(前回の続き)
尾崎行雄
さんはいた。一見、どこにでもいる普通のおじさんだけど、忙しそうに料理を作る両腕は、まるで丸太のようにぶっと(太)かった。元豪腕投手の名残なんだろうか?
手の動きが止まるのを見計らって、テーブル席から声をかけた。
ボク 「マスター、誕生日は9月11日でしょ」
尾崎さん 「えっ、何で知ってんの? テロのあった日だよ」
ボク 「そうそう、リメンバー9・11...」
こんな突拍子もない話題から始まった会話だったけど、掴みとしてはOKだった。その後、しばらく話は続き、ボクの興奮はなかなか収まらなかった・・・。内容は書かない。
今後はこのお店に通い、じっくり話を聞いて、承諾を得た上でこのブログに書けたらうれしい。
(写真)サイン色紙「耐えて勝つ 東映フライヤーズ 尾崎行雄 19」
ボクは尾崎行雄さん(浪商高中退-東映)の現役時代をリアルタイムで見るほど年をとっていない。ただかつて豪腕と呼ばれるほど有名な投手だったことや、甲子園では法政二高と三度にわたる激戦を演じたことは日本野球史の名勝負であると知っている。
また子供の頃「プロ野球選手名鑑」という本を読んで、尾崎さんの誕生日が9月11日だと知り、いまだにそのことを覚えている。理由は簡単、ボクも同じ誕生日だから。そんなどうでもいいことが会話の掴みになったのだから嬉しい限り。
■いま手元に雑誌『高校野球 忘れじのヒーロー』(ベースボール・マガジン社、2007年刊)がある。この中に「スーパーライバル対決」という特集があって、見出しには「快腕と豪腕の追憶。1960年夏、1961年春夏―三たび激突した。史上最強の好敵手同士が語り尽くす、わが青春の甲子園」と書かれている。
尾崎さんを語るとき、エース・ 柴田勲
さん(後に読売)を擁した法政二高との三度にわたる対決は外せない。このふたりの対決を振り返る。
(写真)『高校野球 忘れじのヒーロー』(ベースボール・マガジン社刊)
≪アーカイブ≫
「豪腕」浪商高・尾崎行雄と「快腕」柴田勲の最初の対決は1960年夏、甲子園2回戦だった。
(1)1960年夏 2回戦(8月15日)
法政二高 4-0 浪商高
法政二 000 000 040 =4
浪商高 000 000 000 =0
(法)○柴田、(浪)●尾崎
この時、尾崎は1年生、柴田は2年生だった。
柴田「あの年、慶應高校に渡辺泰輔(慶應大‐南海)さんという剛速球投手がいてね。僕らはその渡辺さんを打てないと甲子園に行けないというんで、速いボールを打つ練習はかなり積んでいたんだよ。でも尾崎君の球は速かったよ。手元でピュッと伸びてたもの」
尾崎「たしかに速かったかもしれないけど、僕の場合は速いだけ。その点、柴田さんのピッチングは、制球力といい配球といい、ほぼ完成されていましたものね」
(以上、前出の『忘れじのヒーロー』より引用)。
補足のため、別の書籍から以下に引用。
「スコア0-0で迎えた8回、カーブを多投し疲れの見えた尾崎を攻略するため、法政二高の 田丸仁
監督は打者に外角のストレートとカーブに的を絞らせ、一挙4点を奪い勝利を決めた。その後も勝ち進んだ法政二高がこの大会を制した」
(『甲子園-名投手物語』 鈴木俊彦著、心交社刊)
(2)1961年センバツ 準々決勝(4月3日)
法政二高 3-1 浪商高
法政二 000 020 100 =3
浪商高 010 000 000 =1
(法)○柴田、(浪)●尾崎
柴田「尾崎投手は前年の夏よりもさらに速球に磨きがかかっていた」
尾崎「打倒・法政二高で燃えていましたからね(笑)。自分で言うのもなんですが、1回戦の日大二戦は17奪三振、2回戦の明星戦は14奪三振でともにシャットアウト。ほぼ完ぺきの状態で法政二戦を迎えたんですよ」
柴田「うちとの試合でも最初から飛ばしていたんだよね」
尾崎「たしか4回までノーヒットで毎回の7奪三振。味方も2回に1点取ってくれたんで、今度は行けると思ってたんですがね~」 (『忘れじのヒーロー』)
「事実上の決勝戦とも言われたが、イレギュラー打球の不運などもあり、浪商高は再び法政二高の軍門に降った。その後、法政二高はこの大会でも優勝した」
(『甲子園―名投手物語』)
(3)1961年夏 準決勝(8月19日)
浪商高 4-2 法政二高
浪商高 000 000 002 02 =4
法政二 100 100 000 00 =2
(浪)○尾崎、(法)●柴田
尾崎「8回を終えて0対2と2点ビハインド。でも不思議と負ける気はしなかった。それは柴田さんが肩か肘を故障しているという情報が入っていたから」
柴田「あの時はもう腕が上がらない状態。なんとかだましだまし投げていたんだけれど、9回表に一死からデッドボールを与えてしまって・・・。その後連打を喰らって二死満塁。迎えたバッターは5番・ピッチャー尾崎」
尾崎「たぶん、あの打席まで柴田さんから一本もヒットを打ってなかった。でもあの打席は不思議と落ち着いていた。そしてカウント2-2からの5球目、ションベンカーブが肩口からスーッと入ってきた。変化球は苦手でしたが、さすがにアレは打てました」
(『忘れじのヒーロー』)
「打倒・法政二、打倒・柴田が浪商ナインの合言葉だった。燃えに燃えて臨んだこの試合は延長11回の末、三度目の対決でやっと初勝利。そして浪商は決勝も勝利し、この大会の優勝を決めた」
(甲子園―名投手物語)
「延長11回表、無死一・二塁から、併殺を狙った二塁手のエラーで1点を勝ち越し、さらに尾崎の犠飛で2点を奪い、法政二を4-2で破った。決勝戦では、森川勝年(慶應大‐松下電器)がエースの桐蔭高を3安打で完封して優勝した。2年生の尾崎投手は5試合で54奪三振をマーク、翌年の活躍が期待されたが、11月に高校を中退してプロ入りした」
(『高校野球 甲子園全出場校大事典』、森岡浩編、東京堂出版刊)
次回に続く。
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