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萩の花が満開になりました。 今週のNHKラジオ、古典講読の時間、佐藤勝明先生の「芭蕉の紀行文を読む」。 まずは、鹿島紀行から帰った芭蕉が、杉風への感謝の意を表して渡した、鹿島の記、とあつめ句。鹿島の記は旅の風雅の記録であり、あつめ句は、定住している芭蕉庵での四季が。まず、「あつめ句」の中から、漢詩の題である「友を訪ねて会わず」のテーマで ☆ある人の隠れ家を訪ね侍るに、あるじは寺に詣でけるよしにて、年老いたる1男ひとり庵を2守り居暮しける。垣穂に梅盛りなれければ、「これなん3あるじ顔なり」と言ひけるを、かの男、「4余所(よそ)の垣穂にて候ふ」と言ふを聞きて *留守に来て梅さへよその垣穂かな=ある人の隠れ家を訪ねたところ、主は留守で年老いた男が留守番をしていた。垣根に梅が今を盛りと咲いているので「この梅こそ主人のように私を迎えてくれる」と言うと、老僕は「その梅はうちのではなくよその垣根のものです」というので一句。 *友の留守に来て、梅の花さえよその垣根のものだった!また、「友に訪われて喜ぶ」の俳諧版。 ☆一年都の空に旅寝せしころ、道にて行脚の僧の知るひとになり 侍るに、この春みちのおく 見に行くとて、わが草庵を訪 ひければ *またも訪へ藪の中なる梅の花 ある年、都の空に旅寝をしていた頃に知り会った僧が、陸奥を見に行くと、私の庵を訪ねてきてくれたので一句。*藪の中にひっそりと咲く梅の花を、再び訪ねてきてほしい。わび住まいの暮らしの誇りもあって。では、笈の小文の読解に・・・。序章。 『百骸九竅の中に物有。かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。』= 人体を構成する百の骨、人体にある九つの穴=荘子からの引用。(100分de名著、でやってましたね♪)そんな体に、心=ものがある。仮に名づけて風羅坊という。うすものが風に破れ易いことを言う のであろうか、(自分の中のものは、風に破れやすい、薄物のようなものだ=芭蕉の葉っぱもそのように。風羅坊は俳諧を好み、ついにそれを生涯の仕事にして しまっているのだ。= 『ある時は倦で放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたゝかふて、是が為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学で愚を暁ン事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る。』= ある時は、飽きて放り出そうとしたことも、ある時は他人に勝って誇ろうとしたこともある。どういうあり方が良いのか、胸の中で考えが戦って、そのために身 が休まることがない。立身出世を願ったことも、学問を修めて自身のおろかさを悟ろうとしたこともある。いずれにしてもうまくいかず、俳諧のために心を奪わ れて、無能無芸のまま、何事もできなかった。= 『西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。』=西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶・・・彼らは芸術的な真実を捉えたという点で、根本的に共通している。風雅の貫道はひとつ。= 芭蕉は、偉大な4人の名をあげ、貫道するものは一つ、と言った上で、しかも・・・と言い切る。芭蕉は俳諧をこれらと同等であり、しかもそれ以上と位置づけたのだ。当時の社会一般の考えとは、雲泥の差があるのに。 『しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。』= 風雅におけるもの=俳諧は、自然に従い風雅の心で見ればすべては花になりすべては月になる。見るものに花を感じないなら夷てきと同じ、心に花を思わないな ら鳥獣と同じである。ただ自然の中に回帰せよ。不易流行説に通じる考えは、造化との一体化をめざす風雅論になった。あらゆる対象の中に花を、月をみつけて、それを表現するのだ!芭蕉さんの檄文なのでした!
