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今朝、朝ドラの中で「しあわせ病」という言葉を聴きながら、同じ感覚になった事を想いだしながら、人はみんな「しあわせ病」になれると思いました。しあわせ病の症状とは・・・”今まで見えなかった景色が見える・・・””勿論、癌になるより、ならない方が良いに決まっている・・・しかし・・””どんな時もキラキラしている・・・”だそうです。勿論、この場合”癌”という病とかけていますので”しあわせ病”と”病”がつけていることから考えますと、「しあわせ」だけになるのかもしれませんが・・・。私が、日本を離れる前でした。見るものすべてが愛おしくて、幸せで仕方ありませんでした。草、風、本当にすべて愛おしかったのを覚えています。それまで、見えなかった景色がみえるようになりました。ドラマの中では、ご主人のいびきも愛おしくなったと言っていますが、まさしくそのような境地でした。そして、兄、フィアンセが亡くなり、三年経ったある日、彼らのなくならない愛に幸せを感じた日の事でした。勿論、彼らが居てくれた方が良いに決まっている。しかし、彼らの死を通して、沢山の景色が見えるようになった・・・と友人に言った事を覚えています。それから、三(二?)年前の春、セカンドオピニオンを求めて、母を他の病院へ連れていきました時に、母の病状が思っていたよりも進んでおり、何時何が起きてもおかしくない状況であるから、家で好きに楽しませてあげて下さいと言われた日から、やはり同じく、母に関わるすべてが愛おしくなりました。それからは、母を看れる幸せを噛みしめ、日々楽しく過ごしています。
September 14, 2018
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日本列島、暴風雨による被害状況が映し出されています中、未だ残されて方々の一刻も早い救助を祈ることしか出来ず、もどかしさが募る一方です。被害が大きかったところの友人達の安否確認をする中、一人の友人の叔母様ご夫婦が浸水した家で未だ救助をお待ちの状態であることが解りました。そして、先ほどニュースで救助された方が、「助かったことよりも、皆さまに助けて頂いたことが嬉しいです。」とおっしゃっていた言葉が印象に残りました。以前、辛坊治郎さんが太平洋横断中の遭難で救助して下さった海上自衛隊の方へ涙を流しながら感謝されていました時、助かったという安堵というよりも、自衛隊の方々への感謝、国への感謝を感じたものでしたが、先ほどの言葉で、その時の辛坊さんの気持ちをより実感できました。救助されている方々は、これほど崇高な想いの経験をされているのですね。そして、今は全国どこでも被災地となる状況にあることを感じています。危機管理を再確認していきたいと思います。
July 8, 2018
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一月六日・・・母の曾孫が誕生しました。一週間も遅れての誕生です。母に明日写真を見せるのが楽しみです。そして・・・私は中学時代のお友達とお食事して帰宅しました。
January 7, 2018
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今日は幸せな一日でした。始まり(旧正月)が幸せな日であって本当に感謝です。朝は、母を何時ものように笑顔で起こせ、母も機嫌よく起きれたのですが、その後何が起きたのか、顔つきまで変わり、少々危険な状態へ(精神的に)・・・。「今、やっとトイレに行って来たけど・・・なぜこんな大変な思いをしてリハビリに行かなければならないの?死んだ方がまし」と・・・。とにかくご飯を食べさせて、今日はその精神状態を変えるためにも、リハビリに行かせました。結果は、元気に帰宅。ホッとしました。そして、幸せな事は・・・一年ぶりに知人より電話があり、宝塚へ招待して頂きました。成長を見れる日が楽しみです。そして、あるサイトで何時も感動を下さる方から涙出るほどの心温かい言葉が舞い込んで参りました。言い尽くせない感謝で一杯です。
February 4, 2017
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何時も心を温かくしてくれる場所がある。もし哀しみを知らなかったら、温かいこころに気づけただろうか。温かさを知れて良かった。
November 12, 2016
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本日素晴らしい祈りの言葉を目にしました。 「もし今年、日本に災いが降ってくるのであれば、まず私の体を通してからにしてください」天皇陛下の毎年のお祈りだそうです。天皇陛下の愛を感じまして、目頭が熱くなりました。同時に私の子供の頃の事を想い出しました。カトリックの学校に入学して初めて教会で膝まづき、 手を合わせ時に、何をお祈りして良いか解りませんでした。しかしその時にすぐに浮かんだお祈りがありました。「今日も一日、両親、兄弟が笑って過ごせますように!幸せを感じますように!彼らに何か悲しい事が起きるとするなら、すべて私に下さい」と・・・。それから毎日寄宿舎に入っていました私は離れた家族を想い、同じお祈りをしました。 ところがどうでしょう・・・今は。情けなくて昨晩はお布団の中で目頭をおさえました。
November 28, 2014
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驚きました!日付が変わり、12日になりましたら・・・GoogleのトップがBirthdayケーキになっていまして、何かお祝いの日だったかしら?まさか、私のお誕生日のお祝いバージョンなんて考えられないわよね?などと考えながら、カーソルを動かしましたら「雪之嬢さん、お誕生日おめでとう!」という文字が!!!誕生日祝いのメッセージを頂くと気恥ずかしいのですが、さすがにこれには大喜びの私でした。
November 11, 2014
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波乱の男子フィギュアスケートでした。まずは、羽生選手の初の100点台快挙、日本に大きな笑みをもたらせてくれました。有難う。そして、高橋大輔選手の演技、男子スケートで此処までの感動をもらえましたのは、初めてでした。高橋選手は、実は私はファンでもなく、どちらかと言いますと彼のスケーティングは余り好みではなかったのです。それが、男子スケートで涙が出たのは初めてでした。4回転ジャンプの失敗により、点数は4位でしたが・・・点数は全く関係ないと思えた演技でした。(勿論個人の見解です)感動を与える事が出来る彼の人生はきっと・・・とにかく、私の中では1位でした。女子フィギュアのロシア15歳選手は、もう格別ですね。
February 14, 2014
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皆様新しい年が皆様にとりまして、素晴らしい年となります事をお祈り致しております。さて、シークレットサンタの動画が復活しました。また削除される可能性がありますので、皆様至急ご覧下さいね。http://www.youtube.com/watch?v=9z3fltB_3uM&feature=player_embedded http://www.youtube.com/watch?v=hrgMZOnwjTc&feature=player_embedded http://www.youtube.com/watch?v=WgDYfrJ9Fw8&feature=player_embedded
January 9, 2011
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本日は画家であり絵本作家でもある友人(ベラルーシ人)のアトリエへ参りました。映画Amelie Poulainの中でAmelieが働いているBrasserieの2MOULINSが目と鼻の先でしたので一応写真に撮ってきたのですが、なぜか本日はUP出来ませんでしたので、後日UP致します。観光客の方々が写真を撮っていらっしゃったので、撮っておこうかしら?!などと私にしては珍しいことだったのですが、UP出来ないとは・・・しかし、モンマルトルはやはり味のある街です・・・少々怖くて余り行っていないのですが、本日友人と歩きながらパリらしいというか・・・やはり芸術家が集まる街ですね・・・友人の油絵の中でとても好きな作品があるのですが、私が日本に帰っている間に彼女は展示会を開催していました。しかし、その絵が残っているのを見つけてホッとしました。ところが・・・一番高い価格がついており、手付けだけ支払おうかしら?などと考えながらおしゃべりを・・・その絵の話になった時、彼女の口から、実はその展示会でどうしてもその絵が欲しい人がいたことを聞かされました。たまたまその人の自宅に招かれたそうなのですが、友人はその人には売りたくないと思ったそうです。自分の子供はやはり納得のいく人に嫁がせたいらしいのです。特にその絵は友人には大切な絵らしいので・・・その後に友人の口から出た言葉に私は涙してしまいました。その絵を見る都度に私を思い出すと・・・やはり私に売りたいと・・・なんと嬉しいことでしょう。彼女がベラルーシから亡命して来なければ、会っていなかった友人・・・ベラルーシという国さえ知らなかった・・・不思議な縁です。
March 1, 2010
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一旦戻って参りました。戻ってきまして、一番初めに感じましたのは、音楽のある街だということです・・・音楽は音を楽しむと書くことを改めて考えながら、至るところから聴こえて来る音楽に心癒されたり、懐古したり・・・昨日は、いきなり私の好きな「カルメン」から始まり、次に聴こえてきましたのはまたまた好きな「カノン」そして・・・何だったかしら?忘れましたが・・・この街は利己主義な人間の集まりだという人が多いのですが、もしかしたら違うのかもしれませんね。。。各自、幸せに思う好きな事をやって・・・結果、それが人をも楽しませたりしているのかもしれませんね。もしかすると、これが自然に優しい街なのかもしれません。
February 26, 2010
