今日はすこし重い話しです。
でもこういう病もあるのだと、知っていただきたく
いつかお話したいと思ってました。
10年前、お気に入りの新居が建って
楽しそうに引っ越してらしたはす向かいのご家族。
奥様が急に足や手の違和感を訴えだし
原因を探しているまにも、病はずんずん進行し
またたくまに寝たきりとなり、
自分の体のいっさいの自由を奪われました。
あまりにも残酷な病 ALS
を発症されたのでした。
ALS-筋萎縮性側索硬化症は、
身体を動かすための神経系(運動ニューロン)が
変性する病気です。変性というのは神経細胞あるいは
神経細胞から出て来る神経線維が徐々に壊れていく状態をいい、
そうすると神経の命令が伝わらなくなって筋肉がだんだん縮み、
力がなくなります。しかもALSは進行性の病気で、
今のところ原因が分かっていないため、
有効な治療法がほとんどない
予後不良の疾患と考えられています。
子供の年齢も近く、この新興住宅地の町会を共に立ち上げ
わたしを姉のように頼ってくれていた時期もあり
私自身、体の自由が効かない時期でもあったけれど
彼女の役に立てればと奔走した日もありましたが
彼女には、頼りになるUくんとの出会いや
親身な介護をしてくれる家政婦さんとの出会いがあり
わたしはご近所として見守る立場となりました。
彼女を通して、介護に直面したご家族のようすを聞き
気管支切開をして、呼吸器をつけるまでの間
彼女はわたしに代弁して欲しいかのように
介護について、家族について、話されました。
現実の介護は、わたしが、いや、誰もが想像出来る範囲を
はるかに越える厳しいものでした・・・。
彼女には銀行員のご主人、成人された娘さん、高校生の息子さんが
おられますが、実際の介護はすべてヘルパーさんと家政婦さんに
ゆだねておいでです。
発症当時、長女が中学1年生、下のお子さんは4年生でした。
長女は多感なときでもあり、まったく母の部屋に入ってこなくなり
下のお子さんは無邪気に、そばにきて、心配そうにしたり
甘えたり。救いでした。
ご主人は仕事、仕事と忙しそうにしてらして・・・
反面、家政婦さんがとてもよく介護してくれており、わたしも
彼女の自転車が玄関に止まっていると安心したものでした。
家政婦さんと共に中心的役割を担っているのがUくん。
彼は某国立大学の学生だったとき、
彼女が検査入院していた大学病院に夜ボランティアとしてきていて
病への不安でパニックになっていた彼女と出会い、
彼女もこれを運命的な出会いと感じ、
彼にすがるように救いを求め続けました。
前世では恋人だったかもしれない・・と
わたしにも何度もいっていましたし
彼女の苦痛をとることに誠心誠意つくしてくれる若い彼の姿に
わたしも若い修道僧のような、きよらかな静けさを感じました。
彼女が退院し、自宅療養に入ってからは
自宅に通い介護を続けてくれ、やがて、大学もやめ、
近くに引っ越してきて、彼女の介護の道を選ぶのでした。
やがて、言葉を失った彼女と
文字盤での会話が一番出来たのも彼でした。
それもいまはもう、遠い昔の事になり、
ただ静かに横たわり続けて数年が経つのです。
わたしは病に倒れた人に
これほどに献身的に寄り添える彼の存在に
いつも圧倒され、感動します。
と同時に、彼女のあまりに残酷な「生かされよう」に
思いを寄せては、答えのでない、重い気分に沈まされるのでした。
身体は指一本動かす事が出来なくなるのに、
意識は鮮明なのがこの病の特徴なのです。
これはALS患者さんのホームページです。
U君が教えてくれました。
この方もはす向かいの私の知人のように
コミュニケーションが取れない重度の方で
現在ALS協会の理事をされているそうです。
ご家族の献身的な介護に支えられて・・・
http://homepage2.nifty.com/ajikun/
人はそれぞれ、誰でも、なんらかの使命をもって
この世に送られているのだと、思うので、
この病とともに生きていく使命を受けた人たちから
私達は何かを受け取らなければならないと思うのです。
8年間こうして辛抱し続けている彼女がいること、
私にはお伝えする使命があるように思うのです。
どこかでだれかが、ひとりで闘っていること・・
彼女の平安を祈ってあげてください。