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昨日は、お着物のお稽古を致しました。私はお着物が大好きで、こちらでは日本文化の行事の時にお着物の着方のデモンストレーションなどを致します。海外ですと、悪条件の中でやらなければならない事が多く、逆に勉強させて頂いています。お琴に合わせながらなど、ただのお着物を着る行為を踊りを見ているかのような美しい振る舞いなども要求されます。今までで一番面白い経験をさせて頂きましたのは、どういう会場でどういうイベント内容かも聞かず、迎えの車に乗り、着きましたところは、パリ郊外の体育館のようなところでした。控え室に通されながら、此処で何があるのかしら?なんて思いながらいつものように余り考えないようにしていました。私の出番になりました時に、迎えの方が誘導して下さり、大きな両開きの扉を開けられました。すると大きな会場に観客が沢山・・・まさしく体育館でした。そのままお琴が置いてある場所まで足を進め、驚いている時間やそこが何の会場かを聞ける人は誰も側にはいないわけですから・・・デモンストレーションを終え、司会者がいらっしゃる方へいったのではないかと記憶しています。(もう10年近く前の事で忘れました)柔道の世界選手権でした。観客席からですと私は豆粒のようにしか見えなかった事でしょう。終わると審査員席に通され、最後には優勝者にトロフイーを渡す役割をその場で言い渡せれました。とても変な経験でした。日本では余りありえない光景ですね。お稽古のお話しに戻ります。時間がある夜は、習いたいという方々に教えるようにしています。基本的に二人までにしています。習いたいと言う方々とまず話し合いをします。習いたい理由などを伺いまして、私がお稽古出来るかたかどうかを判断させて頂きます。お着物のお稽古が仕事の場合は別ですが、限られたお時間ですので双方にとって良くなければなりません。生徒さんにとっても他の方が良い場合があると信じています。私が気をつけています事は、着れるようになるだけではなくその人が着物を着た時に美しい姿、振る舞い、言葉遣いになるようなお稽古をするようにしています。ですから、玄関を開けた時からお稽古が始まるわけです。そして、必ず日本茶を準備し戴くようにしています。昨日のお稽古の若い女性は大変努力家で、家でも練習をしてきますので早くに着れるようになりました。(有難い生徒さんです。)一度お着物を来て一緒にあるパーティーに参加しました時に、離れた所から見てみますと、本当に良く似合い素敵なのですが、もう一つ何か欠けているものを感じました。振り向きたくなるような麗しさがまだ出せていませんでした。勿論個性などもありますので、その子にあった着方というのが大切なのですが、もっと素敵に着こなせるはずであろう事を、頭の中で想像していました。そして昨日のお稽古はその事に集中してみました。結果は・・・とてもとても素敵になりました。二人で喜び合いました。その後、振り袖に締めます変わりお太鼓を一人で出来る方法を研究しようと頭ではずうっと想っていたのですが、割りと簡単に出来るかもしれないと思う気持ちがありまして、なかなか手につけていませんでした。(必要性もありませんでしたので)この若い女性が振り袖の変わり帯びも一人で出来るといいですよね。という言葉がきっかけで、やっと重い腰をあげ昨晩やって見ましたら、やはり長い間頭の中でイメージが出来ていましたので、すぐに出来ました。お着物を御存知な方はお分かりになると思いますが、ある流派はこのやり方も教えているようです。その流派の事を聞かされました時に不可能ではないという事だけ分かりましたので、何時かはと思っておりました。人間とは不思議なものですね。初めから不可能と思っています時は考えようともせず、可能性があると聞かされると研究しようとする。。。しかしそれを初めからどうにか出来ないかと研究する方々がいらっしゃるから世の中進んでいくのですよね。昨日もその女の子と茶道の話しをしておりましたら、その子が「私はお茶と御菓子を一緒に戴きたいのです。」と言いました。それでは新しい流派をつくらないとね・・・と話しをはずませたところでした。
March 31, 2005
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予定通り、日本時間朝、父にお誕生日のお祝いの電話をしました。父は82歳になります。私の両親は、まだお見合い結婚が主流だった頃、かけおち同然のように結婚しました。ですから、めずらしく花嫁衣装の写真もありません。叔母達の豪華な結婚式のなごりのものを母と見ている時に、母は淋しい想いをしているのではないか?と思った事もありました。そういう事もあり、両親共々子供達の結婚式は夢のようにいつも話していました。そして、祖父母との関係の修復にも大変だったと思います。赤ちゃんの時の私の写真には確かに祖父母と一緒のものがありません。私がもの心つきました頃は、すでに修復はされていましたが、もし夫婦間が上手くいかなくても、絶対に祖父母には話せないという状態でした。その夫婦が82歳と76歳という年齢を迎えた現在・・・本日の母と私の会話・・・(注.父に対しては、母も私も敬語ですのでちょっと変ですが)母「今日は、パパのお友達のAさん(男性)が一緒にお見舞いに行って下さる事になったの。」雪之嬢「え?大丈夫かしら!パパは焼きもちやかれないかしら?」母「やっぱりそう思う?それも考えたの。でもね、最近可愛い看護婦さんのBさんの話しを良くなさるのよ。でもね、ママの手を握って『もう、離さない』とかおっしゃるの。(嬉しそうな声で)」雪之嬢(大笑い)「二人でやきもちやきあって下さい。。。」母はこの年齢で恥ずかしいと言っていますが、私にとりましては本当に自慢で理想の夫婦です。何時までも仲良く幸せに・・・
March 30, 2005
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シラク夫妻の日本訪問に伴い、こちらでは連日日本の様子が流れて嬉しく拝見しています。私事ですが、明日は父の誕生日です。今晩(日本時間明朝)電話をします。(父が入院している病院へ)母はケーキを持って行ってくれるそうです。昔は甘いものを食べなかった父ですが、最近は甘いものを良く戴くようになりました。父はもうすっかり体調は良いのですが、2年間による入院生活の為に足の骨が固まってしまいました。私が帰った時は必ず歩く練習を一緒にしていたのですが・・・何度も病院にリハビリをお願いしていましたが(リハビリ専門の方に病院に来て頂けるように)、やっと聞き入れて下さってリハビリに入ったのですが、かなりの痛みを伴うらしく80歳を超えた父が拒否しているらしいのです。結局、本人の治りたいという意志、願望が働かなければ難しいところです。個人差はありましょうが、高齢で2年間病院生活をしていますと、それが習慣化され無理をしてまで改善しようという気持ちが薄くなるようです。私の中では両親は若い時のままだったのですが、最近二人を見ていますと、その年齢の体力、思考(個人差があります)の理解の必要さを感じております。リハビリ専門がある病院への転院を考えましたが、日本の病院事情を聞いていますとなかなか思った通りにならない歯痒さを感じます。まだリハビリが必要なかった時に、自宅から近いところへの転院を考えましたが、現在はほとんどの病院が3ヶ月しか入院出来ないそうで、もし3ヶ月過ぎても入院が必要だった場合、元の病院にも戻れないという不安があり避けました。田舎ですと病院同士の関係もあり、父の事を一番に考えたい我々としましては中々難しい事だらけです。とにかく幸せなお誕生日を迎えてくれる事を祈ります。幸いな事に高齢であっても両親が新婚のように仲が良いので、子供である私にはそれがなによりも有り難く感じます。
March 29, 2005
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1時間進む時です。夏時間となります。1時間消えてしまいましたが、10月に戻ってきます。この消える1時間の事を考えながら、前にメルマガで知りました『時間をはずした日』を思い出しました。ある方のメルマガでマヤ暦によると、7月25日は『時間をはずした日』として、時間を考えず思うように過して良いという事です。マヤ暦は現在のグレゴリオ暦と違い、28日周期で考えられるそうです。1ヶ月が28日となり、1年は13ヶ月と1日となるわけです。この13ヶ月の中に入らない1日が『時間をはずした日』となるそうです。7月24日がいわゆる大晦日に当たり、7月26日が元日にあたるそうです。私はこのメルマガを拝見しましてから、7月25日になるとマヤ文明のロマンチシズムや自然について一瞬考えるようになりました。そして夏時間に変わります本日、又マヤ文明の『時間をはずした日』を考えました。そのメルマガの方もおっしゃっていましたが、とてもロマンチックですよね。実生活上は、夏時間に変わる日は睡眠時間が減り、冬時間に変わる日は1時間多く睡眠をとれます。という事で実は少々嬉しくない日ではあるのですが、こうやってマヤ暦の事を思い出す日となりましたので、結果的には良い日となりました。************************************************************************私も微力ながら『つぐみちゃん探し』に協力させて戴きます。http://blog.livedoor.jp/haneda2/お母様のプログです。
March 27, 2005
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残り一時間位で0時になります。しかし今日という日は特別で夏時間に変わる日です。という事は0時が1時になる訳です。一時間なくなります。ちょっと淋しいですが、10月には逆に一時間遅くなります。3月の最終日曜日と10月最終日曜日に変わります。時々、その事を忘れていますと、コンピューターやビデオデッキなどが教えてくれます。(自動で時間変更されます。)そろそろこのコンピューターも時間変更表示が出る事と思います。日本も夏時間と冬時間に別れていたそうですね。こちらももうすぐ時間変更をなくす計画があるようですが、気候的に考えますとやはり時間変更があった方が自然のような気がします。************************************************************************私も微力ながら『つぐみちゃん探し』に協力させて戴きます。http://blog.livedoor.jp/haneda2/お母様のプログです。
March 27, 2005
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今日は友人の舞踊(ダンス)の公演を観て参りました。この友人は現在、フランス中を公演でまわっている最中なのですが、別件でソロで依頼された旨、開き時間で創作し、今日がその公演の日でした。今回のインド洋TUNAMIに考える事があり創作したそうです。コンテンポラリーです。私は残念ながらコンテンポラリーを好みません。ところがどういう訳か彼の舞踊は好きなのです。今日も感動を与えてくれました。コミカルに演じた部分で観客が笑う中、私はその直後に涙が流れはじめました。舞踏を観て、涙するのは初めてでした。彼の舞踊はいつも身体の線とその動きの美しさ、繊細でありながら力強さを感じます。ところが、今日の舞台は違っていました。最後に私が彼の舞踊を観て8年-9年の年月が経ちます。美しさ、繊細さは同じでした。そして勿論力強さも感じました。しかし、年齢を経たからこそ表現出来る哀愁みたいなものを感じました。(彼は50代かと思います。)彼は私より少々早くパリに来ました。私がパリに来た時の年齢はすでに学生として滞在するには遅すぎる年齢でしたから、すぐに労働許可書を取りたかったのです。ところが、御存知の通り海外で労働許可書というのはそれなりの理由がないととれません。この不可能に近い状況の中で、同じ時期に取った3人が、私と以前この日記に紹介しましたシャンソン歌手、そして今日のこのダンサーです。そして取った後の大変さも3人同じように味わいました。このダンサーの友人は、日本では先生と呼ばれる素晴らしいダンサーです。しかし海外で始める時は一からのスタートです。彼の才能はフランスでも徐々に認められていくようになりますが、外国人のコンテンポラリーのダンサーが生活していくだけの収入を得る事はかなり難しい事です。彼は全く関係ないアルバイトで生計をたてながらダンスを続けています。有名な演出家にも日本人で唯一彼が抜擢もされています。それでも生計は別です。ある日、ダンスのお稽古から帰宅途中、彼は意味不明の病気になりました。一瞬にして自分が何処にいるのか?自宅が何処なのか?わからなくなったそうです。すぐに入院となったわけですが、それほど連絡を取り合っていない私は退院してから電話をもらいました。久しぶりに会った彼は別人のようになっていました。もともととても優しく、温厚で、一緒にいるだけで穏やかな温かい時間が過せる人でしたが、それが一層大きくなっていました。それから彼のダンスは変わっていったのでしょう。今日の踊りは、その彼の集大成みたいなものを感じました。終わった後、彼は『歳とったでしょう?』とすぐに柔らかく静かな声で言ってきました。私は『とても良い歳をね』と答えました。そして私の涙目を見ながら、優しさ一杯の笑みを浮かべ『有り難う』ともの静かにまるでまだ舞台の延長かのように言っていました。*********************************************************************私も微力ながら『つぐみちゃん探し』に協力させて頂きます。お母様のプログ→http://blog.livedoor.jp/haneda2/
March 26, 2005
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シラク大統領(フランス)が日本時間今朝8時頃、大阪に到着されたというニュースが流れました。5年ぶりの大好きな日本訪問を喜んでいらっしゃる様子です。モナコ王国のレーニエ大公の御様態が気がかりな事でしょう。シラク大統領は、愛知万博に行かれるのでしょうね。ごゆっくり大好きな日本を満喫していらして下さい。。。お帰りをお待ちしております。************************************************************************私も微力ながら『つぐみちゃん探し』に協力させて戴きます。http://blog.livedoor.jp/haneda2/お母様のプログです。
March 26, 2005
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モナコ王国のレーニエ大公危篤のニュースが流れました。生命維持装置が付けられている状態のようです。王国内はレーニエ大公の最後の準備が行われている模様です。グレース・ケリーが亡くなった後、子供達の火遊び、モナコ王国の財政復興など様々なご苦労があられた事と思います。アルベルト王子のお相手も気がかりでしょう。。。今は夢の中で幸せな時間を過していらっしゃるかもしれません。どうかもっと続けて夢を御覧下さい。
March 26, 2005
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今日のニュースで東京の大学(全部見ませんでしたので何処の大学かわかりませんでした。)で開発されたロボットが紹介されていました。人間の筋肉の動きを研究しながら、より人間に近い動きになっています。身体障害者の方々の一部にもなるように開発されているという事でした。そして別のロボットは全く人間の外観をしていました。顔はシリコンで出来ていまして、感情を読み取り顔の筋肉の動きを入れ込み、人間の感情から来る顔の動きになります(笑ったり等)。その大学の受け付けに女性のロボットが置いておりました。(人間そのままの姿です。)外来者がマイクを通して、用件をいいますとそのロボット女性が答えます。勿論必要に応じてにこやかに微笑んだりもします。そのロボットの紹介のニュースの最後に東京新宿の街並みを背景にフランス人解説者のコメントの内容が・・・『日本はすべて人間(ヒューマンであること)の変わりとなるものを探している』フランス語で人間という時に幾つかの表現方法があります。この中でヒューマンという言葉を新宿を背景に使っていたのがとても気になりました。人間らしいとされる理性、感情すべてをロボット化しようとしていると言われているような気がしてなりませんでした。わたしはロボットの研究には大賛成です。この解説者がもし皮肉を込めて語っていらっしゃったとしましても日本人である私は全く疑いもなくその皮肉が当てはまらない事をしっています。ただし、受け付けにはやはり本物の人間にいて欲しいと思います。失業率をもっと増やす原因にはなって欲しくないと切望します。(それはないと思いますが・・・)
March 25, 2005
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朝を迎えていらっしゃる国々の方々、おはようございます。夜の方々こんばんわ。新しい日を楽しみに、私はしばし素敵な夢の中へ参ります。おやすみなさい。
March 24, 2005
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今日は昔お世話になった会社の社長と部長がいらっしゃいました。お変わりなく、お元気でいらっしゃいました。私の友人を含めて、日本人4人でおそば屋さんへ行きました。パリにも美味しいお蕎麦屋さんがあるんですよ・・・日本のお蕎麦屋さんでは見かけないようなメニューもあります。なす田楽・卵焼き・おひたし・焼き魚・そば寿司・お蕎麦・・・全く日本にいる感覚で、とても美味しく楽しく戴きました。少し前に、友人達とお食事を美味しく戴くには?という会話になった事があります。1.新鮮な材料2.美味しいお料理3.食卓を一緒に楽しく囲める人々(家族であったり、友人であったり様々でしょう)4.お食事を分かる人々(分かち合える)皆でこういう意見を出し合いました。今日はとても楽しく美味しく戴けたお食事でした。
March 23, 2005
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友人がとても奇麗なトマトを見つけたからと持って来てくれました。とても輝いていて本当にトマトの匂いがするのです。最近のトマトはトマトの匂いも余りせず長持ちするものが多い中、とても嬉しい頂きものでした。(特別トマトが好きという訳ではありません。)冷蔵庫のお野菜室を開ける度に、その輝きと香りにうっとりしています。たった今、ある番組を見てこの場に参りました。若い女性が、その親友の母親にお礼を言う場として選んだのがその番組でした。その若い女性が17歳の時に親友と一緒にバイクで出かけた時の事です。(二人乗りで・・・)猛スピードで来た車に跳ねられ、その親友は亡くなりました。運転していたのは、今日番組に来ていた女性の方です。親友の死のショックと自分が運転していたという事で、彼女は生きる勇気もなくしてしまい大変困難な時期を過しました。その時に、生きる勇気を与え続けたのが亡くなった親友の母親でした。この母親の存在のおかげで彼女はどうにか生きてきました。そして結婚し、子供を授かりました。子供が生まれた時に彼女は自分自身に問いただしたそうです。この子が同じような事故に合い、亡くなったとしたらその友人を励ます事が出来るか?もしかすると恨みを持つのではないか?と・・・そう考えた時、改めて親友の母親のこれまでの言動の素晴らしさに気付いたそうです。そして言い尽くせない感謝を番組という場を借りて表現したかったのでしょう。司会者が友人の母親に質問を投げかけました。「別のシナリオは全く考えませんでしたか?例えば恨むとか・・・」「貴女にとってこうする事は自然な事でしたか?」親友の母親「全く自然でした。他のシナリオは想像もしませんでした。」もしかすると、恨みを持つ事なく過せる人は幸いな事に多く存在するかもしれませんが、この女性のように病院に通い続けたり、その後もこの若い女性が生きようとするまで勇気を与え続ける行動が出来る人がどれくらいいるか考えさせられました。
March 22, 2005
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続きです。イギリス、フランスで子供を殺害された親御さん達の会話の中で感じた事です。3人子供の末っ子を殺された親に対して、ある方が「貴女はあと何人お子さんがいますか?」と聞かれ、その言葉に怒りを覚えた事を語っていらっしゃいました。それは当然で、子供が3人いるから一人っ子を殺された人よりも楽だという事は決してありませんよね。この時に3年前に久しぶりに日本の知人と話した事を思い出しました。久しぶりに電話しましたら、知人の第一声が驚きの声をまじえながら「雪之嬢さん?やはり貴女とは縁があるのね。実は母が交通事故で亡くなって、暫くお店を閉めていて、今日から再開する為に今準備をしていたところ。年が開けてこの日に貴女と話すとは思ってもいなかったわ。」私はすぐにお悔やみの言葉をかけ、その後に「お母様はお幾つでいらっしゃったのですか?」と伺いました。彼女は答える前に「雪之嬢さん、年齢ではないのよ。何歳であっても母が亡くなるというのは同じ悲しみがあるのよ。」勿論、私はそういう意味で聞いたのではありません。そういう事は私も常日頃思っていましたから・・・しかし確かに、若くして亡くなるときと違って、往生なさったという意味でお祝いとなる事もありますね。きっと彼女は多くの人に同じような事を質問されたりして、嫌な気持でいたのでしょう。それでそういう意味ではなく質問した私にも同じように感じてしまったのでしょう。この事を考えながら、又先程の言葉を考えました。3人子供のうちの一人でしたら、まだ良いという意味ではなく、同じ言葉を使うこともありえる事を・・・まだ二人のお子さんがいらっしゃるのだから、その二人のお子さんの為にも元気になって下さい。二人のお子さんは貴女を必要としていますよ。という意味の言葉でも使えるのですよね。こういう心境の方々とお話しをする時は本当に気をつけなければならない事を改めて感じました。精神科医の先生も出ていらっしゃいましたが、こういう場合に絶対に言ってはいけない言葉もあると・・・
March 21, 2005
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昨日、日記を書いて就寝に付く前にニュースを見ていました。ドバイ、レバノンと今までまだ安全区域だったところまで争いの手が伸びている事を悲しみながら・・・ドバイに住む友人と最後に話しをした時に、双子の子供がいる彼女はフランスには帰りたくないと言っていました。子供達の為にドバイの環境がどんなに良いか?!又彼女が如何に幸せを感じながら過しているか?!聞かされました。それが・・・ドバイまで・・・悲しい事です。そう考えていると、画面が日本の福岡の地震を映し出しました。え?今度は福岡・・・新潟の復興作業が終わらないうちに・・・今は何処で自然災害が発生してもおかしくない状況ですね。福岡の方々、復興、又平常の生活に戻られるまで大変かと思います。一日も早く平安な毎日が来る事をお祈り致します。旅行好きの姉がふと気になりました。連休で何処かに行っている可能性があるとふと頭の中を嫌な予感がよぎりました。しかしまさかたまたま福岡に行っている事は考えにくいと思いながら、携帯にメールを送りました。返ってきました返事は、「震度6を初めて体感しました。」と・・・それ以上は知らぬが仏で会話していません。心配性の母には又内緒にしなければなりません。***************************************今日はフランスはRAMEAUX(直訳すると小枝という意味)という枝の主日にあたります。これはキリストがエルサレムに入いられた日、復活祭の直前の日曜日をこの日とします。本日は教会に行くとオリーブの小枝がもらえます。オリーブの葉は、平和、栄光などを意味する葉として良く使われます。毎年友人がこの日はオリーブの枝を持って来てくれますが、今年は教会に行かなかったと連絡がありました。私はキリスト教信者ではありませんが、こういう贈り物はとても嬉しいものです。まだ去年のオリーブの枝をそのまま飾っています。今日は子供を亡くされた親御さん達がでていらっしゃる番組で感じた事がありましたので少々その話題を・・・前書きが長くなりましたので、又分けさせて頂きます。続く・・・
March 21, 2005
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続きです。先輩方へ依頼しなければならないお仕事の為に、先輩方の専門分野をもっと理解したいと思い、週に一度その専門分野の学校に通う事にしました。その専門分野に進む気持は到底ありませんでしたので、ただ理解する為のものでした。その甲斐あって依頼がスムーズに行くようになりました。それでも毎日の時間の過ごし方は同じです。残業時間帯から先輩方のお手伝いをして、夜自宅で自分の仕事をする。そしてコーヒーカップも洗い続けました。何もかも初めてでしたが、悩みながらも私なりにお仕事を進めて行きました。又新人の私が思いっきりお仕事が出来る環境を社長は整えて下さいました。社長は私を信じて下さり、新人の私に大切なお仕事を任され、大変厳しくはありましたがいつも適確なアドヴァイスを下さいました。その社長へ尊敬の気持が高まれば高まる程、会社に対して役に立ちたいという気持が強くなりました。しかしどうしてもその会社にとって私が思うところの結果が出ていないように感じてなりませんでした。悩んだあげく、ある日会社を辞める決心をしました。この社長とずうっと一緒にやっていきたかっただけに、その決断はとても辛いものでした。しかし愛社精神が芽生えたからこそ、その会社に伸びて欲しく、私のポストにももっと適任な人がいるはずだと考えました。そして社長室のドアを叩きました。。。多くを語らず辞表を差し出しました。すると社長は・・・席をたたれ、商談テーブルに私を座らせ話しを始めました。社長はずうっと私の力を信じて下さっていました。やっと将来的に右腕になる人を見つけたと思ったのに・・・と言いながら男泣きなさいました。私も心の中で、私も出来るならそうでありたかった事を思いましたが最後までそれを口には出来ませんでした。社長の涙と私の想いが重なり、私も涙が出てきました。二人で涙を流しながらの話し合いが続きました。そして長い話し合いの後、辞表は預かるが、考え直してくれと言われました。本当に有難かったです。私の意志は変わる事なく、退社致しました。いつか又一緒にお仕事が出来る日が来るかもしれない事を考えながら・・・もう一緒にお仕事をする事はないと思いますが、一生忘れられない社長です。若さから来る行動だったと思います。もっと他の方法があったはずだと思います。