2015.09.13
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終活をしていたら、詩を書いていた日々の同人誌が出てきてびっくり!すっかり忘れていた人たちの名前も懐かしや♪こんなのもありました!「廓ことば」昔 街のはずれに街が作られたそこは花街廻れば大門の見返り柳おはぐろどぶに灯火うつす賑わいに紛れ女たちはふるさとの訛りをすてて廓の女になった津軽の女は口重く廓ことばをつかう津軽の野に立ちのぼる陽炎のにおいを失くしてふるさとを忘れた廓の女になる近江の女はなつかしく廓ことばをつかう江戸に下った誇りをもって初めてまとう絹の冷たさもゆかしく振舞う廓の女になる廓ことばの「わちき」はわたし女からふるさとを奪い心を奪う不条理にも疑いにも目をそらし考えを持たない女を作る今も街のはずれに街がうまれる立ち並んだ文化住宅で妙に腰を低くして女たちがつかう標準語に似せた言葉たちふるさとの訛りを忘れたそれは現代の廓ことば得意気に街に反乱する語尾だけが長く残るそのことばことばからはじまる精神の画一化この新興住宅街におはぐろどぶはないがわたしひとり背筋の凍る思いで跳ね橋の番屋の暗い陰を凝視しているのだ「齢」三十とか四十とか五十とかいう数は中年女の疲れた皮膚や世間ずれした心や人生の澱のようなものが連想させられて私の一番嫌いな数だだけど三百とか四百とか五百とかいう齢は少しもみにくくはない三百歳の女は きっと永遠のいのちを持つ美しい女肌にたるみやしみはなくてほっそりとしてたくましくはたちの女とはちがう何でも知っている女の自信にあふれて男の心を射すくめるだろう私もほしい永遠を新鮮に生きられる心と身体をたった四十年生きただけでこんなに疲れ 汚れてしまったのだもの*今読み返すと、何をそんなに年を取ることに焦っていたのかと笑えてしまいます!
2024.05.21
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今日はあたたかい春の雨です。被災地の皆さんの方は晴れているようですが、明日から冷たい雨か雪になりそうで、心配です。 テレビでは、今週が避難している人たちにとって心身ともに辛い時期だとの事。家を流された人の事を思えば、、、と、ほとんど壊れた家で我慢している人の姿も映していました。 そういう人には食料が回っていないのです。 そんな時になんですが、今日は蕪村について。 ブソニストという言葉もあるそうです。 「ももすもも」という小冊子は、安永9年、65歳の蕪村が40歳の弟子几董とで作ったものだそうです。上から読んでも下から読んでも「ももすもも」の回文仕立てではあるけれど、意味があります。「流行の最先端を突っ走っているつもりが、何やら一周遅れのランナーの尻を追いかけることになりかねない」という命名だったと、蕪村自ら序文に書いているそうです。 見かけ倒しの新しがりにちょっとした反省も。何やらかっこいい江戸時代庶民の心意気ですね。 ブソニストはいっぱいいたみたいで、「愁ひ来て 丘にのぼれば 名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の実」 石川啄木 これには蕪村の二つの句を*愁ひつつ丘にのぼれば花いばら*陽炎や名の知らぬ虫の白き飛ぶ次に「あはれあはれ、すみれの花よ しをらしきすみれの花よ 汝はかなし、 色赤きれんがの竃の かげに咲く汝はかなし。 はや朝明けの露ふみて われこそ今し 妹の骨ひろひにと来しものを」 北原白秋これには蕪村の*骨拾ふ人にしたしきすみれかな が当てはまり、また、与謝野晶子は*今日の身に我をさそひし中の姉 小町のはてを祈れと去にぬ (晶子) *雨乞いの小町が果てやをとし水 (蕪村)*たまはりしうす紫の名なし草うすきゆかりを嘆きつつ死なむ (晶子) *朝顔にうすきゆかりのむくげ哉 (蕪村)*神のさだめ命のひびき終の我が世琴に斧うつ音聞きたまへ (晶子) *乾鮭や琴に斧うつひびきあり (蕪村) 晶子は、蕪村に対して歴史上の一俳人としてではなく、肉親のように思い慕っていたようで、、、*集とりては朱筆すぢひくいもうとが興ゆるしませ天明の兄「おにいさまのたいせつな本に朱の線など引いた妹の酔狂をゆるしてください」 なんていう歌を作ったりしているそうです。 いろいろな言葉が魂と命をもってつながれてきた日本。その文化の素晴らしさに自信を持って、今回の大災害にも立ち向かって行きたいものです。 ガンバレニッポン!であります。
