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Just when
I knew who to thank, you went blank
Just as the firelight was gleaming,
You were snow, you were rain,
You were stripes, you were plain.
Can it be you've been scheming
Or was I dreaming?
一度受け取ったことばが、時間とともに、こころの中で変化する。 「ことば」を仕事で使う者として、と言うよりも、「ことば」が好きな者として、わたしは時として異常反応を起こす。 最近の日本語に「負け組・勝ち組」という表現が頻繁に使われているけれども、わたしはそれがとても嫌なことばに聞こえて仕方がない。 玉の輿と呼ばれるような結婚をしただけで「勝ち組」で、そうじゃなければ「負け組」なんていうのは、くだらない表現としか思えない。
品格は、どんな人と結婚しようと、どんな仕事をしていようと、どんなに裕福であろうとそうでなかろうと、そう簡単に身に付くものではない。
「勝ち組」「負け組」なんて言っている姿は、ただ単に、品格が失われているだけのように見える。
最初はあんなに胸弾ませるほどの力があったはずのことばは、誰のせいでもなく、ただ、まるでバックグラウンドの色によって自らの色を変化させる魚のように、こころのバックグラウンドの色に変化する。
ただそれは、繊細だからとか、感受性が豊かだからということではないような気がする。
わたしは時々、曖昧なことばの渦の中に放り込まれている状態が耐えられなくて、白黒はっきりした会話をして欲しいと願うことがある。
それは、多分、聞きたいことばを、はやく、その人の口から発せられるのが待切れないから。
ただそれだけのことなのかも知れない。
すさんだ生活を赤裸々に話して「負け組」と呼ばれていた女優が、家柄の良い実業家と結婚した途端に「勝ち組」と呼ばれ、自らまでもそれを誇りにしたように「勝ち組です」と言い放つ。
そうして、離婚した途端に「また負け組に逆戻り」なんて言われたりする。
In the
hills of mystery,
In the foggy web of destiny,
You're still so deep inside of me
When we were born in time.
-----born in time
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