全23件 (23件中 1-23件目)
1
2017年の幕開けです。年明け早々、母と御神酒を頂きながら、お節をつまんでいましたら就寝が遅くなり、今朝は初日の出を拝んだ後、母は再度ベッドにもぐりこみました。お雑煮を戴いたのは10時と遅いスタートとなりましたが、姉夫婦、孫たちも皆、顔を見せてくれ、幸せそうな母でした。今年も平和な年明けが迎えられました事を感謝したいと思います。
January 1, 2017
コメント(2)
友人から紹介して頂きました。------------------------------■ 太陽とともに生きてきた日本人「さようなら」は元々、いま使っているように長い時間会っていて分かれるときの言葉ではなく、日本人がすれ違いざまに誰とでも、親しく挨拶を交わしていた時代の言葉でした。「今日(こんにち)は。元気ですか。」「ええ、とても元気です。」「左様ならば、ごきげんよう。」という一連の挨拶文句の中の一部が「さようなら」だったのでした。今日とは、太陽のことです。元気とは、元の気、これもまた太陽から受けるエネルギーや恵みのことです。「あなたがいま、お天と様の気と共にあるのでしたら、それは心も穏やかで良いことでしょう。」元々「こんにちは」も「さようなら」も一連の挨拶だったんですね。あなたは太陽と共にありますか?という確認の言葉でした。なんて心が晴れやかになり、気持ちの明るくなる挨拶でしょうか!そしてそれがすべての日本人のごく日常の会話だったわけです。このことは、私も知らなかったように、普段使う言葉でも、その本来の意味を戦後世代の私たちはあまり知らないようです。昔から日本では、日の出と共に手を合わせ、太陽に感謝を捧げるという習慣がありました。これは世界でも珍しいほうの習慣だそうです。この挨拶からも分かるように、日本人は昔から「自分たちは太陽と共に生きているのだ」というのを意識的にも無意識的にも理解している人たちでした。例えばイギリス人の方に「イギリス人とはなんだ」と聞くと「ジェントルマンシップを持っていることです」と答えます。フランス人の方は「ボンサンス(良識)を持ち、フランス文化や伝統に深い理解を持っていることです」と答えます。ドイツ人の方は「ジャーマンスピリットを持っていることです」と答えます。ジャーマンスピリットとは何ですか?と聞けば「社会の善いことには喜んで賛同し、悪いことは力を合わせ改革していけることです」と答えます。境野勝悟先生に「日本人とは何ですか?と聞かれたときははっきりと答えてください」と次のように教えていただきました。「日本人とは、自分たちの命の原因が太陽であることを知って、その太陽に感謝して、太陽のように丸く、明るく、豊かに、元気に生きる。これが日本人です」こうした精神文化を残してくれた日本の先人たちに感謝をしています。ありがとうございます。「日本のこころの教育」 境野勝悟 著 致知出版社
February 13, 2012
コメント(0)
大変嬉しい言葉があるメルマガで紹介されていました。こちらで何度かご紹介させて頂いております名言セラピーのひすいさんのメルマガです。**************************駐日フランス大使を務めた詩人クローデルは、第二次大戦中に、敵国であるはずの日本に対して次のように述べています。「日本人は貧しい。 しかし高貴だ。 世界でただ一つ、どうしても生き残ってほしい民族を挙げるとしたら、 それは日本人だ」 『クリックで救える命があります。』
June 25, 2009
コメント(2)
致知に素晴らしいお話が掲載されておりました。<その4> 「おやじの弁当」/アサヒビール名誉顧問・中條高徳…………………………………………………………………………………筆者にとって大事なお得意先であり、長い交友の経営する「三笠会館」という有名なレストランが銀座にある。その三笠会館より以前発行された『るんびにい』241号で、故・樋口清之教授(国学院大学)の随筆が戦前の家庭の姿、親子の生き様を語って余すところがない。樋口さんの友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰く、「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、「子を思う親の真(愛)情」が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓ったという。それに引き換え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、「お父さんの弁当の中身は少ないが、お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」などと発言しがちであるが、それでは「恩、愛の押し売りはごめんだ」と生意気な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。この「おやじの弁当」の心こそ、仏道で説く「陰徳」(いんとく)の妙法(みょうほう)であり、「慎独」(しんどく)の実践なのである。昔は、この陰徳を様々なところで感じたような気がします。欧米化が進み、思っている事はすべて口にするようになったり・・・主張する事が普通になったり・・・こういう事で、恩、愛の押し売り状態になっているような気がします。身近でもこの変化を感じます。まずは自分自身から気をつけていきたいと思います。 『クリックで救える命があります。』
May 24, 2009
コメント(6)
日本は好感度世界一だそうです。これは疑いなくそうであると思います。ただ、何時まで続くのかと最近の日本を見ていますと少々不安になります。最近日本便乗車し始めたエールフランスのスチュワーデス(フランス人)さんが、日本の印象を驚きながら語ってくれました。それを聞いていますと、私には当たり前の事ですが海外の方々には確かに驚きであるという事を感じます。彼女は日本に行って、どんなにフランスがいろいろな意味で劣っているかを理解したそうです。今回の会社で試用期間に辞める事も考えた事がありました。しかし続けて良かったと思っていますのは、先日の日記に下記ましたように、仕事を認めてもらえたという事は、日本人の評価だと思っています。試用期間で辞めていましたら、日本人を知らない人達の中で別の印象が生まれていた事でしょう。私は何時も一大使である事を頭の片隅においていますが、それが様々なところで私の力となっているのかもしれませんね。好感度世界一、ずうっとキープしたいですね!!! 『クリックで救える命があります。』
May 4, 2009
コメント(4)
最近、どんなに夜中遅く帰ってきて時間がなくても、日本のニュースには必ず目を通します。勿論、ニュースと言いましても事件などは余り見ません。そこで感じますのは、日本は何時でも刺激があり、動いているのを感じます。勿論すべての国に長所、短所はありますが、その両者を含めたものの刺激を受けます。本日、仕事していましたら携帯に友人から電話・・・久しぶりでしたので、仕事しながら少々長話をしてしまいした。そこで、日本から帰ってきたばかりの彼女が、日本で仕入れてきた言葉がありました。。。「日本は進化している」と・・・これは私も全く同感です!!!これからますます日本は本当の意味でも世界のトップになっていくのでしょうね。(経済大国と言われた日本とは違い)経済とは別の部分で、素晴らしい国となっていくような気がします。本当に誇りに思います。 『クリックで救える命があります。』
April 18, 2009
コメント(2)
4月10日は、天皇皇后陛下の結婚50周年記念日だったのですね。先ほど、ご挨拶のお言葉をネットニュースで拝見しまして感動致しました。下記です。livedoorニュースより抜粋「寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています」。皇居・宮殿で記者会見に臨まれた天皇、皇后両陛下。時折見詰め合いながら、約40分間にわたり、結婚50年を振り返った。途中、天皇陛下が感極まって涙ぐみそうになる場面もあった。 陛下は「多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることを誠にうれしく深く感謝しています。ただ、厳しい経済情勢のさなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています」と切り出した。 「皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思い出します」「私は木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました」と振り返る陛下。 昭和天皇の3女で、陛下の姉に当たる鷹司和子さん(故人)のことを皇后さまが自分の姉のように慕っていたため、昭和天皇が喜んでいたとのエピソードも交え、「私の家族を大切にしつつ、私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています」「たくさんの悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います」と続けた。 