ASTRALPHASIA - プログレ日記(Prog Blog)

JW 来日公演 2003


ジョン・ウェットン JAPAN TOUR 2003



来日公演のチラシ
新作( 「Rock Of Faith」 )発表に伴う来日公演が9月19日から24日まで、広島、大阪、名古屋、東京(2公演)で敢行された。94年のソロ初来日以来、ウェットンの来日公演は欠かさず観ているが、今回ほど出来不出来の落差の激しいライブは過去にはなかったと思う。(地方公演まで全て観たわけではないのだが…)

すごくいいかげんな予想で、ピークは大阪か名古屋だろう(笑)と読んだ私は、仕事の都合もあり、地方公演は20日の大阪公演のみ行くことにした。阪神ターガース優勝の祝賀ムードの中、心斎橋クワトロに集まったファンたちは異様に盛り上がっていた。「Mondrago」に続く1曲目は90年以来のお披露目となる「Wildest Dreams」。

私が参加しているエイジア・カバーバンドの練習でも特にリズム合わせが難しいイントロ部。自然と体がリズムに動いた。さすがプロは違うなあと感心していたのだが、やはり「事件」は起きた(爆)。

ウェットン先生、ヴァース部のベースが弾けていない。そして歌詞忘れに、曲の展開までも間違えるありさま。声は相変わらず酒焼けしたハスキーヴォイス。もうあの美声を聞くことはないのかな…と、ちょっと寂しい気分になった。

この日は、他の曲でもバンド全体のノリがイマイチだった。ドラムのリズムキープも乱れ気味だし、ベックもミストーンを連発する。ミッチェルは、バンドの状態に不満があるのだろうか、少々ナーヴァスだ。

それでも私は、歌うウェットンを2年ぶりに生で見ることができた喜びでいっぱいだった。個人的に大好きなナンバー「Voice Of America」も、生で聞くのは初めてなので、とても嬉しかった。大阪のファンは暖かい。ウェットンを元気付け、演奏を盛り上げようとイントロから手拍子だ。しかしライブとしてのできは50点くらいかな、と思った。

ライブ後、いつもメールでやりとりしている西日本および関西在住のファンと交流を深めることができたのは、せめてものよい思い出になった。ドラムのスティーヴ・クリスティが会場入り口まで出てきてくれて、サインや写真撮影に応じてくれた。ファンを大事にする好青年という印象を受けた。



JW at Shibuya
そして問題の23日、東京公演初日がやってきた。名古屋は大阪よりも良かったとの話だったので、「それじゃ少しは期待できるかな」と思いながら、最前列(ミッチェルの前)での観戦。こんなに近くでウェットンを観るのは初めてだ。感動できないはずがない。会場が暗転し、クラシック音楽(ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第2楽章)に、ステージ上のギターアンプに置かれたお香が点火され、なにやら神聖な香りのする煙が流れてきた。否が応にも気分は盛り上がる。

さあ、モンドラゴに続くは「Wildest~」と思いきや(笑)、流れてきたのは聞き慣れたイントロの「Sole Survivor」。どうやら名古屋からセットリストが、変わったらしい。まあ、リハ不足の「Wildest~」よりはいいかなあと思っていたら、大阪以上に声が出ない。あちゃ~、やばいよこれは~、ブートで聞いたことがある97年のポーランドでのライブよりも声が枯れている。大音量でごまかせるロックナンバーはともかく、「Walking On Air」や「Who Will Light a Candle?」などの静かに聞かせる曲ではいっそう粗が目立つではないか。

ウェットンも調子の悪さを自覚しているのか、演奏中はしょっちゅうファンの表情を窺っている感じ。じっさい、最前列の私と何度も目が合った(笑)。そのたびに「がんばれ~」の意味を籠めて手拍子をしたり、コーラスを歌ったりして盛り上げた。後半はなんとか持ち直せるかと思ったのだが…。こんなに不調なウェットンは初めて見た。

ライブ終了後、オーディエンスは一様に不満な表情を浮かべていた。しかし、個人的には満足できた部分もある。あんなに近くでウェットンのパフォーマンスが見ることができたのである。後半の「Starless」や「Red」におけるベースの指弾きは、背筋に鳥肌が立つほどすごかった。自分もあんな風にリードベースが弾けるようになりたいと思った。やっぱり、ジョン・ウェットン、体調は悪くてもやるべきことはやっているのである。それを確認できただけでも、私には幸せであった。

