とある田舎の喫茶店

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一番の願い事 NEW


 青年と少女が出会ったのは、小さな孤島が一つしかない草原のエリアだった。

 偶然このエリアに降り立った彼は、海岸に膝を折って座っている少女をその視界に見つけた。
 モンスターも宝箱もないエリア。彼は引き返そうとしたが、あることに気づき動きを止める。

 (泣いている、のか……?)

 ここからはほとんど少女の背しか見えないが、どうやら腕の中に顔をうずめているらしかった。
 青年は迷う。ここで話しかけるべきか、放っておくべきか。
 だが、考えるのもわずか、彼は少女へと近づいていった。
 青年は元来自他共に認める世話焼きだった。少女が泣いていて彼女が求めるなら話を聞こう。泣いていないのなら知り合いになればいい。そう気軽に考えつつ、彼は少女へと声をかけた。

「こんにちは」

 できるだけ穏やかな口調で話しかけると、少女ははっと顔をあげた。
 その頬には予想通り涙がつたっている。
 少女は慌てて涙を拭うが、どうやら突然のことすぎて自分がどうすればいいのかわからないようだった。その隙に青年は少女の横へと腰を下ろすと柔和な笑みを浮かべて見せた。

「こんなエリアを偶然見つけられるなんて俺たちはラッキーだな。自分だけの時間に浸りたい時にぴったりだ」

 彼はそう言うと、視線を少女の瞳から遥か遠くに見える水平線へと移した。
 当然ながら少女は戸惑った顔を浮かべる。それでも立ち去ろうとしなかったのは青年の持つ柔らかい雰囲気ゆえか、彼の横顔をひたすら眺め続ける。
 するとおもむろに視線を変えぬまま彼は言った。

「俺でよかったら話を聞こう。もし君が望むのならできる限りの力を貸そう。もし俺のことを鬱陶しいと思うのなら立ち去るなり殴るなり好きにすればいい」
「え……?」

 青年は目を丸くしている少女へと笑みを見せた。

「今の言葉、知り合いの受け売りなんだけどさ、俺はその言葉で救われたんだ。だから俺はその知り合いみたいになりたくて、いつの間にか世話焼きになってた」

 突然の身の上話に戸惑いつつも少女は彼の顔を見つめる。
 そんな不安を払拭するように、彼はよりいっそう笑みを濃くした。

「俺はシャク」

 その言葉はまるで手を差し伸べるような優しさを持っていて、少女は自然と口を開いていた。

「ルカナ……わたしは、ルカナ」

 少女の声は彼が思っていたよりもずっと幼いものだった。
 だが、シャクは動ずることなく、少女の名前を頭の中で反芻した。

「ルカナか、いい名前だ」

 シャクの本心からの言葉に、少女は思わず頬を桃色に染める。
 それを見た彼はまるで妹を見守る兄のように優しい笑みを浮かべた。

「もしよかったら話してよ。君がなんで悲しんでいたかを。俺でよかったら聞くし、力になるよ」

 もはや少女に警戒心はなかった。
 しかし、気恥ずかしさはまだあるのかシャクから視線を外すと、ほんの少しの間を置いてから腕に顎を乗せながら言った。

「仲間だと思ってた。だけど、むこうは……」

 少女は再びさきほどの出来事を思い出して思わず目に涙を溜めた。

 ――今度のイベントどうするぅ? ルカナ、仲間はずれにするとグズるでしょ。
 ――でもしょうがないだろ。まだそういう年頃なんだし。
 ――……正直、めんどくさいよなぁ、子供がいるとさ。
 ――あー、それ私も思ってた。なんかさ、お守してるみたいな気分になるんだよねー。遊んでるんだけど疲れちゃう感じ。

 ルカナにとってギルドの@ホームは一番心が安らぐ場所だった。
 そこで話されていた自分への思ってもいなかった評価。
 そのやりとりは、一瞬にしてルカナを奈落へと突き落とした。まるでこの世界から見捨てられたように、ルカナの心は深く傷ついて、気がついたらこの場所に来ていた。

