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法喜が語る
2003タイインド記2
バスの呼び込み
「おいおいそれはないだろ。」なんてヒンズー語で言いたくなった。俺だって暇人じゃないんだ。まったく困った奴だ。
俺はサルナートに行こうとバスを探していた。このバスだというのの乗って座っていた。しかしいつになっても出発しない。お客も数名乗っているのだが、エンジンさえかけていない。そうこうしている内にバスから降ろされて、「あのバスに乗りかえろ」見たいなことを言ってくるので再び「サルナート?」と聞くと乗れ乗れと言ってくるのでのる。
途中せっかく座った席をおばさんに代われて言われわけがわからずかわると、あばさんは窓からゲロをはいている。よくわからんやつだ。しばらくするとガンガーをわたって駅のほうに向かっているようなのだが、おかしいサルナートの方角はこちらではないようなきがするのだが。ま、いいか。乗っていればどうにかなるだろうと乗っていたら、終点らしく降りろと言ってくる。「サルナート?」と聞くと「違う、どこに行きたいのか?」なんて聞いてくる。いや俺はお前にサルナートに行くバスかと聞いてこれに乗ったのだ。なんで今ごろどこに行きたいと聞いてくるんだ。
ちきしょーサルナートに行かないんだったら初めにそうと言ってくれれば、無駄足を踏まなかったのに。ってな感じ同じバスで元のところに帰ることに。しかしちゃっかり帰路の料金まで取ってきやがった。ふざけた野郎だ。
床屋
私は必ず旅に出たら早いうちに現地で髪を切るようにしている。日本で切りたくなっても、旅の予定があると切らないで我慢する。今回タイとインドで散髪してもらった。タイでの散髪は何ら日本と変わらないので省略して、インドで散髪した時の事を今回は紹介する。
俺が髪を切るのに選んだ所。それはバナラシのガートである。自分の写っている鏡にはガンガーが写っている。そう後ろにはガンガーが流れているのである。何故ここで髪を切ることになったのか。自分でもわからない。たまたま歩いていたら床屋につかまったそれだけのことである。街中では木下で開業していたり、あちこちに青空床屋が存在している。しかし何故か今回はガートの床屋。不思議だ。ガンガーが引き寄せたのか。これがインドである。いや違う単なる客引きに強引に。おそるべしインド人。髪を切るつもりのない人にまで髪を切らせるなんて。だがここの床屋はそんじょそこらのとはわけが違う。後ろにガンガーが流れているのである。ほんの3m先ぐらいに。それだけではないマッサージまでやっているのだ。マッサージは夜のだけで充分なんてギャグも受け流されてしまう。俺は髪の毛さえ切ってもらえれば良いのだ。しかし彼はマッサージを薦める。そりゃそうだ。マッサージは馬鹿高い。タイより物価が安いのに、マッサージはタイよりも高い。俺は暇なバックパッカーとは違う。のんびりマッサージなんてしている暇はないのだ。だから髪の毛切るだけだといって、席についてはじめさせた。
順調に髪が切られていく。すっきりしてきた。髪の毛も整い、すっきりしてきた。そうしたらマッサージをはじめた。ま、タイの床屋のようにサービスかと思っていたらなかなか終わらない。俺は髪を切るだけと言ったんだ。追加料金は払わんぞ。しかも涙が出る程痛いでわないか。いつ終わるんだ。しまいには足までマッサージしだしたので、俺はマッサージはしなくていい。いつ終わるんだと言ったら。なんと散髪の50ルピーのほかにマッサージ代の500ルピーを請求してきやがった。俺は散髪だけといたじゃないかと言ったら、マッサージもしたからなんていってくる。なんというあくどい奴だ。これじゃラーメン食べに行って、かってにトッピングされ、余分に金を取られるのと同じではないか。
俺は金を持っていなかったので、しかもかってにマッサージされたので100ルピーを渡そうとしたら、金が無ければ払わなくていい。なんてわけのわからないことを言ってくる。こいつらいつまでも善人ぶるきか?詐欺みたいなことして、涼しい顔している。あいつらにはかなわないと思った。俺は無理やり100ルピーを握らせ逃げてきた。しかし払う前に、ノートがあったので、しっかり手口を書き込んできた。
ミトナ
ミトナ像をご存知だろうか?カーマスートラなら知ってるでしょ?仏教はキリスト教と違い、意外に性にオープンであった。キリスト教会に性的表現があるだろうか?あったとしてもそれは正当な教会ではないはずである。しかし仏教では性をオープンに表現出来る時代があった。インドの仏像にはふるちんの仏像もある。ものも服も何も持たない宗派があるらしく、坊さんは裸で過ごしている。
