本丸より (34)

the shadow of your smile

イエローキャブ

ニューヨークの雨ははっきりとしている。
なぜだろう。
ニューヨークでは少々の雨では傘をささずに歩く人が断然多い。
そして今でも、わたしは雨の日のニューヨークを窓から眺めるのは好きだけれども、その日は外に行く気になれない。
たとえ、素敵な傘を何本も持っていたとしても。

わたしはブリティッシュロックで育ってきたけれども、他の音楽を全然聞かずにきたわけではなく、歌謡曲や演歌やカントリーミュージックの類いを除いて、気に入ったものは熱心に聞く方だと言える。

もう古く、懐かしい曲で、忘れられないものがある。
すでに亡くなられた世良譲さんが弾く「The Shadow of Your Smile」
何十、何百ものアーティストに奏でられたであろう曲だけれども、わたしにとっては、世良さんがライブで弾かれた、その時の、たった一度の演奏が「一番」で譲ることがない。わたしはそのアルバムのその曲をくり返しくり返し聞いては、自分でも弾きたくて、かなり真剣にコピーしたものだった。

わたしはジャズの世界には疎いので、世良さんがどれくらいのレベルのジャズピアニストなのか知らない。知らないけれども、そんなことどうでもいい、というくらい、彼の「The Shadow of Your Smile」はわたしを虜にした。

トゥーツ・シールマンスと辛島文雄さんの撮影でレコーディングスタジオにいた時、ピアニストの辛島さんに「シャドウ・オブ・ユア・スマイルは弾けますか?」と聞いてみた。もちろん弾けるに決まっているし、それはちょっと失礼な質問だっただろう。『弾けるよ』と辛島さんがおっしゃるので、「わたし、その曲が好きなんですよ、レコーディングが終わったら弾いてもらえませんか?」と頼んでみた。

辛島さんは最初『ヤダ』と言って笑っておられたけれども、自分のゴルフのスウィングの連写写真を撮ってくれたら、そのお返しに弾いてもいいよ、という交換条件が持ち上がった。もちろんわたしにはそんな撮影は辛島さんがピアノを弾くのと同じくらい、カンタンなことだったので二つ返事でOKした。

果たしてレコーディングも撮影も無事に終わり、スタインウェイが片付けられる前にと、わたしは辛島さんに「弾いて下さいよ~」と頼んだ。
辛島さんはトゥーツがスタジオを後にするまで待ってから、わたしのためだけにピアノの前に腰をおろして、そして弾きはじめた。

わたしは、じっと最後まで「辛島式・The Shadow of Your Smile」を聞いていた。

それは、わたしがずっと愛し続けていた曲とはまったく違った世界のもので、いいとか、悪いとかの問題ではなくて、ただ、わたしがどんなに世良さんの一音、一音を愛していたのか、思い知らされた時でもあった。

辛島さんはちゃんと約束通り、きちんと弾いて下さり、わたしは丁寧に礼を言った。

世良譲さんが亡くなられた時、わたしはまっさきにそのことを思い出した。そして、とても残念に思った。

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