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今日は、思いがけない出来事が・・・その前に、朝からFAXがどんどん流れて来る・・・それも同じ内容。中華の出前のメニュー。10枚くらいの時に書いてあった会社に電話して止めて下さいとお願いした。中国の人だったが、パソコンにプログラムしているので止められません。4000枚送り終わる午後には終わります。???????勿論止めてくれるまで電話し続けて解決。しかし日本との違いを又感じてしまった。それから、ある展示会へ出かける。お昼を一緒に食べる事になっていたイタリア人の友人と待ち合わせ。合った途端に彼女は、「あなたが使っている名前が展示されているけど、あなたではないよね?」と言われ、商標登録している私は又イタリア人だから、アルファベットで書いてあっても日本語だから間違えているに違いないと思いながら、そのコーナーに連れていかれた。そしたら・・・本当に同じ。大文字を使っているところも同じ。しかし別の国の国旗が書いてある。という事はその国での商標登録をしたのかな?そこにいた人にこの名前はどちらで登録しましたか?と質問すると、日本だと言う。。。(私の方が先に登録していた)ところが、彼女はその名前の前にある文字を入れていた。それで登録が通るものなのだと改めて知らされる。しかし、彼女のくったくのない暖かい対応に、自分が恥ずかしくなった。現在関っている仕事で名前登録にかなり皆がナーバスになっていた為、私も同じようになっていたが、別に大した事ないのにと改めて感じ、なんかやはり俗化してしまった自分に淋しささえ覚えた。しかしそう感じさせた彼女の一瞬の笑顔の対応は凄い!それから仕事を終えて、彼女と話がしてみたくなり、彼女のところへ行ってみた。人口の97%が貧困という国で生まれ育った彼女は私が知らない世界を見てきたのだろう。しかしやはり太陽があるからか楽しい国らしい。その後はお互い教師の経験がある事がわかり、日本の教育問題の話しへ・・・彼女と話ししていると涙が出てきた。恥ずかしくて隠したかったけど隠せないと自覚した途端に自己申告。久しぶりに感動的な心の透き通った女性に合った。本当に感謝したい。もう合う事はないかもしれないが、この世の中の何処かでお互いに存在しているだけでも良い。
January 29, 2005
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今日の午後、モロッコ人の友人から電話があり、ちょっとお願い事があると言う。忙しかったけれども、彼女の初めてのお願い事だからと思い聞いてみた。これからスペイン人の占い師(占いというより見える人?何と言うのか私は分からない)とフランス人の占い師をお互いに合わせるんだけど場所が必要だと言う。仕方なく、一つアポイントをキャンセルして招く事にした。ドアを開けて、ちょっと異様さに驚かされた。黒人の大きな如何にも何かが漂う女性とスペイン人の足が悪く、背が低くとても不思議な目をした女性が私の友人と一緒にやってきた。普通に雑談をしていると急に二人の占い師が一部屋静かな部屋を貸して欲しいと言う。そちらに連れて行き、ドアをすべて締め切った。私と友人はサロンで雑談を続ける事一時間。その二人はお互いの腕を試し会いしていたと言う。一時間後凄く晴れやかな顔をして二人が出てきた。そして私に向かって見てあげますと。。。占いの類いを余り信じない私が、友人の手前見てもらう事にした。しかし時間が無かったので、一番見たいものをと言う事で。。。初対面の彼女から、私の過去をいろいろ聞かされ驚くばかり。そして現在、未来。私は会社を始めるらしい。すべて良い事ばかり。。。分からないけど良い事ばかりだったので信じる事にしました。占いというより、こういう人達とは話しがとてもしやすい。精神社会にどっぷり浸かった話しが出来て、雑談はとても楽しい。このモロッコ人の友人とは知り合ってまだ長くないので彼女の事は余り良く分かっていなかったけど、占い師を二人友人に持つちょっと変わった彼女?その後、友人にあるパーティーに誘われていたので出かける。ルーブル美術館の中???パーティーは多いので、もう誘われる時にそれが何のパーティーか聞かないで出かける事は多い。友人と美術館の奥へどんどん入っていく。。。こんなところでパーティーなどあるわけがない。迷路のように入っていくとある画家の特別展示であった。仕方ないので久しぶりに本物のモナリザでも見て帰ろうと言う話しをしながら、美術館の中を歩きながら、どんどん吸い込まれて行く。何度みても素晴らしい。久しぶりに美術館内を見る時間をもらえた事に感謝。何かに導かれたような感覚を得た一日でした。
January 27, 2005