陛下は、婚約決定後に詠んだ「語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓」という歌に触れ、「開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分をつくっていったことを感じます」と吐露。「結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます」と話す途中、一瞬声を詰まらせた。 これに対し、結婚当時の心境を「不安と心細さで心がいっぱいでした」、金婚式を「夢のよう」と語る皇后さま。「心を込めて感謝状をお贈り申し上げます」と述べると、両陛下は見詰め合い、にっこり笑った。 『クリックで救える命があります。』
April 9, 2009
コメント(2)
名言セラピーのひすいさんのメルマガに素晴らしいお話を拝見しまして、本当に先人の方々に感謝したくなりました。丁度、昨日の日記にも繋がりまして、(日本の女性を誉められたお話)先人のバトンを受け取った我々の番だと、神妙な思いで現在出来る事を考えてみました。まずはその素晴らしいメルマガより・・・下記です。「Dearこたろうちゃんよー。 今の仕事にやりがいをもてない? 俺はな、おまんらが自分で仕事を選べる国になるように命をかけたぜよ。 新潟生まれのこたろうが、埼玉の奥さんと出会えるように 命をかけて革命を起こしたぜよ。 でも、まさか、まさか、こたろうちゃんよー。 それをおまえさんがグチってるとは夢にも思わんかったぜよー 俺、なんのために死んだのって? 今日の夕飯の軍鶏鍋、ショックで、のど通らないから!」140年前までこの国は身分がカッチリ決められていて職業の選択の自由もなく、他藩(他県)へ行くことすら禁じられていました。海外なんか行ったら死刑です。でも、そんな幕府を倒そうと文字通り命をかけて挑んでくれた志士たち。事実、そのために吉田松陰は29歳で首を切られ坂本龍馬は33歳で暗殺されました。http://archive.mag2.com/0000145862/20090107000000000.html僕らが他県の女性と手をつなげる自由を獲得するために彼らは命をかけてくれたのです。結婚して5、6年経った頃、「竜馬がゆく」 http://amazon.co.jp/o/ASIN/4167105675/nicecopy-22を読み直し、改めてそのことに気づき、上記のように龍馬に言われてるような気持ちになりました。彼らが命がけで僕らに渡してくれたバトン。そのバトンをどこへ運ぶか?当時は全くわかりませんでしたが、とりあえずグチを言ってる場合じゃないことだけは感じました。仕事のやりがいなんか求めてグチってる場合じゃないって思いました。やりがいなんかいらない!やるだけだ! 『クリックで救える命があります。』
March 28, 2009
コメント(2)
本日、ある腰がすでに少し曲がったご婦人(70歳位)が、私と暫く話しました後に、「貴女は日本人ですか?」と・・・。私は、「はい。そうですが、なぜお解りになりましたか?日本人を良くご存知なのですか?」と質問しましたら・・・「日本人のようにラフィネな女性は他にいないから、すぐに解りましよ・・・」と。ラフィネとは、品位があるとか、洗練されたとか言う意味です。素晴らしい誉め言葉に、日本女性の評判を落とさずにすんで良かったです(*^^)vしかし、こういう誉められ方は、日本人女性としての誇りを考えさせれ、とても刺激的です。世界は、日本女性をそうみています。継続していきたいものですね!彼女は、また皇太子妃雅子様をとても誉めていらっしゃっいました。 『クリックで救える命があります。』
March 27, 2009
コメント(2)
24日朝は、世界中の日本人の方々がWBCの決勝戦を何らかの形でご覧になったのではないでしょうか?私も類に漏れず・・・私は、夜中の3時、一回裏になった時点で、続けて応援したかったのですが、仕事の事を考え休み、起床と同時に、良報を目にしました。その夜中3時少し前、一回裏の途中で、韓国在住、韓国人から仕事のメールが入りました。その仕事のメールにも勿論決勝戦を応援中である事が書かれていました。不思議な感覚でしたね~。闘っている相手の国からのメール・・・しかし、相手も「どちらが勝っても嬉しい」という事が書かれていまして、私も一応そういう風に思いながらも、やはり心のどこかで「し・か・し やはり日本に勝って欲しい」という気持ちがありました。勝利後のインタビューや選手のブログなどを拝見しまして、感動しましたのは、みんなの応援なしでは勝て無いや、感謝の気持ちが形だけではなく、本当に伝わってきました。やはり偉業をなしとげる選手達、素晴らしいですね!感動をありがとうございました。 『クリックで救える命があります。』
