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2009年01月29日
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私には二つ下の妹がいる。現在、同じ市内に住み(去年までは同じマンションに住んでいた!)、私と同じく二人の子どもの育児をしている。そんな彼女の旦那様に、辞令が出た。海外異動しかも、「ギリシャ」だと。外資系の商社勤めだったので、海外勤務の可能性はあったが、よりによって、ギリシャとは。「ギリシャ神話、オリンピック、白い壁、青い海・・・」以上。それくらいしか浮かばない、縁もゆかりもない土地。旅行でもかすったこともなかった。しかし、サラリーマンは会社の命令に背くこともできず、今年の夏、発つことになった。寂しくなるなあ、と同時に、私には残された両親のことが頭をよぎる。「頼りになる親」→から「いづれ面倒をみることになる親」へ確実にシフトしつつある親のことで、正直少し気が重くなった。実は妹は私よりは両親と良好な関係を築いていて、特に母親とはしょっちゅうメールや電話をやりとりし、話もあう良くある「姉妹のような親子」。私は、それを横目で見つつ、イマイチ入れないでいる見かけ「しっかりものの長女」。そう、しっかりなのは見かけ倒しで、私はいつからか、両親と距離を置くようになった。書くと長いストーリーになるので割愛するが、高校生くらいからだろうか、私は明らかに家庭より、学校や外の世界に重きを置くようになった。それは、その年頃なら当たり前のことなのだろうが、私の場合、父と母を取り巻く不穏な空気の「交通整理役」に疲れていたことが主な理由だった。そして、社会人になって二年目、貯金も少しまとまったので、家を出て一人暮らしをはじめた。心のなかに、親から「逃げた」感覚があったのは否めない。普通の自立とまたそれは少し違うように思えた。不思議なことに、同じ屋根の下で育った妹には、そういう空気がなかった。彼女は当たり前のように、親との距離感は変わらないまま、結婚、出産をした。私から見れば、少々親離れ子離れができないでいるようにも見える位だった。ギリシャ行きが決まって、何が一番不安かと聞いてみたら、「今まで親と離れたことがないから、それが不安」だと。私が「弱っていく親を看るのが自分だけになるのが気が重い」と言うと、お互い「あらそうなの」と笑うしかなかった。ここだけ見ると、どこまでも私が親不孝ものになるのだが、それは否定しない。正直な気持ちがそうなのだから。私は思わず言った。「ギリシャに行くのが私で、イバラキに残るのが妹だったらよかったのにね」。そうすれば、あっちもこっちも丸く収まるのでは。でも、人生そう甘くはない。たっぷり課題のある方へ道は用意されている。要はそれを「越えなさい」ということ。わかっちゃいるけど、気が重い。でも、人生前に進むしかないんだな。
2009年01月15日
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色々あった正月も過ぎようとした先日、いつものように、ネットでその日のニュースをチェックしていた。すると、信じられない一文が。「ユニコーン!16年ぶりに、まさかの再結成」ほとんどの方にとっては、どうでもいい話なんだろうけど、私は椅子から立ち上がり、血圧上昇、おまけに涙まで出そうになる。「う、嘘でしょ??」「ユニコーン」というバンドがそれこそ、20年ほど前のバンドブームの時代に居たことは大体のひとが「知ってる」。とりたてて、大きなヒット曲もなし。アイドル的なルックスもなし。解散も人知れずこそっと。それでも、今の若い世代のバンドにも、ひそかに支持を得ているらしく、あちこちでカバーなどされているので、地味に知名度はある。だだ、私にとっては「青春そのもの」?「昔の恋人」?なくらいの存在なのだ。いつも自分のそばにあった音楽。音楽というより、存在。誰でも経験するように、「手の届かない人」にハマった恥かしい青春。コンサートはもちろん、雑誌、CDはほとんど手に入れ、大好きだった奥田氏に関しては、出身の実家を訪ね(ピンポンはしてないけど)、出身高校に潜入し、奥田氏元バイト先で彼考案のメニューを食し、親戚に頼んで名前入りのサインを入手し・・・とストーカーっぽく追い掛け回していた。アホですわ。私の愛情もきっと届いているなあ、というばかげた実感(妄想)もありついには、私のために曲まで書いてもらい(「陽」という曲です)。。。と幻想だか現実だかはもうどうでもよいくらいの存在だった。ずっとずっと奥田民生氏が好きなんだと思っていたが、どうやら、「ユニコーン」の音楽が好きだったようだ。