March 20, 2005
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日本は連休になるのですね。春分の日は同じなのにこちらはお休みではありません。私が初めて会社に就職した時のお話し。。。私はどうしても想像を必要とするお仕事は一人でないと難しく、どうしても自宅に持ち帰り仕事する事が多かったのです。しかし先輩方が遅くまでお仕事をなさっているのに、先に帰るのはどうしても嫌で残業の時間になると先輩方のお仕事(作業の部分)をお手伝いする事にしました。単純な作業のお手伝いが多かったのですが、それを如何に楽しくするか?を自分なりに考え、時間との競争にしました。今日は、一つの事を10分、明日は7分、その次は5分で・・・という具合に自分との競争にしたのです。もともとどんなお仕事でも苦にならない性格でしたが、とても楽しめました。ある夜、作業が一段落しても先輩方はまだ帰ろうとされません。私は給湯室へコーヒーを入れに行きました。そこで見たものは・・・山積みになったコーヒーカップでした。このコーヒーカップは毎日誰が洗っているのかしら?お掃除の叔母さん達ではない事は確かなはず・・・その日は山積みのコーヒーカップをすべて洗い、給湯室を奇麗にお掃除しました。そして先輩に聞いてみました。何方が洗っていらっしゃるのですか?先輩から返って来た答えは想像もしていなかったものでした・・・社長が朝一番早く来て、コーヒーカップを洗っているのです。どうして皆はそれを黙って見ていられるのか?不思議でした。確かにそんな事をする時間があるならお仕事をして欲しいという社長の願いかもしれません。その会社はそれにその業界ではある程度知名度のある会社でした。次の日、社長が私の所にいらっしゃって・・・社長「コーヒーカップを洗ったのは貴女?」私「はい。そうです。」社長「やっぱり・・・そうだと思ったよ。」それから、どうしても社長にはやってもらいたくなくて、毎日夜に洗って帰る事にしました。夜洗えない日は朝一番に行って洗う日々が続きました。夜帰宅して、お仕事をして・・・寝不足の日の繰り返しでした。初めから重要なポストを任されていた私でしたが、年上の方々にお仕事を依頼するのがどうしても慣れません。それでも会社の為にはやるしかありませんでした。長くなりますので分けさせて頂きます。続く・・・
March 20, 2005
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今日は、ブレックファーストミーティングの日でした。ちょっと早起きして(とても辛かったです。)、軽い朝食の準備をしました。ミーティングの最中は眠気などなかったのですが、皆が帰った後パソコンの前に座った途端に眠気が襲ってきました。結局眠気に勝てず、仮眠をとりました。その時に思った言葉があります。C'etait plus fort que moi.(直訳すると私より強かったという意味です。)眠気の方が私よりも強かったので、負けて寝てしまったという事でしょう。この言葉を良くフランスで聞くのですが、私はこの言葉を余り好みません。確かにとても便利な言葉なのですが、これで簡単にいろいろな事が片づけられてしまいます。ある番組で、母親に暴力を振るう子供が紹介されました。その子供によると暴力を振るう時は自分でないような感覚になっているそうです。その時にその子供が番組中に使った言葉がやはりこの言葉でした。暴力を振るいたくなる気持が自分の意志より強いという事でしょうか?それとも暴力を振るおうとする自分が、それを止める自分より強いという意味でしょうか?どちらにしましてもこの言葉を使ってしまうと、会話が続けられません。日常茶飯事にこの言葉を聞きながら、いつも私が感じていました事は便利な言葉ではありますが、危険性をはらんでいる言葉だと思いました。子供の時からこういう言葉を使い、深く考えずそして又、それ以上努力をしなくなる要素を含んでいるような気がしてなりません。こういう言葉がすでに存在する以上、避ける事は出来ませんが、出来る限り子供達には使って欲しくない言葉です。日本語にそういう言葉はありますでしょうか?
March 19, 2005
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カフェやレストランのテラスにテーブルや椅子が並びはじめました。太陽の下で外気を吸いながらカフェを片手にお喋りしている人達を見ていると、表情さえも明るく見えます。こういう光景を見るとフランス人はやはり生活を楽しむのがなんて上手なのでしょう?!と改めて思います。仕事とプライベートの分け方が違うようです。そういう事を羨ましく思わない私はやはり日本人なのだと再認識させられますが・・・フランスに来て感じました一つに、フランス人はより動物的だという事がありました。これは私的見解です。フランスの国自体が、自然に近いのかもしれません。こちらに来て間もない頃・・・満月のある夜、なかなか寝つけませんでした。翌日友人にそれを話しましたところ、友人も同じ事を言っておりました。そして又、別の友人は・・・「昨夜、0時半頃急に出かけて私らしくない事をしちゃったの。」と・・・私「やはり昨夜の満月ね。」友人「え?満月???」こういう会話を覚えています。満月の夜は犯罪が多く、警察の出動が増えると聞きます。それから満月の夜はやはり眠るのが難しいのです。。。これはフランスに限らず世界中のはずなのですが、日本にいた時に満月に眠れなかった経験がなかったように思われます。子供の頃にあったのかもしれませんが、覚えていません。この経験をしました時に、上手く説明出来ないのですが、より自然に近い状態にあるような気がしました。こういう経験が出来ました事をとても喜んでいます。
March 18, 2005
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暫く日記をお休みしたリハビリも兼ねまして、私の好きな“美味しい食べ物”を思い浮かべながら記する事にしました。フランスらしい食材をテーマに。。。去年のクリスマスにシャンペンのヴーヴクリコの御家族の家へ招待して頂きました。(シャンペン大好きな私は大喜びでした。)今ではヴーヴクリコはLVHM(ルイ・ヴィトン、ヘネシー、モエシャンドン)グループに渡ってしまいました。本当に残念な事です。御家族は貴族、伯爵の称号をお持ちです。その宴での驚きは、クリスマスであっても子供達は大人と一緒のテーブルにはつけなかったのです。確かに大人だけだと落ち着いて頂けますが・・・フランスのレストランは犬は連れて入りますが、子供は連れていきませんよね。これと同じなんでしょうね。その招待後、お礼も兼ねて私の家へ数日後に御招待した時の事です。(知らないうちにそういう話しがまとまっていました。)メニューを考えるだけでも眠れない程悩みました。。。悩んだ理由の一つに前菜は友人がキャビアを持ってくるというのです。それまでは良かったのですが、そのキャビアをじゃがいもで食べたいとヴーヴクリコの家族の方がおっしゃるのです。キャビアをじゃがいもで???始めて聞きました。。。そこで、日本でフランス料理のレストランを経営している友人に電話をしてどういう種類のじゃがいもでどうすれば良いかを教えてもらいました。どうにか解決しましたが、今度はメインです。日本人の私が考えた事は、鯛を焼く事・・・これだと簡単で人数分でもどうにか出来るという発想でした。そして日本らしい雰囲気も簡単に出せると思いました。そこで友人に相談しましたら、友人が今度は鳥のトリュフ焼きがいいと言い出したのです。これも又聞いた事もありません。友人に私には無理だと言いましたら、友人が鳥屋さんに連れていってくれました。鳥屋さんにトリュフが置いてあるのです。(初体験)トリュフを選び、鳥を選びます。後は、鳥屋さんが作ってくれました。どうするかといいますと、鳥の皮を奇麗に剥ぎます。其処へ薄切りしたトリュフを全体に並べます。そして皮を元どおりに戻します。バナーで鳥をあぶり焦げ目を少々付けます。(これは焦げ目を付ける為かどうかわかりません)後はオーブンに入れ、ゆっくりと焼いていきます。キャビア用のじゃがいもは、まるごと茹でます。そして食べる時に半分に切り、無塩バターをのせ、キャビアをのせて頂きます。なんと美味しかった事でしょう!始めて知ったとてもとても贅沢で美味しいメニューでした。結局私は、じゃがいもを茹でたのとサラダを作っただけでした。こういう贅沢メニューもいいですが、本当は旬のものを新鮮なまま頂くほど贅沢な事はないと思っています。釣りたてのタコをその場で頂くとか・・・(とても甘くて美味しい!)