そこでミトナに話を戻そう。今回カジュラホーに行ってきた。ここはミトナ像が有名な遺跡群がある。ミトナ像とはずばり性交をしている像なのだが、遺跡のレリーフにリアルに彫ってある。しかも馬とやっていたり、とんでもない体位をしていたりと、見るものを楽しましてくれる。カンボジアのアンコールワットの女神は豊満な胸をしているので、観光客に触られてかっているが、ここの裸の女神はあそこのスジが触られ光っている。まるで濡れているように。豊満な胸を触るのは憧れかもしれないが、あそこを触るのは単なるスケベこころからでしょう。
神々の性交、これは仏教ではタブーではない。ギリシャ神話でもあたりまえの出来事である。キリスト教のように神が処女受胎で出来てくるなんてつまらない。
ミトナ像はまさしく性の開放である。
マッサージ
最近クイックマッサージの店が身近に増えてきた。それだけ癒しが日本に必要になってきたのかゆとりが出来てきたのか。マッサージを開業するのにはたいした資本金を必要としない。だからマッサージの資格は独立する人にとっては魅力的な仕事らしい。そのうえほんの数ヶ月で資格が取れてしまうのである。マッサージのチェーン展開もうまくいっているらしい。難しいことをしなくても出来てしまうマッサージ。日本にはいろんなマッサージが入ってきている。韓国式、中国式、英国式、そしてタイ式など。そしてすこしエッチな系統のマッサージもある。
最近のマッサージは旅館やホテルだけでなく駅ビルに入っていたりと、日常生活の中にマッサージの需要が出来てきた。しかし日本はまだまだ甘い。
タイではマッサージの資格が1週間で取れてしまう。そして町中にマッサージを受けられる施設が存在する。世界でこれだけマッサージ屋があるのはタイだけであろう。タイマッサージは本当に日常生活に溶け込んでいるのである。これには多分中華系の住民が一役かっていると思う。何故なら彼らはマッサージ大好き人種だからである。
タイマッサージは基本的に家庭内でのコミニケーション大きく役立つもののような気がする。中国のマッサージのように治療としてではなく、体をほぐしてリラックスするのに向いているので、夫婦がスキンシップとしてすれば効果てきめんである。
ワットポーのマッサージスクールには日本人や白人など連日訪れている。一体どれだけの外国人がタイ式マッサージの資格を持っているのだろうか。
街中にあるマッサージ屋では1時間200バーツ前後で受けることが出来る。日本円にして600円。タイでは少し高いような気がするが、なんせあちこちあマッサージ屋があるので暇なのである。ワットポーのように1時間待ちなんて事はありえない。ワットポーの純粋なタイ式マッサージがアレンジされたマッサージ屋もあちこちにある。どうもタイ式マッサージは日本で誤解されている。結構激しく痛いイメージを持っている日本人がいるが、タイ式マッサージはされてる最中に睡魔が襲うほど静かに行われていく。俺は何度寝たことだか・・・。
タイでマッサージなにかいかがわしい響きがありますね。タイにはマッサージパーラーが沢山あります。雛段にいる女の子を選んでエッチする店。この系統の店は中華系や日本人がお得意で白人はほとんど来ないらしい。街中のマッサージ屋で純粋にマッサージをしようとしても、手軽に稼げるSEXをしないかと女性が誘ってくることが多々ある。なんてたってマッサージなら女性が体力を使うが、SEXなら客である男性が体力を使うことになる。そのうえ収入も大幅にアップするからひつこく言ってくる。
タイを表現するのにタイ式マッサージは欠かすことが出来ません。
インドのマッサージこれも本当にインドらしく強引で痛いです。しかし終わった後不思議にすっきりする。インドの理不尽さをうまく表しています。
マッサージ一つとっても、その国の文化が表れていて非常に面白いと思いました。
ちなみに私はタイ式マッサージとフットマッサージの資格を持っています。しかし使用しないので忘れてしまいました。何やってんだ俺は。
町から町へ
インド
プジャゲストハウス
ブッタガヤからバスでバナラスに入る。バナラスのバスターミナルは列車の駅の斜め向かいにある。バスから降りると、リキシャーが寄ってくる。大きな荷物を持っている外国人はここではいいかもにされる。初めて土地では土地感が無い。バナラスには初めてインドに来る人たちが大勢来る。何も知らない観光客なら十分ぼれる可能性がある。まさしく鴨が葱を背負ってバスから降りてくるのである。
しかし俺の外見は違った。荷物は無いに等しい。だから俺が選んだリキシャーの運転手は、俺が既にバナラシで宿を決めていると思ったらしい。俺はゲストハウスの名前を告げて向かわせた。インドのリキシャーの給料は一日なんと100ルピーだ。日本円にして250円。これしかもらっていないのである。これでは日本円で多少ぼったとしても、かなりの収入になることになる。
