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本日は、日帰りでの遠出でした。360km・・・東京、名古屋間位の距離ですね。モンサンミッシェルという海の中に聳え立つ修道院と教会。満ち潮の時は、海の中に浮かぶ修道院と教会。ユネスコの世界遺産です。708年のお告げよりどれ位の月日をかけてあの建物が完成したのでしょうか?私の好きなゴシック建築とロマネスク建築など幾つかの建築様式が合体しています。そして、伝統品であるプーラールおばさんのサブレや塩キャラメルを頂き・・・お塩も購入しようと思いましたが、パリでも手に入りますので荷物を考え断念!そして最後はパリに戻り、私の自宅にてラーメンで占めた一日となりました。 『クリックで救える命があります。』
May 9, 2009
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明日は姉と遠出しますので、朝6時です。もう寝なければ・・・本日は、良く歩きました。。。午後から合流し・・・オペラ座内の天井のシャガール絵、何時見てもすばらしいです。そして初めて凱旋門の頂上まで階段で登りましたが、踊場のない螺旋階段具合悪くなりました。70歳以上の人や身体的問題がある人はエレベーターに乗れるので、70歳以上に見える人としか登った事なかったのです。ノートルダム寺院では、丁度ミサに出席でき・・・サンジェルマンデプレでお茶を飲み・・・結局キャバレーは予想通りリドに軍配があがり・・・帰宅は夜中の1時となりました。お風呂に急いで入り、明日の朝のためにお休みです。おやすみなさい。 『クリックで救える命があります。』
May 8, 2009
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さて、どれくらい覚えているか解りませんが・・・23日の日記にも書きましたように、日めくりを捲りながら書いていこうと思います。まずは飛行機の中・・・飛行機の中では、なかなか観賞する機会が減った映画を観る事に徹します。映画4本プラスニュースで、だいたい到着時間となります。今回みました映画は、NEXT、プレモニション、明日なきxxx(題名を忘れました)、雨に唄えば・・・観れなかった映画は、帰りの便で(同じ月の往復なので、映画も同じプログラムとなります)懐かしい『雨に唄えば』は、映画三昧だった頃を思い出させられ、またあの名曲には沢山の想い出があり、とても素敵な気分の旅発ちとなりました。そして、成田から大阪へ・・・大阪のホテルでは、到着より、私得意のチェックが始まり、サーヴィス・ホテルの状態などをチェックしながら、頭の中では、ホテルチェックのお仕事は天性かしら?などと一人微笑んでおりました。久しぶりの大阪という事もあり、美味しいものをと思いましたが、機中で睡眠を取りませんでしたので、シャワーを浴びた後の睡魔に耐えられず、寝てしまいました。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
August 8, 2007
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総集編です。オーストリア共和国。国土 8.4万Km2 (日本の4分の1 ほぼ北海道に匹敵する。)人口 約810万人(内ウィーン160万人)宗教 90%キリスト教(最近、仏教徒となる若者が増えている。)1918年 ハプスブルグ帝国崩壊1938-1945年 ドイツ・オーストリア合併期1995年 EU加盟オーストリアは現在共和国なのですが、王国の匂いが漂うところです。ヨゼフ二世、マリア・テレジアの大きな絵が飾ってあるところが多く、街中にもマリア・テレジアに関するものを多く見る事が出来ます。*マリア・テレジア(マリーアントワネットの母)その他、素晴らしいオペラ座等文化に対する意識の強さも感じます。モーツアルト、ベートーヴェンの像、その他、グスタッフ・クリムトの絵も良く見かけました。小さな街という事もあり、住民がとても温かく親切です。治安も割りと良いと思っていましたところ、たまたまスリに合った人を見てしまいましたので、現在はどうでしょう?ベルリンの壁の破壊後から治安が少しづつ悪くなったそうです。しかしパリよりも治安は良いと思います。スリは日本人を狙うようですので、皆様ご旅行の際はおきをつけ下さい。(これはパリも同じです。日本人は現金を多く持って歩くイメージが定着しています。)旅行では無かった為に、お伝え出来ます事が少なくてがっかりなさったかと思いますが、これにて今回の旅のご報告は終わります。*ハプスブルグ家と言いますと、日本に末裔でいらっしゃる女優の鰐淵春子さんがいらっしゃいますね。
May 15, 2005