「……っ…………~~~~ッ」

 涙が出そうになるがルカナは目元をぬぐうことでそれをなかったことにした。
 それでも再び涙があふれ出そうになるが、今度は唇を噛むことでぐっとこらえたる。
 それを見たシャクは思う。

 (……強い子だな)

 信頼していた者に裏切られるという状況になってもなお、人前では泣こうとしない。
 泣くのをを我慢しているということは、それは演技や偽りではないということだろう。
 この幼くも芯の強いルカナは、プレイヤーをそのまま映しているのだ。
 果たして自分が彼女と同じ境遇に遭ったとき、同じように振舞えただろうかとシャクは一瞬考えるが、すぐに心の中でかぶりを振った。
 今大事なのはそんなことではないと思ったからだ。

「ルカナが今一番望んでいることはなんだ?」
「え……?」
「お前の一番の願い事。それを俺が叶えてあげるよ」

 それは彼の信条だった。
 少女の詳しい身の上を聞いてから自分の感情を踏まえて行動を決めるのではなく、少女が本当に望むことを必ずしようというポリシーから、彼はそう言ったのだ。
 同時にシャクは、自分の感情を踏まえるまでもなく、彼女が求めるものは邪なものではないということをこの短い間で確信していた。
 そしてシャクの予想通り、彼女はほんの少し考えた後、思いをぶつけるように言葉を吐き出した。

「わたし、仲間が欲しい。本当の仲間が欲しい」

 シャクが見た少女の瞳には強い意志が宿っていた。
単なる願望という意味の意思ではなく、絶対に本当の意味での仲間を得るという“意志”が。
 何がそこまで彼女の思いを強めているのか。少女のリアルの年齢を推測すれば、リアルでどういった事情があると少女のようになるのかは想像に難くない。
 だがそれはシャクにとってはささいなことでしかなかった。
 シャクにとって一番大事なのはその人の一番の願い事を叶える、つまり幸せにするということなのだから。
 だが次のルカナの言葉は、シャクの予想から大きくずれていたものだった。

「シャク、わたしの相棒になって!」
「え? あい、ぼう?」
「うん! わたしの一番の願い事は、シャクが相棒になってくれること――!」

 シャクにとって、その言葉は完全に不意打ちだった。
 今まで旅人のようにこの世界を歩いてきたことで数多の出会いを経て、その中で数多の幸せを生み出してきた。

 PKをされて悔しいと嘆いていた少年には鍛錬に付き合い、過去になす術もなく敗れたPKを返り討ちにするまでに成長させた。
 失恋によって傷ついていた女性には、今までのプレイスタイルによって築かれた知人関係の広さを利用して、相性のよさそうな友人を紹介してあげた。
 このゲームがおもしろくないと言っていた男には今まで自分が出会ってきた人間がしていたことをすべて話してあげた。
 だが今までのそれはすべて、自分の立ち位置というのは必ず決まっていた。

 それは“仲介者”だ。

 あくまで少年を強くさせるだけにとどまり、その先の仲間になるというところまではいかない。
 あくまで友人を紹介させるだけにとどまり、自分が彼女と関係を持とうということはしない。
 あくまで経験を話すだけにとどまり、自分が共に経験を積んでいこうということはない。

 その人と成功の間に入る仲介者になろう。それが彼――シャクのプレイスタイルだった。
 だから必要以上には踏み込まなかったし、実際PKに勝てるくらい強くなりたいと願っていた少年の「仲間になってくれ」という頼みも丁重に断った。それは少年の一番の願いが「強くなる」というものだったからだ。その願いの達成基準はかつて破れたPKに勝つというものだった。仲間になってくれという彼の願いは、仲介者として接しているうちに彼が得た感情にすぎない。
 ここで、人に幸せを与えるために旅人のようなプレイスタイルをとっているのなら矛盾があるのでは、という疑問が生まれる。
 だがシャクのたった一言でその矛盾は解ける。
 仲間になって欲しいという願いを断られ、「なんでだよ!」と抗議の声をあげるかつて己の弱さを嘆いていた少年にシャクは言った。

