AVEC LE TEMPS

April 17, 2012
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テーマ: ドール(2210)
カテゴリ: カテゴリ未分類
「海を渡った人形大使」
画像 039.jpg
京都に住んでいる古くからの友人から
「送っとこうね~」という電話。
なにを???
待つこと数週間
 メール便で届いたこの冊子
もうもう飛び上がるほど嬉しかったです。
今年3月に京都の大学で開催された
「海を渡った人形大使」の展覧会の資料でした。
京都の友人は
母校を訪ねたとき
学内にあったポスターをたまたま見つけて
興味を覚えて、
開催中に2度も足を運ばれたそうです。
画像 040.jpg
お人形の好きな麦笛は
食い入る様にこの冊子を見てしまいました。
画像 041.jpg
昭和初期、日米関係が悪化しかけた頃、
民間レベルで両国の交流を唱えた親日家がいました。
日本の大学で教鞭をとった経験のある
シドニー.L.ギューリック氏です。
彼が長い間教鞭をとっていた大学で
この人形展と講演があったそうです。
1920年代
世界的な経済不況のなか、
アメリカは多くの失業者を抱えていました。
低賃金でもよく働く日本人移民労働者への反発、
人種的蔑視も加わり
日本人移民排斥の動きが強まってきました。
ギューリック氏は、排日問題は、
日本への無知や誤解が原因であり、お互いに
理解できれば解決できると考えていました。
そこで、次世代の子供たちの交流によって
日米の友好を築こうと考えました。
アメリカ国内のキリスト教会の人々と1926年に
世界国際児童親善会を設立し、
事務局長として民間レベルの交流を企画しました。
その最初の事業として、
アメリカの子供たちから日本の子供へ
ひな祭りにあわせて
12739体の人形が贈られました。
それに対して日本のこどもたちからも
返礼をしたいという声があがりました。
返礼までの時間と限られた予算のなかで
数は少なくても技術の粋をこらした人形58体が
日本から送られることになりました。
人形界あげての大事業となりました。
選ばれた人形を作った職人は、
平田郷陽、岩村松乾斎、滝澤光龍斎、太田徳久
松月、豊龍斎、乾龍斉、龍寿、秀徳など。
その後、この人形交流をしたこどもたちは
両国の戦争に巻き込まれてしまいます。
お互いに交換した人形はちりぢりばらばらになりますが
今回は日本から送った市松人形たちの
行方を辿った報告などもされたようです。
お人形が平和の架け橋として
遣わされたのを考えると
なんだか今の時代深く考えさせられるものがありました。
日本の伝統の市松人形がもっと好きになりました。
画像 042.jpg
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日も素敵な一日でありますように





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Last updated  April 18, 2012 10:44:21 AM
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麦笛 @ Re:こんばんは!(03/31) **ネコ**さん,こんにちは ネコさん…
**ネコ**@ こんばんは! 麦笛さん*お返事を下さって少し安心致し…
麦笛 @ Re[2]:bit by bit♪(03/03) **ネコ**さん、ご心配おかけしてすみ…
麦笛 @ Re[1]:bit by bit♪(03/03) WINDさん、お久しぶりです。 お返事が遅く…
麦笛 @ Re:3月も半ば*ですね!(03/03) **ネコ**さん,こんにちは。 しばらく…

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