★ばりばり通信★バリBAGUSらいふ

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2002.11.5 バリ島テロ事件



皆様にご心配をおかけしましたが、私は無事で、事件の時間には、仕事場のサヌールからクタへ向かう途中にいました。クタに入ると、なんだか道が急に一方通行になっているし、土曜日だからといっても、これほどになるか???と思うくらいの、混雑ぶりで、なぜ???というのと、人がなんだか殺気だっているようで、とてもこわかったのでした。途中のガソリンスタンドで友達に電話して、すこし事情がわかったという次第で、それから、オレンジ色に染まった空を見て、なんだかただ事ではない・・・と思ったのでした。

野次馬が混雑をいっそうひどくさせ、その野次馬たちが言うには、事件の直後は現場には、肉片が飛び散り、ヘルメットだと思って蹴ったら、人間の頭だったとか、腕や足のなくなった人たちがヒステリックに助けを求めていたとか・・・なまなましい、話の数々。友人のドライバーは、現場のナイトクラブにお客を送っていった直後で、彼自身が500mくらい離れたところで爆発があり、被害に遭わずにすんだ。戦場のようなありさまだったという。
インドネシアのテレビは、もともと感じてたんだけど、人権とかっていう意識がないらしく、丸焦げになった焼死死体や、ひどい状況の人たちを平気で移して流すから、ニュースをみていて、何度気持ち悪くなったことか。被害は200名弱というが、ほんとのことはわからないはず。だって、ばらばらになった肉片は何人分の人間の体かなんて、誰がわかる?

悲しいのは、病院の対応がこんな規模の処置になれておらず、患者を扱う優先順位とかも分かってなかった様子。これが日本やオーストラリアだったら、助かっていたかもしれないのに・・・なんて考えざるを得ない。自分がもし知らない国で片腕がなくなるような事故にあって、ひとりで言葉のわからない病院にいるなんて図を想像したら、胸が詰まる。あたりまえだが、病室には関係者以外は入れない。私のできることは、わずかなドネーションとただただ、祈るだけ。

そんななかで、この間アメリカのプレスの記者が私に短いインタビューをした。「いつ国を出るんだ?」「出るときは、もうこない覚悟ででるのか?」とか質問を浴びせる。その時になって、やっと、バリを出るという選択肢が頭に浮かんだくらいで、それまではまったくそんな考えはなかった。現地化したってことかなって後になって思った。ここで帰ったら、テロリストの思うままとも思う。でも、やはり戦争とかが起こった場合に、自分の国ではないところにいるというリスクも考えておかないといけないな・・・といろいろ考えたのでありましたよ。

神々の島、バリが、早くもとのバリに戻るように。こんなことをする人間が一刻も早くいなくなるように。祈りながら、私はやっぱりバリですこし、様子を見てみることにするのでした。だから、バリバリもまだ続くのだ。


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