気のみ気のまま

気のみ気のまま

アマノガワ-3


"そんなはずないんだけど・・・"
"なんだろ?"

"デジャヴュ? って、少し違うか・・・・^^"

我慢、出来なかった。
まさか、あの時、僕が考えていたこととまったく同じ考えを
彼女と共有していたとは・・・
そう思っていると、
あのとき、机ひとつ越しに見ていた彼女の、
机に向かっている彼女の姿が鮮明に、
ユウジの目の前にバッと映し出された。

"デジャヴュ"なんかじゃない。しっかりとした"過去"にもとずく"記憶"。

ここまで鮮明に彼女の姿が思い出されてしまって、
再び、ユウジは胸のそこから泣いてしまった。
僕は今、空気中の水分を使って泣いているのだろう。

そしていよいよ、日記は"あの日"に到達する。

"7月31日 今は晴れ"
"今日は朝に日記、書いちゃいます♪"
"どうしてか、というと・・・・・"
"うわ、やっぱりかけないや・・・・"
"誰に見られてるわけじゃないけど、自分で書くのも恥ずかしいです。"
"楽しみにしててください、里中君♪"


"あなたのバックにこっそりと・・・・"


ここで、この日記は止まっていた。

バック?
涙でぐしゃぐしゃになったまま、
ベッドにもたれかけさせていたバックの中身を丹念に見回してみた。




『あ・・・・・・』





『あ・・・・・』
バックに入っていたソレを見つけるなり、
ユウジはすくっと立ち上がると、一目散に玄関へと走った。

『あら?どこいくの?こんな時間に?』
もう夜なのに、
いきなり外出の準備をしている息子の姿に驚く母がいた。
『あ、うん。ちょっといってくる!』
『あ、ちょっとまちなさい!』
母親の制止にも振り向かず、
ユウジは玄関に留めてあった自転車にのると、
一目散に駅へと向かった。

そして、電車に揺られ・・・・・

こんなに、電車に乗っている時間がもどかしいと思ったのは初めてだった。
以前、財布を学校に忘れてきて、
取りに帰ってきた日もあったが、
あの日以上に、ユウジの心は焦っている。

電車が到着するなり、
ユウジはごったがえす人ごみの中を無理やりすり抜け、
改札口へと向かった。

ハァ・・・・ハァ・・・・
こんな人ごみの中では、
自転車を使おうとしても使えない。
ユウジは仕方なく、全力で走っていた。

――――――――――――あのバックに入っていたのは、
一通の手紙だった。
ユウジは人ごみの中をすり抜けながら、
全力で走りながら、
頭の中で何度も、この手紙を反復していた。

手紙の内容は、彼女の挨拶から始まっていた。
屈託のない、彼女特有の、あの文字で。

"里中君、暑いですね♪"

まだ、もう少し先だ・・・・
僕のゴールはここじゃない。
ユウジは速度を落とさない。

"突然の手紙、失礼します。"

夕方だというのに、まだムシムシする。
人ごみのせいだろうか?

"なぜ、こんな手紙を出したか、というと・・・"

ドン!
『あ、すみません・・・』
ユウジは謝り言葉を残すと、
肩をぶつけられて不機嫌そうにしている男を
尻目に、ゴールへと走った。

"里中君、もうすぐさ、花火大会あるって、知ってるでしょ?"

ハァ・・・・ハァ・・・
息はあがりっぱなしだった。

"今年ね、いろんな人で大勢で行こう、ってことになって・・"

信号待ちだ・・・・

"里中君も、是非、来ませんか?!"

"あ、別に嫌なら断ってもらっていいんだけど・・・"

信号が青に変わるなり、
ひとつの人間の固まりは、
なにか流動性の液体のようにして、対岸へと流れ出した。
その流れに乗りながらも、
ユウジはまた、走り出す。

"どうですか?"

もうすぐ、もうすぐ、だ・・・・

"じゃあ、7時に、湖の近くの大きな橋が集合場所なんで。"

"待ってます♪(^^)"

―――――――――――――――――相変わらずの、
無邪気な文字で、書かれていた。
まるで、一文字一文字がやさしく微笑んでいるような、
そんな、無邪気な文字で。

『ったく、ありえねぇよ。』
ユウジがすれ違った若い男が、
そう、愚痴をもらしていた。

『まさか花火大会、中止なんてよぉ・・・』

『!?』
ユウジは思わず、さっきまでつけていたすごい勢いを
シュンシュンと緩め、その男の話を聞いた。

『ったく、これから雨なんて降るかね?ここで。』
『まったくだよ。まじでシラケる。』

男二人組は不満たらたらに、さっきユウジがやってきた方向へと
進んでいった。

確かに、さっきから、人の流れがおかしいと思った。
会場はユウジが向かっている方向にあるはずなのに、
まばらにそっち方向に進む人はいるものの、
ほとんどの人がユウジとすれ違う形になっている。

と、そのときだった。

『ん?ちょっと、雨降ってきてない?』
若いカップルの女の方のその言葉を皮切りに、
雨が一粒、二粒とアスファルトに水玉を描いたかとおもうと、
バケツをひっくり返したように、雨がザァザァと降ってきた。

『や、ちょっと?!傘持ってきてないわよ?!』
『うわ、マジ最悪だわ、これ・・・』
駅を目指す群集は、ざわざわとどよめきだった。

『あ、雨・・・・?!』
ユウジは一人、アマゾンのスコールのように突然で量の多い雨に打たれながら、
呟いた。

『ッ!』
悔しさのあまり、涙が出そうになった。
ここで泣いてしまえば、雨と同化して分からなくなるだろう。
そんな気持ちも、ユウジの背中を押した。

雨宿りしようともせず、
雨の中、一人でユウジは絶望に浸っていた。

"なんで俺は、あんなことを・・・?"
"あの図書館のときに、あんな事しなかった、今ごろ・・・・"

悔しくて、悔しくて・・・

ユウジはもう、帰ってしまおうか、と思った。
こんなに雨が降ってきて、彼女が待っているはずがない。
友達と一緒ならなおさらだ。
きっと、神様が僕に対して罰を与えたんだ。
ユウジは、ますます勢いが増す雨の中で、
この雨一粒一粒が、自分の罪を洗い流してくれるような、そんな気持ちになっていた。

"でも、罪が洗い流されたからと言って、
 胸の奥の方に引っかかっているなにかは、そのまま引っかかったままだった。"

と、帰る群衆にまぎれた中年の男の一人が、
連れに対していった。

『なぁ、あそこで待ってる女の子、大丈夫かね?』
『なんだい鈴木さん、また言ってるのかい?』

『だって、あんな橋のところで浴衣着て傘さしてるなんて、
ありゃ絶対に自殺じゃ・・・・・』

『!』
その男の言葉を聞くなり、
水浸しのアスファルトで跳ねる雨水を見ていた
ユウジの視線は前を向き、
ふたたび、群集と逆行する形に走り出した。

"彼女だ! 新崎さんだ!"

わずかな可能性だったが、
さっきまで曇色一色だったユウジの心に、
ほんの少し、晴れの色を落としたのだった。

ハァ・・・ハァ・・・
やっとの思いで、集合場所の橋に着いた。
時間は・・・・

『7時・・・・30分・・・・』
もう。、絶望的状況だった。
待っているはずもない。
周りを見ても、帰ろうとしている客しか、見当たらなかった。

"やっぱり、帰った・・・・"

わずかに晴れ色をさしたユウジのキャンパスは、
また、曇りの灰色でその部分を重ね塗りされてしまった。

ユウジは力なく橋の手すりにもたれかかると、
空を見上げた。

雨で目を開けることは出来ないが、
間違いなく、そらは一点の晴れもない曇り空である。
ユウジの心そのものだった。

いそいで着てきたTシャツもジーンズも、
雨でびしょぬれになって、
ユウジの体に引っ付いていた。

ユウジは顔を下ろすと、帰りの路についた。
たぶん、顔は雨でぐしゃぐしゃになっていたが、
涙も相当含んでいた。
これだけ湿気があれば、
空気中から水を吸って泣ける僕なら、
いくらだって泣くことが出来るだろう。

いくらだって・・・・・

と、

顔を下ろして、帰ろうとした、そのときだった。

帰ろうとした、まさにそのときだった。

『さ、里中・・・・君・・・・』

涙と雨の二重の水分で、
ユウジの眼には、その声の元らしき人物の姿を見ることが出来なかった。
が、声で、一発でわかった。
あの、なにか力強い、不思議な力を持つ声だった。

『・・・・・新崎・・・さん?』

声にならない声だった。
ユウジは一言、そう呟くと、
目の周りにたまった水分を袖で拭いた。

『き、来てくれたんだ・・・・』

袖で拭くことによって広がった新たな視界に飛び込んできたのは、
水色の傘を差す、緑色の浴衣を着た新崎ミクだった。

不思議なくらい、
このどんよりとした風景に浮いていた。
浮いていた、というのは、悪い意味ではない。
どんなに周りが暗く落ち込んだ色だろうと、
彼女の緑色だけは、なにか、また、声と同じ
不思議な力で、自分を主張していた。

しかし、その力ある着物に包まれた彼女の顔色は、
芳(かんば)しいものではなかった。

『・・・・・・』

ただ、豪雨の音だけが、
二人の間に響いていた。

『あの、さ・・・・』
最初に口火を切ったのは、ユウジからだった。
『・・・・・・・』
ミクは、ただずぶぬれになっているユウジの姿を
黙ってみていた。

『あ、あのさ・・・・・』

のどのところまで、言葉がきているのに、
あと1cm、口の外に言葉が出ない。

『ッ!』

言葉が外に出ようとした、その気だった。

『待って。』

静かに、だが雨に負けない声で、ミクが遮(さえぎ)った。
『待って・・・・』

『ここじゃ、浴衣、濡れちゃう。』
というと、
橋の向こう側にある、小さな休憩所のようなところを指した。
そこには、屋根がついていた。
ミクはそっちの方をさすと、
ユウジのことを気にとめるそぶりもせず、
くるりと回ると、その方向へとスタスタと歩いていった。
ユウジは、最初はなんのことか分からなかったが、
仕方が無しに、ミクについていった。

彼女は休憩所につくと、
水色の傘をパタッと閉じた。
顔は依然として、下を向いていた。

『あ、あのさ!』

こんどは、さっきのように、言葉がつっかえないよう、
語尾をしっかりと言い切った。

『図書館のとき、ホントーに、ゴメンナサイ!』

・・・・・・
あの日以来、ずっとユウジを苦しめていた、その言葉だった。
そしてついにこの場で、それを解き放つことが出来た。
くしくも、彼女に対する気持ちに気づいた今になって。

頭を下げていたユウジにとって、
今、ミクがどんな顔をしているか分からない。
が、大体の予想はつく。




ユウジはおそるおそる、顔を上げた。





『え・・・・・?!』

顔を上げ、一番最初にユウジの視界に入ってきた彼女の顔は、
予想を見事に裏切っていた。

『え?!なんで里中君が謝んなきゃ・・・?』

ミクは釈然としない顔をしていた。
『え?なんで、って・・・・・』
ユウジはずぶぬれの姿で、あっけに・からの手紙を読んで、
いきなりなんだ、と思って、それを理由に帰ってしまった、と思っていたらしい。

そう考えれば、全部説明がつく。
もう一度、あのとき、あの図書館で二人がであったとき、
ミクが帰ってしまったのも、『怒らせてしまった』僕のことを見て、
その場にいることが出来ずに立ち去ってしまった。
一方、僕のほうは彼女が怒っていると思って・・・・・


ホントーに、単なる"すれ違い"だったのだ。


二人は休憩所の中で、
まるで数学の問題の答えあわせをするように、
ひとつずつ、ゆっくりと、絡まってほどけなくなってしまった
このすれ違いの糸を、ひとつずつ、丁寧に紡いでいった。

『ってことは・・・・・』

すべての糸がほどけ終わり、ユウジがそういいかけたときだった。

『プッ!』
彼女が突然、噴出した。
『え?』
心配になって、問い掛けるユウジ。
『あ、ゴメンゴメン。
だって、さ・・・・・・』

『まさか、そんな理由で図書館から帰っちゃったなんて、
 なんか里中君らしいな、と思って、さ。』
そう、笑顔で、彼女は言った。

"気のせいだろうか? 笑顔ながらも、気持ち泣いているように見えた。"

『え、あ、うん。そういう、理由で・・・・・ゴメン』
彼女に笑われ、立場を失ったユウジは、
俯(うつむ)いてしまった。

『ううん、謝るのは私の方だよ。』
笑いながら、口を隠していた手を下ろすと、
ミクは話し始めた。
『私の方こそ、ゴメン。この前、図書館でまた会ったとき、
里中君の話聞かないで、先、帰っちゃったよね。』

『私、あの時、すごく怖かった、から・・・・』

"なにが?"
ユウジはそういいかけたが、
飲み込んでしまった。
きっと、聞いちゃいけない。
聞く必要もない。

『そっか・・・・・』
ユウジの口から代わりに出てきた言葉だった。

『ねぇ!』
ミクが突然、ユウジに向かっていった。

『今から行かない?』
そういうと、彼女はいそいそと、椅子にもたれかけさせていた
自分の水色の傘を準備している。
『行くって、どこへ?』






『花火大会♪』


え?』
思わず、ユウジは聞き返してしまった。
『え、ちょっとまってよ、新崎さん。』
傘を差し、
休憩時の外に飛び出したミクの背中に、
ユウジが言った。
ミクはくるりとユウジの方を振り向くと、
『いいから♪』
と言うなり、ユウジの腕をひっぱると、
そのまま、傘の中にユウジの体を取り込んだ。
ミクの浴衣姿を間近で感じて、
ユウジはすこし戸惑ってしまった。

二人、
これでもか、というくらいの豪雨の中を、
ひとつ傘の下で歩いていた。
ミクはというと、さっきの休憩所以来、一言も話さずに
どこかへ歩を進めている。
ユウジは、ここ1時間の急展開にわけがわからなくなっていて、
ただ、ミクがなすがままについて行っていた。


もう、10分くらい歩いただろうか?
依然、この不運の雨は上がる様子もなく、
容赦なく水玉の傘に打ちつけていた。


『はい、ここ。』


『え・・・・・?』
おもわず、また、聞き返してしまった。
ミクに『花火大会』といってつれてかれたところは、
人っ子一人いない、また別の、集合場所よりは少し小さい橋であった。

ミクは橋の手すりの方に近づいていった。
ユウジは、傘の柄はミクに握られているため、
一緒に移動する。

と、突然だった。






『目、つむって。』







『?!』
突然のミクの言動に、
おもわず、声になっていない驚きの声を出してしまった。
ミクはいつものように微笑んでいる。
『え・・・・?目、つむるの?』
焦ってる感じ全開で、ユウジは聞き返した。
彼女はなにもいわず、ただコクッと頷いた。


"え?それって、もしかして・・・?!"

緊張半分、不安半分の気持ちで、
ユウジはゆっくり、目を閉じた。

・・・・・不思議な、感覚だ。
当たり一面、真っ暗闇。
でも、今回の闇は、家のベッドの上で見たそれとは
どこか違っていた。

なぜか、安心感、みたいな。

聞こえるのは、さっきから耳に焼き付いている、
豪雨が傘に当たる音だけ。
僕の心音も、聞こえそうなくらいだった。

と、こんなことを考えている、そのときだった。



"ピューーーー"

『バァン!』

『?  え?』
ミクの声に、思わずユウジが目を開けてしまった。
『あ、ダメだよ、目、開けちゃ。』
ミクはそう言うと、また、
ユウジに目を閉じるよう催促した。

『ホラ、こうして、目、つぶってるとさ、
 何も見えなくなるでしょ?』
『う、うん。』
ユウジはとりあえず一言置きにいった。
『まるで、さ、夜見たい、でしょ?』

そういうと、彼女はまた、

"ピュ---ー--"

『バァン!』
と、器用に口笛と声の擬音を使い分けて、
花火の音を創り出した。

『! 花火大会、って・・・・・』
ユウジが目を閉じたまま、そこまで言いかけたが、
そこで言葉を結んでしまった。

代わりに、こう、続けた。

『・・・・・うん、青色の、大きいのだったね。』

そういうと、
暗闇の奥底から、ミクの笑い声が漏れてきた。

そして、
その笑い声が暗闇のなかにフェードアウトしてゆくとともに、
暗闇が一気にはじけ飛んだ。





"そして、目の前に、『花火大会』の情景がパァッと広がった。"




確かに、言ってしまえば
僕が今見ているのは、自分の瞼(まぶた)の裏の皮膚組織なわけで、
当然、光など一点も差しちゃいない。
でも、・・・・・・


これもはやり、彼女のもつ不思議な力なんだろうな、と思った。


そうして始まった花火大会は、
ゆっくり、ゆっくりではあるが着実に、一発ずつ花火を打ち上げていった。
一方が口笛で打ち上げの擬音を放つと、
もう一方が、爆発音を声で真似る。
ただ、それだけのことだった。
でも、一発ずつあがるたびに、二人で、