March 24, 2009
コメント(2)
責任感とは、どのようにして養われるものなのでしょうか???子供の頃から少しずつ、学校生活などを通して養われるものだと思っていましたが・・・各国による違いを感じます。日本人はやはり世界一、責任感の強い国民ではないでしょうか?イチロウ選手が、年々日本を好きになると言っていましたが、日本を離れますと日本の良さ、日本人の素晴らしさが当たり前でなかった事がわかり、世界一素晴らしい国だと今では胸を張っていえますね。他の外国人は、海外生活をしてやはり自国が一番だと思う人もいるのでしょうね~。と話が外れましたが・・・とにかく責任感のなさ、仕事への無関心に呆れるばかりです。ですのに、夢は大きく・・・毎日を一歩一歩進まずしても夢を達成出来ると思っているのでしょうか??? 『クリックで救える命があります。』
March 21, 2009
コメント(0)
先日、友人に、“能”という文字の話をしました時、関連して能舞いの話へと・・・その中で以前、“前半身はエゴ”というお能の先生のお言葉を伺ったことを話しましたら・・・友人は、突然“解った!”と・・・。友人は、日本人の後姿に関する想いを考えていたそうです。例えば、見返り美人のように、昔から日本では後姿を大切にしてきたと・・・。それに対して西洋はやはり前半身・・・エゴ?(西洋の方々ごめんなさい)なのかもしれないという話になりました。もう少し、日本人と後姿の関係を調べてみたいですね~。 『クリックで救える命があります。』
March 15, 2009
コメント(2)
年が明け20日経ちました。私は実は未だに新年の抱負を考えていないのですが(初日の出を拝みながら、何かは考えたはずなのですが、忘れました(>_
January 20, 2009
コメント(0)
福田内閣メルマガにての福田首相のご挨拶です。私は涙致しました。[ありがとうございました。福田康夫です。] ありがとうございました。福田康夫です。 日本の古人の好んだ言葉に、「永遠の今」という表現があります。 「過去のものは古いと蔑み、今のものは新しいと愛でる、しかし今の新しさが真に新しければ、その新しさは必ず時間を貫いて、いつまでも新しい。」 1万年前の人類は、今と全く同じ太陽を見ています。海辺へ打ち寄せる波は一つとして古いものはなく、常に新しい波です。千数百年前の日本人と今の日本人は、今も昔も変わることのない、常に新しい伊勢神宮を見ています。 太陽と海と伊勢神宮、この三つは、宇宙、自然、人が創ったもの、この違いはありますが、永遠の今です。 私は、政策を立案する際、この「永遠の今」を想うことがありました。 万人にあたたかい政策を途切れさせてはならない。万人のために常に新しい政策を提供しなければならない。政策が決して古くならないよう、いつも新しくあるよう、手入れを怠ってはならない。 政策としてのアンサンブルが「永遠の今」を奏でている、このことを決して忘れてはならない、と思ったからです。 立場上、政治とは何かとよく聞かれますが、「当たり前のことを当たり前に誠実に積み重ねていく」、常にこう答えています。 国民の皆さんに提示し、そして実行する政策は、今だからこそ必要な即効性に富んだもの。近い将来に有益なもの。10年未来、100年未来の日本と日本国民に寄与するもの。そして、日本だけではなく、諸外国との関係をよく考慮したもの。 政策にはアンサンブルが求められる、これが必須の条件だと考えています。 私は、月曜日、総理大臣の職を辞する決意をいたしました。それは、国民の皆さんのための政策をより力強く進めていくためには、新しい体制を整えるべきであると考えたからにほかなりません。 この1年間、メルマガを通じて、読者の皆さんからたくさんの率直な声をいただきました。今振り返れば、厳しいご批判も、温かい励ましも、毎週寄せられるご意見は、私が政策を進めるための大きな原動力でありました。 今はただ、読者の皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。1年間のご愛読、本当にありがとうございました。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
September 4, 2008
コメント(2)