2011.03.21
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昨日、近所のスーパーで、初茸(字のごとく、きのこ)が出ていたので買いました。このスーパーでは、なぜか毎年初茸を売るんですけど、1パック1280円もするのに、「誰が買うんじゃ」と疑問。 たまたまカサがこわれたのが680円で売ってたので、買って来ました。お醤油味でさっと煮て食べました。時空を越えた田舎のあじがしたよお(泣)。昨日は、初めてシークワーサーの本物?も買いました。噂に聞くだけで、ジュースしか飲んだことがなかったんですが、シークワーサーは見た目はツヤの良いスダチ。しぼるとスダチより果汁がたっぷりで、ちょっと甘いかな? 私にとって、スダチやカボスをあったかご飯に搾って、それも大量に!その上からお醤油を3滴くらい垂らして、お茶漬けみたいにざぶざぶと食べるのが最高の秋の味覚なんです。(涎) 「初茸狩り」といえばつげ義春の漫画を思い出しますね。なんのことはない、初茸狩りに連れていってもらうのを楽しみにしている子どもの話。最期のシーン、窓から初茸山を見ている子どもの目に、額縁のように雨の降る山の姿が丹念に描かれてましたね。 全然どろどろしたものがなくて、含んだものもなくて、ホッとするつげワールドには珍しい作品でした。つげのお母さんの実家の千葉県の大原町の近くに、大多喜町という山の町があるので、その辺のイメージと、子どもの頃の体験が入ってるのかなあ。 含みのない作品で、もう一つ「ほんやら洞のべんさん」がありますね。思うにあれは「鯉のいる村」この前地震の被害を受けた山古志村が舞台かも。べんさんが営む民宿に、いつもの帽子をかぶった旅の若者(作者)が泊まる話です。 独りで民宿を営むべんさんは、あいそは悪いんですが、トイレに火鉢を入れて暖かくしてくれたりするいい人です。二人で、雪の中を錦鯉を盗み?にべんさんの妻の実家にいく風景なんか、すごくいいですよね。その鯉は夕食のお膳に乗るんです。べんさんは鯉を盗むことで、新興宗教に狂った妻への仕返しをしてるらしいんです。 つげさん、元気ですかね?「しょすけ」は大きくなったかしら?私はこの前(といってもずっと前)「西部田村事件」の現場を尋ねて夷隅川をさかのぼり、西部田というバス停の前で記念写真を撮り、そばの神社で鬼の酒盛りをして帰ってきました。 (鬼の酒盛りとは、テーブルのないところで、まん中に食料を並べ、車座になって宴会をすることです。昔、池袋の水明庵でうさぎAやみつこさんとやったのが発祥。まあ、二人でもいいけど、いっぱいいると楽しい)
2005.09.19
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沈丁花が爽やかな香りを放っています。 NHKラジオ古典講読の時間佐藤勝明先生の「芭蕉の紀行文を読む」。 まずは、芭蕉の言葉。土芳の編んだ「三冊子」より。=詩歌連俳はともに風雅なり。上三のものはそのあますところなり。俳は至らづと言ふことなし= 言語での表現活動としての、漢詩、和歌、連歌、俳諧はすべて風雅である。 (当時、俳諧は和歌より一段も二段も下のものとされていた)しかし、求める風雅は同じであり、それだけではない、他の3つの扱わないものを扱うのが俳諧だ。 春雨の柳を歌うのが連歌で田螺を捕るカラスを詠むのが俳諧だ。連歌と俳諧は異なるが、それは俳諧のランクが下、というわけではないのだ。 和歌では鴬といえば花に啼く声を称美する。俳諧では現実のあり方にも視点を合わせることができる。*鴬や餅に糞する縁の先 ・・・みたいにね♪ こうしてみると、どんなことにも対象を見つけられるので、俳諧の可能性は広がる。 見るもの,聞くもの、作者が感じること、それが俳諧の真・誠=俳諧の価値、俳諧自体が真を証明するものなのだ! という章らしい。