『ウン、ああいう感じの花火、私好きだな♪』
とか、
『あ、いまの赤色、綺麗だったね!』
とか、感想を言い合ったりしていた。

観客数、二人。
きっと、世界で一番、規模の小さい花火大会だろう。
ギネスものの規模の小ささだ。
花火職人もいなければ、観客も僕ら以外いない。
出店すらない。
それはそうだ、外は今豪雨なのだから。

でも、そんなの、まったく問題ではなかった。
ただ目を閉じて、そして、となりに彼女がいてくれれば。

"ピューーールルル・・・・"

と、ミクの唇が乾いてしまって、
発射音が情けなくつぼまってしまった。

『あ・・・・』
ユウジは思わず、目を開けた。
すると、彼女の方も目をあけ、ユウジの方を見つめた。

『あ、失敗しちゃった・・・・』

そういうと、ミクは照れ笑いをして、
顔を少し赤らめながら、下の方を向いた。
ユウジは、そんな彼女のことを見て、
思わず、笑顔がこぼれた。

『きっと、花火師が失敗したんだ!きっとそう!』

ミクはそう、自分に自信をつけるかのように
力強い口調で言った。
ユウジは、ミクの勝手な言い訳に、
思わず、笑みがこぼれてしまった。

『じゃ、気を取り直して!』


"ピューーーー"


『バァン!』


"ピュ-―――"

『バァン』

フフッ
二人は、なにかこっけいなものでも見たような顔をして、
お互いの顔を見るなり、笑いあった。

二人は目を閉じたままだが、向き合った。
お互いに、相手に呼ばれた、そんな気がしたのだ。

これだけの豪雨の中では不釣合いなほど、
その空間は温かみがあった。

"これも、彼女の力、だろうか?"

そうして、今度はユウジに打ち上げの音をやる番が回ってきた。

"ピュ-―――"

唇を尖らせ、器用に音を出した、その時だった。

ピピピピピピピ

『?!』
ふと鳴ったケータイの着信音が、
二人を花火大会から、現実の世界へと引き返した。
『あ、ゴメン・・・』
そういうと、ミクは持っていた巾着袋から、
ケータイを取り出した。



『もしもし? あ、お父さん・・・・』
そういうと、彼女は、
ゴメン!
というジェスチャーをして、ユウジに一言わびると、
ユウジを背にする形で、電話の応答をし始めた。

手持ち無沙汰になったユウジは、
今なお降り続ける雨の方に、目をやった。

ほんとうなら、今日は、
この橋は見物人でいっぱいになって、
この湖には花火師の船が数隻浮かんでいて、
空は黒を背景とした花火一色、

しかし、今目の前に広がっているのは
どんよりとした灰色の雲と、速く降り落ちる雨が細い棒状になって見えるだけだった。

『あ、うん、確かに、もう、遅いや・・・』

ユウジを背にして電話に答えていたミクの一言に、
ユウジは胸がクッと、なにかに締め付けられるような感覚に襲われたのを感じた。

『うん・・・・うん・・・うん、じゃあ、今から。じゃあね。』

ピッ

『ごめん、お父さんからだった。』
ミクが振り返って、とりあえず、ユウジに言った。
『あ、別に大丈夫だよ。それより・・・・』
ユウジは語尾を濁した。
『あ、うん。もう遅いから、帰って来い、って・・・・』
そういうと、ミクはまた俯いてしまった。
『そ、そうだよ、ね・・・・・』
ユウジは少しカタコトになりながら、言葉を継いだ。
『じゃあ、そろそろ・・・・』
ミクも、ユウジのように語尾を濁した。
『うん。もう、遅いしね・・・』
そういうと、ユウジも、ミクと同じように俯いた。

そうして二人とも、その場に突っ立っていた。
言葉では『帰ろう』といっているのに、
金縛りにあったようにその場を動かない二人。
お互い、分かってる。
帰らなきゃいけない。

でも、帰ったら・・・・・

この先の言葉を継ぐのが怖くて、
二人は声を出せずにいた。
少しでもしゃべってしまうと、
この、雨の中で止まっている時間が再び動きそうで。


『あ!』


ユウジの一言で、また、時の流れは
豪雨になすがままの川の如く、すさまじい勢いで動き出した。
『な、なに?』


『花火大会、まだ終わってないよね?』


『え・・・・?』
ミクは徐々に顔を上げた。
『ホラ、さっき、電話来ちゃったから・・・・』
『でも・・・・』


『大丈夫、もう、最後だから。』
そういうと、ユウジはミクの瞼(まぶた)を手のひらで閉じた。
『え・・・? え・・・・・・?』
ミクはなすがままにされ、
なにか起こるのか分からず、戸惑っていた。




と、




『135番、最後になりました。』
ふと、ユウジが改まった口調で言った。
ミクは、まだ、何が起こっているか分かった様子ではない。
『今夏の花火大会を美しく彩る、最後の花火は『ナイアガラ』。』

そう言い切ると、ユウジは一呼吸置いて、再び続けた。









『花火の名称は『アマノガワ』です。』








『!』
ミクはやっと、趣旨が理解できた。
『あ、ホラ、始まった・・・・』
ユウジは、優しい口調で言った。
『端の火薬からだんだんと・・・・』

するとどうだろうか?
目を閉じていたミクの目の前の暗闇に、
まるで目の前に本物のナイアガラがあるかのように、
光がバァァッと燈(とも)っていった。
豪雨の音が、より雰囲気をかもし出す。