インドは物価の割にガソリンが高い。オートリキシャーの運転手はよくぼる。ガソリンが高いのとは関係無いと思うが、彼らも高慢知己なのである。彼らほど疲れる奴はいない。よく街中で客と言いあっている運転手がいる。ボル額がオートの奴らは半端ではない。本当に困った奴らだ。
今回俺が乗ったのもオートリキシャーでちゃっかり2倍の額を請求してきた。しかもオートは俺の行きたいところまで入れないと言うことで、かなり前で降ろされた。
そう今回俺が泊まろうと思ったところは迷路の中。地球の歩き方を見ている限りそんなイメージは無かったのだが。まさに迷路。カスバに迷いこんだみたいだった。汚いけど。
ゲートをくぐると細い道の脇には店が並んでいる。人々は狭い路地をいきかう。時々荷台が通ると、渋滞がおきる。そんな路地に迷い牛が入ってくる。野良牛は何を考えているやら、ハッキリ言って邪魔である。彼らはお土産を落としていくので道が汚れる。雨が降ったら最悪。うんこだか泥だがわからなくなるほどぬかるむ。そしてすべる。足元が非常に汚れる。こんな所で靴をはいていたらとんでもないことになるのでサンダルが一番。さっくと水に流せるし。バナラシは靴をはいている人が少ない。
俺が地球の歩き方でめぼしを付けたホテルに向かおうと道に迷っていて、そこの人に尋ねてみるとそこはつぶれたと言う。はじまったそういって知っているところに連れていくつもりだろうか。しかし警官に聞いても、同じだった。どうやら本当に無くなったらしい。そこでその近くのプジャゲストハウスにすることにした。プジャゲストハウスはメイン通りから奥まったところにある。ちょうどゴールデンテンプルとガンガーの間にある。意外に大きなゲストハウスで増築されている。そして屋上から火葬場もガンガーもみれる。なんでもこのゲストハウスの持ち主はバナラシでは相当の金持ちらしい。
俺の部屋は内側の部屋。ガンガーの見える部屋は高かったので安い部屋にしてしまった。しかしせっかくだからガンガーの見える部屋にしとけば良かった。TVも付いていたし。おれの部屋は内側で窓は開けられないし、電気も暗くてなんか、ガンジャでもやらないとやっていけないような気になってくる。
まず部屋に入ると俺はシャワーを浴び、屋上のレストランに向かった。ガンガーの上流から下流まで見渡せて、周りの生活の様子も覗ける。サルたちが洗濯物とじゃれていたり、子供が牛糞を練って壁にくっつけていたり、料理が出てくるまで充分暇潰しが出来る。
俺はこのレストランで毎回チャイのポットを頼んでいた。日本でもこんなに牛乳を飲んだことは無い。インドで骨太になりそうだ。インドではカルシウム不足にはならないだろう。初日はチャイとトマトのカレーを頼んだ。このトマトカレーがナイスアイデアな料理だった。トマトの中にチーズが入っていたのである。こうすればカレーにチーズが溶けることなく、味わうことが出来る。チーズとトマトとカレーが絶妙な味を出していた。
食事が終わると俺はホテルを後にガンガーの方に向かった。ちょうど夕方のプジャをしている最中で厳かな雰囲気になっていた。暗闇にゆれる炎、お香の煙、鐘の音。神聖な時間が流れていく。
ピーナッツを買ってホテルに帰った。ホテルへの道は真っ暗。とても危険な雰囲気だった。なので少し早足で歩いていると、突然前に影が現れて心臓が早くなる。それが単なる野良牛だったりする。
ホテルの前に雑貨屋があるので、俺はジュースなど細かいものはいつもここで買ってから部屋に帰る。レストランに行きテレビを観る。しかし誰がリモコンを持っているのかチャンネルがころころ変わって話にならない。外で雨が降りだした。結構豪雨かもしれない。雨がレストランの中に入ってきて、水浸しになってきた。このレストランでは高いけど、ビールを飲むことが出来る。酔っ払っていた白人がふと下を見ると、水たまりになっている。びっくりして席を移動する。何の映画か忘れてしまったがつまらないので、部屋に戻る。部屋でサルのようにピーナッツを食べて寝る。
朝、ガンガーに浮かぶ朝日を見に行こうとカメラを持って屋上に出る。しかし雨だ、これでは朝日を見ることが出来ない。サルナートに行こうと思っていたが、雨の中行きたくないので部屋に戻り寝てしまう。昼頃雨が止み、ホテルを後にする。ガンガーのガートを歩いてみる。ちょうどあの有名な久美子ハウスのあたりで人のよさそうなボート漕ぎにつかまり、ボートに乗ることにした。一時間50ルピー。適正な値段だ。しかも最初からである。どうせやることも無いので2時間乗ることにする。2時間90ルピーである。日本円で230円。彼の今日の稼ぎのほとんどだろうか。
ガンガーの中央は意外に流れが早くなっている。何でも日本人が泳ぎ渡ろうとしたら、流れに飲まれ行方不明になったこともあるらしい。イルカの餌にでもなってしまったのだろうか。
ボートに乗って景色を見ていると2時間と言うのはあっという間である。と言って2時間といいつつ1時間45分ぐらいで終わってしまったのだが。