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本日は、年末のお墓のお掃除に参りました。あるお墓はお掃除専門の業者の方がいらっしゃっていて、皆さま新しい年を迎える準備をなさっているんだなぁとつくづく年の暮れであることを感じました。家族との生活は四季、行事をきちんと迎えられ、久しぶりに日本の美を肌で感じています。同時に、夜「坂の上の○」という番組を見ながら、昔の生活は丁寧であることをつくづく感じ、現在は如何にずさんとなったか考えさせられ、丁寧な生活をめざしている私としましては、反省することともなりました。話は変わりますが・・・すっかり老け込んでしまい、すべてのことが面倒になってきている母にどうやって元気を出してもらおうかと考えていたのですが・・・母の味!を造ってもらう作戦!!!本日はおしるこを美味しく頂きました。お漬物も漬けてもらっています 『クリックで救える命があります。』
December 13, 2009
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ある世界的に有名なカメラマンが、日本女性カメラマン初心者に贈った素晴らしい言葉を聴く機会がありました。その日本女性は、カメラマンになろうと思ってなった訳でもなく、また自分にはそのような才能はないと思っていました。彼女は、そのカメラマンにそのように伝えました。ところが・・・その有名なカメラマンがその時に彼女に言った言葉は・・・『ものを見る感受性があれば良い。どんな技術にも勝る・・・』そして92歳で今年亡くなるまで彼女は撮り続けたようです。確か、38歳か、40歳くらい写真を取り始められたのではないでしょうか?!素敵な写真ばかりです。 『クリックで救える命があります。』
November 15, 2009
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本日、たまたまあるメルマガの題名が『笑いは健康の特効薬』だったわけですが・・・先週の出来事で、まず母親と娘の親子に仕事で会いました。笑顔も何もなく、それだけではなくお話しするのも嫌になるような雰囲気の親子です。母親はストレス一杯で、眉間に皺を寄せながら嫌な事ばかり話しますし・・・その後、父親が到着・・・その時点で、父親はまだ笑顔も冗談も少しはでますし、まだましなのですが、どうも夫婦間、親子間(母、娘)が上手くいっていないように感じました。それから数日後、今度はもう一人の娘(前回の娘の姉にあたる)も一緒に会いました。姉の方も全く同じかもっと愛嬌がありません。笑顔一つなく、挨拶もなく、その上突然パンなどを食べ始め・・・私は、家庭内に問題がある事を考えました。笑顔のある家庭で育つと、子供も笑顔が自然に出るのでしょうが・・・笑顔、大切にしたいですね! 『クリックで救える命があります。』
September 6, 2009
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本日もまだまだ風邪が抜けていません。本日こそは朝から仕事しなければ間に合わないと思いつつも、身体が重く午後位になりました。丁度12時位に出ましたが、郵便局に立ち寄っています時に、なぜか仕事よりも友人とお茶を飲もうと思いたち急遽行き先変更・・・その友人は私に話しがあったのに、私が忙しいと思い話せないでいたという事で、喜んでもらえました。(無意識に呼ばれたのかもしれませんね)そしてやはり会社へは夕方・・・ 『クリックで救える命があります。』
August 24, 2009
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本日も最高気温・・・毎日、最高気温でどうなるのでしょうか???本日は、お盆前にお墓の準備に行きましたが、流れ落ちる汗を久しぶりに体験致しました。その後、ある蔵へと・・・本日はお味噌ではなく、おそうめんが目的・・・新しく建て変わった蔵は素晴らしく、ご主人の趣味で沢山の骨董品が・・・そしてレジにところにありましたある大きなものに目が留まり尋ねますと、それは私の父の思い出の品だとか・・・早速、午後病院へ行きましたときに、父に話しましたら父もしっかり覚えていました。とても心温まる昔話に歴史を感じました。 『クリックで救える命があります。』
August 8, 2009
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12日金曜日夜、何時もりほんの少し早く会社を出て(といいましても22時半)歩き始めましたら、白バイが笛を鳴らしながら何台も近づいてきました。何かしら?と思っていましたら・・・そのうち車道を塞ぎ始めました。そうしましたら・・・ローラー(縦に幾つかタイヤが並んだタイプ)で100人、いや200人・・・(何人か解りませんが)「ワ~」「オー」など声を発しながら(雄たけびのように)団体で走ってきました。10年位前でしょうか?もっと前でしたでしょうか?いやもっと後でしたでしょうか?金曜日の夜は、シャンゼリーゼ通りを上から下までローラーでみごとに皆が走る姿がみられるようになりましたのは・・・勿論車道を・・・その時間帯は通行止めとなるのです。しかし楽しい国ですね!本日も大勢のローラーを見ながら、この国にいる幸せを感じました。人生、こう生きたいと思いますね。そして歩きながらなぜか感動の涙が出てきました。初めてみた訳ではありませんのに・・・この遊び心が妙に私にぴったり合うのですよね。その感動のようです。 『クリックで救える命があります。』
June 13, 2009
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土曜日はいろいろな事がありました。徹夜同然で仕上げたお仕事・・・やはり疲れと何かの感情が混ざって、涙が出ます。インターネットで疲労と涙腺の関係を思わず調べました。それはさておき、やはり仕事の仕方を変えようと思いました。この国は、プライベートライフを楽しむ素晴らしい国です。(仕事は多分、余り重要な位置にないようです。)折角この国にいるのですから、とことん楽しみたくなりました。やはりそういう意味では素晴らしい国かもしれません。お仕事は少し人に任せてみます。そして残業を計算にはじめからいれず、時間内で終了するように仕事の体制を変えてみようと思います。といいながら、本日日曜日もどうしてもお仕事しなければなりませんでしたが・・・最低限の事のみ終了し、帰宅しました。 『クリックで救える命があります。』
May 31, 2009
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先日までコートを着ておりましたが、春を飛び超え29度という夏がやって参りました。昨日より汗ばむ日が続いております。そして今は雷雨・・・太陽、雲、雨、みんな我々の為に大忙しですね。自然の恵みに感謝です。さて、知人より素敵なサイトを紹介して頂きました。皆様、是非是非足を運んで下さい。たまには誉められるのも気分の良いものです(#^.^#)ほめられサロン 『クリックで救える命があります。』
May 25, 2009
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二ヶ月位前まで毎日のように相談に乗っていました友人と久しぶりに電話で話しました。最近、話しを聞いてあげる時間が取れず・・・彼女は、新しい人生を歩み始めます。彼女は・・・「永久の愛が欲しい」と。一回目の結婚も終わり、二回目の結婚も今回終わり・・・結局すべての愛に終わりがあったというのです。そして今回三度目が、永久の愛であって欲しいと・・・。そう話しながら気付きましたのは、私は永遠に終わる事のない愛を持ってしまったために彼女のそういう気持ちになった事がないのです。私がどんな時も毎日、幸せを感じられるのはそこにあるのかもしれない事を彼女のこの言葉で、考えさせられました。普通は長い結婚生活、子育てで、そのような事を改めて考える事もないのではないか?などと思ったりもしますが・・・。皆様はいかがお考えですか? 『クリックで救える命があります。』
May 18, 2009
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ある友人から二週間位前に、「かなり離れたけど(二人の子供と)、三人目が出来たの。」と嬉しそうに電話がありました。そして、昨夜携帯に「子供をなくしました」とメッセージが・・・。こちらは、何百年も前の石造りのアパルトマンだらけで、小さなエレベーターを後から無理矢理つけた建物ばかりです。中には、無理矢理にもつけられない建物が沢山あり、今でもエレベーターなしの建物は普通です。7階、8階と階段を登らなくてはなりません。それも天井が高いわけですから、一回の高さはかなりのものです。(私の前のアパルトマンのカーテンが4Mありましたから・・・)彼女は日本式でいいますと、6階に住んでいました。(こちらでは5階です。1階が0階ですから)毎日、かなり負担だったのではないかと思います。年齢的にも・・・しかし残念です。 『クリックで救える命があります。』
April 10, 2009
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本日は、雨・・・そして寒い一日となりましたが、良い日でした。最近、なぜか流れる涙があります。それは、感動から来るものなのですが、とても小さなことの感動で、少々困っています。人前で、それも仕事場で涙が出てしまうのです。なぜ感動するのか、考えてみようと思います。 『クリックで救える命があります。』
March 4, 2009
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オバマアメリカ大統領の就任式は世界の多くの人がテレビの前で、その歴史的瞬間を見ていたのでしょうね。私も早い時間からテレビをつけ、仕事しながら現地の動きを見ていました。そしてこちらの時間で18時を向かえる前からなぜかお茶を点てながらその瞬間を待ちました。前にも書きましたが、1619年からアフリカから奴隷としてアメリカに渡った人々・・・400年余りの時を超え、その国の大統領へと・・・。2009年ミスフランスが現場に行っていましたが、黒人の彼女は泣きながら言葉にならず・・・“このような日が来て嬉しい”と・・・。今のミスフランスの時代はそんなに酷い差別は受けていないはずですが、彼女の言葉にならないほどの涙を見ていますと、子供の時からの内に秘めた悲しみなどを感じずにはいられませんでした。そして我々日本人も黄色人種、黒人と同じように有色である事から白人は同じように差別してきました。それでも島国であった我々はそれを肌で感じる事もなく育つために、彼女達ほどの想いはありません。そして、日本は経済大国であった事もあり、差別をされてもそれを跳ね返す位の勢いが気持ちにあったかもしれません。差別されているという意識がありませんね。アメリカでは違うのでしょうが・・・とにかく、400年後にこのような瞬間が待っていた事を400年前に奴隷として働いていた人々は一瞬でも考えたでしょうか?本当に嬉しい出来事です。 『クリックで救える命があります。』