『うわぁ、すごい・・・・・』
『うん、すごい・・・・・・』
『ねぇ、覚えてる?』
『なにを?』
『戸川君にだまされて、私たち、初めて話した。あの時。』
『うん。トシユキのせいだった、そういわれれば。』
『あのときさ、私、すごく怒ってたんだよ・・・・・?』
『うん。そんなオーラが出てた。』
彼女の笑い声が少し、漏れた。
『あとはずっと図書館、って感じだよね?』
今度はユウジの笑い声が漏れてきた。
『うん、ずっと。』

『でも・・・・』
ハモッた。

フフフッ
ミクは目を閉じたまま、笑った。
いつもどおり、あの"ずっと行き続けた図書館"で見た彼女と変わりない、
手を口に当てた清閑とした笑い方。

『でも、全然飽きなかった。』
ユウジが代表して続けた。
『なんか、ホントは勉強してきているのに、実際のところ・・・』
と、そこまで言いかけた時、
ユウジの目に雨の雫(しずく)がぶつかった。
ユウジは袖でその雫をふき取ろうとした。
と、その拍子で、おもわず目を開いてしまった。







"え?"







確かに、彼女が、手で口をおさえているのは
目を閉じていても明白だった。
手を口元まで持っていくときに、僕の手にぶつかったから。
でも・・・・・

彼女は、泣いていたのだった。
というより、瞼を閉じたまま、泣き笑っていた。
無論、それは、あまりに笑いすぎたからでた涙ではない。
目を閉じていたから、全然気づかなかった。

泣き笑っている彼女の横顔は、
いままで見たどの新崎ミクにも当てはまらないものだった。
まるで別人のようだった。
どこか清閑としてて、それでいて内面は子供っぽくて・・・
そんな普段のミクとは、全然、違っていた。

ユウジの様子が変わったことを察し、
ミクも目を開けた。
『あ、里中君・・・・・』
そういうと、ミクはまた、先のようにユウジを背にした。

『あ、ゴメンね・・・・
花火大会、勝手に終わらせちゃって・・・・』
『え、いや、うん。』
かける言葉が見つからない。
『うん、なんかさ、今までのこと・・・・思い出してったら、さ・・・』
そこで、背中姿の彼女はグッと力をこめて、涙に耐えていた。
『ゴメン・・・・・我慢・・・・しようと思ってた、のに・・・』
涙で、言葉がばらばらになっていた。
ユウジも、そんなミクを見ていて、思わずもらい泣きしそうになった。


と、
そのときだった。



『え?』
ユウジは湖の方を見るなり、
一言、言葉をこぼした。

『え・・・・?これ・・・・』
ユウジは、湖の方を見ると一言、呟いた。
『ねぇ、新崎さん、これ・・・って・・・・』
ユウジは湖の方を見つづけながら、
ミクに話し掛けた。
『え・・・・?』
瞼(まぶた)を擦りながら、振り返る。









『え?!これって・・・・・』







ミクは、擦っていた手を目の横に置いたまま、
しばらく、その絶景に見とれてしまった。

さっきまで、気づかなかった。
僕たちが目を閉じて花火大会に行っている間に、
遅ればせながら、店頭の照明を付け出した。
すると、

その照明が、見事な具合に湖に反射されて、
キラキラと光り輝いていた。
豪雨と言うこともあって、湖はかなり波立っているため
湖で反射した店頭の照明は、軽い乱反射を起こしてよりねキラキラと散らばって輝いていた。

回りの店頭は、今日の花火大会に備えてここぞとばかりに
カラフルな照明を出してきた。
緑、青、黄色、赤、白・・・・・・・
乱反射を起こしたダイオード達は、さながら・・・・・



『天の川、みたい・・・・・・』



ふと、ミクが呟いた。
彼女の顔は影になっていてよく見えない。
『うん・・・・・』
ユウジは一言、返した。

『ねぇ、さっきの話の続きだけど・・・』
『え?』
『あのときも、天の川、綺麗だったよね・・・・』
『うん・・・・』
『怒ってたんだよ?私。』
『うん。さっき聞いた。トシユキの友達として謝るよ。』
『その言葉も、あの時聞いたよ。』
『うん。でも、もう一回、いいたかった。』


と、ふと、


『・・・・・ホントに?』
『え?』
いきなり影から現れたミクの顔は、
怒っている顔だった。
『ホントに、謝りたいの?』
言葉を継ぐと、
ミクはユウジに問いかけた。
『え・・・?うん。
あんなところまで、わざわざ呼んじゃって・・・』
ユウジは、自分のどの行動がミクを怒らせたか分からず、
しどろもどろしながら答えた。
『ホントに?!』
ミクはずぃっとユウジに近づいた。
ユウジは少しドキッとしながら、
『う、うん・・・・・』
と、頷いた。





『感謝したくて、じゃなくて?』




『え?』
ユウジはまた、聞き返した。
『感・・・・・謝?』
ミクはまた先のように、背をユウジのほうに向けた。
『うん。感謝しなくちゃ、戸川君に。』
ミクはふうとひとつ、息を置くと、
くるっとユウジの方を向きなおして、言った。


『だって、あの日、戸川君に呼ばれなれば、
私たち、こんな風になることもなかったでしょ?』

いっぱいの笑顔で、そう言った。


そう、だ。
あのときトシユキが変な気を起こさなければ、
僕が、アイツの性格を見越してあの人口丘に行かなかったら、
彼女だって、それは同じた。
僕が、あの日聞いた数学の問題を解いてしまっていたら、
次の日の昼休み、僕が忙しくなかったら・・・・

彼女がこんなに、僕の中で大きな存在になることはなかった。

こうして複雑な事象を、
奇跡的な確率で通り抜けて、
今、僕と新崎ミクは、この、
誰もいない、8月に遅足立って現れた天の川の前にはいなかった。

運命・・・・・・?