ボート漕ぎにバナラシの女のことをたずねたら、「バナラシには娼婦はいない、ヒンドゥー教だから。宿には日本人の女がいっぱい居る。旅行者はホテルで知り合った異性とSEXしている。だから女を買わなくてもいいじゃないか。」と言ってきた。しかしその後この男がどうしてもインド女を抱きたいのかと聞いてきた。別に抱きたいわけでなく、バナラシの娼館を見て見たかっただけなのだが、「出来るのか?」と俺が聞き返したら。なんでも夜、向こう岸で出来るらしい。どうゆう理由でかわからない。こいつの知り合いを連れてくるつもりなのか?怪しいので俺は辞退させてもらった。インドの娼婦を結局見ることが出来なかったが、なんでもボンベイにはインド最大の娼婦街があるらしい。もちろんここは病窟のように、不衛生きわまりないらしい。娼婦になる女はアウトカーストなのだろう。
インドにカーストが無くなると、社会が機能しなくなるという。ある階級の仕事に他の階級の人が割り込んでくると、もともとそこに居た階級の人が職を失うことになる。掃除などする階級の人が他の階級に行ったら、その仕事をする人がいなくなるなど。そんな理由でカースト制度は必要らしい。階級の無い生活は彼らには想像も出来ないほど、生活に密着しているらしい。
レストランで焼きそばを食べていると、日本人のおじさんが話し掛けてきた。彼の名前は瀬戸さん。なんでも今日バナラシに列車で着いたらしい。職業は大学の講師。仏文の夜間らしい。瀬戸さんがこんな質問をしてきた。「遠藤周作の深い河に出てくる寺の名前を知りたい。」そうバナラシは深い河の舞台である。すっかりその寺のことを忘れていた。小説の中では、すぐ街中にあるような感じがした。しかし結局その寺はなんとバラナシから20キロも離れたところにあるらしい。20キロなら日本で日帰りできるが、ここはインド何時間かかるかわからないので行くのはあきらめることにした。
翌日瀬戸さんがプリーで知り合った日本人女性と合流して、3人でボートに乗った。今回は火葬場のほうに向かった。火葬場では一日中人が焼かれている。火葬場に流れる音楽は妙に明るい声なのだが、なにか寂しい気持ちにさせる。
ガンガーの向こう岸に渡る。別に俺が死んだから渡るわけではない。砂漠のような向こう岸にババがいるテントがたっているのだ。ババといっても何も者だか知らないが、おもしろそうなのでいってみることにした。なぜだか警備もしている。それほどすごい人なのであろう。外国人はこちらにはあまり来ていなかった。ババにも会うことが出来なかったが。
今テントが立っている所は雨季になると、水没するところらしい。地表はまるで砂漠のように、砂紋が広がっている。風が吹くと砂嵐のように砂が飛んでくる。身を隠すことが出来ず、砂の攻撃にあう。砂漠の民は常にこのようなところで生活しているのか。これでは肺がやられてしまうではないか。そのため砂漠の民はターバンやサリー、チャドルなどで砂から身を守るようになったのか。
河には豚の死体が浮いていた。まるまるふくれていた。もしかしたら豚ではなく犬だったかもしれない。時々沈めたはずの死体が浮かんで流れていることがある。写真を撮ろうものなら、どこからか怪しい男が出てきて罰金を徴収される。しかしその金はそのまま懐に入っているような気がする。それでもツーリストポリスに連れていけば5000ルピーの罰金というのに脅されて、払わないわけにはいかなかった。
今回バナラシで大きな買い物をした。あまりに大きいため手で持って帰ることが出来なく、郵送にも重すぎるため、貿易という形になってしまった。今回の一番の目玉もの、それは大理石で出来たハヌマーンである。ハヌマーンをご存知だろうか。鳥の神様ガルーダ、象の神様ガネーシャ、そしてサルの神様がハヌマーンである。インドではいたるところにハヌマーンの象が飾られている。とても生活に密着している神様なのである。そもそも何故ハヌマーンなのであろうか。そうハヌマーンこそ自分のレストランの名前にしようと思っていたのである。
店先でハヌマーンを発見して値段を聞いたら、思ったより高くはなかった。何軒か見てまわった。大体どこの店にも工場が近くにあって見せてもらうことが出来たが、なんせ重いのでその場では買おうとは思わなかった。スタイルもいろいろあるがどうもいいものがない。4件目に入った店は赤い石のハヌマーンもあり、かなり安かった。店の人が工場に見に行くかというので、明日行くからといってその日は引き上げた。翌日店に行って、違う男が工場まで連れて行ってくれた。とても大きな工場で、表情のいいハヌマーンを発見。値段を聞いて引き上げることに。翌日、最初の男に買いたいのがあるが、まけてくれないかと頼んで、工場に一緒に行ってマネージャーに話をつけてくれたが、12000ルピーが11500ルピーになっただけ。少し納得いかなかったが、インド人価格だと言ってそれ以上は無理みたいであった。考えてみればまけてくれた500ルピーと言えば、インド人の5日分の給料だもんな。
