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法喜が語る
天使の涙(バンコクへ)
*合格発表*
足元に未だ雪が残る道の先には、真っ白な掲示板が広がる。
味毛のない数字の羅列から、俺の見つけるべき数字は”254802”である。そ
してその数字は俺の全てが込められている。
俺はもう一度受験票を見て254802と頭の中で読み直した。
掲示板を見上げる。
まずは254012である。俺の数字はまだまだ後ろなので、飛ばして自分の数字
があるところへ目を移していく。
目の前では既に自分の数字が見つかってガッツポーズをする者や、急に暗い表情に
変わり下を向いて帰る者もいる。
我々受験生は試験というより、今この瞬間の為に膨大な参考書を読み、分厚い問題
集を寝る間も惜しんで解いてきた。まさに今この一瞬が今までの人生が報われるかど
うか、またこれからの人生が切り開けるかどうかの審判が下るのである。
2547・・からゆっくりと目をずらしていく。
積み重なる頭を避けながら、数字を追っていく。
しかし自分のあるべき数字を通り過ぎてしまう。
何度繰り返し見ても、自分の数字は探し出すことが出来ない。254768から2
54804まで数字が飛んでいる。何かの間違えだ。
受験票と掲示板を交互に見返す、だんだんと目の前が真っ暗になっていく。まさか
自分が落ちるなんて。不合格。不合格。ふごうかく・・・
絶対という言葉はないと言うが、俺は自分自身でも合格の自身があったし、また周
りもそのように考えていた。この大学合格は、俺の受験生活を全てかけた望みであっ
た。ここに受からなければ意味が無いのである。どうすればいいのだ。
誰とも目が合わせられない。親になんといえばいいのか?何もかも考えられない。
親は俺が受かる事が当然だと思い、またそれが俺の中では受け入れられていた。父
も母もこの大学で逢ったという。両親は今日、当然のように私の合格報告を待ってい
る。私は両親の期待を裏切ったのだろうか。いつになく重い足取りで家に戻る。
両親はまだ帰宅していない。私は自室にこもり、ただベットに横になり天井をみ
た。ゆっくりと天井を見つづける。ただボーっと何を考えるも無く、天井を見ている
うちに両親が帰宅した。
食事に呼ばれても部屋にこもっていると、「何をしているのだ。呼ばれたら降りて
来い。」と父の剣幕する声が聞こえた。食卓につくと母が「いったいどうするの。」
と泣いているのか怒っているのかわからない声で言った。
両親は既に私が受験に落ちた事を知っているようだ。
母が「今日買い物へ行ったら、山本君にお母さんに会ったわ。合否はそのときに聞
いたわ。まったく恥ずかしいったらありゃしない。山本君が受かって、なんで真一が
落ちるの?私は恥ずかしくて買い物にも行けなくなるわ。」
山本は俺と同じ学校を受けた同級生である。彼の学力では難しいといわれていた
が、期待とは裏腹に彼が受かり俺が落ちた。それが現実なのである。そして山本は合
格発表の時に、俺の数字を探したのに違いない。しかもよりによってそれを帰宅後報
告したのである。
余計なお世話だ。俺はチッと吐いた。
母親はそれを睨みつけ、さっさと食べなさいという。無言の夕食が、重苦しい空気の
中進められた。そして食べ終わると、「浪人はさせないから、W大しかないわね。受
かってるでしょ。」と先に合格していたすべり止めの大学名を出してきた。
両親が通っていた大学に受かる事が出来なかった。俺はまるで家族の恥さらしの
レッテルが貼られてしまった。
*祖父の訪問*
不合格発表以来、ショックから残り少ない授業へ行かず、家で何をするもなくうだ
うだしていた。そんなある日突然、祖父が家に訪れて来た。
祖父とは仲がよく、小さい頃はよく遊びに行ったのもである。しかし両親が受験受
験というようになってからは、ゆっくりと祖父とは会っていない。受験が生活になっ
てからは、休みはやれ夏季講習だの春季講習だの、普段でも日曜日でさえ塾塾塾であ
る。平日も夜塾から帰宅すれば、たとえ祖父が家に来ていたとしても挨拶程度で、す
ぐに自室にこもり、寝るまでは机に向かう生活をしていた。しかし試験が終わってみ
ると、なんとむなしい生活をしていたのだと感じる。努力は報われなければ意味がな
いのだ。
しかしそのとき昔祖父が言っていた、人間は勉強だけでは生きて行けないというの