本日は、日中やっと夏らしくなりましたが、夕方になりますとやはりかなり気温が低くなります。昨日ご紹介致しました工藤艦長が頭から離れず・・・日本人すべてが工藤艦長のようであれば、どんなに素晴らしい事か・・・そして、武士道を再読したくなり、本を開けましたところに、礼は、仁・義を型として表す。礼の最高の形態は『愛』であるとありました。礼は寛容にして、慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせない。音と音楽が違うように、礼も心がこもっていなければ、音と音楽の違いになる(要約)。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
July 22, 2008
コメント(4)
とても素晴らしい武士道のお話と出合いました。皆様、是非ご覧下さい。『八紘一宇という言葉を態度に示した日本人の美談を紹介』と書かれていました。記事が書かれたブログとYOUTUBE(動画)をご紹介します。戦場のラストサムライ1:http://jp.youtube.com/watch?v=wRcOmYgdp4E2:http://jp.youtube.com/watch?v=QByCyliKXcI3:http://jp.youtube.com/watch?v=Q_SbowJUWV4敵兵救助の“武士道”実践 救助された元英国士官が恩人艦長の墓参で来日へ天皇皇后両陛下がイギリスを訪問したのは8年前の1998年5月だった。イギリス政府と国民は歓迎の意を表し、天皇陛下はエリザベス女王と馬車に乗ってロンドン市民の歓迎にこたえた。しかし、このパレードには抗議の意味でわざと背を向けた人たちがいた。彼らは、第二次世界大戦中日本の捕虜になり、その時の扱いに抗議し、日本政府に賠償と天皇陛下に謝罪を要求したのだった。 この抗議行動に、イギリス政府は「遺恨が日英関係を支配してはならない」(ブレア首相)と呼び掛けるなど、両陛下及び日本政府に異例の配慮を見せた。(読売新聞)当時、日本の財界はイギリスに積極投資するなど、日英関係は経済面で新たな親密度を見せているときだった。ブレア首相の発言は当然だったかもしれない。 しかし、イギリス国民の感情は二分された。戦時中の捕虜に対する非人道的な扱いを非難し日本政府と天皇に謝罪を要求するものから、個人的に戦争に関わっていない現在の天皇に謝罪を要求することへの疑問、さらには、元捕虜に対する賠償問題は退役軍人にちゃんと年金を払わないイギリス自体の問題だなど、様々な意見が噴出し、両陛下のイギリス訪問が反日運動を起こすきっかけになるのではないかとの不安が巻き起こった。そんな怪しい空気を一掃するような投稿がロンドンのタイムズ紙に掲載された。 その投稿は、元イギリス海軍士官からのものだった。戦後はスウェーデン大使を務めサーの称号が与えられたサムエル・フォール卿(投稿当時86歳)だった。フォール卿は、大戦中のスラバヤ沖海戦で、日本海軍に撃沈された巡洋艦から海に放り出され漂流中のところを日本海軍「雷(いかづち)」に救助されたのだった。このときの体験をタイムズ紙に投稿し、敵兵救助を決断した日本の武士道を賛美し、その国の元首を温かく迎えようと国民に呼びかけたのだった。(産経新聞) 実は、この救助劇は歴史に隠れ続けた。日本海軍の駆逐艦「雷」が救助したイギリス海軍兵はフォール卿だけではないのだ。日本艦隊は英米欄の連合艦隊15艘と戦い11艘を撃沈した。合戦後たまたまそこを通りかかった「雷」の見張りが望遠鏡で遠方に漂流物を確認。その漂流物は敵将兵らしく、その数400以上との報告が艦長にされた。艦長の工藤俊作は、次の瞬間「潜望鏡は見えないか」確認させると、見えないとの返答に救助を命令した。 この海域では敵の潜水艦7艘が撃沈されたばかり、前日には味方の輸送船が攻撃を受けて沈没した危険海域だった。そこを「雷」の乗員220名は、全員敵兵の救助活動を行い、乗組員のほぼ倍の422名を救助したのだった。(「敵兵を救助せよ!」恵隆之介著草思社刊) これは、壮絶な救助行動だったようで、救助活動中は敵も味方もない懸命な活動だったという。救助のため命令に背き海中に飛び込んだ日本兵もいた。「雷」の甲板は救助されたイギリス兵で埋め尽くされ、撃沈された際に流れた重油が体中をまとわるのを日本兵は丁寧にアルコールでふき取り、シャツと半ズボンと運動靴が支給され、熱いミルクと、ビール、ビスケットの接待がなされたという。 その後、イギリス海軍の21人の士官が集められ、工藤艦長が端正な挙手の敬礼をした後流暢な英語でスピーチをし、「諸官は勇敢に戦われた。いまや諸官は日本海軍の名誉あるゲストである」と伝えた。フォール卿はこれは夢ではないかと何度も手をつねったという。(同) フォール卿は、この工藤艦長の功績をアメリカ海軍機関紙に寄稿した(1987年)。