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パールハーバーに消えた命!



ゴードン W・プランゲ著 「トラ トラ トラ」という本を何年か前に父が持っていたので読んだ。父の口からも聞いていた話ではある。昭和15年12月には、山本はすでに真珠湾攻撃計画を十分考えていたらしい。でも攻撃は先に小沢治三郎少尉 第三戦隊司令官が主張した案のようなものによってのみ可能である事を承認したのであった。とある。1941年3月 山本五十六大将の発想で、第十一航空艦隊参謀長・大西滝次郎少尉(フィリピンで特攻攻撃を発案し終戦後自決)が発案。実際の研究立案は密かに第一航空艦隊参謀・源田実少佐に命じられ、彼の作った作戦要項が第一航空艦隊参謀長・草鹿少将に真珠湾攻撃計画としてパンフレットとなり山本長官より海軍へ手渡された。反対意見も軍令部の半分以上と多く、賛成側に押し切られて形となる。「真珠湾攻撃は私の信念である」と山本が発言したと記録にあるそうだ。 ルーズベルト(アメリカ合衆国第26代大統領(1901~1909))がこの攻撃を知っていながら、わざとやらせたという説もある。真珠湾攻撃は火の海と化し日本の二次にわたる攻撃により太平洋艦隊は戦艦アリゾナをはじめ多数の戦艦を失った。日本も同じく、淵田中佐は「トラトラトラ」と「ワレ奇襲ニ成功セリ」打電。 11月7日!この日、アメリカ兵は3,000人もの命が消えた。 静かに海に眠るアリゾナ号には今も1,177人の魂が閉じ込められている。日本では、この時の20歳になる青年の日記がある。「父も母も親類も、私がここに居る事を知らない。皆はまだ私が休暇をとっていると思っているだろう。皆と別れる時私はそういう印象を残して来たからだ。皆さん、どうぞお許し下さい。私は、国の為に命をささげようとしています。そして後になって解るでしょう。そして、とうとうやったなといわれるでしょう。」その夜、隊員達は全員、両親や友人に手紙を書いた。その中でも岩佐大尉が両親への手紙は感動的で彼らの最後の手紙のすべてを要約するもので、積極性と勇気、理想主義と信念にあふれていると書いてあった。 では最後に「私は単身で敵の湾内に突入して敵に一撃を加え、敵の意図を粉砕し、かくて世界の平和と邦家の安泰をはかる任務につく事になりました。 もはや再びご両親にお目にかかる事は出来ません。 生まれて以来27年の間お育て下さいましたご恩に報ゆることなく先立つ不幸の程をどうか、お許し下さい。しかし、今度の作戦で成功したら私を誉めていただけるでしょう。 もし、成功しなかったら、私の霊を祭って下さい。  とつ海にたとへ わが身ははつるともすめら御国を守らがやまじ」 全兵士に、心よりご冥福を祈ります。


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