"そう、信じたい"

『ねぇ、ちょっと・・・・』
そういうと、ミクはユウジの袖を引っ張った。
『え?』
『まうちょっと、前、出れる?』
そう言うと、ミクはつまんでいた袖を引っ張り、
ユウジと一緒に、湖の縁にあるベンチへと近づいた。

ベンチは、豪雨に当たってびしょぬれであった。
しかし、ミクは自分の浴衣の袖でふき取ってしまった。
『ちょ、新崎さん・・?!』
いきなりの彼女の大胆に行動に、ユウジは驚いた。
『大丈夫♪』
そういうと、彼女は自分がふき取った二人分のスペースの半分のところに
腰かけた。

『あ?質問?どうぞ♪』

ふと、ミクが言った。
例の、押し殺し声、で。

ユウジはすぐに、ミクが意図していることを理解すると、
『うん、また、数学だけど。
 あ、解答は、もっとがんばってから、ね?』
ユウジが気を利かせて、言った。
二人の笑い声が、豪雨の中に響いた。

隣にも、ベンチは在った。
たった一ヶ月前、僕は、彼女とあの人口丘に行ったときは、
彼女の座るベンチの隣のベンチに、それも、出来るだけ距離を取って
座っていた。
"たぶん、新崎さんがここにいるから、あのへんだったかな?"
そう、思いながら、もうひとつのびしょぬれのベンチを見つめていた。



その場所まで、距離にして1.5mくらい
いまは10cmくらい。
この、140cmが、この一ヶ月に埋められたスペースなんだ。
この、たくさんのことが在った一ヶ月の間に。
近づきすぎて、一度、ベンチを立ち上がろうとした日もあった。
でも、それは、お互い、近づきすぎて見えなくなっちゃっただけで・・・



『すっっっごく綺麗!』
さっきまで泣いていたミクとは対照的に、
今度は子供っぽく、『っ』を溜めて、目の前の天の川の綺麗さを強調した。
『うん。』
ユウジは静かに、優しく答えた。
『あの日も、こんな風に・・・・・』

『宝石箱をひっくり返したみたいに・・・』

ユウジは、ミクの言葉尻を取って、続けた。
『え?』
『あ、うん。』
ユウジは少し恥ずかしくなったが、かまわず、続けた。
『あの日も、こうして天の川見てて、
宝石箱みたいだな、なんて思ってたから、さ。』
『あ、だからいきなり『星が綺麗』だなんて・・・・』
と、いきなり、ミクが噴出しそうになって
口を抑えた。
笑い声が、彼女の小さな手から漏れ出てくる。
『あ・・・・・』
ユウジは思いがけず、一本取られてしまった。
彼女の手に隠れた笑顔は、天の川の光に映し出されて、輝いていた。

『ふぅ!』
ミクは笑いつかれたのか、
ひとつ大きなため息を勢いよく出した。


『じゃあ、そろそろ・・・・・』

そのミクの言葉に、
おもわず、ドキッ、としてしまった。
仕方がない。
ただでさえ遅い時間にこんなところにいて父親に帰って来いと言われているのに、

いつかはこの時間が来ると分かっていた。

けれど、いざ、その場になった途端の衝撃は予想以上だった。

『あ、うん・・・・』

"精一杯の言葉だった。"

ミクはユウジの言葉を聞くなり、
座っていた椅子からすくっと立ち上がると、
駅の方へと歩き出した。
ミクの傘に入っているユウジも、同じ歩調で歩いてゆく。

と、
ふと、ミクが駅へと向かうその足を止めた。
そして、後ろのほうをくるりと見やった。

ミクの目の前には、先と変わらぬ
豪雨と発光ダイオードが奇跡的に織り成した天の川が
湖一面に広まっていた。
相変わらず、赤、黄色、緑、白など、
多種多様な宝石が乱反射して、
お互いの存在を主張するよう、
それでいてお互いが引き立てあって見事に輝いていた。

『やっぱり、綺麗、だね・・・・・』

彼女が一言、そう言った。

『うん。すごい・・・・・』

ユウジもそちらを見やると、
湖を見ながら行った。

『行こっか?』
ミクは笑顔で、そう言った。
二人はまた、駅の方向に体を戻すと、
また、さっきのように歩を進め始めた。


二人は、何も話すことなく、
もくもくと歩いていた。

しかし、二人の顔はまるで違っていた。
ミクの方はというと、
さっきみた天の川がわすれられず、何度も頭の中で反復しては、
その煌(きら)びやかさに惚れ惚れしていた。
子供のような彼女がそういう顔をすると、
まるで、本当に美味しいケーキを食べた子供のようなかおになっていた。

素直にそのものを受け止め、純粋によいと思う、その顔で。

一方、ユウジはというと
道中はずっと難しい顔をしていた。

"いうべきか、言わぬべきか・・・・"

そういう、ことだ。
せっかくここまで来た。
もう二度と、彼女とこのようなシチュエーションになるようなことはないだろう。

"言わぬべきか、言うべきか・・・・"

『?』

突然、ミクがユウジの顔をのぞいてきた。
まるで心を見透かされたような感じがして、
おもわずのけぞるユウジ。
『ど、どうしたの?!』
ユウジは慌てて、自分の感情を隠した。
『あ、なんか、難しい顔してたから・・・・』
そういうと、ミクは元のように駅の方を向いた。

道はどんどん、
二人の両側を、前から後ろへと通過してゆく。
それに伴って、駅のシルエットがだんだんと大きくなってくる。
あのシルエットがシルエットじゃなくなったときが、
リミットアウトだ。

"やっぱり、言おう・・・・・・・かなぁ?"

優柔不断なユウジの性格が、
どうしても、口を開けさせない。

そしてとうとう、
ユウジは迷ったまま、
その大きなシルエットは、白い体躯を現してしまった。

『あ、着いたね!』
ミクはいつもの元気な口調で言った。
ユウジの迷いも知らずに。
『新崎さんは、あっちだよね?』
ユウジが、ある一方の方を指した。
駅の構内の分岐点を境に、
彼女はあっちに、僕はもう一方の方向が帰り道である。
『うん、あっち。』
ミクはとりあえず、ユウジの言葉を受けた。

風景は変わらないスピードで、
二人の脇を通り過ぎてゆく。

『あ、じゃあ、ここ、だよね?』
分岐点に着くなり、先に口を開いたのはユウジだった。
『うん。』
ミクは頷いた。
『今日は、すごく綺麗なものを見させていただいて、どうもありがとうございました。』
ミクはわざとらしく、他人行儀な口調で言うと、
深々と頭を下げた。
『あ、うん。どういたしまして。』
ミクの冗談とは裏腹に、
ユウジは普通のノリで返してしまった。

"というより、ノる余裕なんてなかった。"

『あ、うん・・・・』
冗談をまじめに受けてとめられてしまって、
ミクは少し気恥ずかしくなった。
『じゃあ・・・・』







『あ、待って!』
ユウジが、背中姿の彼女を呼び止めた。
『え?』
ミクは驚いてその場に立ち止まると、
ユウジの方に駆け寄ってきた。

『どうしたの?』

『えっと、・・・・・・』

"好きです!"

『?』
ミクは優しい笑顔で、ユウジのことを見つめている。

"僕は新崎さんのことが好きです!"
心の中では何度も反芻しているのに、
いざ、口に出ない。

『えっと、あのさ・・・・・』

"好きになってしまいました!"

























『明日、さ、来るの?』











『え?』
ミクは思わず聞き返してしまった。
『だから、明日、さ、図書館、また来るのかな?と思って。』
ミクはしばらく、ぽかんとしていたが、
『う、うん。お互い誤解だったしね。
それより、里中君こそ、絶対来てよね?
あの日から問題集止まっちゃってるんだから。』
そういうと、ミクはすこし口を尖らせて言った。

『うん、絶対行くよ。』
ユウジは静かに、そう言った。
『約束ね?』
『うん。』
ミクは確かめると、パァッと、夜の構内の真ん中で光る笑顔を
見せると、改めて自分の家路に着いた。

ミクの背中がだんだんと小さくなってゆき、
ゆがて、夜の中に消えるのを、ユウジは見守っていた。


『はぁあ・・・・・』
自分のふがいなさに、思わずため息。
あそこまで来て、僕はなんて意味のないことを言ってしまったのたろう・・・・・・
あんなこと、いつでも言えるのに・・・・

"でも、その、『いつもどおり』が逆にいいのかもしれない"

"明日になれば、また話せる。"

"僕はあの図書館にいる以上、世界で一番、"言える"チャンスを握っているのだから"




『問題、解いておかなくちゃ・・・・』
ユウジは一言、そう呟(つぶや)くと、
家路に着いた。







『はぁあ・・・・・』
9月5日、
すっかりと晴れ渡り、渇いたために奥行きの増した秋の空に、
ユウジはため息を投げていた。
あたりでは、
『おい、テスト、どーだった?!』
『うん、普通にやべえよ・・・・』
なとど、つい先日行われたばかりのテストに対する感想が話されていた。

『おい、ユウジ!』
ふと、教室の奥の方から、
トシユキの呼ぶ声がした。
『なんだよ?』
窓に寄りかかっていた体をそのままに、ユウジは答える。

『テスト、どうだったよ?』
トシユキは相変わらず、一番近くにあった椅子を引っ張ってきて
勝手に使用している。
その席の持ち主の女の子は、トシユキの先の方で
迷惑そうな顔をしていた。
そんなことも知らず、トシユキは話を続ける。
『なぁ、テ・ス・ト!
どうだったよ?今回は?』
『うん。別にいつもと変わらなかったよ。』
ユウジはそっけなく答えた。
『かーーー!
じゃあ、結構取ってるんだ!マジかよぉ・・・・・・』
トシユキはわざとらしくオーバーにリアクションした。
『バカ。』
ユウジはそのまま、また、秋の澄み切った空に目を向けた。



『天の川でもかかってっか?』



『は、はぁ?!』
いきなりのトシユキの言葉に、
おもわずビクッとなってしまった。
『ハハハ、冗談だよ、冗談♪』
そういうと、トシユキは勝手に使っていた椅子から立ち上がると、
教室に帰ろうとした。

と、

『!』
トシユキが、何かを思いついたようにして、
踵(きびす)を返すと、ユウジの元に舞い戻ってきた。
トシユキはいきなりユウジの耳元に口を近づけると、

『お前の奥さんもけっこうな点数らしいぜ?
 夫婦そろってワン・ツーフィニッシュ、ってか?!』

『バ、バカ!』
いつもどおりの、ユウジのトシユキのかわし方だったが
『夫婦』という名前を聞いた途端、
自分の顔がだんだんと熱くなってくることを感知し、
ユウジは落ち着いていられなくなった。
『ま、まだ数学が返ってきてないからな。
楽しみにしてようや!』
そういうと、トシユキは改めて、教室へ帰っていった。

トシユキの言うとおり、
ほとんどすべての教科は返ってきたが、
まだ数学だけが返ってきてなかった。
そして、今日の二時間目、
ついにその教科が帰ってくる予定なのである。