またジャカルタで行なわれたジャワ沖海戦50周年記念式典(1992年)でも称え、自分史を刊行した際も「帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と書いている(1996年)。さらに、2年後の天皇皇后両陛下イギリス訪問時にもタイムズ紙に工藤氏の実名を上げて投稿し、ずっと工藤氏の消息を探し続けたがつかむことができなかった。心臓病を患いながら、3年前に「人生の締めくくりに」と来日し工藤氏の墓参と家族への感謝の気持を伝えたかったようだが、分らず離日した。その際、「敵兵を救助せよ!」著者の恵隆之介氏(元海上自衛隊)に墓と遺族を探してくれるように依頼したようだ。恵氏はその約束を果たし丹念に工藤氏の足跡を辿った。 しかし、この救助劇は工藤氏の夫人にも話されていなかったことで、知る人はまわりにいなかった。たどるうちに「雷」の乗組員のうち2名が存命であることが分り、このときの様子が再現された。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
July 21, 2008
コメント(0)
以前、盆栽と松花堂弁当の事につきまして、書かせて頂きました。それは、ソ○ーの○○さんが、こちらフランスの番組でお話しされていました内容ですが・・・盆栽は、小さいけれど、大きな木と同じクオリティーを持っている。小さいから、大きい木より劣るという事は絶対にない。大きい木と同じものを感じる事が出来る。そして松花堂弁当は、お弁当箱の中に、沢山の種類のものが色とりどりに美しく入っている。これは日本の文化の一つの特徴であり、小さくても、またお弁当箱であっても、クオリティーの追究があると・・・(使用されていました言葉が思い付きませんが、このような内容でした)という事で、この会社ではウォーク○ンを開発されたそうですが・・・(小さくても、大きいものと同じクオリティーがある)そして、私は今から16.17年位前に、お着物の中に日本の文化を見出しました。(これは大きさには関係ありませんが・・・)そして、昨日は・・・茶道の中に、日本のすべてを見つけたような気が致します。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
April 28, 2008
コメント(4)
国旗のデザインの人気投票で、日本の国旗は三位だそうです。ところが、この人気投票にはある条件があり、国名が解らないようにする事だそうです。勿論、国旗を知っている国であれば、そんな事は関係ないのですが・・・しかし、国名を明記する事で、順位が変わるとは悲しい事ですよね。。。私は、小さい頃、日本の国旗のシンプルさが余り好きではなかったのです。ところが、20歳を超えた頃から、そのシンプルさが一番美しく感じるようになったのです。今では一番好きな国旗です。ちなみに、一位から順番に見て行きますと、シンプルな国旗が上位をすべて占めているようです。詳しく知りたいかたは。。。らばQさんのブログへどうぞ・・・ 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
March 26, 2008
コメント(0)
本日は、雨の一日となりました。傘を忘れそうになりましたら・・・ある女性が知らせてくれまして、お気に入りの傘を忘れずにすみました。本日、出先で日本人のジャーナリストの方とばったり会いました。彼女とは、私がフランスに住むようになりましてからすぐに知り合いましたが、特別に約束して会った事はありません。何時も仕事場でありましたり、パーティー会場でありましたり、ばったり会ってお話するのですが、とにかく日本語が美しいのです。こちらに長い方々の特徴です。彼女とフランスにおける日本のイメージがどのように変化したか?また、変化していない部分などを話しましたが・・・勿論、昔、日本のイメージといいますのは、本当に悪いものでした。今でも、勿論同じような目で見ていらっしゃる方々もいらっしゃいます。しかし、彼女は、「本当に良くなった方よ!池田首相(任期昭和35年-昭和39年)がフランスにいらっしゃった時などは、〇〇の商売で来たのか?と嫌味を国中の人が言っていたらしいです。」私も、このブログでも書きましたが、今年に入りましてある会議で、日本の事を、未だにコピーの国だと思っていらっしゃる人がいるという事にがっかりさせられました。支援が必要な時は、日本に笑顔で接し、陰では、まだまだ馬鹿にしている所がある訳ですね。しかし、日本の先人の方々のお陰で、我々の時代は、人種差別される事もなく、日本を認めている多くの人々の存在があり、同じ土壌ですべてが出来るようになりました。本当に有難い事です。そして、もう一歩我々が頑張って、後に続く方々は、我々よりももっと良い状態で、世界で活躍出来るようになって欲しいものです。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
