故アイルトン・セナの最初で最後の妻であるリリアーニとセナは
最初のキスから2ヶ月後に結婚した。
そして、14ヵ月後に、彼等は離婚した。
初恋はハッピーエンドになり得ないと言われるけれども、
初恋や、本当の「恋」であろうとなかろうと、たとえシンデレラや白雪姫でさえも、
本当にハッピーに一生を二人で過ごしたのかどうか、疑わしい。
エリック・クラプトンは“愛しのレイラ”こと、パティを遂には手に入れ、
万歳三唱の余生を送るべきはずが、何が気に入らないのか、
アル中は酷くなるばかりであった。
それはまるで、念願の青いウィリアムズのマシーンを手に入れて尚、
悲しい顔ばかりしていたセナのようでもあった。
例えば、恋の悲劇は、ヒラメがカレイに恋をするようなことに似ている。
たとえお互いを見つめ合えたとしても、
いざ前へ進もうとした途端、すれ違う。
*
『命短し、恋せよ乙女』
かならずあるように見える明日は、本当はないかもしれない。
そう、思えば、どんなに苦しいと感じていても、
その責任と想いと、今ある状況の重さを背負って、
自ずと歩みを前へと運ばずにはいられなくなる。
.
『しょうがない。覚悟をきめましょう』
これは、夏目漱石の“それから”の中の、三千代の台詞である。
私はこの物語のほとんどを忘れている今であっても、
この三千代の台詞だけは忘れたことがない。
いつの時も、覚悟を決めるのは女である。
男は、怖じけずいて足が竦むようなところでも、女は案外、すっと立っていることができたりする。
“それから”は、
明治42年、夏目漱石が76日をかけて書き上げた当時の新聞連載小説である。
その解説に、次のようにある。
「…しかし漱石は『それから』を書くのに、なぜそれほど苦心しなければならなかったのか。それはいうまでもなく、漱石がここで、天の掟にはかなうが、しかし人の掟にはそむく、特殊な恋愛を、まともに取り扱おうとしたからである。」
夏目漱石ですら、インク壷とペンと紙をもって苦心したことを、
どうして、そう、かんたんに
忘れろと言えましょう。
All Rights
Reserved (c)
無断転載、使用を禁止します