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今生きている。
今私たちは生きている。
でも、いつか死ぬ。
どうしようもなく、いつか死ぬ。
お墓の後ろに名前を刻まれる以外に
後世に己の存在を表現するものは無い。
100年後に自分の存在を知る人がどのくらいいるだろうか?
自分は自分の祖先を知っているのだろうか?
自分がその祖先と同じに忘れ去られてしまう存在なのではないかという
不安に苛まれる事は無いのだろうか。
生まれてから死ぬまで自分は自分であるが
自分が無くなる日がいつか来るのである。
人生何十年かは人それぞれだろうが
今、現在から過去を思えばそれは一瞬の出来事なのではないだろうか
そして、死ぬ直前までそれは続くものであり
死ぬときは生まれた時から今までは一瞬の出来事として
そこで認識されてしまうのである。
怖い
怖いが、仕方ない
人生とはそういうモノだからだ。
織田信長やカエサルが名を残したとして
それを本人たちが実質的に認知できるなんて夢物語だ。
彼らは後世の事など知らない。
人生が終わったならば、何もかもがそこで終了なのである。
それは有名人でも、大金持ちでも、貧乏人でも全く同じだ。
私を構成する全てが死によって無に帰す。
誰にも逃れられない現実である。
いつか死ぬ。
どうしようもなく死ぬ。
死んだらおしまい。
あなたも私も無くなる。
赤ん坊は青年になり、青年はオッサンになり、オッサンはジジイになり
死んで焼かれる。
いままで自分という意識をしていた全ては無になる。
真剣に考えた事はありますか?
寝て、起きてを繰り返して
いつのまにか歳をとって
死にます。
あなたも
私も
誰も
死にます。
千年後には跡形も無いでしょう。
一万年後には?
真剣に考えた事はありますか?
自分は死ぬという事を
そして、はるか未来は自分とは全く関係がない世界だという事を