俺が選んだものは、未完成で後やすりがけと塗装が残っていた。だから色の指定をして、翌日の夕方には出来ると言うので、引き上げて翌日再び訪れたがまだ磨いている最中で、後一日かかると言うのでしょうがない。そんな感じで工場に通うはめになり、ベナレス滞在が伸びていくことになる。
インドは疲れるので、早くタイに帰国出来るように、飛行機を変更したのに、無駄に日にちが過ぎていく。やっとハヌマーンが完成して、自分の名前まで彫ってもらうことにした。なかなかの出来栄えで満足。しかしこの重い仏像をどうやって持ってかえるのか。その問題解決はなんと貿易だ。しかしこの貿易がまた高い。なんと仏像とほとんど同額近くかかった。なんせ70キロだもんな。せっかくお手ごろと思ったものがどんどん高くなっていく。
日本に帰ってきてからも、手数料が重なりまいりました。今度からは手で運べるものにしなければだめだな。
大理石屋の親父が工場に行く前にいつも家に連れていってくれてチャイをご馳走してくれた。とても小さな家で、屋根の上に増築されたような部屋であった。家庭教師が来ていて小学校にあがる前の子供に教えていた。家庭教師は初老の女性でとても頭がよさそうだった。奥さんはとても若くて、小さくて可愛い感じがした。チャイを飲んでいる時、何をするもなく、飲んだら工場にバイクで向かう。しかしその途中必ずキンマを1ルピーで噛む。彼は今子供と奥さんの3人で暮らしているが、一度彼の家族が住んでいるところにも連れていってもらったが、沢山人が居て、何かの避難所みたいな感じがした。彼は常にキンマを噛んでいたが、いつもお金が無い状態であった。キンマを買う1ルピーも無い日があった。日給が100ルピー。月給3000ルピーの生活。あんなにキンマを噛んでいたら、結構出費しているだろうに。一応彼の今住んでいるところの住所を聞いたが、家賃が高いから、あの避難所見たいのところに戻らなくては行けなくなるかもしれないからと、そっちの住所も教えてくれた。
お土産の彼が一番インドで接触した人物であった。とてもいい感じの男であった。
ベナレスでのミッションを終了させ、ガンガーのほとりにあるこの聖なる街から離れることにした。
後日談でインドからの荷物が、日本に着いてから一ヶ月以上経ってやっと手元に。本牧税関で中身を出して入管した。仏像の手と筒の根がかけていた。もしかしたら箱から出すときに壊れたのかもしれないが、保険会社と話しを付けることにした。宇徳運輸への保管料は1日700円で3万弱もとられた。
ブッタガヤの少年
ブッタガヤは仏教の聖地。釈迦が菩提樹の下で悟りをひらいたところである。多くの仏教徒が各地から訪れる。いろんな国の寺を見ることも出来る。日本寺には大仏まである。俺が落ち着く寺はやはりタイ寺であった。俺がこの寺の近くに居るとタイ語で話し掛けられる。日本人でも俺のことをタイ人と思うときがあるぐらいだから、インド人には識別は不可能だろう。
菩提樹のある寺の前には店が並び活気があるが、少しはなれるとそこは田園風景が広がっている。ブッタガヤは小さな街なのである。街の入り口近くに大きな河が流れていて、橋で向こう岸に渡ることが出来る。川辺では火葬が行われていた。今の時期は雨が少ないのか、川幅が狭い。羊の大群が遠くからこちらに向かって歩いてくる。その向こうには岩山が見える。そのとき俺がこの岩山に登るとは、全く心にもなかった。橋を渡ると子供が近寄ってきた。ボールペンをくれと言ってきた。そう言われてもこまる。緑のボールペンを持っているが、これがなくなたら日記がつけられなくなる。ボールペンがもらえないとわかると今度はこっちにこいという。なんでも日本人がフリースクールを作ったらしく、そこに来て写真を見てくれと言ってきた。うーーん。面倒臭い。後で来ると言って逃げるように別れた。俺を捕まえたこの少年驚くことに6ヶ国語話せる。しかも上手に。
子供から開放されて、村の中をどんどん進んだらあっというまに畑に出てしまった。畑の向こうに寺が立っているので、そこまで行って見ることにした。途中子供が気さくに話し掛けてくる。写真を撮ってくれと言われ、住所を教えられ写真を送ってくれと言われた。インドで写真は贅沢なのである。