January 21, 2009
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本日は、元気になりますお知らせがありました。ニコじい作家の杉浦つかささん(つうちゃん)のところへ天使くんが舞い降りました。子供って凄いエネルギーですね。お写真を拝見するだけで、エネルギーが湧きます。おめでとうございました。そして、はじめまして、レモンちゃん。なんと、私と同じ日・・・。実はひそかにそうなるといいなーと思っていたのですヽ(^o^)丿同じ誕生日となりましたね~。よろしくね 『クリックで救える命があります。』
December 2, 2008
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こちらでは、何度か“ほほえみ”の話題を取り上げさせて頂きました。一番私の今までの人生で印象深い経験は、ホームレスの方に言われた“笑顔をありがとう”でした。ただの微笑みの力を感じた一瞬でした。そして、また知人より微笑みに尽きましてのお話が送られて参りました。********************************「わたくしが 小学校の先生をしておりましたとき、当時はまだ 日本中が今のように 豊かではなくって、クラスに ひとりふたりは ほんとうに 切り詰めた生活を送っている家庭の 子供もおりました。そうした1人、仮に よっちゃんとしましょうか、よっちゃんが 袋に入りきらないくらいの 荷物を両手に抱えて帰ろうとしていたら、同じクラスの子、こうちゃんとしましょうかね、がむこうから走ってきて ぶつかってしまい、荷物のいくつかがバラバラと廊下に散らばってしまいました。こうちゃんは「ごめんね」と にこっとして 荷物を拾うのを手伝いな がら、「ずいぶん 重そうだねぇ。」と言いました。ぶつかってしまったお詫びの気持ちもあったのか「途中まで持ってあげようか、待ってて、ぼくカバンとってくる」よっちゃんは こうちゃんと たわいもない話をしながら帰りました。結局 こうちゃんは よっちゃんのうちまで来てしまい、そのまま いっしょに遊んで、「また 明日ねー!」と 手を振って帰っていきました。よっちゃんも、「うん、また 明日ねー!」と 手を振り返しました。それを機会に2人は仲良くなって、小学校を卒業してからもたまに会ったり、年賀状のやりとりを続けたりしたそうです。・・・それから 何年も何年も経って、会うこともなくなって・・・ある日、よっちゃんから 子供が産まれたという手紙がきました。「・・・この子の名付け親になってもらえないだろうか?君がいなければ、この子は生まれなかった・・・今まで黙っていたけれど、僕たちが仲良くなるきっかけになった、あの日を覚えているかい? 僕がたくさんの荷物をまとめて持って帰ろうとして 君とぶつかった日・・・僕が母との2人暮らしで貧しかったことは知っていると思う。あの前の晩、母は僕と心中する覚悟を決めて、学校に置いてある荷物を全部持って帰ってくるように、と言ったのだ。あの日、君が僕に笑いかけてくれなかったら、うちに遊びに来なかったら、母と僕の命日になっていた日だ。「また 明日ねー!」と言った君の明るい声をきいて 僕も「うん、また 明日ねー!」と言ってしまったが・・・それが 母と僕の運命を変えた・・・明日なんてなかったはずの日に、明日が約束された・・・僕は今でも思うんだ。あれはきっと偶然ではなかったんだと。荷物を持った僕に君がぶつかって、ほほえんでくれたのは。・・・」 『クリックで救える命があります。』
November 18, 2008
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知人より素敵なお話がメールにて、送られてきました。題名は「宝」あるアメリカ人の男性からきいた話です。「9歳のとき 父がサーカスに連れていってくれることになりました。家はあまりお金持ちでなかったけれど、今日は特別ということでうれしくてたまりませんでした。会場につくと 切符を買う長い列ができていて、列の最後尾になりまし た。すぐ前には10人家族が並んでいました。お父さんとお母さんと8 人の子供たちで着ているものは質素でしたが、きれいに洗濯してあり、貧しいながらもきちんとした生活をしている人たちだと 子供心にも思いました。「サーカスってところはね、ライオンがいたり、象がいたりするんだよ。象が鼻の先で輪を回したり、空中ブランコ乗りがいたりするのさ」得意になって話すのを子供たちはうれしそうに聴いていました。サーカスのざわめきが外まで響いてきて 動物たちの鳴き声もきこえてきます。列に並んでいるのが待ちきれない思いです。切符を買う順番が近づいてきて、その10人家族のお父さんが 「大人2人、子供8人」と言いました。・・・ところが突然、さっきまでの威勢よさがなくなって、うなだれてしまったのです。お母さんは何事がおこったかと思って見守り、子供たちはなんか様子がおかしいと、しょぼんとしはじめました。・・そのお義父さんはうつむいて黙って地面を見ていました。あれほど誇らしげに見えた男の人が、小さく見えました。しばらくそんな状態が続いていたとき、父が8人の子供たちを通り越して、うなだれているお父さんの肩をたたきました。「100ドル札が落ちてますよ。あなたが落としたのでは?」父は100ドル札を地面から拾って渡しながら「ポケットから落ちるのを確かに見ました。ここには他にひとがいません。あなたが落としたんです。きっと気付かないうちに100ドルがあって、それが落ちたのに違いありませんよ」そのお父さんはただ黙って、自分の手に置かれた100ドル札を見つめました。そうして、父をじっと見てから、深く頷き、泪をぽろぽろ流して「ありがとうございます」と言いました。そのお父さんは「大人2人、子供8人」と誇らしげな声で切符を買い、「さぁ、みんなサーカスだぞ」と言って子供たちを先に中に入れ、振り返って父とわたしに向かって 深く頭を下げました。そして 子供たちに続いて 夫婦はサーカスのテントの中に消えていきました。父は その家族を見送ると 大きな温かい手で わたしの手をとって「さぁ、うちに帰ろう」と言いました。・・・自分はあのとき、人生とはどう生きるのかを学びました。自分の中に起こって来るいろいろな感情や考えを、よいものにしていくにはどうしたらいいのか、サーカスを見る以上の宝を、あの瞬間に父からもらったのです。」愛と幸せの発信地 鈴木秀子講話集2 より NPOコミュニオンhttp://www.enneagram.gr.jp/index.html 『クリックで救える命があります。』
November 17, 2008
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マザーテレサのほほえみについて書かれたものです。****************************マザー・テレサは、どんな仕事でも喜んでやり、誰に対してもほほえみをもって接しました。 そして他の人にも、ほほえみをもってすべてを受け入れ、まわりの人にほほえみかけるようにとすすめていました。ほほえみが及ぼす効果には、計り知れないものがあります。 ほほえみは、悲しむ人の心を癒し、喜びの光を与えます。 ほほえみは、学校の中に友情を育て、家庭の中に幸福をもたらします。 ほほえみを生み出すのにさほど時間はかかりませんが、もらった人は、生涯忘れ得ぬ記憶をもち続けることもあります。 ほほえみを与えても私たちからは何も減ることはありませんが、もらった人を限りなく豊かにするのです。 マザーは、ほほえみについて、次のような言葉で私たちに大切なことを教えてくれたことがあります。 「平和はほほえみから始まります。笑顔なんかとても向けられないと思う人に、 一日五回はほほえみなさい。 平和のためにそうするのです。 神の平和を輝かせ、神の光をともして、 世界じゅうのすべての人々から、 あらゆる苦しみや憎しみや、 権力への執着を消し去りましょう」 誰かかにほほえみかけることは、小さな、本当に小さなことです。 しかし、「笑顔なんかとても向けられない人」にほほえもうとするのなら、誰にとっても難しいことだと言わざるを得ません。しかも、一日五回も……。 その難しいことをあえてするように、マザーは言っているのです。 なぜなら、そのほほえみは人々に平和をもたらすことができるものだからです。 まわりの人に平和をもたらすほほえみには、わずかなりとも愛がなくてはできないことをマザーは知っていました。 ときには、自分が傷つくらいの愛が必要なときがあることもよくわかっていました。 マザーは、そのような愛のこもったほほえみを自ら実践し、人にもすすめていたのです。 わずかな眼差しに、ちょっとしたほほえみにも、精一杯の愛をこめるのだと自らのおこないと言葉で教えていたのです。 『クリックで救える命があります。』
November 9, 2008
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神様は素敵なお手伝いをなさるようです。******************************昔、さんまさんが買い物をして千円札を出そうとしたときのことです。 レジで支払う前に何気なくそのお札を見てみるとあることに気づきます。 ……なにか書いてある! そこには小さな文字でこう書かれていました。 「この千円がいつかさんまさんに 届きますように」 さんまさんは今でも大切にそのお金をとってあるそうです。 『クリックで救える命があります。』
November 2, 2008
