法喜が語る

法喜が語る

スペインを語る



お母さん~(スペイン人て…)
天使

その1 神の言葉

誰が言ったのか、スペイン語は神と語る言葉だそうだ。それは昔のキリスト教全盛期の使われたラテン語の音に近いということなのだろうか?それとも力強いスペイン語の語感によるものか私にはわからない。イタリア語は愛の言葉、ドイツ語は詩の言葉、フランス語は法律の言葉、英語は実用的な言葉、日本語は和の言葉などと奇麗ないいまわしがされているが、あるスペイン人がドイツ語は怒りの言葉だと言った。まるでいつも怒っているようだと。確かにドイツ語はスペイン語よりも響きが強い。説得力がある言葉である。以前私はヒトラーの演説テープを聞いたが、人民を説得して動かすパワーをハッキリと感じた。聞いている者の心を強く揺さ振るのである。それはヒトラーの演説法とドイツ語の音が相乗効果をなしていたことは明らかである。
ドイツ語は子音が多くソフトにしゃべれば流れるように美しい詩であるが、ハッキリしゃべればその子音が今度は耳に残るのである。自由自在に表現出来るまさに詩のための言葉である。その美しい言葉を怒りの言葉と表現されてしまっては、その他の言葉もネガティブに表現してみようではないか。
イタリア語。イタリア人の大袈裟な態度をさらに大袈裟に表現できるように有るような言葉である。馬鹿か気の狂ったみたいにしゃべるのがイタリア語は、頭のおかしい言葉と表現できるだろう。
フランス語。鼻にかけた音は人を小ばかにしているようである。第一フランス人、彼らは未だに世界で一番文化人だと思っている。過去何百年も昔の栄光が未だに有ると考え、他の民族を下にみている。世間を知らない嫌みな言葉、これがフランス語である。
アラビア語。アラブ人が何か自分の思い通りにならなかった時に何か言っているが、これは周りから聞くとのろいの言葉のように聞こえる。これはヒンドウー語にも通じる。まさに悪魔の言葉。
そしてスペイン語。自分勝手なわがままをいうのに適している。自分の意志をハッキリ表現するのがスペイン語である。時制が多く、より事実を明確にして、自分のいうことに力を持たせているのである。
ここで断っておくが私はドイツ語以外ここで悪口を言っている言語を、勉強した事が有る。別に嫌いで言ってるわけでないので、これらの言葉が好きな人は気分を害さないでもらいたい。
スペイン人はドイツ語をネガティブに表現したが、一体スペイン人はドイツ人をどう思ってるのであろうか。きっと堅物で関わりたくないと思っているに違いない。
スペイン人彼らは使えないとよくいわれる。確かに彼らは遊ぶために生きてるのだから、日本人からしてみれば使えないだろう。ヒトラーも多分スペイン人ほど使えない民族はいないと考えていた。なぜなら第二次世界大戦前、ドイツにとっての大敵はロシアとフランス。この2大国に勝つにはドイツのみでは不可能である。そこでこの2大国を挟むようにドイツは同盟国を作ろうとした。日本、イタリアである。日本はドイツの願わくどうりに、ロシアと戦争に突入しかなりいい戦いをした。イタリアは国民が国内のことで精一杯に加えてスペインと同じラテン気質、不完全燃焼であまり役に立たなかったような気がするが、確かに力にはなってくれた。
ヒトラーは第四の国としてスペインを候補にあげていたに違いない。地理的にもフランスを挟む。そしてヒトラーはフランコ政権を認めている。これはのちのちフランコの手を借りようという思惑があったからである。しかし当のフランコはヒトラーの言葉には耳を向けず、応えも先延ばしにして面倒から逃れようとした。ようはフランコはヒトラーの恩をあだで返した。ヒトラーは頭に来て、爆撃しなくてもいいスペインのゲルニカを爆撃した。これほど意味の無い爆撃も珍しいだろう。要するにフランコへの見せしめである。
ヒトラーからしてみればとんでもなく使えない民族。現在でもまじめなドイツ人からしてみればスペイン人はいいかげんにみえるだろう。そんないいかげんなスペイン人に悪口を言われるなんてドイツ人からしてみれば心外であるに違いない。
サンティジャーノ