March 17, 2005
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今日は、日本はホワイトデーですね。多くの人達が楽しい時間を過していらっしゃる事と思います。こちらフランスはホワイトデーはありません。ただし、バレンタインデーは男性、女性に関係なくプレゼントします。男性が女性に渡す確立の方がはるかに多いと思いますが・・・一昨日続く・・・と書いてしまったのですが、続きを書かないうちに今日になってしまいました。失礼致しました。今日は、2時間の睡眠時間しかなかった為に感じる事が沢山ありました。寝不足で疲れていると、普段気にならずに通りすぎる事も気になったり(それも良い方の気になり方ではなく)とにかくすべてにおいて良くない事が今更ながら再確認されました。今更ながらではありますが・・・人がポジィティブに、快適に過す為には、様々な要素が必要なのですね。。。そのひとつに身体のすべての機能が回復出来るだけの睡眠時間も必要だという事を改めて感じました。それでも興奮状態を保てるような時は違うのかもしれませんね。
March 14, 2005
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只今、夜中のお料理を楽しんでいるところです。この国でいろいろな国のお料理に出会い、それぞれの国の恵みを知る事になりました。日本は海に囲まれている為に何時でも新鮮なお魚が手に入る為に、お刺し身が美味しく頂けます。そしてお魚は血液の流れを良くしてくれるといいます。勿論、日本の中でもそれぞれの土地で、山の幸が豊富なところもありますでしょう。(私が海に近かった為に、ついつい海の幸を考えがちです。)そして、地中海沿岸の国々などはオリーヴが沢山採れる為に、オリーヴ油を使ったお料理、又はお料理にオリーヴを使ったものも多いですね。そしてオリーヴも血液の流れを良くすると言われます。そのものは違っても(お魚とオリーヴ)同じ働きをするものが各土地に存在するという事ですね。其々の国の恵み(幸)には、当然の如く身体の機能を順調にする(身体に良い)ものがあるのですね。これは本来の自然の恵みですね。続く・・・
March 12, 2005
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今日は空港近くの大きな展示会場まで行って来ました。20年程通っている展示会です。始まったのもその頃ですから、全く歴史と共に歩んでいるようなものですね。毎年2回、日本からこの会場に来るのが楽しみでした。沢山の顔見知りと集い、笑い、討論し・・・ここ3.4年、顔見知りは減り、新しい顔ばかりです。○○の会社はなくなったらしいよ・・・○○は全く違う仕事をしているらしいよ・・・こんな会話が聞こえるようになりました。淋しいけど仕方ないですね。これが時間の流れですね。昔は仕事とはいえ、シャンパンを飲んだり仕事の中にユーモアがあり、それはそれは楽しかったものです。そして世界中の技術が集まり、その技に心動かされたものでした。昨今、ウキウキするような技に出会えません。開発費がないから仕方ないのですよね。そして技を出し合うというよりもビジネスが中心になるのも仕方ない事ですよね。しかし、我々とは違う新しい何かがあるのも確かです。それは頼もしい限りです。しかし、最後にやはり顔見知りの方に「前みたいな時代はもう来ないのでしょうか?」と言っている私がいました。
March 12, 2005
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2005年、新年を迎えてからずうっと気になっている事がありました。10年前にフランス人が余り顔を洗わない事を疑問に思い、あるフランス人女性に質問しました。朝洗わない人もいると聞いていましたが、とりあえず差し障りのないように、お化粧を落した後、洗顔をしない理由を聞いて見ました。その女性曰く・・「ジャベル(漂白剤・日本のハイターと同じようなもの)が入っているお水で洗うよりいいでしょ?!」確かにお水を浄化するものは入っているとは思いますが、漂白剤が入っているのかしら?とずうっと疑問に思ったまま10年が経ちました。今年に入り、ある日キッチンでジャベル(漂白剤)の匂いがしました。キッチンのお掃除に今日はジャベルを使って下さったのかしら?と思いながらもちょっと気になってはおりました。それから洗面所に行ってもジャベルの匂いがします。数日間、お水がある場所はすべてジャベルの匂いがします。お茶を頂こうとしましたら、それもジャベルの匂いがします。お茶はミネラルウォーターで入れますから、お水ではありません。器についている匂いでした。。。私の家のキッチンの流しは白ですので、洗剤で毎日洗ってもピカピカの白にはなりません。やはり時々ジャベルを使っていました。それが毎日流しがピカピカに真っ白なのです。お水を流すだけで奇麗になっています。そこで疑いが真実となりつつありました。。。漂白剤の匂いはまさしくお水からでした。とても恐い事です。生水は飲まないにしましてもお風呂には入ります。漂白剤入りのお風呂に入って何も問題はないのでしょうか?漂白剤ではない事を祈りますが・・・現在3月半ば・・・今でもまだ漂白剤の匂いがします。日本は生水の浄化はどのようなもので行われているのでしょうか?もう少し真剣に環境問題を一人一人がきちんと考えるところに来ているような気がします。
March 11, 2005
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今日は寝不足と疲れで頭がボーッとしていますので、そろそろお休みしようと思いましたら、本当にくだらない疑問が湧いたのです。スペインの裁判風景を見ると、裁判官その他未だにかつらをかぶって行われているのですよね。プラチナカラーの縦巻きロールのかつらに衣装といい中世そのままです。伝統に乗っ取って、変更する事なく続いてきたのでしょうが、そのまま続いて欲しいものです。人間の人生を変えてしまう恐れのある真剣勝負の場であっても、舞台を見ているみたいな非現実さを感じるので、場の雰囲気としては良いのかもしれません。見ているものとしては何か重々しさの中に楽しさを感じます。しかし、これを続けている何かの謂れなどがありそうな気がします。御存知の方いらっしゃったら教えて頂けませんか?時代にそってすべてが変わっていく世の中だけに、本当に続けて欲しいと切に願います。
March 10, 2005
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続きです。三人め・・・三人めはちょっと余りにも残酷なところが多かったので、省略しながら書かせて頂きます。フランスは、ドゴール政権の時に多くの外国人を入国させました。今ではピュアなフランス人を探すのが難しいと言われるくらいです。その中で、良く聞く Maghrebin(マグレバン)と呼ばれる北アフリカの人達が沢山います。モロッコ、アルジェリア、チュニジア人です。このマグレバンという言葉の由来を聞いてもはっきり答えられる人が余りいなく、アラブ語圏の人に聞いたところ、直訳すると「西のアラブ」というアラブ語だそうです。その昔、アラブ人が北ヨーロッパに移動した時にアラブから見て西にあたる国々をこういう風に呼ぶようになったのではないかという答えがきました。確かに彼らの言語はアラブ語です。このマクレバンと呼ばれる人達がフランスに多い為に、彼らの国の出来事は良くテレビで見る事が出来ます。この三人めの女性はアルジェリア人で、アルジェリヤでは今でも普通に行われている強制結婚をさせられました。親が子供を売るような感覚で行われます。結婚式の時にサインを出来なかったそうです。彼女の変わりに親が飛んで来てサインをされたそうです。それからの彼女の体験は余りに残酷なので書けません。この御主人は彼女を物のように扱い、家の中に閉じ込め、ベットに縛られ・・・奴隷でもあるかのように扱われました。これは珍しい事ではありません。彼女はフランスに逃げてきました。彼女のとった行動により被害者が出るのは当然です。彼女は脅えながら生活していましたが、こういった制度を変えなければ、又女性たちを救わなければならないと立ち上がり、彼女の体験をすべて「本」にしました。アルジェリアの大臣からは、その勇気を表彰されましたが、彼女の母親は彼女と断絶しました。この大臣の表彰も本当のものか?フランスで出版された本に対して、対外的にそうされたのかは定かではありません。この番組の取材の為に、彼女はアルジェリアの地を再び踏む事になりました。お母様のお墓参り・・・彼女が辛い日々を過した場所・・・と泣きながら彼女が言った言葉は「まだ私の中で完全に消化出来ていなかった事がわかった。」アルジェリアの地を踏んだ彼女はようやく今までの出来事が消化出来、先に進んでいく事でしょう。そして現在、彼女は自分と同じような体験を余儀なくさせられている女性たちを助けるお仕事をしています。こういった話しは良く聞きますので、もう耳がなれてしまってはいますが、私はこの番組をみながら、確実に一歩づつ変わっていくだろう歴史を感じました。今回の彼女の行動で犠牲者が出てしまったけれども、そういった犠牲者の上に成り立つ国の成長を希望と共に感じました。現在の世界の平和(平和でないところも沢山ありますが)はこういう勇気ある一人の行動から始まり、多くの犠牲者の上に成り立って来た事を改めて考えさせられました。