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制限字数を超えましたので、分けさせて頂きました。朝から涙しました物語続編です。ワールドカップ時のデンマークと和歌山の物語です。*************************************トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい。 それはある握手会でのことである。 デンマークというチームは前述したように 練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った。 練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い 握手会、サイン会もたびたび行った。 そのひとコマの話である。 あの日も、いつものごとくサイン会が行われた。 気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった。 あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた。 気軽にサインをするデンマーク選手たち。 もちろんトマソンもその中にいた。 その最中のことである。 トマソンの前にある少年が立った。 彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた。 後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す。 「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた。 トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう。 通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた。 意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した。 それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという。 英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった。 「ボクは小さいころに、病気にかかって 口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・。 だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです。 デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです。 頑張ってください」と・・・。 その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた。 言葉が出なかった・・・。 だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・。 「それなら君は手話はできますか?」と・・・。 手話で語りかけた。 その『言葉』に驚く少年と母親。 再度聞くトマソン・・・。 「手話はわかりませんか?」と・・・。 それを見ていた皐月パパはトマソンに英語で言った。 「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った。 手話を万国共通と思う人が多いのだが 国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う。 「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン。 そして彼は通訳にこう言った。 「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った。 微笑んで「わかりました」と答える通訳。 トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてくだ さい。」とも言った。 後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・。 一言も文句を言わなかった・・・。 彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう。 そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった 「君はサッカーが好きですか?」 「はい。大好きです」 「そうですか。デンマークを応援してくださいね」 「はい。あの聞いていいですか」 「いいですよ。何でも聞いてください」 「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」 この少年の質問に彼は答える。 「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます。 その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・。 その彼の言葉をじっくりと読む少年。 そしてトマソンは少年に言った。 「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが 君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています。 君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」 この言葉に黙ってうなずく少年。 「わかっているなら、オーケー! 誰にも辛いことはあります。君にもボクにも そして君のお母さんにも辛いことはあるのです。 それを乗り越える勇気を持ってください。」とトマソンは言った。 このやり取りに涙が止まらない母親。 この光景を見ていた我々記者も涙した。 その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した。 そして、トマソンは最後に少年にこう言った。 「ボクは今大会で1点は必ず獲ります。 その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように ボクは祈っておきます。」 この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた。 「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った。 そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親。 ボクの取材に母親は目に涙を浮かべて言った。 「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ。 日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ。」と 涙を流し、笑いながら言った・・・・。 そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた。 1点どころか、彼は 4得点という大活躍だった。 こんなトマソン、デンマークを見た皐月パパも いっぺんにファンになってしまった^^; 1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク 彼らをボクは応援した・・・。 もちろん和歌山県民も応援に訪れた。 試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた。 オルセン監督は言った。 「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった。 あれが我々の力になった」と・・・。 和歌山県民の応援も実ったのであろう。 フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け。 見事1位通過を決めたのである。 そして、向かえた決勝トーナメント1回戦。 場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった。 スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた。 その声に皐月パパは叫ぶ。 「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」 「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた^^; だが・・・この応援も届かなかった。 和歌山県民の想いも通じなかった。 デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった。 その日の和歌山県には雨が降ったという。 県民の涙雨だったのかもしれない・・・・ 負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた。 「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの 合言葉になった・・・。 だから、彼らは行なった。 デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた。 そこに駆けつける多数の県民。 会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた。 その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督。 もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた。 そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた。 少年と母親もその会に出席していた。 少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン。 トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる。 少年はトマソンへ笑顔を向ける。 そして、トマソンは少年にこう語りかけた。 「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた。 これに少年は答える。 「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです。 それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」と・・・・。 「ありがとう」と言うトマソン。 そして、この少年にトマソンは言った。 「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください。」 「はい」 「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている。 それは神様が決めたことであり、今からは変えられない。 ボクが言いたいことわかりますか?」 「はい」 「神様は君に試練を与えたけど、君にも 必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれるはずです・・・。 そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」とトマソンは 言った。 この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った。 そして2人は・・・ 「さようなら」 「頑張って」 という言葉を残し彼らは別れを告げた。 最後に2人は仲良く写真におさまった。 飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人。 この写真は少年の宝物になることだろう。 トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・。 彼の転機になることを皐月パパは祈ってやまない。 小さな少年、心優しきトマソンに これからも栄光あれ。。。 『クリックで救える命があります。』