お祭り

スペイン人は死んでも、お祭りが好きな民族である。現に毎年死者が出ている。スペイン人に言わせると、死者はアメリカ人が多いと言ってるが、スペイン人も含まれている。何でも観光で来るアメリカ人は祭りに興奮してしまい、危険を知る能力が劣り怪我をしてしまう。しかしスペイン人は毎年その祭りを目の当たりにしているのも関わらず、われを忘れて興奮するそして怪我をする。特に若者は無茶をするので親に止められたりする。なんかこれってアメリカ人よりも馬鹿なようなきがする。知らずに怪我をするのと知っていて怪我をするのはレベルが違う。
スペインは毎日どこかしらで祭りがあるという。私は何も知らずにテルエルに行ったとき、村人が大昔の衣装を着て歩いているのにはかなりびっくりした。町にはそれぞれ町の聖人が決まっており、その聖人を祭る日が一年に1回ある。たまたま私はテルエルでそれに遭遇したわけである。実はサンセバスティアンでも遭遇している、運がいいのか祭りが多いのか。
聖人の日のほかにも宗教に関わり祭りが結構多く、スペインの祭りは数知れずといった感じである。スペイン人はそのような公共の祭りだけでは足りなく、個人個人が毎週末お祭りをひらく。彼らにとっては友達と終末騒ぐこともスペイン語の祭りと同じフェスタをつかう。彼らは騒ぐことが祭りでそれが意味があろうとなかろうと関係ないのである。
スペイン人が日本人と違うのは週末は木曜の夜から始まることである。日本の場合は金曜の夜からではないだろうか。スペイン人は木曜日の夜からフェスタがはじまり、金、土曜日と騒ぎまくり、日曜日は家で寝ている。そんな習慣のスペインは日曜日にはほとんどの店が閉まっている。確かにカトリックの安息日だから休みたい心境もわからないでもないが、観光収入が国を支えているスペイン。観光客は土日などに買い物できないと手持ち無沙汰になってしまう。日曜日は日本人からしてみれば買い物に出かけるのが普通ではないか。レストランはかろうじて開くが、閉店時間が飲み屋も含めて、平日よりも早い。
私がマドリーで住んでいた通りの飲み屋は、木、金、土曜日の夜は朝まで開いていて、金曜日に私が学校に行く時間もまだ通りで飲んでいるものがいた。木曜日にかなり飲んで金曜日の学校や仕事はどうするのであろうか。これは勤勉な日本人からしてみれば不思議なことだが。そこはスペイン人なのである。彼らは学校、職場で休めばいいことであって、要らぬ心配である。
週末のバーは日本の満員列車なみである。スペインのバーは立ち飲みが普通である。カウンターにわずかな椅子もあるがとてもとても座っていられない。私などはお酒は座って静かに味わって飲むのが落ち着くが、スペイン人はどうやら立ちながら飲む方が落ち着くらしい。わいわいがやがやとするのがスペイン人は好きなのである。
スペインでつまみといえばタパスである。たいていのバーはタパスの作り置きをカウンターにならべている。しかしどれも冷たくいまいち面白味に欠ける。日本の酒のつまみのように暖かいおでんや、焼き立ての焼き鳥そんなものはない。スペイン人にしてみればつまみはあくまで酒のつまみであって、メインの酒よりも自己主張してはいけないのであるが、日本のつまみはどれもお酒を引き立てながら自らも主張している。
私がマドリーでよく行ったバーでアブエロという店がある。危ないエッチというわけではなくて、おじいさんという意味である。この店の売りはアブエロという甘いワインとエビの鉄板焼き、エビのにんにくである。その他のメニューはエビフライとビール、ソフトドリンクしかない。たったこれだけのメニューで身動きできないほどお客がはいる。別に安いわけではない。10畳ぐらいの店に店員5人、大忙しである。日本でこれだけのメニューで繁盛するのは難しいでしょう。
スペイン人は木、金、土曜日と騒いだ疲れは日曜日だけではとれなく、日曜日の寝疲れと重なって、月曜日はかなり疲れて会社、学校にいく。そして月、火、水曜日と週末のために体力を貯えていく。平日は、休みの為にあると考えるのがスペイン人である。だから平日と休みが半分半分あってそこに神の日が加わって1週間を構成する。
何故に日本人は仕事のために、休日を使ってしまうのだろうか。人間は仕事をするために生きているのではなくて、楽しむために生きているのである。何のための知識や知能だかわからない。スペイン人ほど現世を楽しんでいる民族は他にいないのではないだろうか。
たばこ

