とある田舎の喫茶店

とある田舎の喫茶店

世界の終焉。ある者たちの思い。 NEW


「アマタくん……」
「なんでなくなっちゃうんだよ! やっと――やっと見つけた居場所なのに!」

 少年は声を荒げる。
 人目もはばからず、湧き上がる激情を吐き出し続ける。

「ここだけなんだ! 俺にはここしかないんだ! なのに――っ」

 言葉にはやがて怒りの色が消え、代わりに悲しみが映っていく。

「なんで……いやだ……やだよ……」

 雫が一粒、少年の目から地面に落ちた。
 寄り添う少女はそんな少年の姿を見て、ただ唇を噛むことしかできなかった。







            ■







 2015年 秋

 世界最大のオンラインRPG『The world』は終焉の日を迎えようとしていた。

 多くの死者を出したサイバーコネクト社の大火災によって、多くのユーザーの思いを裏切るように、『The world』は運営の停止を余儀なくされる。
 社会現象にまで発展していた「The world」の突然の停止は、ユーザーたちを巨大な混沌の渦に巻き込み、その多くが“世界の消失”を嘆いた。
 しかし、そんな中にも希望はあった。
 CC社にとって一大事業であった「The world」がアクシデントで運営できなくなったとは言え、利益に貪欲なCC社が「The world」2000万人のユーザーを簡単に手放すはずがないはずだという噂が広まっていたからだ。
 そして、その噂の真偽とは別に、ユーザーの思いは復活を願う声としてCC社に多く届けられた。

 だが、ユーザーの中にはこの世界の一旦の終焉を、このゲームを卒業するいい機会だと見る者もいた。
 そんな者たちと再び世界で相まみえることを願っていたある者は悲しみ、ある者は嘆き、またある者はCC社へと怒りをぶつけた。


 中学2年生の少年が操るPC「アマタ」もまた、そんな悲しみを背負う者の中の一人だった。







 なんでだろう。やっと見つけた居場所だったのに。
 やっとみんなを信じられたのに。この居場所を大切にしていこうって思ったばかりなのに。
 ヤスギさんも、ウォルナさんも、天道(てんどう)さんも、ミズハも、みんな好きなのに。
 なのに――……こんなの……ひどすぎるよ……。











 少女は落ち込んでいた。
 沈み込む仲間を前にして、自分はなにもできないからだ。
 少女はこの世界で常にともにいる4人の仲間がいた。別段目的を持っている集団ではなかったけれど、彼らはそれで十分だった。自分たちは仲間なのだとはっきり感じられていればそれで。
 でも、それももう終わりだ。
 5人のうち、3人は今回の運営の停止で卒業を決めてしまっている。
 少女はその3人の中には入っておらず、噂されている次期バージョンにも足を踏み入れるつもりだった。だが、そこにあの3人がいないと思うと、心はどこまでも沈んでしまう。
 それになにより、3人の卒業を泣いて悲しむあの少年を見ていると、まるで自分のことのように胸が苦しくなった。
 川のほとりでため息をついた少女は水面に反射している自分の顔を見つけた。

「こんな顔、みんなに見せられないよ……」

 つぶやいたその時、頭の中でポーンと音が鳴った。
 ショートメールの着信を知らせる音だ。

「ヤスギさん……いつもの路地裏に来てほしい、か……」

 少女は文面を反芻すると、ぎゅっと胸元で手を握った。
 わずかな躊躇いをにじませるも、少女の足はマク・アヌの路地裏に向かって歩き出す。
 その先に悲しみしかないことをわかっていながら。









              ■








 マク・アヌの路地裏は、日が差し込んでいるにも関わらず暗い雰囲気に包まれていた。
 集まった4人の顔はみな同様に暗い。
 だが、いつまでもそうしているわけにも行かず、長身の男が口を開いた。

「すまない」

 その口から出たのは謝罪の言葉。しかし他の3人が驚くことはない。
 それが何を意味しているのかを、痛いほどわかっていたから。
 大人の色香で全身を包んでいる女性と、笑えばとびきり爽やかな顔を見せてくれるであろう青年は、男と同じように目を伏せる。
 それを見た小柄な少女は精一杯の元気を込めて、事も無げに言った。

「ヤスギさん、謝らないでください。ウォルナさんも、天道(てんどう)さんもそんな顔しないでください。しょうがないことなんですから。そんなこと、子供のわたしでもわかるんです。3人だったらもっとわかってるでしょう?」
「……」