October 31, 2008
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こちらに来まして、初めてデンマーク人と知り合いました。とても良い人柄に驚き(なぜ驚いたのは自分自身でも不思議ですが)ました。初めて出会う国籍の人は、それだけで国の代表みたいに感じられ、デンマーク人は良い人・・・という位置づけが出来てしまう場合がありますね。さて、そのような中、今朝早くから涙が止まらなかったお話です。。。ワールドカップの時のお話かと思います。***********************************そして、このデンマークが今大会のキャンプ地を和歌山県に決めた。 例を上げれば・・・そうですね 遅れてばかりで有名になったカメルーンと中津江村 ベッカムフィーバーでわいたイングランドと淡路島 これらが有名でしょう・・・ そして、和歌山県であるが・・・他の立候補地と同様に和歌山県側も誘致に 必死であった。 デンマークへ何度も訪れた。この苦労が実りキャンプ地決定の知らせを受け たこの一報に和歌山県の関係者は涙したという。 和歌山に決めた理由は「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」という それだけの理由だった・・・(・。・) アメリカ、イングランド、イタリア、スペインほど日本に名前通ってないし デンマークという国の存在自体は知っていても どんな国民性なのか?どのような人種なのか?って普通は誰も知らないも のです。 もちろん、これは和歌山県民のほとんどが同じであった。 和歌山の街中ではこんな会話が交わされたという。 「今度のワールドカップでデンマークって国が来るらしいけど知ってた?」 「それは知ってるけど・・・誰か有名な人いるの? イングランドのベッカムとかイタリアの男前集団みたいに有名な人いるの?」 「う~~ん・・・知らない。 だけど世界で有名なんやったら、一度は練習見に行こうか?」 デンマークの練習を訪れた人は『この手の会話』がきっかけとなった人たち ばかりであった。最初、いわゆる『野次馬』的な人が多かったのは事実である。 最初の見学者は数百人程度であった、しかしこの数字が日々増えていった。 この数字が増えた理由には以下のことが一番大きかったと思う。 ワールドカップ出場国のキャンプ地での練習というものは 非公式、非公開が通例であるが、デンマークは違った。 (イングランド、イタリア、スペイン、ブラジルといった強豪国はほとんど 非公開でしたね^^;) 練習初日からデンマークチームの意向で全ての練習を公開した。 さらに練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちを招きいれ 一緒にミニサッカーを行ったりもした。 この評判を聞きつけ、デンマークというチームが 「むちゃくちゃフレンドリーで気さくな人たちばかりやで!」という口コミも相当 あったという。 そして、この翌日から見学に訪れる人が徐々に増えていった。 初日はわずか数百人だった見学者が翌日には2000人 その翌日には2500人、そのまた翌日には3000人が訪れた。 練習後には気軽にサインに答える選手たち。 監督も練習後にはサッカー少年たちを招きいれ練習を指導したりもした。 この監督にある記者が聞いた。 「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけど デンマークはこれでいいのですか?」と聞いた。 すると、このデンマーク・オルセン監督はこの記者にこう答えた。 「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない。 絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ。 何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが 喜んでくれることはどんどんするべきなんだ・・・。 試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている。」 このオルセン監督、この発言だけでも『いい人』をかもしだしているのだが 彼のエピソードをもう一つ語ろう。 ホテル入り初日のことである。 デンマークチームが来日し、ホテルでの歓迎セレモニーを受けた後 再度、宿泊先のホテルの支配人と料理担当のコック長が監督の部屋へ 挨拶に訪れた。 「これからの数日よろしくお願いします」という言葉とともに 彼ら、支配人とコック長にはもう一つ言っておきたい・・聞いておきたいことが あった。彼らにはもう一つ『心配のタネ』があった・・・。 それは食事の問題であった。 ホテル側も選手たちには万全の状態で試合に臨んでほしかった。 食事が口に合わない・・・それが原因ということだけは避けたかった。 他国の宿泊先ホテルに連絡をすると、 食事でかなりもめた という事を聞い ていた。「口に合わない」「母国の材料で調理してくれ!」といった文句を 言われたという事を彼らは聞いていた・・・。 デンマークが宿泊したホテルの支配人はこう言った。 こういったトラブルだけは「どうしても避けたかったんですよ」と。 それゆえ「最初に監督さんに聞いて、チームの意向を聞こうと思って 挨拶にいったんですよね」と言っていた。 その想いから、支配人とコック長は監督の部屋を訪れた。 そして通訳を介し、監督に聞いた。 「食事で何かご要望とかはございますか?」と支配人は聞いた。 するとオルセン監督はこう答えた。 「一切お任せします そちらが用意される料理を我々はご馳走になります」と。 この言葉に驚いた支配人とコック長。 「いや・・やはり母国デンマークの食事の方がいいんじゃないでしょうか?」 「こちら和歌山をキャンプ地に決めたときから、食事も そちらにお任せしようと私と選手たちは言っていた。選手も理解している。 全てをあなたたちにお任せします。」 「あの~~他の国とかのホテルにお聞きすると・・・ 食事はやはり母国のほうが好まれると聞いたものでして・・・」 この言葉にオルセン監督はこう言った。 「 他国は他国、我々は我々です」 この言葉に支配人は 「あの言葉で本当にホッとしましたよ・・・滞在中は無事に過ごせていただけると あれで思いましたね」と言っていた。 さらに、オルセン監督はコック長に向きなおし、言い出したという。 「我々は料理をあなたに全てお任せします。よろしくお願いします」 緊張しながらも「はい!こちらこそよろしくお願いします」と答えるコック長。 そして、コック長に聞くオルセン監督。 「和歌山で有名な食材は何ですか?」と彼は聞いた。 この質問の真意がわからずもコック長は監督に答えた。 「和歌山では魚が有名です、カツオという魚が特に有名です」と・・・。 するとオルセン監督は微笑みながらコック長に言った。 「それでは、 そのおいしいカツオを我々に食べさせてください。 あなたが腕をふるって、おいしいカツオを選手たちに食べさせてやってください」 と言った。 この言葉にコック長は大変感激した。 「世界の代表監督が、あんないい人だったからね~~ いっぺんでデンマークのファンになりましたよ!」と言っていた。 この食事に対する『良き姿勢』は監督だけではなった。 選手たちも同様だった。 最初の食事を迎えた時、ある選手が通訳に聞いた。 「デンマークでは食事するとき神への祈りをするのだが 日本では食事始める時に何かするんですか?」と聞いた。 デンマークは国民の9割がプロテスタントである。 神への祈りを終えてから食事を始める。 この選手は日本ではこれの代わりに何かするのか?と聞きたかったのである。 これに答える通訳。 「日本でもキリスト信者は神に祈ってから食べるけど たいていは手を合わせて『いただきます』と言ってから食べます」と答えた。 すると彼は・・・ 「こうやるの?」と通訳に聞きつつ、手を胸の前で合わせた。 これに通訳は「そうそう!その両手をもう少し上に上げて!」と言った。 その言葉に彼は顔の前まで手を上げる。 「そうそう!」と答える通訳。 そして彼はその姿のまま、コック長の方へ向き頭を下げた。 それを見ていた他の選手たちも彼にならい、手を顔の前で合わせた。 この時から、食事のたびに手を合わせる選手たち。 コック長は言った。 「今の日本人でも『いただきます』『ごちそうさま』言えないヤツが多いのに 外国の人にあんなことされたらね~~むちゃくちゃ嬉しかったですよ」と・・・。 この最初に手を合わせた選手の名を・・・ トマソンといった。 このトマソン選手・・・今大会では4得点をあげ デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者である。 あの日本代表・小野選手と同じオランダ・フェイエノールトに所属することでも 有名な彼。 彼は少し神経質の面を持ちあわせているのだが、非常に心優しい青年だ。 制限文字数を超えますので、分けます。続く・・・ 『クリックで救える命があります。』
October 30, 2008