March 9, 2005
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続きです。二人め・・・ブルジョアの家庭に生まれ、何不自由なく育ち25歳で薬屋さんを営む家へ嫁いでいった女性。この女性は結婚して何不自由ない生活の中で、何かが足りないとずうっと思い続けていたそうです。その何かを見つけられない歯痒さがあったそうです。ある日、家業であるお薬屋さんで日常のごとく、お薬を売りながら思ったそうです。病気を治すのはお薬ではない!お薬では何も治せない!病気の元から治さなければ何にもならない!病気を製造しているフランス社会も含め、根元から退治する必要性を考えたそうです。そしてある日、その気持を押さえられず、家を出、SDF(道で生活する人、日本語でいうと浮浪者でしょうか?)の道を敢えて選びました。というのは、日ごろから女性のSDFがどうやったら道で生活出来るのか?という事に疑問を抱いていたそうです。2年半に及ぶSDFの生活・・・すべての埃が肌につくそうです。とにかく説明出来ない暮らしだそうです。しかし毎日毎日それになじめるようになっていったらしいです。そこで、彼女の人生で何か足りなかったものを見つけたそうです。今は、SDFを助ける仕事をしています。それは身体の健康というよりも心の健康を取り戻す事です。“自分が必要とされていない。”“愛される事を知らない。=愛する事を知らない。”こういった感情が根底になっているそうです。それを解決する心のリハビリから始めているそうです。
March 9, 2005
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ここ数日、不思議な感覚で過しておりました。しかし昨夜から今朝にかけて何かが私の中でもうひとつ変わったような感覚で解決しました。すっきりした気分で・・・リラックスタイムの時に・・・数名の女性の人生を紹介する番組を見ました。余りにもすべて多くの事を語っていますので、書き留めたくなりました。一人め・・・14歳の時からジーパン工場で33年間働いていた女性の話しです。フランスに来て思った事のひとつに、14歳で学業を終える子がまだ沢山いる事です。そしてそういう子達は、まだ階級社会が根強いこの国では、自分の人生を自らリミットのあるものにしています。この女性も夢がありましたが、工場で働いている人達の中ではそういう話しは禁句のようなものだったようです。親も黙って工場主の言う事をきちんと聞いて、頑張りなさいと一言。アメリカからジーンズがヨーロッパにも入り、こういう工場が盛んになったのですね。ところが人件費が高くなったフランスではすでにこういう工場は成り立ちません。1999年に閉鎖されました。そこで働いていた皆は、行き場所を無くしたのです。そしてそれがテレビで放映されました。ある舞台製作者が、そのテレビを見ていてそこで働く女性たちの失望の目が気になったそうです。そしてその失業した女性達に会いにいきました。結果は・・・現在彼女は女優として舞台、映画で演じています。彼女の小さい頃からの夢は女優になる事だったそうです。しかしそれは一生、人に話す事もないだろう夢だったそうです。それが突然の出来事で、本人すらも想像しなかった形で女優の道を歩む事になりました。彼女のお嬢さんが、彼女の事を現代版シンデレラだと言っていました。私はこの物語をシンデレラ物語だとは思いませんが、彼女の心の中で思い続けてはいても全く信じてもいなかった事が、実現した体験が不思議でなりません。
March 9, 2005
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今日は久しぶりに雪も雨も降らず、良いお天気でした。出かけなければならないお仕事を済ませる事にしました。という事で・・・本を読む時間が出来ました。。。本棚を見渡し・・・古い本を持って出かけました。武者小路実篤の『真理先生』です。抜粋「僕はあたりまえのこときり言いたくない。今の人はあたりまえの事をしらなすぎる。何でもひとつひねくらないと承知しない。糸巻きから糸を出すように喋るのでは我慢が出来ない。わざと糸をこんがらしてその糸をほどく競争をしているようなものだ。あたりまえでない事を尤もらしく言うと、わけがわからないので感心する。こういう人間が今は多すぎる。真理以外にたよりになるものはない。」「今の世の中は人生の美を知らない人々によって作られているので醜いことだらけ、悲惨なことだらけと言えるかもしれないが、それは人生が悪いのではなく、人間が愚か。自分のうっぱりを気にしないで他人の目の中の塵(ちり)を気にするものが実に多い。好んで自分を不幸にしているもの。真理に背中を向けているものが多い。」「私達の精神は真理だけに従順。人間の肉体を輝くものにする為には、やはり真理が必要で、精神が美しく生きない肉体は、贅肉の固まりのように私には思われる。」「真理なくして何処に人生があるか。」「真理の力、我等の内心の力、それが合致して、其処に美しい花が咲き、実を結ぶ世界、私はいかなる時もその世界の実現を信じている。」「理屈ではなく、実感で全心全身で人生を肯定出来る道をお歩きなさい。」武者小路実篤の作品は私は割と好んで読んでいました。久しぶりに読むと何かホッとするものがあります。美しい世界に導かれるように思います。この抜粋の始めにありましたが、本当はとても簡単な事、単純な事を好んで難しくする風潮があるように思います。ですから、こういう作品に触れると安心感のようなものを与えてくれるのかもしれません。外出先からから戻りましたら、近所の方々がとても明るい笑顔で明るく迎えて下さいました。何よりの贈り物です。有り難うございました。
March 8, 2005
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今日は、すでに日記は書きましたが、幸か不幸か楽天さんがもっと書けるようにして下さったから・・・先程書けなかった続きを書きます。(書こうと思ってもいなかったのですが・・・)先程日記を書いてから、涙が止まらずとうとうこの場に綴る事にしました。こんなに時間が経った今なのに・・・彼との出会いは6歳の時です。しかし、夢ばかりを追いかけていた私は、彼の思いに答える事が出来たのは21歳の誕生日の時でした。それまでの時間の中で、多感な時期には私への苦しい思いで自殺しようとまで考えていたらしいです。彼の両親も彼の姉妹も彼の事をそれはそれは心配して、友人を通して私のところへメッセージを送っていらっしゃいました。しかし答えられない私は、何もお手伝い出来ませんでした。彼の事を好きになってはきていましたが、それも隠して嘘を言い続けました。しかし21歳の誕生日の日たまたま帰省していた私は、彼と会ってその後東京行きの飛行機に乗った後、彼への気持が大きくなっている事に気付きました。それまで我々がお付き合いしていく中で生じる問題が私を引き止めていたのです。東京について彼に電話しました。彼はとても喜んでいました。私が電話した事に・・・そして問題は二人で解決していく事に決めました。それから学校を卒業するまでは遠距離恋愛です。それから彼が東京に来て、私達の生活が始まりました。幸せでした。。。大きな大きな愛につつまれて。。。いつしか私も大きな愛で返すようになっていました。我々の中にはそれはそれは素晴らしいものが築きあがりました。我々はそれから数年後結婚を決めました。疑いもなく・・・御両親は結婚の準備で大忙し・・・そしてある日彼は親友の結婚式の為に田舎に帰ってから帰らぬ人となりました。彼の様態の変化を聞いて、田舎に駆けつけました。それから4日目です。病院の先生からもう駄目だと聞かされたのは・・・病室に家族のみ残る事を許されました。お姉様方は私を気遣い外に出られました。御両親と私を残して・・・彼の顔が右側を向いていました。彼のお母様は私に、彼が見える方に座らせて下さいました。本当は一人息子の死を目の前に自分たちが座りたかったでしょうに。彼の人生は貴女だったから・・・と言われました。私はこれからずうっと一緒に生きていきたかった彼がいなくなる事を考えられませんでした。それから30分、吹き出す血を私は必死で拭き続けました。19時5分。。。終わりました。田舎の友人達は、私が帰る度に集まってくれます。同窓会の時も私にとても気を遣ってくれます。人気者だった彼の不在は皆が感じています。だから余計に私に気を遣ってくれます。でも、同窓会の度に思います。私にとっての同窓会は何時も何かが足りません。もし我々がカップルでなかったとしても、私の小さい時からの想い出に大きく残っているのはやはり彼でしたから、一番同窓会で会いたいと想うのは彼だった事は間違いありません。だからこそ、その不在は私の伴侶としての不在だけではなく、私の想い出の不在でもあるのです。一生の不在です。彼と最後に一緒に参加した同窓会は今でも忘れられません。我々の近況を知らなかった皆が我々が一緒になった事を驚きも含め、自分達の事のように喜んでくれました。それどころか小学校の時からの彼との出来事、一つ一つ鮮明に覚えています。彼との想い出は私の中にそおっと閉っていました。文章にすることの出来ない多くの事がありましたから・・・初めてお会いした会社の社長が我々を見て「久しぶりに本当に気持の良いカップルを見た。本当に愛し合っているね。」と言われた事を思い出します。その時に愛し合っている以上よ・・・と思った事を覚えています。先程の日記にも書きましたが、お母様とお電話でお話しさせて頂いて想い出話しになってしまい結局綴ってしまいました。彼が一番幸せな時に旅立てた事を嬉しく思います。そして今でも幸せを感じてくれている事を願わずにはいられません。