 それでも青年――天道は悔しそうに目を伏せたままで、絵画の中から抜け出したかのような美しい女性――ウォルナは眉を下げて少女のことを見つめることしかできなかった。

「みんな事情があって辞めるんです。わたしは……わたしとアマタくんは、3人のことを恨んだりしません。だから、そんな顔しないでください」
「ミズハちゃん……」

 今までこれほどまではっきりと物言いをしたことのない仲間の少女に、ウォルナは思わず名前を呟く。
 少女の笑顔の裏に今にも涙をこぼしそうな顔があることを3人はわかっていた。
 わかっていながらどうしようも出来ないことに悲しみ、腹立っていた。
 そんな中で、普段ならば元気と明るさが取り得である天道が重たい口を開いた。

「明日で会えなくなるってのに、アマタのやつ、どこにいるんだよ……」
「……」

 天道の弟分の少年は、今この場にいない。ショートメールは送ってあるが一向に姿を見せないのだ。その理由はみなわかっている。
 泣いているのだ。
 今まで涙など見せたことのなかった少年は、3人がこれを機に「The world」を卒業することを知った時、人目もはばからず泣いた。 「いやだ」「別れたくない」と。
 そのとき4人は初めて知った。
 一番後にこのメンバーに加わった少年は、誰よりもこの4人との絆を大切にしていたということを。どれほどこの4人との絆を支えにしていたかを。
 それでも、3人の卒業はどうしようも出来ないことだった。
 ヤスギは仕事でアメリカに行きゲームをする暇がなくなる。ウォルナは来年の2月に子供を出産する。天道は来年大学受験がありゲームをしていられなくなる。
 それぞれリアルの事情があり、それはこの仮想世界の知り合いである者が干渉するべきではないことだった。
 それをわからないほどアマタは子供ではないし、4人ともそれは知っていた。
 だが、それでもアマタは言ったのだ。「いやだ」と。
 その意味を考えると、この世界を去る3人は罪悪感で胸がいっぱいになる。
 だからこそミズハは言う。

「アマタくんのことは大丈夫です。わたしがついてますから。あとでアマタくんを連れてきます。だからそのときはお願いです。……笑ってあげてください。アマタくんのことを思うなら、そうしてやってください」

 5人のメンバーの中で一番自主性のなかったミズハが、今は誰より強かった。
 それを見たウォルナはミズハに歩み寄る。
 そしてそのまま豊かな胸の中にミズハを抱いた。

「――ウォルナ、さん……?」
「わかった。約束する」

 そう言ってウォルナは抱き締める力をさらに込めた。

「あの、ウォル」
「強くなったね、ミズハちゃん。はじめて会ったときとは別人みたい」
「――っ、そんなわたしは強くなんか」
「ううん、なったよ、ミズハちゃんは。私たちがいなくても、今のミズハちゃんなら安心して別れられる」
「――わたしっ、そんな、全然強くなんかなってないです。ウォルナさんたちがいないと、わたしっ、全然――っ」

 我慢していたのに。笑って欲しいって言うために我慢していたのに。
 思わずミズハは涙をこぼしていた。

「わたし……わたし――っ……嫌です。別れたくないですっ。ウォルナさんたちと別れたくないっ! ずっと一緒にいたいですっ!」

 幼い子供のように、少女は真情を吐露する。
 それをウォルナは優しく包み込んだ。自分にできることはこれしかないとわかっていたから、嗚咽をもらす少女を精一杯優しく抱いた。
 やがて、ミズハはウォルナの胸から離れて目をぬぐった。
 どれだけ泣いても泣き足りないのに。少女は健気に涙を止め、一度大きく深呼吸をしたあと、震える声で言った。

「でも、だいじょうぶです。ウォルナさんたちと別れるのは辛いけど、わたし頑張ります。3人のこと応援してますから」
「――、……ありがとう、ミズハちゃん」

 ウォルナは本当にこの子は強くなったんだなと内心で驚き、まるでわが子の成長を喜ぶ母のように、ミズハの頭を撫でた。

「え、へへ……わたし、いつもウォルナさんに頭なでられたとき、子供扱いしないでくださいって言ってたけど、本当は好きでした。ウォルナさんの手、すごく優しいから」
「ふふ、これからお母さんになる私にとって、その言葉はすごく勇気が出てくるわ。ありがと」

 いつの間にか、4人の表情は笑みへと変わっていた。
 ついさきほどまでとは打って変わって温かな空気となった路地裏。
 そんな中でヤスギがミズハに向かって言った。

「俺たちは卒業するけど、それで縁が切れるわけじゃない。俺たちの縁はそう簡単に切ろうと思って切れるものじゃない。そうだよな、天道」

 視線を向けられた天道は、それが彼のいつもの顔なのだと誰でもわかるほどお似合いの笑顔をして見せる。

「おう! ヤスギもウォルナも俺も、二人にメールする。そんでいつか絶対に再会しようぜ」
「だからあなたたちからもメールしてね? 忙しくてなかなか返せないかもしれないけど、絶対に返事はするし、あなたたちからのメールは嬉しいから」
「――――はいっ! ……わたし、アマタくんを連れてきますね!」

