本丸より(1)

ニューヨーク

◆ 生まれもつもの ◆

アーティストというのは
なるものではなくそう生まれてくるものだと
だんだん感じてくるようになる。

感じやすいから
センスがいいから
傷つきやすいから
疲れやすいから
苦しいから、と、
そういう理由でアーティストになれるのではなく、
アーティストだから。

ただ、そう生まれてきたから
誰よりも脆く
感じて疲れ
他の人には触れられない世界に迷い込んだり
行き止まりになったりしながら
それでも自分を表現しようとする。

まるで、それ以外のなにものも、ないように。

アートは自己表現の最たるもので
どんなにシャイで人前に出たがらず
インタビュー嫌いで、人付き合いが悪いとしても
こ難しい“芸術論”などとは関係なく
もっと単純に、他に向かって
「自分を見て、感じて、触れて」と、
そういう想いの固まりのようなもので、
本当は目立ちたがりたくて、気付いて欲しい。
それだけのことだったりする。

学校でアートは学べない。そもそも、「感性」は学校で習うものではない。

だけど、
生まれ持ってきたものを研摩し、輝かせる術は少し学べるし、
「技術」や「技法」は学べる。
とても残酷で、傲慢な言い方をすれば、
初めから何も持っていない者は何も輝かせるものがない。

けれども
それと同じように、何かを感じ取る力もまた、才能だと信じている。感じとることができる人も、ある意味、アーティストと言える。
たとえ自分自信で表現するものがないとしても。

自己表現は、裸で大衆の前に立つよりもずっと
恥ずかしいことかもしれない。
それがどんな分野であれ、
作品には裸体になった作者よりもずっと、
赤裸々なこころや人格や大袈裟に言えば「人生」さえもが投影される。

クラプトンはかつてのインタビューで、
自分に起こる「不幸な出来事」が悲しければ悲しいほど
演奏に魂を入れる力になるジレンマを告白している。

彼の、できのいい日の "Old Love" の演奏を聴いて、私は何度も本気で泣いた。

まるで、自分の羽根をつむいでまで衣を織るように、
痛々しいほどに
彼の中から生まれ出てくる音はまっすぐにこころに到達する。

受け取れる人の感性があるから、表現されたものはもっと、輝きを増す。

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