March 6, 2005
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本来は今日は年に何度かあるお花を贈る日です。。。悩みながら・・・17回忌を期に止めました。。。習慣は、止める方が続けるよりも難しいですね。いろいろな事を考え止めました。彼の御両親が彼の代りに養子を迎えられた事・・・そして彼の御両親に前を向いて歩いて欲しい事・・・私の事を心配かけたくない事・・・彼の御両親が、逆に淋しい想いをなさる事なく、私の気持が伝わるようお祈りします。私がお花をお願いしていた素敵なお花屋さんのお話しを少し・・・あるお花屋さんに毎年、誕生日、母の日、父の日、命日とお願いしていました。わたしはお花に関しては、少々うるさいので、何のお花をどのようにと説明します。このお花屋さんは、私の両親がお世話になっているお花屋さんでもあるので私の素性は御存知ではありました。しかし、今までずうっと両親には内緒にしてもらいました。(父と母に本当に悪いと思いながら、心配させたくなかったのです。やはり何処の両親も娘には幸せになって欲しいものです。娘が亡くなったフィアンセ宅にお花をずうっと贈り続けている事がわかったら悲しませる事になると思ったのです。)このお花屋さんはずうっと内緒にしてくれました。。。そして私が海外に来てから、振り込みが上手く行かずお支払いが遅れた時がありました。ちょうど帰省が重なりましたので、実家に戻る前にお花屋さんに支払いに行きました。そのお花屋さんに行くのは初めてでしたから、当然お会いするのも初めてでした。私はお支払いが遅れた事を本当に申し訳なく思い(本来は支払ってからお花は届けて下さるものですよね)頭をさげながら御挨拶致しました。そしたら返って来た反応に驚きました!!!私がまず名乗りましたら・・・お花屋さんは、驚きとなんとも言えない笑みと浮かべながら・・・お花屋さん「貴女でしたか。。。ずうっとお会いしたかったのですよ。お届け先の方にいつも話していました。なんと素晴らしいお嬢さんでしょう。こんなに何年もお花を・・・とそしてそれをお届け出来る我々は本当に嬉しい。。。と。我々家族の中でもずうっと貴女の事を話していました。やっと会えました。」と言いながら涙ぐんで下さいました。支払いが遅れて謝りに行った私を待っていたものは感動でした。。。私も涙が次から次に溢れてきました。。。とても素敵なお花屋さんです。今まで両親に内緒にして頂いて有り難うございました。。。そしてこの場をお借りして、両親へ今までの親不孝を謝りたいと思います。****************************************************************今、彼の御両親とお話しをして電話を切りました。何時までも娘のように思って下さる御両親に感謝致します。本当に辛い時を過された御両親ですから、お幸せになって頂きたいと痛切に願うばかりです。
March 6, 2005
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今日は夕方から雪がひどくなってきました。それでも金曜日は何時ものお買い物です。。。外に出ましたら、なんと美しい事・・・夕方の薄暗い中に降り続ける雪、ぼんやり光を放つ外灯が並び、木は雪化粧、映画の一シーンを見るかのように・・・美しすぎるなどど感動しながら歩いておりましたら・・・感動はそこまででした。歩けなくなってしまい、かめさんのようにゆっくり歩いて戻る事になりました。今日は、この雪のおかげで時間が出来ました。時間の贈り物は本当に嬉しいです。今日はrestaurant du coeur (直訳すると心のレストラン)というボランティア団体の28周年目の大きなイベントがありました。この団体は一人の俳優(交通事故で亡くなりました)によって始められたものですがフランス国内の十分に食料を買えない人達のところに定期的に届けるものです。SDFと呼ばれる家がなく、道で生活している人達にも飲み物、食べ物を届けます。その活動をしている人達がおっしゃっている事は、食べ物も勿論必要だけど、話し相手となり、一緒に時間を過してあげる事の大切さです。「聞いてあげる事」だそうです。そこから社会問題となっているものを見つけ出し、解決策を練るという形です。この団体は毎年毎年大きくなり、一人の俳優の意志が今でも引き継がれています。今日は、歌手、コメディアンの人達が大きなコンサートを開催しました。「我々は政治家ではないから、何の解決策があるのかわからないから、こうやって出来る事をやる。」と言っていました。そのコンサート中に会場みんなで手をつなぐシーンがありました。(人数は東京ドームに入る人数くらいでしょうか?分かりません)みんなが手をつないでその手を上に掲げた時には、何か熱いものを感じました。一人のコメディアンが・・・「みなさん、愛を感じますね。」と。この時に日本の1億2000万人(今は少し変わったかもしれませんね)が手を取り合う事が出来たらなんと素晴らしいのでしょう!と考えました。昨今お隣の方と手を取り合うのも難しい世の中ですが、まずは身近な家族から、手を取り合って行きたい(生きたい)ものです。一人での幸せはありえませんものね。身近な人達みんなが幸せでいてこそ、初めて幸せを感じるものですものね。そしてその輪が大きくなり・・・日本・・・地球と・・・
March 5, 2005
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親と離れて育った子供の特集を今見ました。8歳の時に自分から孤児院を選んで、親から離れた女性。交通事故、あるいは別の事故で両親、片親を亡くした子達。両親の都合で寄宿舎に入れられている子達。海外から船に隠れるなどして入国し、道で生活している子達。どの例も皆子供たちは泣きながら経験を話してはいましたが、素直な子供達ばかりでした。一番暗い顔をしていたのは、両親の都合で寄宿舎に入れられている子達でした。孤児院にいる子達よりも、道で暮らしている子達よりも暗く、愛を求めていました。船に隠れたりしてマルセイユに着く子供たちは年間150人くらいいるそうです。こういう子達は結局、入国許可書も滞在許可書も無いわけですから、きちんと仕事が出来るわけがありません。始めは泥棒などをして生活します。インタビューに答えるこの子達の純粋さにも驚きました。私はこういう子達を良い方には見ていませんでした。ところが、フランスで仕事をしてお金持ちになって両親や兄弟を幸せにする事の為に来ているというのです。確かに犯罪ではありますが、彼らの心は犯されていないように思えました。そして親なく育った子供達の共通点は、早くに自分の家族を作る事を夢として、早く結婚し、子供を出来る限り多く造ろうとしていました。私の友人にもやはり同じように早くに家族を持ちたがった女性がいました。もう一つ、気になりましたのは、孤児院ではなくプライベートでこういう子供たちを集めて生活させている人達がいるという事です。小さな孤児院みたいなものですね。そういうところで暮らしている中に、孤児院から出てきた子もいました。道で暮らす海外から来た不法入国の子供たちを集めて面倒みている人もいます。この番組を見ながら、どんな状況でもこんなに素直に育つのに、現在日本で、どうしてあれだけの多くに惨事が続くのか?を考えさせられました。ある子供がいる友人と話した事があります。フランスでは、子供は社会の子という意識があるけど、日本ではやはり自分の子という意識が大きいよね。。。と。こういうところに注目していくと、今続いている惨事を少なくするきっかけにはならないでしょうか?毎日のように流れてくる日本の惨事を少なくする為の対策を一人一人が真剣に考えなければならないのかもしれませんね。こういう時に決まって思い出す言葉があります。アメリカ、日本からマザーテレサの元で、働く事を志願した人達にマザーテレサが言った言葉です。「貴方達の国にも助けを必要としている人達が沢山います。その人達を助けて下さい。」
March 4, 2005