February 28, 2008
コメント(0)
本日は、最高気温12度、最低気温6度のとても過ごしやすい気温となりました。明日はまた少々下がるようですが・・・本日、少々感じました事は・・・私がお仕事を始めましたばかりの頃、二十数年前、日本は信用の国で、とても態度が丁寧で、すべてにおいて行儀がよく、海外から本当に良く見られました。我々の先人の方々がしっかりと素晴らしい人間性を海外でも示して下さったお陰です。ところが、最近私は、日本人の態度が海外で変わったような気がするのです。昨日も、日本の会社に対して、スイスの会社がかなり怒っていましたので、何があったのか伺いますと、話もろくに聞かず、門前払いより酷い態度をとっていたのです。西欧人の態度が横柄な場合がありまして、海外でビジネスされる方々が、西欧人から馬鹿にされては・・・と同じような態度、もしくはそれよりも上の態度をとる方が増えました。しかし、これは私からみますと、明らかに勘違いであり、西欧人の横柄な態度は、時と場所をわきまえていたり・・・実は、横柄に見える態度も違っていたりします。このまま行きますと、日本の良いところはなくなり、海外から見る日本の印象も変わってきますでしょう。現に、すでに変わっています。今一度、先人さんたちのように、礼儀正しい、信用のおける日本人であり続けたいと思います。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
February 22, 2008
コメント(2)
先ほど、あるネットラジオで、日本はインターネットの世界、また最近ではブログ人数も世界一、という現実がありますように、積極的に世界に発信出来る国民性だったのか?と改めて考えたお話がありました。その話の中で、世界最古の小説も日本だと・・・それが竹取物語なのだそうです。そこで、すぐに世界最古の小説で検索しましたら、源氏物語と出て来ました。そこで両者を単独に検索しますと・・・竹取物語(たけとりものがたり)、竹取翁の物語(たけとりのおきなのものがたり)は、日本最古とされる物語である。作者成立年不詳、仮名書き。 光かがやく竹の中から出てきて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語。書かれたのは平安時代の前期と考えられているようだが、未詳である。万葉集巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌があり、この物語との関連が疑われる。源氏物語(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した、日本の長編物語、小説。文献初出は長保3年(1001年)で、このころには相当な部分までが成立していたと思われる。分量、内容、文学的成果のいずれから言っても王朝物語のみならず日本文学史上の雄であり、後世に与えた影響ははかりしれない。という事で、平安初期の竹取物語の方が先に書かれたであろう事がわかりました。ただし、源氏物語は長編という事で、世界最古となっているのかもしれませんね。今回の議題からは、どちらでも良いのですが、世界最古の小説が日本で書かれたものであった事で、又一つ文学の面でも、日本が如何に優れていたかという事が解り、嬉しくもあり、又反省しつつ・・・、凛とさせられた一瞬でした。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
July 31, 2007
コメント(6)
本日までの寒さから一変しまして、明日は29度になるというのです。雪かと思えば、夏がやってきます。本日も日本時間の夜中1時位に、昨夜に引き続き眠れない母から電話がありまして(睡眠薬変わりに)、母が眠くなるまで、お話をしましたが、その中で私が今朝方見ました夢のお話をしました所、返ってきました答え妙に感心しました。夢は、母の実家が舞台で、今まで亡くなった家族から、まだ健在な家族まですべてが勢ぞろいしているところでした。その夢の話をしましたら、母はすぐに「もうすぐお盆だから、ちょっと早めに皆さん集まったのね。」と・・・このような応えがすぐに出来るのもやはり母の年代なのかな?と考えました。