◆ 生まれもつもの ◆
アーティストというのは
なるものではなくそう生まれてくるものだと
だんだん感じてくるようになる。
感じやすいから
センスがいいから
傷つきやすいから
疲れやすいから
苦しいから、と、
そういう理由でアーティストになれるのではなく、
アーティストだから。
ただ、そう生まれてきたから
誰よりも脆く
感じて疲れ
他の人には触れられない世界に迷い込んだり
行き止まりになったりしながら
それでも自分を表現しようとする。
まるで、それ以外のなにものも、ないように。
アートは自己表現の最たるもので
どんなにシャイで人前に出たがらず
インタビュー嫌いで、人付き合いが悪いとしても
こ難しい“芸術論”などとは関係なく
もっと単純に、他に向かって
「自分を見て、感じて、触れて」と、
そういう想いの固まりのようなもので、
本当は目立ちたがりたくて、気付いて欲しい。
それだけのことだったりする。
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学校でアートは学べない。そもそも、「感性」は学校で習うものではない。
だけど、
生まれ持ってきたものを研摩し、輝かせる術は少し学べるし、
「技術」や「技法」は学べる。
とても残酷で、傲慢な言い方をすれば、
初めから何も持っていない者は何も輝かせるものがない。
けれども
それと同じように、何かを感じ取る力もまた、才能だと信じている。感じとることができる人も、ある意味、アーティストと言える。
たとえ自分自信で表現するものがないとしても。
自己表現は、裸で大衆の前に立つよりもずっと
恥ずかしいことかもしれない。
それがどんな分野であれ、
作品には裸体になった作者よりもずっと、
赤裸々なこころや人格や大袈裟に言えば「人生」さえもが投影される。
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クラプトンはかつてのインタビューで、
自分に起こる「不幸な出来事」が悲しければ悲しいほど
演奏に魂を入れる力になるジレンマを告白している。
彼の、できのいい日の "Old Love" の演奏を聴いて、私は何度も本気で泣いた。
まるで、自分の羽根をつむいでまで衣を織るように、
痛々しいほどに
彼の中から生まれ出てくる音はまっすぐにこころに到達する。
受け取れる人の感性があるから、表現されたものはもっと、輝きを増す。
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