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今日は日本は【雛まつり(桃の節句、上巳の節句)】ですね。女のお子さんがいらっしゃる方々へ・・・お子様達が幸せにお育ちになりますように♪こちらは雪です。。。私の人生をちょっと振り返ってみました・・・「苦労は買ってでもしなさい」という言葉がありますよね。私はまさしくこの言葉を実践してきました。思い通りにならない一つの大きな出来事が起きた事が、そういう人生を歩むきっかけとなりました。人生すべて思い通りになると信じていました。すべてそうなっていたのです。そして不可能と言う言葉も知りませんでした。(この性格はまだ引きずっているようです。)ところが、初めて私の願いが叶えられない、思い通りにならない大事を体験してから・・・そしてその経験がとても辛い経験だった事から・・・またその体験が、あとあと私にとって素晴らしい教えとなった事がきっかけとなり・・・私は自分を厳しい中におく事を敢えて選ぶようになりました。時々私は「マゾシスト」になったのでは?と思う事もある程でした。何かしらの難題が来ると、「これを乗り越えたら、また成長出来る!そして幸せがやってくる」と心の中でいつも思っていました。辛ければ辛いほど、苦しければ苦しい体験程、自分を成長させてくれ、その後に来る喜び、幸せが大きい事に気づいたのです。そして、沢山の体験をする事によって、もっと多くの人の気持を理解する事が出来、ましてやその人の気持になりきって、考える事が出来るようになります。だから私は敢えて、いろいろな体験を自らするようになりました。海を渡ったのも、それが一つの要因でもありました。20代中頃東京でお仕事していた時に、同僚に同年代の気が合う女性がいました。お互い時間が合う時は、帰り道にお酒を頂きながら、本当に良く話したものです。我々の会話は、仕事の事ではなく、精神社会、世の不思議・・・こういったものです。もうそれは止まりませんでした。。。会社の話しが出たとしても・・・例えばある分からず屋さんの上司の事を「彼は、年齢は我々より一回りも上だけど、きっと人間に生まれ変わった回数が少ないか、人間になって間も無いのかもね。」等とこんな感じで問題を簡単に解決していました。その女性がある日出張から帰った私に向かって・・・M子「私ね。ちょっと貴女にやきもちやいたの。でも解決したわ。」私「何を?」M子「貴女が世界を飛び回っている時に、私は何しているのか?と問いただしていたの。でも本当に解決したのよ。」私は本当に驚きました。ヨーロッパから帰って次の日に台湾に行き、そして成田でお仕事を済ませて、ニューヨークに行くという凄まじい出張は、私を心身ともに疲れさせていました。だからそれを羨ましいと思っている人がいる事に驚きました。その彼女は、両親の元で平安に幸せに満ちて暮らしていましたから、私から見るとそちらの方が羨ましい限りなのです。しかし本当に素晴らしい彼女です。自分が抱いた感情を考え抜いて解決したからこそでしょうけれども、堂々と話してきました。その会話の時もお互い、全く悪い感情なしにいつもよりももっと素晴らしい感覚で会話は進んでいきました。そして彼女のその言葉は私に大きなヒントを与えました。彼女の人生は悪い事も余りない代りにグラフにすると平坦な波型の人生かもしれません。私の人生をグラフにすると、0を基準に上にも下にも彼女の波より大きな波なのです。私は彼女に今気づいたばかりの人生の波について語りました。「という事は大きく上の方の波を経験したかったら、下の方の波も経験しなければならないのよね。」その会話も手伝って、私の人生哲学“0”が確立していったのです。“プラス50を知りたかったら、マイナス50を知る覚悟をする。”“それよりもっと知りたかったら、もっとマイナスも知る覚悟をする。”しかし最近感じますのは、下の波(困難)は慣れてくるとどんなに大きくても大きく感じなくなるという事です。感覚としては、上の波の方が多く感じるという事です。本来は上の波も慣れから感じなくなるのかもしれませんが、上の波は良いものを伴って起きるので、感じなくなる事はないのかもしれませんね。もうあれから時間がかなりたっていますので、新たな哲学が生まれて来て良い時期かもしれませんね。。。こんな事を書いていますと、なんだかとても厳しい中にいるように感じましょうが、実際は風に身を任せて過したりとか・・・ゆったりした中でこういう事を考えています。お雛さまに込められた願いがちゃんと叶っています。有り難うございます。私は幸せです。
March 3, 2005
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今日は、前に住んでいた街に用事があって行きました。と言っても今のところから車で5分です。しかし5分とは言え、セーヌ側を挟んで左岸と右岸に別れるパリでは街の雰囲気も変わります。現在右岸で暮らしている私は、前は左岸にいました。左岸は、昔文化人達が集っていたところで、今でも文化的な匂いのする街です。左岸に住む人は右岸を嫌うとまでいいます。左岸は頭を使うところ、右岸はお金を使うところという風に喩える事もあります。左岸を歩きながらその当時の事をいろいろ考えていました。私がパリに来て間も無い頃、フランス語も全く解らなかったのですが、忘れられないフィルムがあります。一回きりでしたので、映画をテレビでやっていたのかもしれません。香水の街、グラスの話しでした。壮大に広がるお花畑で、イタリア人(イタリアに近い場所の為にイタリア人が多い街)が歌いながらお花を摘みます。それが毎日のお仕事です。歌いながら、お花を摘む風景というのは何とも優雅で美しいものでした。そこで香水工場の息子がある女性に恋をします。しかし工場が段々厳しくなった為に、政略結婚をしなければなりませんでした。その息子が愛する女性はお花を摘む女性でしたのでどうにもなりません。子供も出来るのですが、やはりその結婚生活は上手くいかなくなり別れる事になりました。そして後に本当に愛する女性と結婚し、二人で工場を盛り上げて立て直すというお話しでした。その立て直しに新しい香水を創りました。その香水の名前に“ソレンザ”というその愛する女性の名前をつけました。恋愛物語の部分は一般にあるお話しですから、特別面白くはないのですが、お花を摘む姿などが、香水の出来るまでの過程として今でもこうやって続いている事がとてもとても素晴らしく感じたのです。それと何かわからないとても魅かれるものが沢山そのフィルムの中にはありました。それから7年くらい経ったある日(今から3年位前)、フラゴナールというフランスではとても大きな香水メーカーがあるのですが、そこの美術館に行った時の事です。“ソレンザ”という香水がありました。そこで、美術館の人に私の見たフィルムの話しをしましたら、なんと美術館の方から返って来た言葉は・・・「そうです。あれは実話です。そしてこれがその香水です。」私は驚きの表現の声を上げました。(なんと言ったかは覚えていません。)私の忘れる事の出来なかったあのお話しのそのままが目の前に現実として出てきたのです。あの香水に出会った時の瞬間を今でも忘れる事が出来ません。私もこの物語の中の一部に入っていて、それを見つけた感覚でしょうか?いいえ。。。歴史の一部を現実に見た一瞬でしょうか?今でもその時の感覚をまだ自分なりに消化出来ず、表現が出来ません。でも素晴らしい出会いだった事には間違いありません。人生には、幾度となく素晴らしい出会いがあります。それは人であり、物であり・・・私が出会ったこの香水は【物】とは言えない何かです・・・しかし忘れられない素晴らしい出会いの一つとなりました。左岸はこういう事を思い出させてくれました。。。
March 2, 2005
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3月ですね。日本は3月の初日の朝を迎えている頃ですね。こちらは3月に変わったばかりの時間帯です。心新たに、3月という月に失礼にあたらないように、そして3月さんに一緒に歩んでもらおうと思います。今日は、ある知人のフランス人の博士(研究者)が研究し、発明している病気を治す音楽について友人と話しました。この博士、研究費を稼ぐ為に若い時に歌手をしていたのです。これもとてもユニークですよね。初めて会った時に、私は彼の目に魅了されました。髪の毛は如何にも博士と言わんばかりの爆発している髪型で、言われなくても研究者だろう事は解るいでたちでした。正面に座り、話しを始めた時に彼の目を見ると、赤ちゃんの目をしていました。とても美しく、透き通り、無邪気な目で可愛かったのです。ある友人はこの博士の研究に感服し、研究に専念してもらう為に生活の一部を見てあげるようになりました。2年前、この博士の奥さんが妊娠した時の事です。友人宅で皆でご飯を食べていた時に、友人が突然博士に向かって言いました。「一番良い病院を予約しなよ。」「お金は心配しなくていいから。」私は感動して涙が出そうでした。この友人は、出産に大反対なのです。新しい生命を誕生させるには、この世の中は病みすぎているという理由ですべての出産に反対なのです。それなのに・・・世の中まだまだこういう優しさをもった人達がいるんですよね。そして今日、その友人の奥様が先週からひどい風邪に悩まされていらっしゃったので様子を伺いに電話しました。奥様「音楽ばかり聞かされるのよ。」私「当然でしょうね。」奥様「私はね、子供の時から病気になると母が手で撫でてくれたの。手当てという言葉があるでしょう?私はあの言葉が大好きでやはり病気の時は手を当てて欲しいのよね。」(この奥様は日本人です。)【手当て】手当てという言葉を改めてそういう風に考えた事はありませんでした。漢字からすると本当にそうですね。手を当てる事ですものね。今日は又一つ気付かせて頂きました。感謝致します。病気をミュージックで治すという考えには私は同感しています。理論的にも納得しています。しかし、軽い病気の時には、残念ながら音楽を聴いている時間がないのです。それもあって、私はこの友人の前では絶対身体の不調を話さない事にしています。テープを持って飛んでくるのです。西洋医学のお薬づけの治療から、こういう風に自然のエネルギーを利用したものを取り入れた治療が西洋においても出現している事を嬉しく思います。2月23日の日記で食事(お肉)の事を書きましたが、食べ物も身体に優しいものなどの考えが出てきていると思います。
March 1, 2005
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