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すでにこちらでもご紹介したお話かもしれませんが・・・良いお話は何度でも良いですよね!?昨夜、またこのお話に出会いましたので・・・****************************その先生が五年生の担任になった時、 一人、服装が不潔でだらしなく どうしても好きになれない少年がいた。 中間記録に先生は少年の悪いところ ばかりを記入するようになっていた。 ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。 「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」 とある。 間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。 二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、 時々遅刻する」と書かれていた。 三年生では 「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りする」 三年生の後半の記録には 「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」 とあり 四年生になると 「父は生きる意欲を失い、アルコール 依存症となり子供にも暴力をふるう」 先生の胸に激しい痛みが走った。 ダメと決めつけていた子が突然、 深い悲しみを生き抜いている生身の 人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。 先生にとって目を開かれた瞬間であった。 放課後、先生は少年に声をかけた。 「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも 勉強していかない?分らないところは教えてあげるから」 少年は初めて笑顔を見せた。 それから毎日、少年は教室の 自分の机で予習復習を熱心に続けた。 授業で少年が初めて手をあげた時、 先生に大きな喜びがわき起こった。 少年は自信を持ち始めていた。 クリスマスの午後だった。 少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。 あとで開けてみると、香水の瓶だった。 亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。 先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、 気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。 「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」 六年生では先生は少年の担任ではなくなった。 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。 「先生は僕のお母さんのようです。 そして、 いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」 そして6年後。またカードが届いた。 「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に 担当してもらって、とても幸せでした。 おかげで 奨学金をもらって医学部に進学することができます」 十年を経て、またカードがきた。 そこには先生と出会えたことへの感謝と 父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分る 医者になれると記され、こう締めくくられていた。 「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、 神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって 最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」 そして一年後。 届いたカードは結婚式の招待状だった。 「母の席に座ってください」 と一行、書き添えられていました。 ………………………… 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
September 9, 2008
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先日、こちらでご紹介しましたハワイ知人の著書の中に、ハワイアンの問題解決法、ホ・オポノポノも紹介されていますが、私はその問題解決法を知りましたのは、ほんの一ヶ月半ほど前ですが、その時googleで調べまして驚きました。これは本物だわと思ったのです。そして本日、その歌に出会いました。聞いているだけで、温かく優しさに包まれ、涙が浄化してくれます。画像にはハートが沢山!そして、つい♪I love you I am sorry Please forgive me Thank you♪と、 一緒に歌いたくなります。是非ご覧下さい。こちらです。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
September 7, 2008
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本日は、朝早いアポイントに、また根不足のまま出かけましたが・・・アポイント先で思わぬ素晴らしい沢山の笑顔に会えて、涙が出そうになりました。同時に、疲れをつくづくと感じこととなりました。素晴らしい笑顔とほんの些細な優しさに触れただけですのに、涙が出るという事は疲れが溜まっているのかしら?もしくは、彼等の透き通るような清い魂が感動を与えてくれたのかもしれません。そこで、人はなぜ優しくなれるのか?清い魂のままでいれるのはどのような状態なのか?と考えました。そして帰宅途中、ホームレスの女性かしら?と思った女性がメトロで正面に座っていました。彼女が連れている犬は、雨のためか白い毛が汚れ、メトロの中でべったりと寝ていました。彼女が新聞を読んでいた事で、ホームレスではなさそう・・・足元を見ますと、凄く傷だらけではあるけれども靴、またその履きかたにセンスが伺える・・・お洋服も汚れていそうに見えたけど、良くみるとセンスがあるような・・・と観察していましたら、新聞をたたんで布製の大きな袋のようなかばんの中に・・・その袋(かばん)には、Comme des garcon homme plusと・・・やはり・・・ホームレスでもなにでもなく、ちゃんとお洒落での着こなしだったのだわ・・・と。久しぶりに、人観察をしてしまいました。しかし、何気ない素敵なセンスの持主でした。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
September 5, 2008
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8月16日・・・やはり父の熱は続いています。しかし、久しぶりに父の笑顔を見ることが出来ました。久しぶりの笑顔、本当に嬉しかったです。
August 16, 2008
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皆様、少しは涼しくなりましたでしょうか?まだかな~?本日は、皆様良くご存知のレオナルド・ダ・ビンチのキリストと12人の聖人を描いた最後の晩餐に纏わるお話です。イタリアで、子供達に伝説として言い聞かせているお話だそうです。 ****************************** この絵を完成させるのにダ・ビンチは20年かかったそうです。まずキリストの絵を最初に書こうとして、モデルとなる人を求めて町に出て公園を歩いていたときにとても目が澄んでいて、肌がすごくきれいで、すがすがしい好青年を見つけてその人に「モデルになってください」と言って、その人を座らせて最初のキリストの絵を書いたのだそうです。それから徐々にひとりづつ弟子の絵を書いていって最後に残ったのが裏切り者のユダでした。そのユダの絵がなかなか書けなくて20年もかかってしまったのだそうです。ピッタリのモデルもなかなか見つからなかったそうです。そんなある日、酒場の薄暗い片隅にすごい男が座っているのを見つけたのです。人生の悲哀、裏切り、憎しみ、妬み、嫉みなどを全身に背負ったような男でした。その人に、「モデル代を払うから何時間か 私のために時間をくれないか」と言いました。「いいですよ。どうせ俺の時間なんか誰も必要としてないし」そう言ってモデルになることを引き受けてくれました。その顔をモデルにしてやっとユダの顔を描く事ができたそうです。「ああ、やっと描けた」そう言ってダ・ビンチが安堵の息を吐いたときに、このモデルの男の目から涙が溢れ出てきたそうです。「なぜ、泣いているのですか? 感動して泣いたのですか?」とダ・ビンチが聞きました。するとそのモデルが答えました。「あなたは私を忘れたのですか」「えっ?どういうことですか?」「20年前にあなたは、私をモデルにしてこの顔を描いたのですよね」と、キリストを指して言いました。「それが20年経って、もう一度あなたに 声をかけられたので、今度は誰のモデルとして 描かれるのかと思ったら、最後の裏切り者である ユダの顔を描くということだった。 これが泣かずにおられようか」 ということで泣いていたのです。この20年の間、この男性は人の悪口を言い続けていました。世の中のこと、人のこと、恨み言、憎しみ言をずっと言い続けてきたそうです。その結果として、一度はキリストのモデルになった人がなんと、その裏切り者であり、人生の敵意と憎しみを一身に背負ったユダの顔のモデルに選ばれてしまったのです。...............................................人間の顔でいちばん素敵なのはやはりなんといっても笑顔だそうです。笑顔の時に使う顔の筋肉と怒ったり悲しんだりしたときに使う筋肉はぜんぜん別の筋肉だそうです。いっぱい、いっぱい笑顔を作って笑顔の筋肉を鍛えていい顔を作っていきたいですね。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
August 4, 2008
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ある日本の方が理事長を務められているNPO法人が建てたカンボジアの学校給食を始めたときの話が紹介されていました。************************* カンボジアの田舎の貧しい村ですから、三日に一食しか食べられない子どももいます。学校で給食が始まると、早朝から待ちきれずに、お腹をすかせた子どもたちが食器をもって集まってきます。朝、七時。ごはんが炊き上がり、「いただきます」と給食が始り、みんなおしいそうに食べ出しました。 でも、一人だけ食べない子がいました。その子はビニール袋(!)に自分の給食を入れたのです。しかも、給食が終わろうとした時、何事もないかのように、 まわりの友達が自分の分を三分の一ほど残し、その子のビニール袋に給食を入れて分けてあげました。実は、その子の家には、お腹をすかせた小さな弟や妹がいるのだそうです。みんなはそれを知っていたのでしょう。その子は、給食が終わると、ビニール袋を抱いて、飛ぶように走って学校を後にしました。〇〇さん(理事長)は言います。 「本当の豊かさって何だろう」「本当の幸せって何だろう」「カンボジアの子どもたちは教えてくれました。モノは奪い合えば足りず、分け合えば足りるのです。自分だけの幸せなんてないんだ。幸せは、人のそれと重ねるものなんだ」私たちは、自分のことだけ考えていては本当に豊かにも、幸せにもなれません。貧しくとも、心が豊かな人は、子どもでさえ人のことを考えてあげています。そして、自分の分まで分け与えて、いっしょに幸せになろうとします。 そんな思いやりを、優しさを、私たちは、きっと、みんな、もっているのです。以上です。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
August 3, 2008
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本日は、日中太陽の陽射しが痛いほどでしたが、それでも乾燥していますと、余り暑くないもので、日本の猛暑の中で皆様が苦しんでいらっしゃっる事を考え、何か申し訳ないような気持ちになりました。日本の皆様が少しでも涼しくなられるよう、ブログデザインを変更してみました。さて、ひすいさんのメルマガで面白いお話が紹介されていました。■宇宙飛行士の舞台裏 人類がはじめて宇宙飛行を成し遂げたのか1961年。その歴史的事実の裏には、実はこんな素晴らしいエピソードがあったそうです。 人類初の宇宙飛行を達成したのは当時のソビエト連邦。その宇宙飛行士の選考には非常に厳しい条件がありました。身長制限・体重制限はもちろん健康状態や精神力も選考基準になります。選考に際して、まずロシア軍の150人が宇宙飛行士の候補として選ばれました。そこから、様々な条件で落とされていきます。虫歯があるだけでも不合格。その中から絞られ絞られ、20人の候補生が選考に残りました。この残った20人は、最終選考の候補に残るべく、様々なテストを受け、厳しい訓練を受けます。ここまでくるともう、誰もが甲乙つけ難い精鋭揃い。そして、最終的に2人の候補生が残りました。選考会議で検討に検討が重ねられた末、一人の候補生が人類最初の宇宙飛行士に決定しました。彼は、もう一人の候補生よりも体重が2kg少ない、という単純な理由で人類初の宇宙飛行士に選ばれたのです。しかし、ここでドラマがおきました。土壇場の土壇場で、上層部により最終決定がひっくり返されたのです。結果、最終選考で落選したもう一人の彼が人類最初の宇宙飛行士となります。彼の名はガガーリン。なぜガガーリンは最終選考で落ちたにもかかわらず、ひっくり返すことができたのか?最初に宇宙飛行士に決定された彼と、ガガーリンとの決定的なちがい。 それは、笑顔。ガガーリンのほうが笑顔が素敵だったのだそう。万が一、宇宙人と遭遇することになったとしても、やっぱり、笑顔こそ大切だと思ったからでしょうか(笑)笑顔が歴史を変えたのです。******************************* 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
July 28, 2008
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昨夜、ある方からのメールに笑顔の事が書いてありました。そして、其処には周囲の人の笑顔を見ると、元気になると・・・赤ちゃんの笑顔、奥様の笑顔 etc・・・人の為に何が出来るのか?何時も考えている私は、その言葉にハッとさせられました。人の為に何か特別の事が出来ない時にでも、笑顔でいる事は簡単に出来ます。以前、このブログにも書かせて頂きましたが、パリに住むようになりました始めの頃、ホームレスの方が“笑顔を有難う”と言って下さったのを思い出しました。私にとりましては、笑顔は自然の事だと思っていましたが、確かに笑顔でいられない時があります。笑顔でいられように努力をする事も、それだけで周囲の人の為のほんの少しでもなっていたのですね。数日前にこちらでご紹介致しました岡田君が小学生ですのに『人の為にたちたい』と悩み続け、結果笑顔でカメラに向って『生きているだけで、人の為になっている事がわかった。生きたいね~。』と言っていましたが、その通りだと解っていながらも、何が出来るか探していました。探すのをやめ、まずは生きる!そして笑顔!そして働く。「はたらく」とは、「はた」(まわり)を「らく」にする事だと、以前教わり、こちらのブログにも紹介させて頂きましたが、本当に考えますとそうですね。という事で、働く事もすでに人の為になっているのですね! 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳
July 20, 2008
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昨日、日本のニュースを見ていましたら、ブラジルの犯罪が増えて来ているとの事・・・そして、観光客相手の強盗のようですが、日本人もターゲットになっているようです。空港よりすでに狙われているケースもあると・・・そのニュースを聞きながら、思い出した事があります。良く試合前に、外国の選手達は、神様にお祈りしている姿が見受けられますが、熱心なキリスト教徒の国、ブラジルの選手は、試合前に・・・自分達の事だけではなく、対戦相手の事もお祈りしてらしいのです。双方に悪い事がおきませんように・・・と。すべての国がこうであって欲しいと思いました。そのブラジルの犯罪が増えていると聞きますと、もともと犯罪件数は多かったブラジルではありますが、残念です。日本が唯一一部二重国籍を許している特別な国である事も含め、我々にとりましてブラジルは、やはり特別な国だと思います。ですから、余計良いニュースはわが国の事のように嬉しく、悪いニュースもわが国の事のように残念でなりません。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
May 30, 2008
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今朝、太陽の陽射しが燦燦と射していまして、家の中が大変温かかったので、薄着で出かけましたら、なんと肌寒いを通り越して寒い一日でした。さて、もう大分前になるかと思うのですが、鏡の法則の野口さんのブログで、お勧めの本として「アミ 小さな宇宙人」が紹介されていました。私の年に二回の帰省時の大量な本の購入の中のリストにあったのですが、やはり優先するものが後から後から出てきて、なかなか購入出来ないでいました。スーツケースのほとんど本という状態で帰って来るのですが、それでも泣く泣く絞込みます。そして、今回のこの本の内容をある方が紹介されていたのです。そして又絶対に次回のリストの優先に入れようと決めました。その内容とは・・・エンリケさん(チリの人)が10歳の頃、アミという小さな宇宙人に会い・・・という展開。宇宙から見た地球へのメッセージを伝える本。宇宙を貫く法則がある宇宙の基本法って それは 愛単純 素朴 当たり前 だけど体験が容易でないものだから進歩がいる 進歩とは愛に近づいていくこと愛が幸福に向かう唯一の道 もっとも進歩した人 が、崇高な愛を体験し、より深い愛を表現する本当の人間の大きさは 愛の度数で決定される「すべて愛に基づいていないものは、 こわされて・・時とともに忘れられ 捨てられていく・・」(愛に基づく 友情や 夫婦 家族 個人の魂 人類の魂 これらは 堅固で 確実で 繁栄し 実を結び こわれることを 知らない)人生を最大限に楽しむのが愛惑星は進化の異なった生命体唯一生命のあるものから生命が生まれるみな依存して関係しあってるので、地球の起こすことは、そこに住んでいる人々に 影響を与えるし、反対に人々のすることが地球に影響を与えるこのような内容なのだそうです。「愛」に基づいた行動だけが、評価されるのですね。それだけが、魂となっても残るのですね。読むのが楽しみです。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
May 19, 2008
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昨夜、友人のダンスの舞台を見に行きました。日本人男性二人に、フランス人女性二人、特別出演フランス人男性一人の舞台でした。私の友人はすでに50歳を過ぎ・・・昨夜、4人の踊りを見ながらいろいろな事を考えました。踊り(身体、動き)がどんなに美しくても、魅かれない事もあること・・・我々の目を釘付けにするのは、踊りの技術よりも、その人の魂である事・・・いろいろと考えさせられました。この友人の舞台は出来る限り見るようにしているのですが、なぜかいつも泣いてしまいますが、昨夜その理由が解ったような気がします。昨夜の彼は技術の見せ場は全くなかったのですが、やはり彼の踊りに一番魅かれました。勿論、贔屓目もあったはずですが・・・私も素人ではありますが、バレエ・ジャズ・創作・ソシアルなど長年踊ってきました。子供の頃、私と友人がいつもトップを争っていた訳ですが、私は私の方が完全に負けている事を子供ながらに知っていました。しかし、技術が私の方が勝っていたのでしょう、比較の対象にあった訳です。しかし、私はなぜ彼女は、こんなに妖艶に(子供なのに)踊れるのか?解らなかったのです。その後、20歳位の頃、ようやくそれが解り、敢えてまた踊りたくなった事を覚えています。昨夜、彼の姿には、良い歳を重ねて、だからこそ出せる匂いが出ており、本当に素晴らしい舞台でした。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
May 16, 2008
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GWですね!今年は、かなり大型の連休を取られた方々もいらっしゃるようですね。こちらは今年も暖房が切れる季節となりました。この頃の我々の会話は・・・「そちらはまだ暖房入ってる?」です。さて、素敵な動画を紹介して頂きました。愛が周囲へと伝わっていく様子を目の辺りに致しまして、昨夜は目を赤くしておりました。日本の皆様はご存知な方々が多いかと思いますが・・・ご覧になってみて下さい。HOME-1HOME-2HOME-3HOME-4HOME-5この5巻以外にもYOUTUBEの同じ頁にて、沢山紹介されています。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
May 3, 2008
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本日は、久しぶりのお茶のお稽古でした。そして今日は何時ものメンバーに二人加わり、楽しくお茶の総練習とも言われるお遊びを・・・(本当はお遊びではないのですがゲームみたいなものです。絵札が当たった人が、お茶を点てる・・・!)ある方の3年前のブログに面白い事が書かれていました。一円が落ちていたら拾いますか?と・・・私の答えは拾わないでした。その方は、ある方が「今、助けてやるからな。」と言いながら、1円玉を拾われた事を書かれています。それを拝読しまして、私も今まで1円玉に可愛そうな事をした!と反省しました。10円玉も、100玉も助けてあげなかったかもしれません。。。この場で、1円玉、10円玉、100円玉さん達に謝りたくなりました。そしてこれは余談ですが・・・1円玉に優しくするとご家族がお礼にみえるそうです。ご家族とは、10円玉であったり、100円玉であったり、また1万円であったり・・・この余談の部分も、悪くないですね! 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
April 21, 2008
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昨日までの疲れが溜まったのでしょうか、本日は久しぶりに目眩がしまして、ゆっくりと過ごさせて頂きました。そして、先ほど「ニコじい」作家のつうちゃんさんのブログにて、紹介されていましたYOUTUBEに涙しました。We are the world 昔から何度も見ています映像ですのに、何度みても感動します。やはり「愛」でしょうか、無償の「愛」・・・この愛の心をもって全てのの人々を助けるように働きかけるのが、菩薩の理想だそうですが、未だに行われています宗教戦争とは裏腹に、すべての宗教、人種、世界のむかうところは同じような気がいたします。 そして私はこの社会の為に何が出来るのかしら?考えてしまいます。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
April 20, 2008
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日本は、卒業式のシーズンなのですね。福島氏のブログで大変素晴らしい動画を拝見しました。是非、皆様にもご覧頂きたくて・・・駐車場のおじさん 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
March 21, 2008
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スーパーの袋有料化に賛成でした私ですが、いざそうなりました時に、不便さを感じました自分自身を反省致しましたさて、今朝友人から夫婦喧嘩の原因を聞かされました。原因は、ご主人が「マッサージをしてくれ!」と奥様が疲れている時間帯にお願いした事・・・。聞かされました時は、私が忙しかった事もあり、マッサージ師を定期的に頼むようにアドヴァイスをしました。しかし、夕方考え直して、彼女に別のアドヴァイスを・・・ご主人に日本語の「お願いします」と「上・下・右・左・其処・もう少し」と言う言葉だけを教える事です。そしてご主人に「マッサージをお願いします。」「上をお願いします」などと日本語で必ず「お願いします」という言葉を入れて頼ませる事です。そうすると、フランス人は日本語の発音がきちんと出来ませんので、小さな子供が「お願いします」と言っているように聞こえ、仕方なくマッサージしてあげたくなるのでは?と言いましたら・・・彼女大喜びの声をあげ・・・「わぁ~。凄いいいアイディア!雪之嬢さんに言ったら、何か良いアイディアをくれると信じてたのよ!」と・・・。彼女は、マッサージをしない方向よりも、きちんとマッサージをしてあげたくなる解決法をこんなに喜んでくれるとは・・・やはりご主人に対する思いやりですね~。私は、彼女が私からのアイディアを期待していた事もしらず、朝は軽く流した事を反省しましたと同時に、こんなに喜んでもらえました事がなぜかとても嬉しく、また彼女のポジティブさに触れ、私も嬉しくなりました。結果は明日にでも聞いてみます。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
March 14, 2008
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本日(17日)は、久しぶりにゆっくりとお休みしました。今朝方、就寝前に、ある文章に何か心が温かくなりました。人っておもしろいもんで自分のココロやカラダを自分で十分癒すことはできまへんねん。そやけど不思議でっせ~自分を自分で癒すことがでけへんのに他人さんを元気にすることはできますねん。自分のためやなくて他人のために自分が元気でおらなあきまへんねんそやから花を見て元気になるのも他人さんを元気にするためでっせ。自分のためやおまへんねん人の為に元気でいなければ・・・と思いますと、元気でいたいと本当に思えるような気がします。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
February 16, 2008
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現在、ある展示会が行われておりまして、世界中から人が集まっています。その会場へ、昨日行きました時、入り口から私が行きたい会場は一番遠い所にありまして、何時もは歩く歩道などを使っていくのですが、今回は入り口につきましたら、丁度巡回用の乗り物が目の前に止まっていましたので、利用する事にしました。その乗り物とは、遊園地に見られるような、おもちゃの機関車のようなもので、窓も何もついていません。昔は、この乗り物に乗りたくて、入り口で待っていました。そのおもちゃの機関車のようなものがある程度一杯になり(4両編成位)、出発した時、乗車しているみんなから歓声があがりました。まるで、子供達のように・・・平均年齢どれくらいでしょうか?40歳?50歳?・・・そして勿論世界中から、みんなお仕事に来ています。しかし、その歓声を聞きながら、幾つになっても、このような歓声を上げれる人間でいたいなーとつくづく思いました。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
January 25, 2008
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母は私が帰省した時に、すべての事がスムーズに行くように準備をしておいてくれます。その一つにお茶のお稽古の為の炉の準備がありました。母は、最近年齢もあり自宅ではお茶を点てませんので、私の為に準備してくれていました。新しい灰を入れ、炭など・・・私にとりましては、こういう事が今まで当たり前でしたが、本来は当たり前ではなく、母の心をつくづく感じました。本当に有難い事です。朝は、お茶を入れ・・・お昼からは父の病院へ・・・そしておせちの準備などを始めました。数の子など、時間がかかるものは、母がすでに漬けておいてくれます。 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
December 30, 2007
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本日は、昼食の後、昨夜行けませんでしたので教会に参りました。(信者ではありませんが)ミサの時間など気にせず、ただ教会へ・・・私が行きました教会は、フランスで三ヶ所マリア様が降りたたれたと言われるうちの一箇所です。一箇所は皆様ご存知のルルドの奇跡の泉です・・・パリ市内に一ヶ所ありますが、此処はたまたま私がパリに来ました当初、見つけました。本日は、ミサも何も期待していませんでしたが、到着しましたら、何やらミサらしきものが・・・。すぐにシスターがマイクにて、「これから日本の歌をお届けします」と・・・私は何が起きたのか?目や耳を疑い・・・心の中で「今確かに日本という言葉が聞こえたよね?」と自問自答致しました。そうしましたら、日本人の方々が20名ほど、お着物姿であったり、お洋服であったり・・・皆様が祭壇の前へ・・・そして日本語で聖歌を歌われました。それから童謡(菜の花畑の~)狐につままれたような中におりましたが、童謡を聞きました途端に涙が頬を・・・。その後、突然教会の中の燈が暗くなり、ヨゼフ様とマリア様が・・・それからキリスト誕生まで、お芝居風に行われました。キリストの誕生と同時に、燈がともされ、グロリアの聖歌が・・・こちらに来まして、フランス語で聖歌が歌えない(日本語でしか覚えていません)のが残念でなりませんでしたが、グロリアだけは、現地語で日本でも歌っていましたので、一緒に歌えました事がとても嬉しかったです。教会で歌う聖歌はなぜか、歌った経験がある方は同じように思われているのではないかと思いますが、とても気持ちが良いのです。ですからこちらに来まして曲は分かるのに、フランス語の歌詞がわからないのは残念で仕方ないのです。(かと言いまして信者ではありません私が、フランス語の聖歌を覚えようとはやはりしませんでした)そして気持ち良く教会を出まして、家に帰ろうとしましたら、途中寒空の中に二人のホームレス者が・・・家に急いで戻り、ケーキと温かいコーヒーを持って行きましたら、笑顔で「有難う」と・・・。温かいコーヒーで少しでも温まれば・・・ケーキなど受け取ってくれるかしら?など不安な気持ちで持っていきました・・・笑顔と有難うの言葉は何よりも幸せを感じさせてくれました。今年もとても良いクリスマスを過ごさせて頂きました。又来年! 『クリックで救える命があります。』この世に一つでも多くの笑顔を!一日一膳!
December 25, 2007
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