ライブ後、ファンの前に姿を現したウェットン先生は私に「今日は声がでていなかったよ。」と申し訳なさそうに言ってくれた。それでもいいじゃないか、私は満足したのだから。(一人だけかもしれないけど…)「最高だったよ、ジョン」と、励ました。おだてているのではない、明日はきっとすばらしいライブになることを信じていたから。



さて、日本公演・最終日の24日。はっきり言って、気が重い。渋谷がものすごく遠く感じた。チケットの整理番号は3番なのだが、いっそ最後尾で見ようかとも思った。昨晩のライブを考えると、いままでウェットンの素晴らしさを、いろいろな人に伝えてきた自分が恥ずかしくなった。「なんだ全然、だめじゃん」というファンの声が、今日も聞こえてきたらどうしよう。「隠れキリシタン」のごとく、ひそかにファンを続けるしかないか…などと思いながら、クワトロへ向かった。

手に汗握る緊張の中、歌入り1曲目の「Sole Survivor」が始まる。第一関門は「Twist my foot, I nearly fell」の所。無事通過した。つづくポイントは「One look back、I could have died」の所。おー、声がもどっている~。すばらしい。思わず隣の友人と目を合わせてしまった。彼も不安だったのだろう。「今日は声が出てるじゃないスカ~」(笑)という表情。そう、これだ。この声だよ、自分が聞きたかったのは。Voice Of Americaの「So long,so long I’ve waited now. To hear you again」の歌詞を思い出した。こんなに声がでているウェットンを聞くのは94年以来だろうか。

この日はウェットンと目が合ったのは、たった1回。つまり視線を下に落とさず、胸を張って前を見ながら堂々と歌っていたという証拠だろう。バンドのノリもこの日が最高によかったと思う。ミッチェルも天井に頭をぶつけるんじゃないかと、こちらが心配するほどご機嫌だった。



9月23日のセットリスト。4人のメンバーのサイン入り。今回の来日公演を総括してみるに、ウェットンの楽曲のすばらしさを、改めて痛感した。ウェットン本人も「ストレンジ・デイズ12月号」のインタビューで語っているように、「人の胸にぐっと来るいいメロディ」をこれからもずっと書き続けてほしい思う。今回の公演では、新曲の「Take Me To The Water Line」が光っていた。鎮魂歌の「After All」は何度聞いても泣けるし、「Starless」に劇的に感動したのも今回が初めて。

やっぱりジョン・ウェットンは、ブリティッシュ・ロックの歴史に名を残す巨人である。そして自分にとっては、永遠の師匠である。あくまでも「人生の」ではなく「音楽の」である。彼の人生から学ぶべきものは多くはないが(笑)、作品からは実に多くのことを教えてもらった。

ただ一つ、ファンとして苦言だけは呈しておきたい。病院に行って注射してもらって喉の調子が戻るのなら、来日前から健康管理(特にのど)はきちんとしてもらいたい。ファンとしての率直な気持ちである。

プロモーターの関連サイト→ ジョン・ウェットン来日公演



JW使用ベースこの来日公演でウェットンが使用したベースは、日本の フェルナンデス社 製で 「FRB-40M SW」 (写真)という型番です。

これと同じ型名のベースが同社のカタログに掲載されているのですが、なんと定価がたったの4万円と記載されていまして、ちょっと驚きました。ちなみにSWというのはボディのカラー(スノウィ・ホワイト)を意味しています。

「ベース・マガジン」(2003年11月号)によれば、このベースは本来パッシヴ・ベースなのですが、プリアンプにTC-9500を搭載したアクティヴ・ベース仕様に変えられていたそうです。このてのベースはミディアムスケールなうえ、軽めに作られているので女性や初心者でも弾きやすいかと思われます。歌うベーシストにとっても弾きやすいのかもしれません。

ウェットンの使用ベースを、ためしに購入したいと思われた方は こちら へどうぞ(笑)



© ken_wetton 2003-2004




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