を思い出した。
居間に入ると祖父が座っていて
「最近真一どうだ?」
と語りかけてきた。
「ま、時間もあるようだし少し話さないか?」
と言われたので俺は祖父の向かいに腰をおろした。
祖父は私に
「以前若い頃私が戦争に行っていたことは知っているな。」
と話し始めた。
「戦争というものは、勝ったものが正義だ。
真一が受験に落ちたことは知っている。おまえは受験という戦いでは負けた。しかしそれがすべてではなかろうに?戦争中、我々は生きるために戦った。それは国のためというよりは、戦場では自分が生きる為に人を殺していた。国家と個々人の意思は違う。日本はアジアの対西欧化として世界に挑んだ。しかしそれはアジアの為というよりは、やはり日本のためだったのであろう。日本はアジアで多くの人を殺した。」
ゆっくり昔を思いだすようにお茶を飲むと。
「私が一時居た、カンチャナブリーは映画”戦争にかける橋”で有名だが、ミヤンマーへ物資をつなげるために、この建設では多くの犠牲者がでた。当時の日本人技師は完成には5年かかると試算したのだが、日本軍はそれを16ヶ月で完成したのである。鉄道建設という過酷な労働は1万6000名の捕虜の尊い命を奪った。
またタイ、ミヤンマー、マレーシア、インドネシアからの労働者10万名もの命をも奪ったの。まさに地獄。日々死体の山が増えていった。捕虜はろくな栄養をとることもできず過酷な労働を強いられた。労働はまさに死と対面した状況で行われたのである。マラリアなど熱帯の伝性病は、体力が 落ち非衛生な収容所での生活者にとっては、まさに悪魔が命を奪うように毎日多くの人間の命を失わせた。まるで我々は悪魔のように写ったかもしれない。しかし我々はそれが正義のためであると疑わずに。」
真一はただ話を聞くしかなかった。祖父が戦争に行ったことは知っていたが、今までこのような話を面と向かってしたのは、はじめてである。
「我々の部隊は終戦間際、情勢が悪化するとカンチャナブリーから命からがら逃げ
た。ジャングルの中、部隊はばらばらになり食料もなく敵から逃れるために這う
ようにジャングルをさまよった。一人また一人と仲間が目の前で死んでいく。敵
の死から味方の死へ、そしてまたいつ死が自分に降りか かるのか神のみぞ知るか
のようだった。雨季のジャングルは体力の消耗が早い。歩いても歩いても 目の前
は泥である。目に映るのは茶色の泥と原色の緑。体力の消耗は精神をもろくする。仲
間と 気が狂わんばかりにジャングルをさまよった。
しかし私の最後の戦友は、衰弱しとうとう私の腕の中で「生きろ。」といいつ
つ息を引き取った。涙 なんて言うものは本当に泣きたいときには出ないもんだと
私は知った。ついに私は一人で逃げるこ とになったのだが、ジャングルをさまよ
うばかりでどこへ行ったらいいなんかわからない。しかし最後 の戦友が死んだと
きに、サファイアブルーの綺麗な蝶が死体の上に舞い降りた。それが私を導くか
のように飛び立ったのである。私はそれは亡き友が私の為に無き道を導いてくれたと
思いがむしゃ らに歩き続けた。そしてその後2日ばかり経つと、私は意識を失い
ジャングルの中で倒れた。
夢の中でも私は出口の無い迷路をさまよい続けていた。目が覚めると民家の中
に居るいた。民 家といっても雨風しのぐには、あまりにも頼りない作りの藁ぶ
きである。私をどうやらタイ人が助けて くれたみたいだった。言葉がわからな
かったが、その老人はニコニコして私に食べ物を勧めた。
日本軍は侵攻途中多くのものを略奪した。ただでさえ貧しい農民から食べ物を
奪い、過酷な要 求を突きつけられてきた彼らが、今私を助けているのである。
ほっとけば私はジャングルでそのまま 土に帰ることだろ。私なんか助けなくても
誰も咎めるものはいない。しかし彼は自らの危険を省み づ、私が体力が回復す
るまでかくまってくれた。今の私が居るのは、散々ひどい目にあわされなが
ら、私を救ってくれた彼のおかげなのである。
いつかお礼をしたいと思いつつもうこの歳になってしまった。彼は亡くなって
しまった事だろうし、ま た彼の家族のこともわからない。彼は私に何よりも命の
大切さを教えてくれた。」
言い終わると同時に母が買い物袋の音をさせながら帰ってきた。
母は祖父に挨拶すると、台所で夕飯の支度をはじめた。
母も父も毎日決まった時間で生活している。母の帰宅後30分もすると父が帰って
くるのである。毎日決まった時間に家に戻り、決まった時間に食事をし、決まった時
間に風呂に入り、決まった時間に寝る。まるでそうでもしないと世の中が変わってし
まうかのように。
家族の会話などなきに等しい。規律こそ全てなのである。以前は祖父が来た時ぐら
いは両親も食後は話をしたが、父が支店長になり母も子育てに一段落して仕事をはじ
めてからは、昔のように家族で出かけたり笑ったりと言う事がなくなった。二言目に
はちゃんと勉強はしてるか、しっかりしなさいというだけである。次第に祖父の足も
我が家から遠のいたが、今日は久しぶりに祖父が家に来たのである。俺にはまだ命の
意味なんかわからない。しかし祖父が語った戦争体験は胸に何かを感じた。学校で習
う歴史とはまったく違う。
祖父が続けて話しだした。
「人間の尺度はいかに勉強が出来るかとか、仕事が出来るかとかで計るものではな
い。一番大切 なのは思いやりだ。思いやりの無い人間は、自分以外を敵にして
しまう。しかし人間は所詮一人で は生きられない。
人を大切にすることは、自分を大切にすることだ。人を大切にしなければ、
しょせん自らを孤立さ せるのである。真一は今回受験には失敗したが、そこか
ら学べるものがあればいいではないか。勉 強勉強で自分を見失ってしまっては
しょうがない。自分が何をしたいか見つめなおしてごらん。」
しばらくすると父が帰ってきたので夕食である。
食べている時祖父は
「真一に旅行させるがいいか?」
と両親にいった。そして
「真一、しばらく勉強のことは考えないでタイに行って来い。ここにチケットがあ
るからゆっくりしてきな さい。」
両親も突然なことなので驚いたが、俺もびっくりした。さすがに祖父が言いだした
ことなので両親はむげに出来なくただ「気をつけていくなら。」といった。
祖父は既に私が修学旅行の時にとったパスポートで航空券を買い予約していたので
ある。それは卒業式翌日発のタイ、バンコク行きの航空券だった。
*鉄道で*
飛行機を降りると南国の空気が、毛穴をふさぐように体を覆う。日本から着てきた
ジャケットをかばんに押し込み、吹き出た汗を拭う。
簡単な入国手続きを済ませ、空港前にあるという鉄道駅を目指す。タクシーはぼら
れるとガイドに書いてあった、バスでもバンコクの渋滞は世界一と書いてあったの
で、渋滞のない鉄道に自然と足先は向いていた。空港を出ると目の前に大通りがあ
る。鉄道は目と鼻の先に走っていた。しかし道路を渡るにはいったいどうすればいい
のかさまよったあげく、空港内に戻ると鉄道駅への表示があった。それにしたがいエ
レベーターで上の階へでる。空港から鉄道の駅までは歩道橋でつながっている。
駅の誰も居ない小さな窓口には、小さく時間が書いてあった。それまでは開かない
ということなのだろうか。他にも俺と同じような旅行者が数人いたので、俺も待つこ
とにした。列車がホームに滑りこむ10分前に切符は発売された。
バンコクの終着駅フアランポーまではわずか5バーツ。15円なのである。列車に
乗り込むと、既に木の席には多くのタイ人が座っていた。車内は暑く、壊れた扇風機
が首を振らずに音を立てている。
乗車口は閉まらなく、タイ人が段に座って外を眺めている。俺も反対側に座る。
さっきまでまとわりついていたサウナのような暑さは、心地のよい風で打ち消され
た。
すぐ目の下には民家が見える。その前では犬が何かを探していたり、子供が遊んで
いる。民家は簡単な作りでまるでバラックだ。家の中にはテレビを見ている姿や、夕
食の支度をしている姿がまるみえだ。目線をあげると家の向こうのやしの木の隙間か
ら、燃えるよなオレンジの夕日が見え隠れし、まぶしいいけどその美しさに目が離せ
ない。
バイタクといわれるオートバイのタクシーが列車と並んだ。後部座席には制服を着
たOLが、ミニスカートから出たすらっと細い足を揃え横座りをしている。どこにもつ
かまらずにバランスを上手に保っている。タイではヘルメットをいらないのだろうか
?OLの髪が風になびきながらバイクは遠くに離れていく。
流れ行く景色を見ていると、列車の中を売り子が通り過ぎていく。するめイカを売
る者、ドリンクを売る者と籠の中に食べ物をいっぱい詰まっている。目が合うと愛嬌
のある笑顔で差し出してくる。
列車から初めてみるタイの寺は、日本の寺とは大きく違いきらびやかだ。夕日に反
射するオレンジの屋根は、力強いカーブを描いている。大理石の柱はその力強い屋根