 少女はそう言って駆け出した。
 その背にはもはや暗い影はない。
 見送る3人は微笑みながら顔を見合わせた。

「ほんと、強くなったな、ミズハは」
「あとは……アマタのやつだな」
「大丈夫よ、ミズハちゃんに任せておけば。女は強いんだから」
「ははっ、ウォルナに言われると説得力を感じるな」
「でしょう? 母親になる私にもはや怖いものはないわ」
「そりゃたのもしい限りだよ」

 そう言って、3人は笑いあった。
 これから訪れる別れを、笑って迎えるために。







           ■







 少女はもう迷わない。
 自分の心に嘘をつかないと決めたから。

 レンガづくりのマク・アヌの街中を駆ける。
 街にはたくさんの人がいる。最後が近いから惜しんで姿を見せる者が多いのだろう。
 悲しんでいる者、怒っている者。
 少女はそれらの脇を通り抜けながら思う。

(笑おう。最後まで笑って別れよう)

 だから少女は笑った。
 笑みを振りまきながら、少年の元へと駆けた。
 やがて道具屋の前で彼の横顔を見つけ、少女は躊躇なく声をあげた。

「アマタくん!」

 はっと振り向く少年の元へと駆けつけた少女の表情は笑み。
 暗い顔をしていた少年は戸惑う。なぜこんなときにそんな表情ができるんだと。
 それを払拭するように少女は告げた。

「アマタくん、わたし、まだ言ってないことがある」
「ミズハ……?」
「わたしも3人と別れるのは悲しいよ。でもね、それでもまだほっとしてるの」

 その言葉に少年は目を見開いた。
 仲間と別れるというのになんでほっとするんだ。自分なんか悲しすぎて泣いていたくらいなのに。
 そんな思いが瞬時に少年の胸に湧きあがる。

「ほっとしてる……? なんで……なんでそんなことが言えるんだよ――っ」

 だが、少女は当然のように言った。悲しみの目を向けてくる少年に、微笑みながら。

「アマタくんがいるから」
「……え……」
「アマタくんがいるから、わたしはまた『The world』をプレイしようって思えるんだよ。アマタくんがプレイしないなら、わたしは『The world』がバージョンアップされてもプレイしない」
「な、なんでそんな……」

 少年は戸惑う。
 なぜ少女はそこまで自分に価値を見出しているのだろう、と。
 今までは5人でひとつだった。だから自分は5人の中の1人だ。その中の3人が欠けてしまって、彼女にとっては自分というちっぽけな存在しか残らないはずなのに。
 それなのに彼女は言った。自分がいるからまた世界に降り立つのだと。
 少年が抱いたその疑問を、少女は微笑みに照れを混ぜることで解いてみせた。

「アマタくんのことが好きだから」
「え……」
「ねえアマタくん、居場所がなくなったんならさ、今度はわたしたちで作ろう。ヤスギさんやウォルナさんや天道さんがわたしたちに居場所を作ってくれたように、わたしたちが今度は誰かの居場所をつくってあげようよ。わたしはアマタくんとならできるって信じてる」

 少女の言葉に迷いは微塵もなかった。
 明日が別れの日だと言うのに、その瞳には自分と違って悲しみがなかった。
 いや、悲しんでいないわけがない。
 彼女は前を見ているのだ。いつまでも嫌だと駄々をこねている自分とは違い、現実を見て、全てを受け入れて前に進もうとしている。
 自分は甘えていたんだ。自分が誰よりも4人との絆を大切にしている。いつの間にかそう思っていた。
 だけど違う。みんな自分と同じくらい悲しいんだ。
 それでもミズハは前を向いて歩こうとしている。なんて――強いんだ。
 少年は少女の言葉になんと言っていいのかわからなかった。
 ただひとつだけわかっていたのは、あれほど胸の中に充満していた悲壮感が綺麗さっぱり消えていたということだ。

「お、俺……」

 何かを言わなきゃいけない。だけどなんて言えばいいんだ。
 迷う少年に少女は手を差し出した。

「行こう、アマタくん。みんなが待ってる。最後くらいみんなで笑いながら過ごそうよ、ね?」
「――っ、うん!」

 少年はその手を握ることで返事をした。
 少年はもう俯かない。
 別れが寂しくても、前を向いて歩いていく。別れる仲間に胸を張れるように。
 少年は少女に手を引かれながら駆ける。
 少女とともに駆けてゆく。
 終焉を見届け、序章へと踏み出すために。
 二人の物語は、これから始まる。



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