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今日は、最後の打ち合わせが終わって帰ってきたのが夜中の0時半。一日中何も食べる時間がなかった・・・朝から暖房の水もれの為に壁を壊す工事・・・特別に作られた壁を傷つけられるのが悲しくて仕方なかった。工事に来た人達の中に一人の黒人がいて、私の悲しそうな顔に気づいてくれた。彼はすぐに別の方法を考えてくれた。(人の心が分かるような温かい目をした人だった。有り難う!)そして別の階から工事をやってみるという事になった。しかし、私の変りに悲しい思いをする住人がいると思うと又悲しくなった。その後、メールチェックしていると去年から取り組んでいる事業の日本の受入先の様子がおかしい事を発見。相手を変えた方が良いのでは?早く日本の受入先を決めないと時間がたってしまうと焦るばかり。今ではこちらの国の会社への信用問題と責任感が覆い被さってくる。自分に焦ってはいけないと何度も言い聞かせた。その途中で次の仕事場へ行く時間になってしまった。日本文化の協会の中のある講師を頼まれ、新しい場所を見に来てくれという。その場所を見ながら授業の打ち合わせをしているうちに次の打ち合わせの時間。自宅兼事務所に戻る。ぎりぎり門のところでその相手と合う。巨匠の娘。巨匠の旅行中、手におえないわがまま娘に仕事のやり方を説明して欲しいという。その打ち合わせが終わり、別の巨匠に電話すると、もうすぐ打ち合わせが終わるからこれから打ち合わせをしようと言う。それが夜の9時。アジア人以外にもこんな夜まで仕事をやる人達がいると頭で考えながら出かける。打ち合わせの途中でその巨匠に35年前のお客様から電話。一緒に移動しながら車での打ち合わせに切り替える。ホテルに着き、ロビーでお客様が来るまで打ち合わせ。一時間たってもお客様は降りてこない。なんと同じソファーに一時間も一緒に座っていたのだ。35年ぶりでお互いに解っていない。その上、そのロビーに人通りはあっても座っているのは我々だけだというのに・・・巨匠曰く、「35年前は黒髪だったかもしれない」と。今日の一日の中で感じた事が沢山ある。まず巨匠がホテルの素晴らしい新感覚の暖炉を見てすぐに写真を撮っていた。日本人がカメラをすぐに出すと「やっぱり」という目で見られ、小ばかにされるがこの巨匠がカメラを取り出す自由な姿に忘れかけようとしていたものを蘇らせられた。他には、日本文化関係の人達といる時に始めて合う日本人から“Bonjour”と挨拶された。良くある事。日本にいた時からよく間違えられた。その度に少々怒りを感じながら100%日本人ですと答えて来た。最後には慰める人まで出てきた。今はハーフでも悲観する事はないんだよとか・・・しかしこの時に思ったのは外国人(極東アジア以外)には100%に近く私が日本人だと分かるのになぜ?ま!どうでも良い事。いつも思う事、最後に振り替えると内容的には日本にいた時の半日分くらいなのに、どうしてこの国ではこうなってしまうのだろう?と。
January 26, 2005
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強制収容所解放60周年の為、ここのところ毎日ユダヤ人問題のニュースで持ち切りです。今もテレビを付けたらその当時のドラマをやっています。子供の時にアンネの日記を読んでとてもショックだった事を覚えています。それから全く関係のない世界で過して来た私の周りに今は沢山のユダヤ人の友人、知人がいます。当時子供だった友人の一人からも何度となく辛い過去として、又今でもそれが人間形成に影響している事を聞かされました。起きてしまった事実は変える事は出来ません。ただ二度と起きてはならない歴史の一ページです。そして未だに差別を受けている人種が存在しています。その人達の心に触れた時に何も出来ない歯痒さが湧いて来ます。皆の心に平和が宿る日を祈らずにはいられません。合掌
January 25, 2005
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2005年になり一ヶ月が過ぎようとしている今、やっと今年の目標設定が終わり、これからスタートです。輪廻転生が事実かどうかは解らないけれど、今から10数年前に今生を最後に生まれ変わらないようにするにはどうすれば良いか?真剣に考え、人間として一番精神レベルの高い位置まで行く事だと勝手に答えを出して、それを毎日の目標に毎日を過ごしていました。ところが海を渡ったその日から、考えてもいなかった困難が沢山やって来てそれどこではなくなってしまいました。突然現実社会へと引き落とされた感じでした。様々な目標どころか生きていくのが精一杯という時間を過ごしました。そんな時、海外生活をすでにかなり長く送っているまたまた海の向こうの友人に電話をしました。その友人に「赤ちゃんと同じよ。歩きを覚えて言葉を覚えていくの」と言われ、なんだかホッとした記憶があります。しかしその後も試練は洪水の如くやってきました。そして、洪水も終わりやっと穏やかな済んだ波になって来た今、かなり時間は経ってしまいましたが10数年前に考えた事を思い出しています。思いを新たに足跡として綴っていきます。
January 23, 2005
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