だから、ソロで活動している奥田氏にはあまり触手が動かず、今回の再結成のニュースにワナワナしてしまったのだろう。何がどんなに良いかは、もったいないから教えないことにする。どうしても聞きたい方は気が向けば個別に。しかし、音楽の力はすごい。もうどこかへ千切れ飛びそうな記憶ですら、連れ戻してくれそうだ。久しぶりにCDを聴くと、記憶のあちこちが融解する。そして、とにかくとにかく心細かった私を確実に「満たして」くれた彼らが帰ってきてくれたことを、心から喜んでいる。母親になって、改めて思う。彼らがかっこつけもせず、偉ぶりもせず、ただ真面目に、とびきり可笑しく見せてくれたものがやっぱりこの子たちにも必要なんだよなあ。わからない人は、とにかく聴いてみてくださいな。ただし、「君を守りたい」だの「輝く未来に向かって」だのとは全然違う世界ですので、だら~んと聴いてください。でも、ちゃんと作られた「作品」なんだな。共感できる人が周りに居ないのがサミシイが、私にとっては、とにかくハッピーなニュースだった。もちろん、行きますともコンサート。ああ、楽しみ楽しみ。
2009年01月06日
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2009年01月06日
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2008年が終わった。一昨年よりは、少しはパソコンに向かう時間がふえたが、相変わらず細々としか書くことはできなかった。引越しによって、新しい生活が始まったので、それに適応しているうちに一年が終わった。子どもが成長するにつれ、色々行動範囲が増えたので、親子で楽しい時間を沢山共有できたように思う。なんだかとても忙しかった秋、反動で沈んだ12月。それでも、クリスマスは子どもたちとあれやこれやと楽しみ、大掃除、お正月の準備をとつつがなく事を運ぼうとしていた矢先、実家の父がやってくれた。おせち準備のために、実家へ行くと、そこに救急車が。ヤな予感。そばに居た近所の人に、「はしごから落ちた」と聞いて、救急車のドアをノックした。やはり父だった。幸い意識はあったが、そのまま救急病院へ。残念ながら、脳内で出血が見られ、そのまま入院することになった。外傷性くも膜下出血とのこと。手術の必要はなかったが、出血量はかなりあったようで、今後のさまざまな後遺症が説明された。とりあえず、帰ってきて、おせちなどを作ってはみるものの、正月な気分はどこかへ行ってしまった。そうこうしているうちに、年が明けてしまった。しばらく父の入院は続きそうだが、こちらはこちらで新しい年をはじめるしかない。今年は、春から下の息子が幼稚園に入るため、やっと自分の時間を少しもてるようになる、ということだけが決まっている。その時間の使い道などは、未定。仕事、その他何か新しいことをはじめることはできるのだが、はっきりと「これ!」と思えるものは見つかっていない。でも、なんとなく楽しみにしているのも事実。子どもがようやく手を離れたら・・・と思ったら、忍び寄る親の老い。人生うまい具合に、飽きさせないストーリーが用意されている。うちの場合、父は今回のことに限らず、病気のデパートのようにさまざまな持病を抱えている。そして、去年秋には母の頭に腫瘍が見つかった。その治療も、今後必要になってくるだろう。病気、そしてゆくゆくは介護という形で親とかかわっていく日が確実に近づいてきた。そして、こともあろうに、頼りになる妹一家の海外転勤!の話。逃げ場なし。あ、別に逃げるつもりはないのだが、明らかに私の「宿題」の締め切りが近づいてきた。それは、子育て中にむくむくと顔をだした、自分の親への「感情」。これから、親と向き合っていく前に、なんらか収まりをつけておかないといけないのはわかっている。そして、それはこれからの自分の子育てにも、大きな影響を与えるんだろうなあ。しかし、気が重い。新年早々、テンションが低くてどうかと思うが、客観的に見れば、色々な意味で、自分が楽になれるチャンスなのかも、しれない。でっかい石がどーんと自分の前に鎮座している。いつからこんなに重たくなってしまったのか、思い出せない。でも、その存在だけは嫌でも感じずにはいられなかった。いっそ背負って歩こうか。ひょいと乗り越えていこうか。見えないくらい遠くへ飛んでいけるかな。今年もまた、「先の見えぬ」お正月。でも、いつものことなので、ちょっと笑えるよ。
2009年01月05日
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