 『たくさんの人の幸せを見ることが、俺にとって一番の幸せだからさ』

 他人だけでなく自分も幸せにする。それがシャクという人間だった。
 だからシャクは決めていた。
 出会った人が一番強くこうありたいと思っていることを叶えてあげよう、と。
 そうすれば自分はより多くの幸せを与えることができて、同時に自分はより幸せになれる。そう思っていた。
 もちろんできる限りのことだが、今まではそんな自分の中のルールを遵守してきた。
 だが、彼女は言った。
 一番の願い事は、シャクが相棒になることだと。

「えっと……それは……」
「…………無理なんだ」

 一瞬迷ったシャクを、返答を待ち受けていたルカナが見逃すはずがなかった。

「え――」
「無理なんだ。一番の願い事叶えてくれるって言ったのにっ、言ったそばから前言撤回するんだ!? もういーよ。どうせわたしなんて仲間にする価値なんてないんだ!」
「いやそれは違う!」

 プイと顔を背けるルカナにシャクは思わず声を荒げる。
 実際そんなことは思っていない。
 しかし完全にシャクに対する信用を失ったルカナは視線を合わせないまま静かに言った。

「帰ってよ」
「……」
「帰って! バカにするだけなら帰ってよ! ここにはわたしが先に来たんだから!」
「わかったよ! 相棒になる! ……俺は君の相棒になる」
「……同情ならいらない」
「同情じゃない。俺が一番の願い事を叶えるって言ったのは嘘でも冗談でもない。100%本気だ。だから、俺は君の相棒になる」
「別に無理しなくてもいいよ」
「……意外と強情なんだな……」

 そう言うと、今度は完全に背を向けてしまった。
 これにはさすがにシャクも呆れてしまう。
 ここまで言って信じてもらえないというのは、シャクにとってはじめての経験かもしれなかった。
 なぜなら、本人は気づいていないがシャクは幾人もの願い事を叶えていくうちに、人と接する時により適している雰囲気というものを持てるようになっていたからだ。
 それは徳の高いお坊さんにも似ているが、シャクのそれはもっと微妙な、言われなければ気づかない程度のものだ。
 しかし、そのおかげで実際にシャクは初対面の人と話したとき、かなりの高確率で信用される。
 ところが今回はばかりはそう簡単にはいかないようだ。

 (もっとストレートに言わなきゃ伝わらないか……)

 そう思ったシャクは若干視線を他所へ向けながらも言ってのけた。

「あー……っと、こう言えばわかるか? ……俺はルカナのことが気に入った」
「え……?」

 思わずルカナが振り向く。
 シャクにとっては実際に思ったことだから嘘ではないのだが、このような半ば告白じみた言葉を自分と歳の離れている少女に向かって言うのはなんだか妙な感じがした。
 シャクでさえそんなふうに思っていれば、当然多感なお年頃であるルカナの顔も赤くなろうというものだ。

「ななな――、い、いきなりなに言って――」
「いや、だからさ。個人的にさ、ルカナみたいな性格は嫌いじゃないんだよ。だから相棒になるのも悪くない」
「~~っ、まぎらわしいこと言わないでよっ!」

 (やっぱり子供だな~)

 久しぶりにこの種の笑みを浮かべたシャクに、ルカナは猛然と食ってかかった。

「なに笑ってるのよっ! バカにしてるでしょっ!?」
「してないって。わっ、こら、相棒に暴力を振るうな。それでもお前相棒か!」
「――っ……」

 ポカポカと力のない拳を振り回していたルカナだったが、シャクの言葉でふいにその動きを止めた。

「ん? ……どうかしたのか?」
「……本当にいいの? わたしの相棒になんかなって。……わたし子供だし、めんどくさいし、わたしといると絶対につかれるし」
「まあ、それはすでによくわかった」
「――っ」
「でも、楽しそうだからいい。今まで自分にとっての幸せってのをひとつに括っていたけど、お前の願い事聞いて全部吹っ飛んじまった。なんだか世界が変わったみたいだよ」
「……意味わかんない」
「だろうな」