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食のお話しに続きまして・・・今回、一人の日本人の方とお話しをする機会がありました。彼女は、物心つく頃からピアノを弾きはじめ、音楽大学へと進み、かなりの期待を受けウィーンにピアニストとしていらっしゃった方でした。ところが、彼女から聞かされたのは・・・『ウィーンに来るなり本物を見せ付けられ、きっぱりピアノを辞めました。それでも2年は頑張りました。』ウィーンにはピアニストだけではなく、声楽なども含め音楽の為に移住なさった方がやはり多いようです。やはり音楽の国ですね。ところが、残念な事に皆さん続けていらっしゃいません。(勿論続けていらっしゃる方も中にはいらっしゃると思います。)このフランスにも日本人のピアニストは多いのですが、良く耳にしますのが、日本人は技術は一流だけれども・・・という言葉です。私がお会いした方がおっしゃっていましたのは、まず環境も違えば、先生も違う事からまだまだ難しいという事でした。そして決定的な事は彼女は手が小さかった事・・・一流になる為には難しかったそうです。その時に小さい頃からピアノに適した手をしていると言われ続けた私の手をこの目の前の才能ある彼女と取り替える事が出来ればと本当に思いました。そして、ピアノはやはり西洋の楽器。日本の湿気の多い気候の中ではどうしても強く叩かなければならなくなるそうです。乾燥しているこちらとは指運びも変わって来るという事ですね。しかし、この先必ず世界に通用するピアニストが日本からも生まれる事を信じています。先日すっかり貴公子の見る影も無くなったリチャード・クレイダーマンをフランスのお笑い番組で見ましたが、その時に彼が思い荷物は絶対に持たない、必ずいつも手袋をしていると言っていた言葉を思い出しました。勿論手には保険をかけているそうです。さて、たまたま会いました別の日本人・・・料理人の若い男性でした。インペリアルホテルで料理人と務めた後、料理人の最高の資格マイスターを取得し、丁度日本へ完全帰国をするという前々日に会いました。日本でも『・・大陸』『・・・・・』若者の活躍を紹介する二つの番組に出演したそうです。残念ながらその番組名を聞いたのですが、忘れました。日本では、とてもポピュラーな番組だそうです。彼はこれから日本でウィーン料理を広めて行くのでしょう。頼もしい限りですね!皆さん、お幸せに・・・
May 14, 2005
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本日は食べ物編です。まず、コーヒーから・・・フランスではカフェなどでコーヒーとだけ言って注文すると『エスプレッソ』が来ますので、そのつもりでコーヒーとだけ言って注文しました。そうしましたら、コーヒーの種類を聞かれました。一般にオーストリアでコーヒーと言いますと、メランジェという生クリームをホイップしたものが乗せてあるものだそうです。これも日本でよくあります皆様がご存知のウィンナーコーヒーにとても似たような感じなのですが・・・申し訳ございません。中座しなければならなくなりました。続きは後程・・・**********************************失礼致しました。アインシュぺナーというコーヒーがやはりホイップクリームが上に乗り、その上に粉砂糖が散りばめてありますが、こちらの方が日本のウィンナーコーヒーにより近い感じです。そのコーヒーのお供には・・・一番ポピュラーなケーキですが、アプフェルシュトゥルーデルといいまして、たっぷりのリンゴを煮たものに沢山のシナモンを混ぜ、それをクレープ地で包んだものです。とても厚みのあるボリュームたっぷりのケーキなのですが、甘さが押さえられ、さっぱりしていてとても美味しいものでした。お食事も朝、昼、晩とビジネスを兼ねてでしたので実は余り『食』を楽しむ事が出来ませんでしたので、一番ポピュラーなもののみを食べて見ました。そしてメインお料理・・・オーストリアの歴史はローマ帝国に始まり、ゲルマン民族などとても複雑ですので、そのお話しは省きますが、その歴史からオーストリア料理というよりもウィーン料理と言うようになったそうです。ポピュラーなメイン料理・・・ウィンナーシュニッツェルと言います仔牛のカツレツです。仔牛を5ミリ位になるまで(もう少し薄かったかもしれません。)叩いて薄くします。それに衣を付けてあげたものです。衣の小麦粉の違いかもしれませんが、日本のカツレツの衣とは少々異なります。そして卵の量が多い衣でした。そしてパン・・・初め、パンが美味しくないという印象があったのですが、オーストリア人にいわゆる『オーストリアのパン』というのはどれか?伺いまして頂いたパンは本当に美味しくてお変わりしてしまいました。ところが名前を覚えて来なかったのです。申し訳ございません。食編終わります。
May 13, 2005
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本日は、頭痛と嘔吐に悩まされておりました。そこで先日ある方のプログにて拝見しました、3000年前からある身体に良い食べ物『おかゆ』を思い出しまして、おかゆを梅干しと一緒に頂きました。さて、まず訪れましたところは、世界文化遺産になっておりますシェーンブルン宮殿。この宮殿は、ハプスブルグ家の夏の離宮として建てられたロココ調の華やかな宮殿です。ヨーロッパではフランスのベルサイユ宮殿と肩を並べると言われています。残念ながら観光ではありませんでしたので、仕事に必要な鏡の間しか見る事が出来ませんでした。この鏡の間はモーツアルトがマリア・テレジア(マリーアントワネットの母)の前で演奏した場所としても有名です。この宮殿はマリー・アントワネットも過した事がありますので、彼女のお部屋などもそのままあるそうです。ボヘミアングラスのシャンデリア等、大変豪華な宮殿です。此処でふと思ったのですが、マリーアントワネットはこのイメージをベルサイユ宮殿で再現したかったのでは?もしかするとこのような豪華さはオーストリアからの流出では?という疑問が湧いて参りました。といいますのは、ホテルのお部屋にしましても我々がイメージする華やかな宮殿のようなものがパリよりも見られるからです。インペリアルホテルの内装の豪華さは、パリでは見る事は出来ません。