たばこ

何でもやりすぎはいけない。コーヒーだって飲みすぎればカフェイン中毒になるし、食べ物だって偏った食べ過ぎは体に悪い。アルコールも皆さんがご存知のように少量なら体にはいいが、飲みすぎはいけない。薬なんか適量なら体によいが、間違えばたばこよりも簡単に死ぬ。睡眠は毎日14時間以上寝ていると脳細胞があっという間に死滅して死にいたる。逆にアメリカの実験では44時間寝なかった人が狂って死んだという報告を出している。多分SEXも殺りすぎると死ぬのではないか。物事はなにもかも適量でなくてはいけない。
たばこはなぜここまで危険を害すると言われているのだろうか?確かに吸っている人のみならず、周りに人にもたばこの害を与える。そんな事いったら、車の運転の方がよっぽど危険なような気がする。排気ガスのみならず事故で簡単に人が死んでいくではないか。たばこよりよっぽど害である。しかし事故で人に危害を加えたらそれなりの代償を払わなくてはいけない。病気なぜこれは人に移しても罪にならないのだろうか。大切な用事を移された風邪によって遂行できなくても、うつしたひとは平然としていられる。近い将来病気をうつすことも違反になる日がくるかもしれない。エイズなどは知っていて相手にうつすと責任問題になるらしいが、それ以外の病気はマイペンライである。タイの弁護士は儲からないという、なんでもマイペンライで済んでしまうからである。熱いコーヒー飲んで火傷したから賠償してもらうなんて馬鹿のすることである。コーヒーが火傷するほど熱くなかったら不味いではないか。なんでホットコーヒーを飲むのに注意しながら飲まないのか?また賠償金を払うのか?双方ともかなりの馬鹿か気違いである。そこまでアメリカ社会とは病んだ社会なのである。心が病んだ社会ほど多くの規則で過ちを犯さないようにする。タイ人がコーヒーで火傷して訴えたとしても、単なる馬鹿でしかない。常識がないのか、わざとで裏があるのか。タイ人、日本人はお互いに相手の気持ちを考えることができる民族である。そんな民族は多少のことなら平気で我慢できる。こちらの社会の方がより平和な生活が送れるような気がする。相手に迷惑をかけるこういならどんどん罰則を作ってほしいが、その根元が正しいか正しくないか考えてからにしてもらいたい。人間は文明が発達して、ある面ではより非常識になっている。少しも脳は進化してない。
そこでスペイン人とたぼこに関して話そう。スペインのたばこは高い。世界で一番高いのではないか?輸入たばこに限って高いのではなくたばこ自体が物価の割にはかなり割高である。日本人はよくたばこの値上げには反発する。しかし反発するならもっと反発しなくてはいけない場面がたくさんある。スペインの物価は日本より安いが、たばこに関しては日本よりも高い。それでもスペイン人はたばこを吸いまくる。
日本のたばこのパッケージには意識しないとその存在がないかのように側面に小さな文字でたばこの吸いすぎは健康を害すると書いてあるが、まるで契約書の文句のように目立っていない。スペインとたばこのパッケージ、一番目立つところにでかでかと、せっかくもともとあるたばこのデザインを無視してその上に、「たばこは死にます」とか「死ぬことが可能です」なんて書いてある。かなりインパクトがある。しかし酒にはそこまで敏感ではなく、アルコールに関しては日本と同じ程度である。なぜにスペイン人はそこまでたばこを拒否しているのだろうか。いや拒否しているようで実はかなりの消費量なのだが。そこまで忌み嫌うのだろうか。普通の人間だったら、死にますと書いてあったらそんなもの利用しないだろう。しかし爺婆も若者もスペイン人はたばこに多くの大金をはたいている。死ぬためにお金を使っているのである。スペイン人の心はかなり病んでいるのではなかろうか。それか麻痺している。
周りを気にせずたばこを吸いまくり。平気で吸い殻をそこら中に捨てる。頭がおかしいとしか考えられない。タイなんか歩きながらたばこを吸っている人は外人ぐらいである。スペイン人の頭の中にはまず自分さえよければいいというのがある。周りを気にせず好きなことをやって、もし周りが迷惑と考えるならそれを指摘しなくてはならない。指摘されて初めて周りが迷惑と考えていると知るのである。しかし日本人なんかは行為をする前にその行為が周りに迷惑か考えるのではなかろうか。日本人は思いやりの心があり、他人を理解使用とするが、スペイン人は相手が主張したものにしか反応しない。主張しない人は何も考えていないと思ってしまうのがスペイン人である。
だからたばこがいくらだめだと言っても、自分さえよければいいというスペイン魂があるので、死のうが健康を害そうがたばこを吸うのであろる。そこで政府は思う存分たばこに税金をかけられてほっくほっく顔ではないだろうか。

   映画

 スペイン人ほど映画が好きな民族は居ないのではなかろうか。話の話題は映画ばかり。その映画を知っているのが当たり前のように話します。スペイン人はハリウッドのあからさまな表現より間接的な表現を好むようです。特に猟奇物など血とか殺人とかの映画は拒絶します。スペイン人が映画で見るところは人物の心理描写であって、血など流して居るところを見てもつまらないのである。見なくてもわかるものは、あえて映像にする必要がないと言っています。そのくせ現実生活では言葉で表現されないものは、ないものだと思ってるのだから矛盾を感じます。スペインは日本よりも多くの映画に接触できる。日本は邦画か洋画と言ってもハリウッド物にかなりの確率で占められていますが、それは日本の映画関係者は、儲かると思われるものしか上映しないからではないでしょうか。実際は商業的には大成功しない映画でも、面白い映画は沢山あって、人によっては大切な映画になるかもしれないというのに。スペインはヨーロッパ映画、アメリカ、アジアなど多くの映画が次々と訪れてきます。上映期間がそのぶん短くなりますが、いろんな映画に触れられると言う点ではこちらの方がいいでしょう。いくら上映期間が長くても、一度見たらまた行く事は減多にないでしょう。スペインの映画館は日本より合理的で14本も同時上映されていたりします。スナック類もバカ高ではなく妥当です。映画料金は4,5から5,5ユーロ。日本円にしたら700円前後でしょうか。毎週1回映画の日は更に安くなります。日本みたいに月に1回なんてけちな事はいいません。スペイン人は700円でも映画が高いといって怒っています。日本の1800円なんて聞いたら日本人はバカだといいます。なぜそんな値段で映画を黙ってみるのだと。日本は一部の人に優待券をばしばし配るので、一般入場者からしかお金を稼げないのです。コレは不正なのではないでしょうか。これほどバカなことはありません。なぜ日本の映画関係者は大きな顔して平然としていられるのでしょうか。マックのように企業努力して値段を下げるとか、映画館をより快適にするとかしようとは思わないのでしょうか?入場者が少ないから値段を下げられないのでしょうか?そんなことはありません。企業努力を怠ってるから、入場者が少ないのです。日本の映画館ほど無能な労働をしているところはありません。


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