寺まで行った見たが、つまらないので素道りした。寺の裏には河が流れていた。木下でくつろいでいる人が居る。牛を連れた人が向かってきた。全てがのんびりしているような風景だ。これ以上歩いてもしょうがないと思い引き返すことにした。そしたらあの少年にまたつかまった。岩山に行くのならバイクでつれていってくれると言ってきた。しかし一人で歩いていくからと断り、また後でここを通るからそのときなといってまた別れる。岩山に行くとは言ったがかなり遠くにみえる。途中また違う少年に捕まった。どこに行くかと聞いてきたので、岩山だと応えたら自分の家はその近くだから一緒に行こうということになった。河を渡り一度彼の家に荷物を置いてから、本当に岩山に登ることになった。登って見たらあたりが見渡すことが出来て、ブッダガヤも見えた。とても見晴らしのいい所で、汗を掻きながら来る価値があった。麓で叫んでいる奴が居る。どうやら少年の知り合いらしくて、登ってきた。インド人3人と俺で岩山から景色を見てどうすんだ?岩山にはトラの巣があった。少年の父親は蛇に噛まれ死んだらしい。蛇の抜け殻が落ちていた。変な髭見たいのを少年が拾い見せてくれた。くねくねとねじれていて動いていた。なんでも町で高く売れるとか言っていた。
俺は日が繰れる前に少年たちと別れてブッタガヤにむかった。しかしあの少年がちゃんと橋の前で待っていて、学校見学をすることになった。話を聞いて少しの寄付をすることになった。お金が無く学校に行けない少年の為に日本人が作った学校。すごく小さな学校だったが、子供たちにとってはとても大きな大切な学校になっている。ブッタガヤの夜は何もすることが無い。TVも酒もなく、外も真っ暗で外出どころではない。インド人は夜何をしているのだろうか?娯楽の無いこの町で。
カルカッタから夜行便のバスでガヤに着いて、リキシャーでブッタガヤに行く道の風景は何故か落ち着きます。朝もやの中、牛を連れた農夫とすれ違ったり、途中リキシャーがトイレ休憩したりと。のどかな田園風景がひろがっていました。娯楽の無い町、のんびり生活出来ることが娯楽なんでしょうか?
カジュラホーの風景
サトナーから殺人的バスにゆられ、カジュラホーにはいる。途中ホテルの従業員みたいのが乗ってきて、ホテルを薦めている。外国人の全てに声をかけ何故か最後に俺に声をかけてきた。バスで疲れていた俺はその男のホテルに泊まることにした。名前はマーブルホテル。地球の歩き方にも載っているとか言っていたし、写真もまあ綺麗なので少し高かったが即決してしまった。
なんでもカジュラホーでは明日からダンスフェステバルが始まるらしい。ぜんぜん俺は知らなかったが。ホテル代もあがるらしいが、そんなに人が多く居るわけでもなかった。カジュラホーは本当に小さな町、メインロードから少し外れればそこはインド的生活がみられる。
俺の部屋は内側の部屋で窓から外光が入ってこなかった。確かに大理石の綺麗な部屋だが、昼間は停電。なんせ俺の部屋は暗いのである。蝋燭を借りて、水シャワーを浴びてから朝食を食べに下に降りる。ターリーというインドの定食とチャイを頼んで、ゆっくりと時間をすごした。とりあえずメインの遺跡は翌日にゆっくり見ることにして、自転車を借りてあたりを見て回ることにした。自転車で走っていると子供たちが挨拶してくる。日差しが強いが心地の良い風が吹いている。小さな遺跡に入り写真を撮ろうとすると、遺跡に腰かけていたインド人が邪魔ならどこうかと聞いてくる。とても気さくな人だ。しかし俺はあなたが写っているほうが絵になるので、そのままそこで座っていてもいいよと身振りする。遺跡の外ではお土産売りがしつこく言い寄ってくる。
昔のカギというものに俺の目は寄せられた。サソリの形をしたカギなのだがとても面白い構造をしていた。買おうかと迷ったが少し高いのであきらめ、また自転車をこいで目的も無くふらふらする。池では女、子供達が水浴びをしていた。その横には牛もいる。ちょうど下校時間なのか子供達が帰宅している。綺麗な白いシャツに水色のズボンがまぶしい。大きな木下では床屋が店を開いていた。
ジャイナ教の寺に寄ってみる。衣を付けていない大きな仏像がちんこをぶら下げていた。明日はいよいよミトナ像をみる。
翌日目を覚ますと、歩いて遺跡群に向かう。公園みたいに綺麗でスッキリしている。あまり時間がかからずに見られたので、また自転車を借りてサイクリングにむかう。地図も無いので気の向くままにこぎつづける。民家もまばらにしかない。子供にカメラを向けると恥ずかしそうに逃げていく。
遺跡群の裏のほうに行ってみると学校があった。細い道をひたすらこいでいくと岩山があった。自転車を降りて登ってみることにした。いばらが沢山はいている道無き道を進み頂上に出てみる。遠くに遺跡の頭が見える。どこからとも無くガラガラ蛇のような音がしてきた。インドでは年間どれだけの人が蛇に噛まれ死んでいるのだろうか?冷や汗をかきながら山から降りることにする。しかし音が付いて来る。ドキドキしながら自転車のところまで無事についた。少年がずっとこちらを見ているので、飴をあげてみたら、何も言わずに笑みだけをこぼした。
