絵の世界にワープして入り込んでしまったような感覚をおぼえました。 ―――― ◇ ――――それと、これは極秘事項なのですが、ボッティチェリが描く美女はまさに私ごのみの、繊細で気品のあるタイプです。 ーーーー ◇ ーーーー今この美術館に電話を掛けて問い合わせてみたらこの2作品共にあるそうです。各作品は原寸大だそうですからますます楽しみです。それからその他にも私の好きな名画が見れそうです。♪♪ ぜひぜひ、この美術館を訪問するつもりです。♪♪
2004.08.13
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美術が好きな方も多いと思うのですが、以前から気にかかっていた美術館のHPを見つけました。大塚国際美術館です。http://www.o-museum.or.jp/f02.html この美術館には世界の名画中の名画がほとんどまとめて、なんと1000点余り、展示されています。え~~???そんなはずは無いだろう!と思われるのももっとも。実はこの名画はコピーというかレプリカというか?陶板に描かれ焼き込まれたたものなのです。大塚国際美術館のHPの案内を(失礼して)下記にコピペさせていただきます。 ―――― ◇ ――――「大塚国際美術館」は、大塚製薬グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」です。館内には、6名の選定委員によって厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに再現しています。それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。 また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免れないものですが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化 財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。門外不出の「ゲルニカ」をはじめ戦争で分散していたエル・グレコの大祭壇衝立の復元など画期的な試みもなされ、1,074点の検品のために、ピカソの子息やミロの孫達および各国の美術館館長、館員の方々が来日されたおりには美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。 このように『大塚国際美術館』は、技術はもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。 ―――― ◇ ――――素晴らしいですよね。私はフィレンツェのウフィツィ美術館でボッティチェリの名画「春」と「ヴィーナスの誕生」を見ることができました。私は絵画が好きなくせにいざ名画の現物を見ても感激したためしが無く、同じウフィツィの中にあったレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロの作品を見ても「ケロリ!」だったのですが、この2作品には本当に心から感動しました。私がウフィツィを訪問したときはちょうど「春」の表面を洗った後とのことで、それまで見えなかった「春」にボッティチェリが注意深く描き込んだ数多くの草花がきれいに浮き出していて、画面も一段と鮮やかになっていて、さらにはこのウフィツィの売り物ということからでしょうか?それともこのフィレンツェで生まれて育った地元っ子、ボッティチェリの作品だと言うことで特別扱いだったのか?そのときは「春」と「ヴィーナスの誕生」には特別の個室が与えられていてバックライトも当てられていて、それにこの2作品はちょっとした部屋の壁ぐらいもある大きな作品なのです。ちょっと文章もよれよれになってしまっていますが、とにかくその美しさに、ぼ~~っとしてしまいましたし、特に「春」ではその絵の世界にワープして入り込んでしまったような感覚をおぼえました。 ―――― ◇ ――――それと、これは極秘事項なのですが、ボッティチェリが描く美女はまさに私ごのみの、繊細で気品のある・・・(以下省略)。 ーーーー ◇ ーーーー今この美術館に電話を掛けて問い合わせてみたらこの2作品共にあるそうです。各作品は原寸大だそうですからますます楽しみです。それからその他にも私の好きな名画が見れそうです。♪♪ ぜひぜひ、この美術館を訪問するつもりです。♪♪
2004.01.17
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