【亞】の玉手箱2

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昔、我が家に仙人がいた~少女時代の思い出

「昔、我が家に仙人がいた1」
   ~少女時代の思い出「仙人」
 (1983年名タイ寄稿)


中学2年生の春、学校から家へ帰ると
その仙人はいた。
気付くと
「食客(しょっかく)~居候のこと」として、
そのまま5年ほど逗留した。


仙人が我が家を訪れたのは
「熊本の山奥で数理学を研究していたとき
 夢の中にこの家がでてきたから」
という理由だった。


こんな胡散臭い話で居候させた父も父だ。
勿論、母は信用せず反対したのだが、
途中からは諦めてしまった。


我が家の食客となっていた「仙人」は
「姿を消すことができる」
と豪語していた。


当時、我が家は名古屋市の東区で
事業を営んでいた。
季節は春。
花見の時期であった。


父、母、姉、それから従業員を含めた団体が、
最寄り駅である当時は国鉄千種駅から
中央線で鶴舞に向かった。
桜で有名な鶴舞公園を目指したのだ。


千種駅の改札口では駅員が
なれた手さばきで切符にハサミを入れていた。 


仙人を先頭にわたしたち10数人が
列をなしてその駅員の前を通過するとき、
カチャカチャとリズミカルな音をたてていた駅員の
動作が止まった。
これまで乗客が切符を差し出す手元に向けられていた
眼の動きもストップした。


わたしは心配になって、
駅員の目の前で掌をひらひらさせた。
しかし、駅員の視線は定まることなく浮遊していた。


 どうしたんだろう…???


わたしたちが通り過ぎると、
駅員は何事もなかったかのように、
再びリズミカルな動きを始めた。


鶴舞駅の出札口でも同じことが起こった。


「どうして、こんなことができるの」と、
わたしは仙人に尋ねた。


「意識を絶つんだ」と、
仙人は答えた。

      続く

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平成15年(2003年)に運命ともいうべき出逢いがあり、手に入れました。
我が家の玄関にいてくれる~❤
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