本丸より (43)

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himawari
Feb. 11 (Sat)

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NYsora.

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まだ日本の女学校に通っていた時、長い授業を終えて、制服を脱ぐのも忘れて、そのままソファーに横になったかと思ったら、いつの間にか眠っていた。

どれくらい眠っていたのだろう。
眠りの中に美しく、そして、物悲しい曲が入り込んできた。
眠りは徐々にその曲に誘われるようにして、わたしは目を覚ました。

テレビの画面には風に揺らめく無数のひまわりの群れ。
そして、ヘンリー・マンシーニのその曲が流れていた。

その時の目覚め方と、耳にした曲と、目にしたひまわりの群れは、いつまでも忘れるこがない。

ビットリオ・デ・シーカ監督の映画「ひまわり」(1970年)は、ロシアに初めて外国のカメラが入って撮影された作品である。

戦争を題材にした映画は数えられぬほどあるけれども、これほど、誰も悪くない、戦争が悪いのだと、そう表現した映画は稀と言える。憎しむべき“敵”がストーリの中にいないことが、この映画を一層、純粋に、戦争で引き裂かれ、どっちにいっても誰もが悲しいという行き場のない思いが、美しいヘンリー・マンシーニのくり返し、くり返し流れる音楽と一緒にこころに突き刺さる。

映画の最後のほうのシーンで、ロシアから毛皮の襟巻きを買って来るよ、と妻に約束して戦地へ向かった夫は、その約束通りに、襟巻きを渡す。状況はどうにも、誰にも、変えられない中で。その襟巻きが悲しかった。気丈なソフィア・ローレンの心情も、何も知らずに家庭を持ったロシアの女性も、言葉にできない想いをどうすることもできないマストロヤンニも、誰もが余りにもせつなかった。

そうして、また、一面のひまわり畑のシーンで終わる。
その下には、亡くなったロシア兵とイタリア兵が眠っている、ひまわり。

わたしがまだコロンビア大学で学んでいた頃、友人とヨーロッパを旅しながら、スペインの田舎を走る列車に乗ったことがあった。
確か、アルハンブラからバルセロナへ向かう途中、特急ではなく、地元の人達が使うローカルの列車に乗り換えた時だったと思う。

列車の中には、東洋人はもちろんわたし達ふたりきりで、乗り合わせた現地の人達も、まるで生まれて初めて東洋人を見たといった様子で、そわそわしているのを感じた。

わたしは持っていたスペイン語の本を声を出して読み始めた。すると、皆が笑顔になり、そうして、一人、また一人とそばに寄って来ては、何か話しかけるのだけれど、意味はわからなかった。ただ、とてもいい笑顔で、各駅停車のその列車から、人が降りる度に、わたし達に手を振り、笑顔で別れた。

気が付くと、列車は一面のひまわり畑のまん中を走っていた。

わたしは、その壮大なひまわりの群れに圧倒されて言葉を失った。

「映画のひまわりみたいだね」

そう、友人と話し、ただ無言で、長い間、そのひまわりの中を走っていた。

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