カジュラホーに戻る前に牛の死体をみた。犬が肉を食べていた。遠くの木陰でその様子を見ている人が居た。少し後でそこを通ってみると、遠くで見ていた人が、自転車に牛の骨を乗せて帰ろうとしていた。外国人の居ない村にはいった。遺跡の中を覗いてみると、水浴び場で女、子供が水浴びをしていた。カメラを向けたらあっちに行けと言う。ここの遺跡は、生活の場みたいであった。この村はカジュラホーよりも人間臭さがした。
夜ダンスフェステバルに行ってみる。そんな大勢の見物者はいない。TV中継のトラックがある。俺の見たダンスは個人のダンスであった。席は一応指定席であったが、始まってみたらみんな適当に席を移動していて、俺も前から2列目に移った。ダンスは神にささげるようなものであった。
お土産屋では客引きがすごい。ガネーシャの壁掛けでほしいのがあったが、とても高い。仏像の後ろにミトナ像が彫ってあるのもあった。しかし荷物になるのであきらめた。今思えば購入しとけばよかった。とびの途中でよくあることである。気に入ったものは、後回しにしてはいけないのである。
カジュラホーからアグラに足をむける。
カルカッタ
カルカッタの白タクは近くの警官とグルなので話にならない。まだその土地の相場がわからない時に奴らはうまい具合にぼってくる。インドを確かに物価の上昇が激しいらしい。タクシーメーターが正規料金に追い付かないほど。ガイドの料金表なんかも当てにならないので、なおさらこまるのである。
サダルストリート、世界に名高なるパッカーの集まるところらしい。俺はカオサンのようなイメージをしていたが、間違えにすぐに気づいた。ここはインドなのである。カオサンであるはずがない。
多くの外国人がインドに訪れる。その際のゲートはデリーかカルカッタであろう。この町でインドのイメージが生まれていく。人ごみ、道路にあふれるゴミ、多くのカラス、交通渋滞。タクシーとバスが衝突した。タクシーは再起不能なぐらいつぶれていた。しかし運転手はバスの運転手と喧嘩をはじめた。お客の処理の方が先ではないのか?車がこすることなんか日常茶飯事である。とても高級車なんか乗っていられない。
カーリー寺院では多くの参拝者が訪れている。外国人の入る余地が感じられない。坊さん見たいの人が手をひっぱり案内してくれる。羊の首切りが目の前で行われる。多くの血が流れている。殺された羊はその場で皮がはがされる。肉切れはカラスなどが食べている。あっという間に命が目の前で失われる。儀式とは恐ろしいものである。機械的な動作が続けられている。昔人身犠牲も同じように、流れ作業で行われていたのであろう。
カーリーを見る長い列を無視して、手を引かれあっという間にカーリーを見ることが出来た。黒いちんぽに目があるカーリー。あっという間の出来事で感動さえ出来ない。その後お決まりのことで、坊さんから寄付金の請求。俺はお金が本当に無かったので、多くぼられはしなかった。いやぼるという表現はおかしい。金を持つものが多く払う。寄付できるのならすればいいのである。相手も寄付しろと言うのなら、いくらでもいいのである。足りないなんて言う事はおかしい。坊さんは怒るように去っていった。
これだけの大都会でも、道端で体を洗っている人や河で沐浴している人が入る。映画館ではタリバンという映画をやっていた。ふらっと覗いてみると、映画大国という割には、映画の質が悪い。
ジャイナテンプルに行きたいとタクシーに乗ると、チャイナテンプルに連れていかれた。
娼館に行きたいと言うと、マザーハウスに連れていかれた。
広場ではクリケットをしている。競馬も人気らしい。カルカッタにはもう行く事はないだろう。
マトゥラー
アグラからデリーに向かう幹線道路の途中にマトゥラーというヒンズー教の聖地がある。この小さな町にはインドが詰まっているので面白い。そして交通の便がいいので、小旅行に向いている。
川沿いにたたずむ町は、沐浴の光景もみられる。小さな町なので歩いてみて回ることも出来る。なのでリキシャーに頭くるということもない。マトゥラーのすぐ近くには異教徒ははいれないが有名な寺のあるウリダハーンがある。サルのとても多い町である。私が訪れたとき不思議な光景にあった。川沿いを歩いていると何人もが長い行列をつくり同じ方向に向かっているのである。女、子供が多いが男も混じっている。とても長い列なので初め、向かってきている方に足をのばしてみたが歩いても歩いても人が途切れることが無い。列の中には白人も混じっている。道の脇では子供が土の中から頭だけ出してお金をもらっている。サルのいたずらに手をやくインド人がほえている。
どこから来ているのかわからず今度は向かっているほうに足を向けてみるが、いったいどこに向かっているのかさっぱりわからない。ただ川沿いの道を多くの人が歩いているのである。木陰では何かを唱えているひともいる。行きかう人に挨拶をするひと。さっぱり検討がつかない行進。巡礼をしているのだろうか。それにしても多くの人だ。学校か何かの建物の門のところにはとても変な像がある。なんという下品なセンスなのだろうか。西原、板谷、鴨志田の3人を思いだしてしまった。子供の粘土細工のようなこの像を作った人、置いている人の神経を疑ってしまう。流石インドと感心してしまう。
ウリダハーンの街中にはエロスの柱の建物がある。ここでは澁澤を思いだしてしまった。街中にはラクダが荷台を引いている。小学生の集団がリキシャーに乗っていたのでカメラを向けてみた。そしたら大騒ぎ。デリーから近いとは言ってもそう多くの外国人は訪れないのであろう。クリシュナの聖地ウリダハーンを後にマトゥラーに帰る。
マトゥラーの欠点は食事の場所にこまることである。レストランが非常に少ないのである。腹がすいたので、街中を歩いてみたがなかなか適当な店がみつからない。地元民で賑わっている店が門の向かいにあるのだが、入りづらい雰囲気なのでホテルのレストランで食べることにした。電気がついていなかった。俺が入ると電気を付けてくれた。そしたら子供が勉強にきた。普段は節電の為に電気を消しているが、客がきたらその明かりを利用して子供が明るいところで勉強するのであろう。
インドの定食は腹がいっぱいになる。貧しい国なので最初はあまり食べない民族かと思っていたが、彼らは良く食べる。女性もすごく食べる。それがあの体型を作っているのであろう。俺が頼んだ定食はナンもカレーも食べ放題。客がほとんど居ないのになんでこんな用意してあるのだろうか?
インドの子供は働く。ホテルの前の雑貨やではファミコンをしながら子供が見せ番をしていた。
インド人の仕事は密度が薄いような気がする。一人でする仕事量が少なく、多くの人間が雇われることになる。それだけ多くの人間が職にありつけると言うわけだから大人達はいいかもしれないが、一人の大人がしっかり一人前の仕事をしてそれだけ収入を得れば、家庭に入るお金も多くなるわけで、子供が働かなくて良くなる。そしてその子供は勉強できる時間が増えるわけだから将来的にはそちらの方がいいはずである。大人がしっかりした仕事をしてそれに見あう収入を得ることが社会をしっかりしたものにするだろう。そうすれば日本のように発展するのではないだろうか?決まった時間にしっかり仕事をして収入を得、休みを有効に使える社会が将来の明るい国になるだろう。
デリー
今回インドでの最終地デリーは2回目である。前回ツアーで訪れたので、2回目と言っても全く土地感がない。俺はバックパッカーの集まる通りメインバザールに足を向けた。雨が降ったらしく、道路のコンディションは最悪。サンダルは泥で汚れ、跳ねが足をよごす。本当に最悪な道だ。しかも狭い道なのでタクシーは入れない。ぬかるみを避けるのと人間を避けるので神経を相当使う。こんな通りではスーツケースは似合わない。やはりバックパッカーがいいのだろう。
ホテルに入り部屋を見させてもらう。いい部屋だ。ここに泊まることにしよう。ロビーに降りて手続きをする。部屋はまだ掃除していなかったがチェックインしてしまた。ロビーの人に掃除が済んでいなかったけどどうすればいいと聞いたらいいからいいからという。部屋に戻ってみたら掃除の最中。しかしあっというまに終わってしまった。早すぎる。タイのカセムセンのホワイトロッジではたかが清掃だけで3時間ぐらい待たされたが、ここのホテルはしっかりしている。ロビーでは従業員が真剣にクリケットの試合を見ていた。
前回主な見所は見て回っているので今回は適当にぶらぶらした。デリーは大きな町である。コンノートプレスを中心に観光するのがわかりやすい。多くの外国人もいてマクドナルドもある。しかしマクドナルドは高すぎる。いくらベジタリアンバーがーがあるといっても、客は外国人が多い。映画館の料金は4つぐらいにわかれていた。カメラなどの電池は入り口で預けなければいけない。
せこいリキシャーにあった。俺はあまりに荷物が重かったので、残り300メートルぐらいのところからリキシャーに乗ろうと値段を交渉したが、リキシャーが値段を譲らないのであきらめることにした。そしたらそのリキシャーがバス停の行き方を教えてくれて、チップをよこせと言ってきた。俺は目的地を知ってたのにまっすぐ行けばいいと言ってきただけで、チップとはなんだ。道を教えるだけで金が手に入るとでも思っているのか、まったく困ったインド人であった。コンノートからデリーの空港に行くバスに乗っていたら知らないうちに終点。空港は一体いつ通ったんだ。教えてくれればいいものを、インド人はあまり親切ではなかった。おかげで余計なタクシー代がかかってしまった。
空港のカウンターで白人のおばさんが係員に何か言っていて、俺の列は一向に進まなくいらいらしてきた。変なマイクを持ったおばさんは途中居なくなったりと、何考えているんだか。
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