又お話しがそれますが・・・(こんな事では私の旅のお話しはどうなるのでしょう?!)このインペリアルホテルのスィートルームの一番素晴らしいお部屋は、一番豪華なパリのホテルのスィートルームにも存在しない豪華さです。そのお部屋に平成天皇・皇后様がお泊りになられたそうなのですが、(このお部屋は世界の国王クラスの方々がお泊りになるそうです。)お二人がディナーをお部屋でなさった事があったそうなのですが、その日ディナーをお部屋にお運びして間もなく、ウィーン全体が停電になったそうです。急いでお部屋にキャンドルの準備に伺ったそうです。テーブルをテラスに出し、テーブルの上にキャンドルを灯してのお食事となったそうです。その時に誤るホテル側に対して平成天皇がおっしゃった御言葉は『何年ぶりでしょう!このようにキャンドルでロマンティックに御食事が頂けましたのは・・・』というようなものだったそうです。その時のエピソードをとても懐かしそうに、又日本の天皇陛下を敬う気持ちを込めてお話し下さったマネージャーも印象的でした。天皇陛下のお心遣いの御言葉がマネージャーの心に深く残ったようです。続く・・・
May 12, 2005
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徹夜で始まりました今回の『旅?』は、飛行機で仮眠を少々とり、初めての地へ到着しました。到着後タクシーに乗ると、若い運転手さんが始めから略最後までずうっと携帯でお喋り・・・こちらは運転中の携帯電話は禁止ではないのかしら?と思いながら、かなりのスピードで走る車の中で『此処で事故に合いたくない!』と思いながら目的地へ・・・高速を降りました時、初めの印象は『想像していた街と違う!』。ウィーンの私のイメージは美しい緑の中の湖、そして其処に響くウィーン少年合唱団の美しい声・・・実際は、路面電車の通る可愛い街でした。イタリアの田舎にもちょっと似ているような・・・ブルガリアにもちょっと似ているような・・・目的地のホテルへ到着すると、荷物をコンセルジュに預けたまま仕事のスタートとなりました。ウィーンのドイツ語は、ドイツのドイツ語と響きが全く違うように聞こえました。音楽でも聴いているような優しい言葉でした。尋ねましたところ、やはりドイツのドイツ語とは多少違うそうです。私がお会いしましたウィーンの人々は英語が多少なりとも話せる人がほとんどで、日本語も少々という方々、フランス語が出来る方々、言葉に関しての不自由は全くありませんでした。タクシーの運転手さん達の語学力には驚かされました。観光客から教わったであろう日本語、英語、フランス語・・・あちらが『モーツアルト・ベートーヴェンのお墓です。』って日本語で言われたました時は驚きました。お墓という日本語が出てくるとは思ってもいませんでした。そしてさすがに音楽の国だけあって、お会いした日本人の方々と話しますと、音楽大学を出てからこちらに来ましたと言う、ピアニスト、声楽出身・・・小さな街ですので、勿論日本人の数もそんなに多くはありませんが、1500人だそうです。そう言えば、小澤征爾さんもウィーンにいらっしゃったのですよね。今は日本との往復のようですが。。。小澤征爾さんと言えば、あの世界的指揮者ですが、私はたまたまパリのホテルでお会いしまして、そこには二人だけだったという事もありまして、20分くらいいろいろなお話しをさせて頂きました。驚きました事に、その20分位の時間、御自分のお話しよりも私の故郷のお話しなど聞く方に回られるのです。とても気さくにお声をかけて下さり、長時間楽しく過させて頂きました。その後、マネージャーがいらっしゃったのですが、マネージャーも紹介して下さり、そのマネージャーが如何に素晴らしい方で、このお仕事を始めた時からの付き合いである事、彼はロスに住んでいて、ロスからマネージメントしている事などを話して下さいました。話しがちょっと横道に外れてしまいましたね・・・此処で少々休憩させて頂きます。
May 11, 2005
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先程、帰って参りました。皆様お変わりありませんでしたか?私はこの時間の帰宅にて少々疲れておりますが、とても素敵な数日間が過せました。ご報告したいのですが、残念ながらこちらは現在夜中の0時30分になりまして、その上、明日も朝早くから一日中スケジュールが入っておりますので、明日ご報告が出来ればと思います。父も本日まで変わらない状況でしたので、少々安心致しました。後、数時間後に転院となります。それでは、皆様お休みなさいませ。
May 10, 2005
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これから行って参ります。(あと3時間後)皆様としばしのお別れです。ほんの少しの間ですのに、何か淋しい思いをしています。変ですね。それだけ皆様の存在、温かさが私の中で大きくなっているのですね。飛行機から見る美しい空と雲を堪能したいところですが、到着次第お仕事、そして夜までスケジュールが入っていますので仮眠をとらないといけませんね。そう言えば、ドイツ語全く分からないのを忘れていました。どうにかなるでしょう。12日に戻ります。元気を出して行って参ります。皆様もお元気で・・・(とても長いお別れのような台詞になってしまいました。)
May 9, 2005
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