そして、運命の二時間目。

『おーし、じゃあ、テスト、返すぞぉ。』
そういうと、先生は器用に数学のテストの束を広げると、
一人ずつ返そうとした。

この学校の、特殊な体制のひとつに
『成績順・テスト返却』というものがある。
呼んで字の如く、成績どおりにテストが返却されるのである。
プライバシーの侵害ではないか、と、
生徒はいつも愚痴を叩くのだが、
『だったら成績上げて、ばれてもいいような点数にしろ』
これが教師の言い分である。

やっぱり、少し変なところがある。

『じゃあ、一番は、と・・・・』
そういうと、先生は扇状に広がったテストの、
点数の記入された部分をササッと見て、2枚、別の部分に分類した。
『はい、じゃあ、まず90点第から。』
そういうと、先生はあたりを見回した。
生徒の反応が見ていて面白いらしい。

この空白の時間の間に、
ユウジはチラッと、ミクのほうを見た。
ミクは、いつもの(もう私服を見慣れてしまったから、なんとなくいつもの、ではなくなってしまったけど)
あの清閑とした姿にぴったりとフィットした制服をきていた。

うん、やっぱり、新崎さんは制服が一番似合ってる。
って、勝手に思ってるだけだけど。

『じゃ、かえすぞ!』
先生が、すこし強調していった。
ミクがその声にびっくりして、肩をビクッとさせた。
ユウジはそれを見ていて、
"新崎さんらしいな"
と、微笑んでいた。
『おい、里中、なんか面白いことでもあったか?』
先生がめざとく、笑っているユウジをみつけると
からかい口調で言った。
『い、いえ・・・・』
『なんだよ、自信でもあんのか?』
『いや、そういうわけじゃ・・・・・』
ユウジがミク口調で語尾を濁すと、
先生は微笑みながら首を振った。

『ったくよぉ・・・・・』

しばらく間があって、先生は口を開いた。

『ほれ、お前が一番だ。
もってけ!この野郎!』
そういうと、先生はユウジの解答用紙を前に突き出した。

『さて、次だけど・・・』
ユウジが解答用紙を受け取り、
席に戻ると、また、あのへんな緊張感があたりを包んだ。

『まぁ、こいつも里中と一緒の点数なんだけど。』

『?!』
思わず、見直しをしていた顔を上げてしまった。

『夫婦二人で、ワン・ツーフィニッシュか?!』
朝のトシユキの言葉が耳でリフレインする。

"まさ、か?"

『新崎!お前だ。ほれ。』
そういうと、先生はミクのテスト用紙を
ユウジのときと同じ格好で、前に突き出した。
ミクは笑顔になって立ち上がると、
ゆっくりと歩を進め、解答用紙を受け取り、帰ってきた。
途中途中で、ミクの友達の女子に
『すごい!』
と、祝福の言葉をかけていた。
その言葉をもらうなり、ミクは
『そんな、偶然だよぉ・・・・』
と、照れ隠しに笑顔で、謙虚に祝福を受け止めていた。

『はい、じゃあ、この後80点台は団子状になってるから、
どんどん取りに来い!』
先生がそう言うと、どんどん生徒の名前が呼ばれていって、
そのたびに呼ばれた生徒が立ち上がっていった。

一気に名前が呼ばれたため、
場の雰囲気はさっきとは打って変わって
和やかなものとなった。

と、

ピラッ

一枚のメモ用紙が、ユウジの目の前に落ちてきた。
『?』
ユウジは最初、不審に思ったが、すぐ、送り主が誰だか分かった。

そのメモ用紙は綺麗に折れたたまれていて、
その表の部分に、こう、かかれていた。

"拝啓 彦星様へ☆"

『!?』
ユウジは黙ったまま驚くと、
机の下に、それを隠した。
そして、おそるおそる、折られていたメモ用紙を開いてみた。

"テスト、やっぱり図書館で勉強した甲斐があったよね?!
すごくうれしかった♪"

"と、話は変わりますが、"


少し間が開けられていて、こう、続けられていた。



"このテストで、わかんない問題があります。
今日、図書館、来てくれますか?(^^)"

そして、最後には、


"15.9光年の川を飛び越えて  from 織姫"


こう、締めくくられていた。
ユウジは驚いてしまって、
おもわず、机に足をぶつけてしまった。

痛がりながら、おそるおそる、和気あいあいとした雰囲気の
生徒達をすり抜けて、彼女の姿を見てみると・・・・・

"図書館、きてくれますか?"

そう言っていた。
いや、ユウジの勝手な解釈だから
『そういっていたように思えた。』
が正しい、か。

とりあえず、ユウジはミクに対して、
コクッと、了承の意味を沿えて頷いた。



(^^)



彼女は、いつもの笑顔で応答した。、
この夏、なんども見た、
でも、いまだ見ても不思議な力で、ユウジの元にやってくる、その笑顔で。

織姫との、生徒達の川をはさんだ応答が終わると、
ユウジはふと、
窓から開けている秋空を見つめた。



つい二ヶ月前、
僕はあの空に、天の川を見ていた。
彼女と一緒に。
それも、数学の問題を解きながら。

そして、二ヶ月の月日をかけて、
僕、『彦星』は、濁流の天の川の中、『織姫』の元にたどり着くことが出来た。
すごい勢いの川だったが、
あらためて振り返ってみてると、
とても綺麗な顔をした川だった。


発光ダイオードの宝石を散りばめた、湖上に広がる

『アマノガワ』

本物ではないから、あえてカタカナ、で。

"きっと本物の、川幅15.9光年もの天の川は、もっとすごい勢いだろうから"

"そんな濁流を乗り越える先輩『アルタイル』に、敬意を表して。"

ユウジはそんなことを考えながら、
ミクがどの問題を間違ったのか、と、
生徒の雑踏の中、考えていた。

Fin


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