さて、引き続きお弁当に纏わるお話ですが、今回は私の身近ではなく、数年前にソニーの何方か(その当初は覚えていたのですが、すみません)お着物姿で、いろいろお話された番組が、このフランスで放送されました。その話の中に出てきたものです。。。本来はウォークマンがどのようにして開発されたかの話でした。(このお話、以前に書いたような記憶がありますが。。。)まずは盆栽の話をされました。日本人は、小さい中にも本物を見出す。盆栽の中にも大きな木と同じ感覚のものが存在するというとても素晴らしい話でした。同時に、松花弁当も例に出され、あのお弁当の中には、色とりどりに美しくいろいろなものが入っている。そのお弁当も盆栽と同じく、贅沢にも満たされる事を追求する日本人が作り出したものであると言ったような内容でした。もう数年前の事で、言葉の記憶は無く内容だけしか覚えておりません。私が時々お弁当を作ってあげる息子みたいな子(フランス人)がいますが、お弁当を知ってしまった彼が私にお弁当を作ってと頼んできます。本当に嬉しそうに取りに来て出かけます。それは特別なものではなく、日本人なら誰でも出来るお弁当なのですが、彼らにとりましては、配色などがきちんと考えられた美も意識したものが、小さな箱の中に入っている事が、驚きで、今まで目にした事がないものだったのです。(勿論お皿の上の美は彼らは、まけないほど持っています)そして、もう一つはその男の子に何時ものようにお弁当を作ってあげた時の事・・・その日は、突然頼まれて時間がなくて慌てて作った時の事です。その子から電話がありました。小さな声でとても言いにくそうに切り出しました・・・「りんごにお塩つけた?」と。もう私はお腹が攀じれそうになるまで笑いました。りんごの色が変わらないように塩水に浸したのですが、急いでいた為に、まずお塩も溶けておらず、その上りんごを掬う時間もなく、ざるの上にひっくり返したのです。そうしましたら底に溶けずに残っていたお塩がりんごの上に掛かってしまったのです。それを粗い落とせば良かったのですが、大慌てでした私は、そのまま入れてしまいました。お弁当の文化がない国では、りんごの色変わり防止に塩水に浸すという事もない訳なのです。ですから、彼の頭の中ではどうしても理解出来なかった事で、最近でも笑い話にされています。Pomme au sel(ポム オ セル) ポムはりんご、セルはお塩 と命名されました。この意味は下記参照。Cafe au lait(カフェ オ レ)これは皆さんが御存知のカフェオレで、レがミルク。コーヒーとミルクが混ざった飲み物ですね。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
July 12, 2007
コメント(4)
先日、テレビでドイツ人二人が考えた新しい製品をドイツで広げて行く事を特集していました。この二人は、船で世界一周をしながらいろいろな国に立ち寄り、この製品を考えたそうです。彼らの新しい製品というのは、『缶コーヒー』です。私もこちらに来まして、缶コーヒーがない事を少々残念に思いまして『なぜ、誰も始めようとしないのかしら?』を考えた事がありました。そのうち、ヨーロッパでは冷たいコーヒーを飲む習慣がない事と、冷たいコーヒーと聞いただけで、嫌そうな顔をする事が分かりました。初めての日本への帰国の際、友人がカフェでアイスコーヒーを頼んだ時に、その存在を忘れていた事に気付いた程でした。最近では、観光客が多く入るカフェでは注文すると出してはもらえますが、氷を入れて下さいと頼まないと氷は入ってきません。そして、ガムシロップがありませんので、冷たいコーヒーにグラニュー糖を入れる事になります。溶けるか、溶けない感じで戴かなければなりません。このドイツ人二人は日本のコーヒー産業が1500億円を超えるものであり、その理由に缶コーヒーの存在がある事に注目しました。そしてドイツで此の度、製品化したのです。テレビで映し出されましたのは、二人が一件一件営業に回っている姿でした。その相手は決まって、不安そうな顔をしながら試してみましょうという感じです。その顔には、絶対に売れる訳がないという気持ちがあからさまに出ていました。これから広がるかどうかはなぞですが、もしかすると此処フランスでもお目見えする日も遠くないかもしれませんね。この二人のドイツ人が、日本がとても好きになった事、日本には多くの素晴らしいものがある事を熱く語っていますのを聞きながら、なぜか『黄金の国ジパング』と呼ばれた事を思い出しました。私は今でも日本を別の意味での『黄金の国ジパング』『日出る国』だと信じています。
April 27, 2005
コメント(8)
全23件 (23件中 1-23件目)
1