昨日、とある研修へ参加した。
講師は
事前に名前がわかっていたが・・
記憶の片隅で
しばらく忘れていた・・
でも思い出してしまった・・
初めて精神科を受診したのは高校2年生
不登校で
たくさんたくさん検査した
診断は、何も出なかった
IQはかなり高かったらしい・・
でも、活かせてないな・・
親が呼ばれた・・・父親が。
憮然としていた。
娘が精神科に・・?なんでだ?不登校?許せない。
そんな表情。
不登校は・・・わたしの懸命な・・サインだった。
抵抗だった。
ここにはいられない。
わたしのやりたいこと、私が本当にやれることやらせてほしい。
でも、通じなくて。
いや、通じる努力をした果ての最後の手段だったのに。
その時の、主治医だ・・。
わたしは、その後、あきらめきれないけれど、なにかをやれる勇気も無く
しかたなく、学校へ行き、こんなところにいつまでも留年なんてイヤだから
絶対、卒業して、大学行って・・と思って
看護師めざした。養護教諭。
私を救ってくれたのは、保健室の先生だったから。
看護科で、精神科講義・・
なんと、主治医が、教授。
頭が痛くてどうしようもなくて脳外科にも回されたんだけど
その時の主治医もまた、脳外科講義は、主治医。
通ったのが大学病院だったから仕方ないけど。
精神科実習は、19歳の男の子を担当した。
統合失調症か躁うつ病か、診断が確定していなかった。
でも、閉鎖病棟。
この子をまた学校へいかせてあげたいと思った。
実習が進むと、保健所実習が始まる。
地域に、いろんな人が病気と闘いながら生活している実態を知る・・
精神の多いこと。
わたしのような、苦しみをはるかに越えた人が。
閉鎖病棟でなく、地域で暮らせることが、どんなに幸せなことか。
だけど、家族は、大変で・・
保健師に、なろうと、思った。
病棟実習もつらかったが
保健師の実習は・・もっとつらかった。
夜勤こそ無いが・・内容が重くて。
それでも、わたしは、この仕事を愛した。
いきなり地域に出る自信が無く、病院に就職し
病棟看護師・保健師として仕事をした。
転職し、病院の健康管理質で保健師専従になった。
その後、嘱託でようやく、行政保健師になった。
しかし、井の中の蛙になっていく自分が嫌だった。
行政職に染まっていくのが、いやだった。
父親の介護をしながら・・いろいろ考えた。
悩んだ。
家族として。
そして、父が死んだ、初盆の日。
就職試験を受けた。
それが、前の会社。
土曜日の研修は・・協賛が・・前の会社で。
同僚が来ていた。
会場に、一旦行ったが。
怖くなって。
・・・元主治医、そして、前会社・・・
会場を立ち去った・・・。
でも。
戦おうと、思った。
会場へ引き返し。
ちゃんと、主治医にも同僚にも会った、名刺も交換してきた。
講義の内容・・
私は、やっぱり、この仕事を愛していて
前会社も、愛してたんだな・・と
思った・・
だから、これでよかったんだ・・
わたしは、ちゃんと自分のキモチを大切に
仕事、してきたんだから
愛しすぎた、だけ・・・