 そうして二人はどちらともなく空を漂う雲を眺め始めた。
 まるで二人の間に流れている時間が同じものであるということを確かめるかのように。
 今、この時からシャクのThe worldにおける歩み方は変わった。
 今までは他人と幸せを繋ぐ仲介者として歩いてきたが、それもひとつの“一番の願い事”を引き換えに終了となった。

「シャク、なんか変な顔してる」

 そんなシャクのことを知らないにも関わらず、早々にシャクの微妙な表情の変化を読み取るという相棒っぷりを発揮したルカナに、シャクは苦笑いをしてみせた。

「どこかの誰かさんに予想外の場所からとび蹴りを食らわされたからだよ」
「わたし軽く殴っただけで蹴ってないよ?」
「やれやれ、これだからお子様ゴフッ」
「ごめん、やっぱり蹴ってた」
「過去形じゃねえだろ過去形じゃ。……見くびってた。お前がまさかここまで傍若無人な娘だとは」
「それは残念でした~」

 ぺろっと舌を出すルカナ。シャクはそれを見て「やれやれ、先が思いやられるな」とルカナに聞こえない声でつぶやいた。
 そう言いながらも顔は自然と綻んでいる。
 再び心地好い沈黙が訪れ、数十秒が経ったとき、ルカナが口を開いた。

「ねえ、シャクにとって一番の願い事ってなに?」
「俺の一番の願い事は……多くの幸せをこの手で生み出して、それを見て自分が幸せになること、かな。今までそういうことをしてきたつもりだったけど、それも今日で終わりだな」
「なんで?」
「お前の相棒になったから」
「え……?」

 ピタリとルカナの表情が固まる。だがそれは予想通りなのか、シャクは「ははっ」と笑って見せた。

「勘違いするなよ。お前のせいで俺の願い事が消えたわけじゃない。お前の相棒になって、結果的に俺の願い事が自然消滅しただけだ。ほら、俺がそういう好き勝手なことしてたら相棒とは言えないだろ? ……それに、終わりがない、もともとあってないような願い事だったしな」

 すっきりした感のあるシャクだったが、ルカナはそうはいかなかった。
 結果的でもなんでも、自分の願い事がシャクの願い事を消してしまうということは事実なのだから。
 だが、だからといってせっかく相棒になれたシャクと別れるというのは絶対にあり得ない選択肢だった。
 仲間を失ったところに優しく手を差し伸べてくれたシャクは、ルカナにとって運命の出会い人なのだと思えていたからだ。
 しばしの思考ののち、ルカナは自分が納得できる唯一の選択肢を導き出した。

「うん、じゃあわかった! その願い事、叶えてあげる!」
「……はい? ……叶えるったって、お前っていう相棒がいる俺には無理だろ。それに俺の願い事は終わりがあるわけじゃ……」

 そこでシャクは気づいた。少女――ルカナが何を言わんとしているかを。
 その時点ですでに、シャクは一本取られたとでも言うかのように笑いながら「はっ」と大きく息を吐いた。
 そして予想通り、彼女は満面の笑みを浮かべて言った。

「シャクの一番の願い事、私が手伝ってあげる! その代わり、シャクの願い事が叶うまで、シャクには私の一番の願い事を叶え続けてもらうんだから!」






 青年と少女の願いは叶う。
 二人が一緒にいることで一番の願いは叶えられる。
 少女の、青年の相棒になるという願い。
 青年の、たくさんの幸せを生み出すという願い。
 だが少女は知らない。
 青年の願いが少しだけ変更されたことを。

 無邪気に笑みをこぼしながら舞い踊る少女を見て、シャクは決めた。

 こいつと一緒に幸せを生み出していこう。そして幸せになろう。



 少女と青年は、笑っていた。



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