本丸より (47)

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PIANO

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音楽は、わたしにとって不可欠なもので、例えF1グランプリがこの世からなくなっても困らないけれども、もし、音楽がなくなったら、わたしは生きていけそうもないくらい全ての基盤になっている。

これはジャズピアニストである、キース・ジャレットの、即興演奏でない“曲”としての演奏で、1984年のライブで、まだ渡米していなかったわたしは、仲のいい友達といつものようにこの時のコンサートに行ったことを思い出した。

このサイトでわたしはクラプトンのギターを弾いているけれども(Retrospective 参照)まだ幼かった頃から弾いていたのはピアノで、幼稚園の頃にはすでに物足りなさを感じていたものだった。

多くの子供達と同じように、週一回、ピアノ教室に通っていたけれども、日ごとに楽譜通りに、そこに記された記号の通りに弾くことが、とてもつまらなくなって行った。この曲はこのように弾くのが「正しい」と言わんばかりのクラシックの世界で、好きに弾きたい自分との葛藤があった。子供の頃からブリティッシュロックに傾倒していたせいもあって、段々と、クラシックのピアノを弾くことに飽きてしまって、即興や、こういうジャズピアニストの曲を「耳」からコピーして弾くようになっていた。

わたしにとって「音楽」とは、自分にとって心地よいものであれば、どんなものでも聴いていたし、今も、聴いている。

三大ピアノの一つである「神の楽器」とさえ言われるスタインウェイの音は、弾く人によって、こころの奥底にまで達するが如く響く。このキース・ジャレットもスタイウェイが似つかわしく、特に低音の響きの美しさは見事とさえ言える。

わたしには子供の頃から弾いていたピアノがあった。けれども、家が変わったりという事情で、ニューヨークに居座って、弾き手のないそのピアノは処分され、わたしは号泣した。

あんなに沢山弾いていたのに。

両親が仕事で留守がちで一人で家に居ることが多かったわたしにとって、そのピアノは大事だった。

コロンピア大学の寮のロビーにはグランドピアノがあって、わたしは時々そこで弾いていたものだった。そして、いつからか、鍵盤を触ることもない日々を送り、体調不良になって以来、とても、ピアノが弾きたくて、弾きたくて、だけど、もうピアノを手に入れることは不可能だったから、好きな時にでも弾けるようにと、電子ピアノを入手した。

一体、何年ぶりだろう。しばらくは、まったく指が動かず閉口してしまったけれども、毎日、時とともに、耳で覚えて、指で覚えていた感覚が戻って来て、だんだんと弾けるようになっている。

キース・ジャレットのコンサートには一体何回くらい行ったことだろう。
多くの人がカバーしているこの曲。彼の "Over the Rainbow" を聴くと、クラプトンが歌っている同じ曲を聴く気がしなくなる。
クラプトンは大好きだし、すばらしく歌も上手になっているけれども、わたしにはそこに「こころ」が感じられない。

この演奏の間、キース・ジャレットはほとんど鍵盤を見ていない。その演奏スタイルは独特で、まだピアノがあった頃、彼の名作の一つである「ケルン・コンサート」をコピーして弾きながら、中腰になったり前屈になったり、天を仰いだりと、真似をして遊んだものだった。もちろん、彼の100分の1も弾けないけれども。

音楽には「力」がある。

例えば、わたしは写真を専門にしているけれども、音が聞こえてくるような、そんな写真を撮りたいと思いつつファインダーを覗いている。文章もまた、リズムが大切で、結局、全ては「音楽」の上に立てられた高層ビル群のようなものだったりする。

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