では、嵯峨日記本文 =廿六日 *芽出しより二葉に茂るの柿の實 史邦*畠の塵にかゝる卯の花 芭蕉*蝸牛頼母しげなき角振て 去来*人の汲間を釣瓶待也 丈草*有明に三度飛脚の行哉らん 乙訓 廿七日 人不来、終日得閑。 <解釈> 26日は、一切の文がなく、句のみ。去来は24日の夕暮れ、京からやってきた。丈草、乙訓、史邦は25日にやってきた。集まったメンバーで1句づつ句を読む=一巡。人が集まり少しでも時間があると連句を巻いた。発句*芽出しより・・・芽が出て双葉になってよく繁っている脇*畠の風景・・・白い卯の花が畠の塵となって咲き散っている*かたつむりが頼りなげな様子で角をふっている。上の2句が植物なので「かたつむり」を出した。3句目は「て」で止めるのが良いとされた。雑*季節が変わるときには「雑」の句を。誰かがつるべを使って水を汲み終えるのを待つ。前句のかたつむりが水を好むので。*前句が皆が水を使う「朝」の様子なので有明の月を。有明の月=秋。まだ月が残っている有明どき、道を駆けていくのは三度飛脚=江戸と上方を付きに3回往復する=であろうか。27日 誰も人が来ない。だから1日中静かな時間を持つことができた。(去来たちは昨日のうちに帰ったらしい)。 =本文=廿八日 夢に杜國か事をいひ出して、涕泣して覚ム。 心神相交時は夢をなす。陰尽テ火を夢見、陽衰テ水を夢ミル。飛鳥髮をふくむ時は飛るを夢見、帯を敷寝にする時は蛇を夢見るといへり。睡 枕記・槐安國・荘周夢蝶、皆其理有テ妙をつくさず。我夢は聖人君子の夢にあら ず。終日忘想散乱の気、夜陰夢又しかり。誠に此のものを夢見ること、謂所念夢也。我に志深く、伊陽旧里迄したひ来りて、夜は床を同じう起臥、行脚の労をと もにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。ある時は悲しび、其志我心裏に染て、忘るゝ事なければなるべし。覚て又袂をしぼる。 <解釈> 28日、杜国の夢を見て泣いて目が覚めた。(杜国は不遇のうちに元禄3年1690年3月20日に没)。 陰陽思想ではこの世の全ては陰と陽があり、陰が満ちると陽になり、陽が満ちると陰になるという。陰が尽きると火の夢を見、陽が尽きると水の夢を見るとい う。飛ぶ鳥が髪をくわえるときは飛ぶ夢を見、帯を敷いて寝ると蛇の夢を見るという。睡枕記では夢に自分の一生を見たという邯鄲の夢が出てくるし荘子の夢で 胡蝶になったのか、胡蝶が自分なのかという話もある。皆、道理ではあるものの、予の夢は聖人君子のものではない。 杜国の夢を見たのは、予 の思いが夢になったもので、私のことを深く慕ってくれ、伊賀の故郷まで来てくれて、夜はともに起き伏しし、旅の苦労をともにして、百日ほども共に過ごし た。心を共にした彼の志が予の心に深く染みて、忘れることができないからだ。目覚めて、また涙に袂をしぼるのだった。 =本文=廿九日 一人一首、奧州高舘ノ詩ヲ見ル。 晦日 高舘聳天星似胄、衣川通海月如弓。其地風景聊以不叶。古人とイへ共、不至其地時は不叶其景。<解釈> 29日。「本朝一日一首」=1665年刊行の漢詩集のなかの「奥州高館」の詩を読んだ。 晦日。その詩、高館は天にそびえ、星は兜の飾りに見える。衣川は海に通じて流れ、月は弓のようである・・・とあるが、その地の風景は、この詩と少し異なっている。昔の人といえども、その地に行ってみないことには、その景色のままによむことはできない。 ほそ道の旅の経験から、その地に行ってみることの重要さを書き記した芭蕉さん。 今週はここまででした♪ 杜国の夢を見たこと、泣かせます!あんなに楽しい吉野の旅だったのに!*吉野にて桜見せふぞ檜の木笠 芭蕉*吉野にて我も見せふぞ檜の木笠 万菊丸(杜国)♪
2016.03.06
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バラのアイスバーンちゃんの三番花です!暑くてすぐダメになるので、切り取って保護。NHKラジオ第2放送、佐藤勝明先生の芭蕉の紀行文を読む、は鹿島紀行。 まずは、*五月雨や桶の輪切るる....*髪生えて容顔青し.....*五月雨やにおの浮き巣を・・・ それら以前の五月雨句との違いが分かるための、以前の五月雨句を。 五月雨は~~哉、の形式。哉は、~のように見せてしまう、とい意味を表し、哉の一語にその意味を表せる。哉、が省略される場合もあるが、省略されても働きがある。貞門俳諧より*五月雨は菖蒲刀の砥水哉 ちかしげ (五月雨は菖蒲の葉が刀のように見えるそれを研ぐ水のようだ)*五月雨は滝の糸出す問屋かな さだしげ (五月雨は次々落ちる滝の糸を出す問屋のようだ。大量、切れ目がない) この2つは、AはB哉の見立てで、A=Bの関係性を表している。~とかけて~ととく、という断定。次に*五月雨は道行く馬もあしか哉 しげより (五月雨は地上を海にしてしまっているので、馬は海馬=あしかのようだ。五月雨は○○を別の△△にしてしまう。A→B=C*五月雨や人も日見ずのむぐらもち よしかつ (連日の雨で人も日の光を浴びる事がない、もぐらのようだ。人=むぐらもち。A→B=C次に*五月雨は屋根にも谷の流れ哉 じしょう (五月雨によって我が家の屋根にも谷の流れができている。)*五月雨に大海知るや井のかはず ていとく 五月雨はこんなふうだと、さまざまな工夫を凝らしている。哉の一語によって、発句は575の中に多くの情報を入れることができるようになった。では、鹿島紀行本文 萩は錦を地にしけらんやうにて、為仲が長櫃に折入て、都のつとに持せたるも、風流にくからず。 きちかう・女郎花・かるかや・尾花みだれあひて、小男鹿のつまこひわたる、いとあはれ也。 野の駒、処えがほ(得顔)にむれありく、又あはれ也。 鎌ヶ谷の情景と取れる。萩の花がいちめんに咲いて、まるで錦を敷いたように見える。そこで予はあることを思い出す。昔、橘為仲が陸奥の守の任を終えて都に 帰るとき、宮城野の萩を十二の長櫃に入れて都への土産にしたという、そういう心が予には好ましいのだった。野には桔梗・女郎花・かるかや・尾花などが乱れ咲 き、牡鹿が妻を恋う声なども趣があり、野生の馬が自由に群れ歩く姿も趣き深いのだった。日既に暮かかるほどに、利根川のほとりふさと言処につく。 此川にて鮭のあじろと云ものをたくみて、武江の市にひさぐものあり。 宵のほど、其漁家に入てやすらふ。よるのやどなまぐさし。 月くまなくはれけるままに、夜ふねさし下して、鹿島に至る。 日はすでに暮れかけ、利根川のほとりの布佐という所に着いた。この川では鮭の網代での漁をして、江戸の市に出しているものたちがいて、その家で休憩する。魚の生臭い臭いのする宿だった。月がくまなく晴れ渡る中、舟で鹿島に着いた。 ひるより雨しきりに降て、月見るべくもあらず。 麓に 根本寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此処におはしけると云を聞て、尋ね入て臥ぬ。 すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけん、しばらく清浄の心をうるに似たり。 昼になって雨が降ってきて、今夜の月見はできそうにない状態。根本寺の前の住職の仏頂和尚が、隠遁して住んでいるところを訪ね、そこで休む。久々の再開を喜び語り合いつつ、心は満たされているのだった。 暁の空いささかはれ間ありけるを、和尚おこし驚し侍れば、人々起出ぬ。 月の光、雨の音、只あはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もなし。 はるばると月見に来たるかひなきこそ、ほいなきわざなれ。 かの何がしの女すら、時鳥の歌えよまで帰りわづらひしも、我ためにはよき荷担の人ならんかし 月見はあきらめて寝ていたところ、明け方になって晴れ間が見えてきたので、和尚が起こしてくれる。人々が起き出してきた。月の光、の中に雨の音も聞こえ、 ただただ素晴らしい趣がある。句をつくる言葉も浮かばないほど。はるばると名月を見に来た甲斐もないけれど、あの清少納言も田舎の景色に心奪われて時鳥の 歌が詠めずに帰ってきたということだから、私には良い味方の人と言えるだろう。(私のひいきの清少納言が出てきて嬉しい♪でも彼女は歌は不得手と自分で言ってるのよね♪) ☆今週はこのあたりまででした。土曜の夕方と日曜の朝にばたばたしながら聞いたので、途中聞き間違いあるかも。鹿島紀行のハイライト部分なのにね。
2015.08.03
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