を頑丈に支えている。真っ白な壁には金で装飾された窓が見え、その奥には金色に輝
く仏像が見えた。
だんだんと住宅が増えてきて、屋台がその前で煙を出している。タイでの屋台は、
日本と違い日常である。日本では祭りの時ぐらいしか屋台で賑わう事は少ない。そし
てその祭りも日本では廃れてる。
何を焼いているのだろうか?煙の向こうでは主人が、お客になにかを話しているの
だろう。顔がほころんでいる。
鉄橋をくぐると、そこはすでにフアランポーという終着駅に入っていた。1時間と
いう列車での時間は、映画の一場面のように流れていった。それは旅の序章にふさわ
しく感じられた。
多くの人が駅から街中に排出されていく。夕日は沈んでしまったがまだあたりは明
るい。俺は外国人が多くいるというカオサンに行こうと考えていた。駅から外に出よ
うとすると、タクシーの客引きが声をかけてきた。俺は相手にせずに、客引きをして
いないトゥクトゥクといわれるタクシーの運転手に声をかけた。相手は私の言ってい
ることが理解できないようだったが、地球の歩き方のそのページを示すと、手で15
0バーツという仕草をしたので、それを確かめながら後ろに頭を下げながら乗り込
む。
トゥクトゥクはフルスロットで駅のわき道を出ると、運河沿いに少し走り暗い道を
黄色とオレンジと赤色のライトの光を流しながら、エンジン音をまき散らし風の中を
疾走した。かばんが転がり、思わずのけぞった俺は反射的にかばんと脇を掴んだ。ミ
ラー越しには運転手のにやけた口が見えた。
かばんを足の間にはさみ体制を整えると、今度は右に旧カーブした。今回は手に力
をいれ足をふんばると運転手はウインクをした。
バンコクの交通事情を読んで想像はしていたが、なんと無防備に飛ばすんだ。渋滞
という渋滞も無く信号から信号へ走り抜けていく。スピードが落ちたと思ったら、運
河を越えると同時に体が宙に浮かびカバンと同時に着地する。左に曲がると視界が開
けてきた。右手には国会議事堂が街路樹が整然と並ぶ先に見え、左を振り返ると丘の
上には金色に輝く寺が見える。美しくシルエットを浮かばせてながら。緑のアクセン
トが視界から遠くなると、街灯の綺麗な大通りだ。手前にはライトアップされた塔が
見え中央分離帯には植木が並ぶ。タイというイメージが覆された。
塔の周りを半円を描きながらスピードをあげ、右の小道に曲がる。運転手はここだ
という。ふと左を見ると看板がところ狭しと重なり合い、ここだけ異空間のように輝
いている。
運転手に150バーツを渡すと。グッドラックと白い歯をみせエンジンをふかし消
えていった。
世界中からバックパッカーが集まるというカオサンの歩道には店が並び歩行者は車
道を行き来している。7割近い白人と、2割のタイ人を除いた東洋人が通りを埋めて
いる。
俺は荷物を背負いなおして、まずは通りすすむ。セブンイレブンやバーガーキング
にマクドナルドとお土産屋にレストランに宿。全てが密集した空間である。
左側の看板をみて左折するとゲストハウスの入り口に日本人らしい男性がいた。俺
はそのゲストハウスに入りチェックインを済ます。日本らしい男性は私を避けるよう
に通りに出ていった。
鍵を受け取り2階の自分の部屋に入る。薄暗い部屋はベットにほとんど埋められ、
ベランダにトイレとシャワーが見えた。鉄格子に囲まれたベランダの向こうには壁が
みえる。
荷物を置き、シャワーを浴びるが水しか出ない。壊れたシャワー口からは勢いよく
水が流れ便座を濡らしていく。狭い空間だ。ぶるっと震え、急いで体を石鹸で流し服
を着替えてカオサン通りに出た。
Tシャツ、CD、土産、お香、アクセサリー、靴、服、焼きそば、果物、とうもろこ
し、イカ、オムレツさまざまなものが所狭しと広げられている。
目が見えないのだろうかマイクをもって歌っているものの横を、バイクが通りぬけ
たと思うと私の間横をたこが風の音をあげて落下した。
端から端まで200メートルもないであろう。しかしここには何もかもが揃ってい
るかのようである。
機内食で食べたカレーは消化されたらしくお腹が音を立てた。これだけの多くのレ
ストランがあるとどこに入るのかでさえ迷ってしまう。しばらくカオサンをさまよっ
ていると屋台が並ぶ所があった。
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