一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

一緒に歩こうよ。~特別養子縁組しました。~

それでも毎日はやってくる。

電話を待つ日々

それからは忙しい介護と子供を迎えるための準備。
体は悲鳴をあげそうだったけど心はなんだか落ち着いていて
それまでだったら絶対チャレンジなんかしなかったことも
やってみようかと思ったり。
あと少しの2人の日々を楽しんだりしていた。
義母も子供を迎えたら
「おんぶしてあげたいから早く治さないと」が
口癖になり病院に行っても笑顔で迎えてくれるようになった。
よかった。
義父は相変わらず調子が悪いようだったけど
それでも子供を迎えるのを喜んでくれたし
家族の雰囲気がすごく良くなった。
ぱんだもまたお仕事が忙しいのだけど
会社での手続きなどを確認して
子供を迎えたら・・のシュミレーション楽しんでいた。
部屋のレイアウトも考えた。
中古だけどベビーベッドも購入してあとは電話を待つばかり。

実姉にも実父にも喜んでもらえて
亡くなった実母にも報告した。
ただ40代後半にさしかかったプリンの体力と健康
それだけは気になった。
これといって大きな病気にかかったことは
ないけど・・実姉が
「育児は体力と忍耐なのよ!あんたは40代なんだから」
・・・・子供が成人を迎えるまでは健康でいないと・・と
言葉をつづけてくれた。
そっか責任重大なんだ。
ぱんだとプリンはそれまで二人だけの生活でお互い
成人になっていたから
誰かのために・・という責任を負ったことは
なかったんだなぁ。と考えた。
「人間なにが起こるか分からないんだから一度責任もって
迎えることになったんだったらその子が成人するまでの責任があるんだよ。」
もしも2人が何かで亡くなってしまったらその子は施設とかに
行く羽目になるかもしれない。
そんなわけにはいかないでしょ?
・・そう言葉をつづけて
「あんたが子供を迎えるって聞いたときに私達夫婦も心を決めたから。
もしもあんたたちに何かあった場合その子はうちで責任持つから」

・・その言葉で目が覚めた。
自分たちだけの責任じゃない。周りにも覚悟がいるんだ。
その子のためにも生きて育てて行かなくっちゃいけない。
実姉がそこまで考えてくれた上で賛成してくれた気持ちに涙が出た。

ぱんだにその話をした。
ぱんだは一人っ子で兄弟がいない。ぱんだの母は40歳でぱんだを
産んでくれた。不育症だったようで何度もの流産の上の子供だった。
だからすごく大事に育てられたし
ぱんだ自体もとても優しい性格だった。
プリンの姉の言葉にぱんだも涙した。
「もしも子供がやってきたら責任重大だね。お姉さんたちに迷惑かけないようにがんばらなくっちゃいけないよね。がんばろうね」

部屋もあらかた片付いて子供を迎える準備はできた。
毎日のように病院に顔を出して義母といろんな話をする。
どんな子だろうねぇ
たのしみだねぇ。
義母はその頃はコルセットをつけて
ベッドから起き上がれるようになっていた。
あとは杖をついて歩けるようになれば退院。
それは主治医の先生も賛成してくれた。
義母もリハビリに熱が入って
今までの泣いてばかりの状態ではなく毎日が楽しみのようだった。
なんだか真っ暗に近かった家族が
光を見つけて寄り添い始めたって感じ。
ぱんだもプリンもなんだかほっとしていた。

梅雨に入った。
でも毎日暑いくらいの炎天下。その頃はベランダで野菜を
少しだけ育てていて毎日の水やりも気にしながら
病院に通っていたある日。
夕食の支度をしていたら
また電話が鳴った。

「こんばんは。」
待ちに待っていた電話だった。
「あ!お久しぶりです。」
「お待たせしましたね。一週間か10日後くらいに産まれます。」
「は・・はい!ありがとうございます」
「でもね。まだそれくらいに産まれるってくらいしかわからないの。だからすぐにでも出れる準備だけはしてもらえるかな?生まれそうになったらまた電話入れます。そしたらすぐに出てこれますか?」
「はい!あ・・でも今義母が入院中で毎日病院に行ってるので・・それとわんこがいるのでペットホテルに預けて・・でも早く出ます」
「わかりました。また電話しますね」


受話器を置いていっぱい泣いた。
ぱんだにもすぐに電話して焦って帰ってきたぱんだと手を取り合って泣いた。
やっとやっと
代理コウノトリさんが我が家にやってきてくれるんだ!
・・・ベランダではゴーヤの花が満開だった。


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