一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

養子のことを考え始める。

特別養子と普通養子・・そして里親。

不妊治療をしているときにある雑誌の文通欄で知り合った人がいた。
丁寧な文章と年齢も近いということで
いろんな相談に乗ったり乗られたり。
顔を合わせたことはないけど電話やメールやたまの手紙で
近況や治療のことなどを離していた。
その彼女が治療を続けながらも
里親登録するという話を聞いた。
すごいなぁと思いながら。
うらやましいとも思いながら。

その彼女が特別養子縁組をあっせんしてくれる会の方と
面接を行ったという話も聞いた。
いいなぁと思いながら・・・
もしかしたら私も里親にはなれるかも?と思い
自分の住んでいる場所の児童相談書に電話をかけた。
こんな私達夫婦のところにも迎えられる子供がいるかもしれないなと
期待半分で

「里親になりたいんです。できたら養子希望で」
「失礼ですがおいくつですか?」
「私は40代後半になります」
「そうなると学齢のお子さんしか紹介できませんよ」
やりとりは続いた。
他にもいろいろ年齢のことや治療して子供ができなかったからといって
ここから子供がすぐに迎えられるとか簡単に考えないようにとか
いろいろ言われた。
思い出したくない一言も言われた。
こんなにいやな思いをしてまで我慢をしてまで
里親ってならなきゃいけないのかな?
そんなことまで思ってしまった。

その時の担当の名前はあまりにショックで覚えていないけど
今は里親認定されて担当の方を見ていても
その時の私がした電話に出た方はいないようにも思える。
でも本当にショックだった。

特別養子についても勉強を始めた。
戸籍に「長男・長女として記載」されること。
これが一番気になった。
でもネットで検索できる特別養子縁組の会は
どこもぱんだやプリンの年齢がネックになる。
だいたいが40歳以下というのを限定にしていた。
児童相談所と同じだなぁ。
できたら・・いやチャンスがあるものならば
新生児で育てたい。
無理だろうけど・・乳児で育てたい・・
可能ならば学齢前の子供だったら・・なんて妄想は広がる。
ぱんだに何気に聞いてみた。
「里親ってどう思う?」
「家庭のない子供をうちに迎えるってことだろう?プリンがよければ
それでいいよ。」
肯定も否定もしていない。
「でもできたら小さい子供がいいなぁ」
そうぱんだは付け加えた。
「でも・・無理なんだって。二人とも40歳とっくに超えてるから」
「そっか」
「無駄な不妊治療しなかったらよかったよねぇ」
「そんなこと言わないの」
きっと私達には無理なんだなぁ。


そんなときにちょっと前に建ったマンションの売り広告が入った。
もう治療でお金がかかることもないし
ペット可のマンションだし
しかも今住んでいるところのすぐ前だし
何よりも生活環境が変わらないんだし・・。ってことで
チラシが入った日曜日の午後に冷やかし程度にマンションの
オープンハウスを覗きに行った。
築2年も経ってないきれいな室内。
ぱんだ夫婦には3LDKだったら十分な広さ。しかも
お値段も手ごろ。
試しにそこにいた係の人に言ってみた
「百万円値引きしてくれたら考えてもいいなぁ」
「引きます!」
・・・冗談のつもりだったのに
ぱんだも気に入ったマンションだし何よりエレベーター完備(これは当たり前か)
ってことで住所を記入して帰宅。
その後マンションの係の人が契約書を持って
我が家にやってきた。
かくてマンションの衝動買いが決定したのだった。
あわただしく銀行との契約(ローンはすんなり通った)
引越しの準備
マンション用の家具やカーテンなんかの準備。
ただ引越し先が目の前だったのはとても助かった。
電話番号も変わらなかったし住所も番地が変わっただけ。
大変な引越しを終えてペットを購入して
そうこうして落ち着いたころに
先の彼女から久々にメールが届いた。

子供を新生児で迎えたこと。
子供の名前を自分たちで考えたこと。
今は子供と家族として暮らしてること。
そして最後にこう付け加えてあった。
「プリンさんも特別養子を考えてみませんか?」

前へ 次へ


© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: