わたしの足跡

わたしの足跡

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January 26, 2005
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カテゴリ: 巨匠


朝から暖房の水もれの為に壁を壊す工事・・・特別に作られた壁を傷つけられるのが悲しくて仕方なかった。工事に来た人達の中に一人の黒人がいて、私の悲しそうな顔に気づいてくれた。彼はすぐに別の方法を考えてくれた。(人の心が分かるような温かい目をした人だった。有り難う!)そして別の階から工事をやってみるという事になった。
しかし、私の変りに悲しい思いをする住人がいると思うと又悲しくなった。
その後、メールチェックしていると去年から取り組んでいる事業の日本の受入先の様子がおかしい事を発見。相手を変えた方が良いのでは?
早く日本の受入先を決めないと時間がたってしまうと焦るばかり。今ではこちらの国の会社への信用問題と責任感が覆い被さってくる。自分に焦ってはいけないと何度も言い聞かせた。
その途中で次の仕事場へ行く時間になってしまった。
日本文化の協会の中のある講師を頼まれ、新しい場所を見に来てくれという。その場所を見ながら授業の打ち合わせをしているうちに次の打ち合わせの時間。
自宅兼事務所に戻る。ぎりぎり門のところでその相手と合う。巨匠の娘。巨匠の旅行中、手におえないわがまま娘に仕事のやり方を説明して欲しいという。その打ち合わせが終わり、別の巨匠に電話すると、もうすぐ打ち合わせが終わるからこれから打ち合わせをしようと言う。それが夜の9時。アジア人以外にもこんな夜まで仕事をやる人達がいると頭で考えながら出かける。打ち合わせの途中でその巨匠に35年前のお客様から電話。一緒に移動しながら車での打ち合わせに切り替える。ホテルに着き、ロビーでお客様が来るまで打ち合わせ。一時間たってもお客様は降りてこない。なんと同じソファーに一時間も一緒に座っていたのだ。35年ぶりでお互いに解っていない。その上、そのロビーに人通りはあっても座っているのは我々だけだというのに・・・
巨匠曰く、「35年前は黒髪だったかもしれない」と。

他には、日本文化関係の人達といる時に始めて合う日本人から
“Bonjour”と挨拶された。良くある事。日本にいた時からよく間違えられた。
その度に少々怒りを感じながら100%日本人ですと答えて来た。
最後には慰める人まで出てきた。今はハーフでも悲観する事はないんだよとか・・・
しかしこの時に思ったのは外国人(極東アジア以外)には100%に近く私が日本人だと分かるのになぜ?ま!どうでも良い事。
いつも思う事、最後に振り替えると内容的には日本にいた時の半日分くらいなのに、どうしてこの国ではこうなってしまうのだろう?と。





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Last updated  July 6, 2007 06:28:23 AM
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